新年の抱負と炬燵


 年末商戦の時期を過ぎれば、新しい年がやってくる。


 毎週のように顔を出している小売店はともかく、デパートやホテル、レストランまで、普段ではあまり意識しない大手の顧客がこぞって、「約束と違う」、「注文した数が足りない」と営業を呼び出すのが、この時期の恒例だと言われた。


 イスミにとっては、今の職場に来て初めて迎えた年末。緊張通し、働き通しの休み無しで、本当に身体がもつのか、そればかり心配だったが、どうにかなった。

 

 呼ばれて飛んで行って、いざ何が起きているかを確認すれば、予想以上の売れ行きで、数が足りないのをどうにかして都合してくれ、ということだったり、そもそもが、お客側の注文ミスであったりする。


『すみません』と謝りつつ、お客の要望を叶えてお金を戴く、という流れにもっていければベスト。そうでなくとも、情や恐怖に任せて、商品を安く買い叩かれないよう二番手、三番手を講じて、妥協点を探らねばらない。


言葉にすると不興を買いそうだが、お客様を満足させるだけが接客業なのではない。”喜んで戴けて、私共も満足です”、に至らない、ほとんどの場合の着地点を導くのが、難しいのだ。


前職では、それを一人で出来る範囲でしかやれなかったが、今は、"とにかくどうにかしてくれ”というところまで、会社に相談できる。大変ではあるがその分、"ここまでやった"という、達成感もある。


 大学を卒業したイスミが、最初に望んで就いたのは、きれいな服を着て、品質に自信のある化粧品を店頭で宣伝しつつ、買って戴く、販売員。お客様の声を聴ける一番の窓口ではあったものの、それを活かした本社勤めが、何より続かなかった。仕事として、まったく別物であったのだ。


 とにもかくにも、今年は別の仕事で、目の回りそうなほど忙しい12月をやりきり、六日間の連休にありついた。休み初日の大晦日は、年越しの鐘も聞かずに失神したように眠りこけて、元日の今日は、近所で親しいナミヱおばちゃんの家に、お邪魔している。炬燵にミカンと日本酒で、すっかりこの家の娘になれるのが、一年で一度、この正月の楽しみの一つになっている。



「一年が過ぎるのが早すぎる」


イスミがそう、ぼそりとテレビを見ながらつぶやくと、すかさずナミヱおばちゃんが、こう言って返す。


「イスミちゃん、そんなこと言うのは、おばちゃんだけよ」


「大丈夫、大丈夫」



ナミヱおばちゃんは、20年前からそう変わらない容姿で、丸眼鏡をかけ、髪はゆったりと赤茶の短めパーマ。色鮮やかな布や、幅広い料理のレパートリー、家庭的な匂いのなかに、何かいつもと違ったものを提供しようとする遊び心も見えて、若々しい”おば様”である。


海外勤務の息子が一人いて、旦那さんに2年前に先立たれるまでは、本当に仲睦まじい夫婦だった。娘がいない分、イスミのことも、ミオリのことも、とても気にかけてくれた。ちゃんと食べているか、悩み事はないか、こんど久しぶりに和菓子を作るから食べに来て、などと、昔から二人の姿を見れば声を掛けてくれた。


イスミは結局、あまり上達しなかったが、ナミヱおばちゃんの料理と裁縫の腕は、ミオリが代わって受け継いでいる。



「仕事はどう?慣れた?」


「んー、まぁまぁ、形になってきたかな。まだ新人扱いだけどね」


「そりゃそうよ。職場にいらっしゃるの、みんな年上の方ばかりでしょ。仕方ないわよ」


「でも、新卒で1人いるから。ちょっと浮いているの、気まずいし」


「そんなこと言ってこの前、パソコンの使い方を一から教えたって、えばってたじゃない?イスミちゃん、十分頼りにされてるわよ。安心なさい」


「へーい」



 同じ月に入社した大卒の林ツカサは、どこぞの取引先の子息だとかで、口の利き方も横柄。ただ、陸上で走っていたというだけあって、体力仕事や、身体を動かす仕事には比較的前向きなのが、救いである。ただ、ペーパーワークとなると、途端に投げやりな態度になるのを見かねて、イスミが社会人としての先輩風を吹かせてみた、という訳だった。


「あれからどう? 少しは懐いていくれた?」


 イスミは炬燵に頬机を付き、ぼんやりと思い出す。とはいっても、数日前まで顔を突き合わせていたのだから、そう面倒でもないのだが、なんとなく嫌なのだ。


「あれから、なんだかんだで、分からないことは分からない、って部長にも言うようになって、私も助かってるんだけど、どうも、出来るようになったことを私にアピールしたいっていうか、そういう態度がうざったくて」


 要は、姉のように慕われているのだろうが、自分に兄弟が無い分、どういう顔をしていればいいのか分からない。勿論、”人生の先輩”としては「よかった、安心した」みたいなことを既に言ったが、それでは、何か不十分らしい。年末の忙しい時期には、イスミが一人で凝った肩をさすっていると、「大丈夫ですか、休みますか?」と訊いてきた。


 「そんな気も遣えるんだ」と一蹴したものの、その後のツカサの腑に落ちない不満顔が、妙に気になって、内心、『私に休んでほしい理由でもあるのか?』と、勘ぐったくらいだ。しかし、人手が足りない上に、実質営業の内二人が新人で、教育も兼ねてとなると、係長や副部長まで社内外を問わず、奔走する羽目になった。そんな中で休むだなんて、口が裂けても言えない。


 

『そんなことも分からないから新卒は…』という言葉が一瞬、イスミの頭をよぎる。だが、次の瞬間には、よしておこうと自重する。何故なら、それを言われて落ち込んだ10年以上も前の自分を、いまさら傷つけたくなかった。それに、ツカサに心配されたのは事実だ。



「なに?かいがいしく面倒見たら、好かれちゃった? 意外と最近の子って、世話を焼かれることに慣れていないのよね。ちょっと、可哀想なくらい」


「ふーん、でも、十分甘やかされて育ちました、って顔してるよ。生意気に」


「あら、そう?」


 ナミヱおばちゃんは、そう言いつつ笑って、向かいに腰を下ろすと、急須にお湯を入れ、イスミの湯呑と自分のを二つ、前に並べた。



「中学生の頃からかな。紺のセーラー服、近所で歩いてるから見るけど、今も変わってないのよ。このかわいい湯呑も、よく割れずにちゃんとイスミちゃんと生きてるわ」



 四葉のクローバーが、桜色の釉の上に、ちらほらと描かれているだけの小さめの湯呑は、ナミヱおばちゃんが、いつだったか学校主催のバザーで、イスミの為に購入したものだ。もう一つ、色違いの器がセットになっていて、それは後でミオリ用になったのだが、だいぶ長いこと、それが使われているのを見ていない。


「そういえば、おばちゃん、ミオリって最近ここに来てるの?」


「なに?改まって。あなたたちの方がずっと会うこと多いでしょ。そうねぇ、前来たのは秋かしら。満月のきれいな夜に、すすきと竜胆りんどうの花束を抱えて、『けるのに』って言って突然。いったい誰が来たのかと思ったわよ。ときどきミオリちゃんって、気障きざよね。彼氏にしたら、心臓もたないわってかんじ」


 頃合いを見て、おばちゃんが急須を小さくゆすり、持ち上げる。それを傾ける角度、添えられた手が、なんとも女性らしい所作だと、イスミは思う。


はい、と寄せられた湯呑から立ち上る、少し香ばしい香りのする緑茶に、すうっと鼻を近づける。


「実はさ、忙しくて相談とか、出来なかったことがあって」


 イスミはぽりぽりと頭を掻き、ふぅっと、湯冷ましの息を湯呑に吐きかけて言った。


「なに?去年の話?あらやだ、持ち越しは普通、なしよ。例外なのは、未来につながることだけにして」



 ナミヱおばちゃんの未来志向は、昔からだ。故人の思い出話も、楽しいからする。今が幸せになるなら、ずっと覚えている。イスミもそれに随分助けられたし、今もそうだ。


「未来ね…未来っちゃ、未来だと思う。ほら夏に、ミオリが旅行に誘ってくれたって話、したじゃない?」


「あぁ、海外の?海の見えるきれいな孤島とかっていって、羨ましいわって話したのに、やめちゃったあの?なに、今更どうするの、また行くことにしたの?」


 イスミは首を振りつつ、ミカンの籠に手を伸ばす。


「実は旅行の話の後で、少し、妙な話をして。ミオリが作ってくれた料理の後片付けをね、珍しく私が手伝って、そのときふと、ミオリが、『私はたぶん、”おかえり”って言いたい方だな』って、言ったんだ。それで私は、『じゃあ、私は”ただいま”って言いたい方だから、問題ないね』って。そのときのミオリが、少しはにかんで嬉しそうなのが珍しくって。


 でもふと、不安になってつい、『でも、稼いでるが違うのに、ミオリの旦那なんて無理だな』って、言い足した。そしたら、やっぱり空気がまずくなって。言わなくていいこと、また言ったなって。あれから、なんだかミオリとの間が少し、開いたような、忙しいって言うばかりで、二人の話とか…できてなくて」



 イスミは、ミオリの項垂れた横顔を思い出し、また気持ちが沈む。あれからミオリは旅行の話もしないし、週末に会う以外の約束を、言い出さない。感情を隠すのが上手いのを知っているから、自分もそれに甘えているのだと、イスミは思う。けれど自分には、他人に見せない柔らかい顔を見せてくれる、そのことを、特別な友人として自負していただけに、このままではよくない気がしている。


ミオリのおっとりとした、静かなまなざしが、口にしない沢山のことを語っても、イスミには、そこまで几帳面な翻訳はできない。むしろ、その沈黙に立ち入らないことが、二人の間の約束である。


長く友人を続けて、相手の尊厳を守る距離感として、いつしか身に付いた感覚は、どこか、出逢った頃の互いの若さや、想いの切なさを保管しようとしているかのようで、捨てきれない。居心地のいい過去の思い出に浸って、今の関係に向き合うことを避けている、そう言われても、仕方がないのかもしれないが。



「なんだ…意外とズバズバ言うのは、イスミちゃんの方か」


「意外と、って何? 私、結構はっきりしてるよ。意志も強いほうだと思うし」



イスミは、剥いたミカンを二つに割り、端の小さい房を取って口に放り込む。ナミヱおばちゃんも、ミカンを一つ取って、ちまちまと皮を剥いていく。


「何言ってんの、イスミちゃんが気兼ねなく、何でも言える相手って、ミオリちゃんだけでしょ。それが分かってるから、ミオリちゃんもついつい、考えこんじゃうわけよ。そうねぇ、稼ぎねぇ。あなたも、『男は嫌』って言う割に、つまらない男みたいなこと、言うのよねぇ」


あっという間に、一つ目を食べ終えたイスミは、二つ目のミカンに手を伸ばす。


「え、そう?だって、事実だし、なんか情けないじゃない? もし二人で住むようになって、ミオリが、『専業主婦がいい』だなんて言い出したら、どうしようって、思うもん。『ただいま、おかえり』って、結局、そういう役割分担の希望なわけでしょ。でも、私たち二人とも女で、一番現実的なのは共働きなのに、なんかミオリは、違うことを望んでるのかなって」


おばちゃんと話をしていると、考えていたことがどんどん明確になる気がすると、イスミは思う。そのおばちゃんは、ふふんと笑って、こう言い返す。


「あらあら、もう弱音? そうねぇ、主婦だって立派なお仕事だからねぇ。分かりやすい対価が発生しない分、忘れてしまわれるけど、料理だって洗濯だって、部分的に特化すれば、きちんと外に仕事があるじゃない? それを、家の中だけで完結させて、安価に済ませるって結構、大変なことよ。あなたも一人暮らし長いんだから、分かってるでしょうけど」


もぐもぐと口を動かしながら、イスミは答える。


「分かってる、大変だって。自分一人の為って、モチベーション維持できないし、ミオリが週末、作ってくれるご飯とかお菓子とか、めちゃくちゃ美味しいし、『あー、いい奥さんになるな』って思うよ。

 思うけど、でも仕事も、辞めてほしくない。どういう風に考えてるのか、スーツを着てる時のミオリって、なんか、別人みたいで。怖い顔してる時の方が多いんだ。あんまり、楽しくないのかもって。二人の時も、仕事の話をするの、私ばっかりだし」



「なら、そう言えばいいのよ。もっと二人で話をしなさい。あなたたちは、誰より仲がいいけれど、その分、遠慮もしてるのよ。たしかに、色々とミオリちゃんの家は難しいことがあるし、イスミちゃんもね、違う苦労をしてきた子だから」


「でも、それは…」


三つ目のミカンを手の中に納めて、イスミは喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。


自分の苦労はとっくに、有効期限切れだ。なぜなら自分にはミオリがいて、ナミヱおばちゃんがいて、他にもたくさん、相談に乗ってくれた人たちが居た。そんなことはもう、何かを出来ない理由にしたくない。



「ナミヱおばちゃん、私…」


イスミは前髪をかき上げ、まじめな顔をしておばちゃんを見つめた。


「今年はちゃんとイスミと、話をする。お互いの仕事のことも、同じ分だけ話せるようにしたいから。それで、旦那役とか、嫁役とか、そういうの無しで、できれば一緒に…、一緒に暮らせるようにしたいなって、思うから」


 こう言ったイスミの顔はみるみる真っ赤に染まったが、そのトマトのような火照り具合を見て、ナミヱおばちゃんも、ニコニコと笑った。


「二人が幸せになれる様に、おばちゃんも応援してるからね」


イスミは、自分の顔を隠す様に両手で覆うと、『ん~』と声にならない返事を返した。



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