幼馴染の離婚とむかし話


 新しく事務所で引き受ける管財人の件で、お客と真面目な夕食を終えたミオリが向かったのは、日本懐石を食べながらワインの飲める、一風変わったビル中の小料理屋である。


店自体はそれほど広くはなく、上がり畳のテーブル席は向き合って食べたい二人客用。対してカウンター席は、小腹を贅沢に満たしつつ、ワインを静かに飲みたい一人客が集まる。


入り口手前には、暖かなオレンジ色の、夜景の見える窓辺には、薄紫の照明が、個々の食卓にほのかな明るさと影をもたらし、落ち着いた雰囲気の空間になっている。個々の客席の間に意図的に作られた暗がりは、適度なプライベート空間を設けるもので、話し相手の表情さえ、昼間とは違って見えてくる。



この店を待ち合わせに使う時は、やや私的な向きの時が多いなとミオリは思う。席に案内しようとする店員に、中に人を待たせていると言い、脱いだコートを渡す。約束の相手は、時間に対して、仕事がら几帳面であることを知っているミオリは、予定時刻の5分前でも、既に相手がいるとふんでいる。


少し見渡しただけで、L字カウンターの死角の席に、ミオリは待ち合わせの相手を見つけた。照明のせいで、余計に白っぽく見えるグレーのスーツは、彼の選ぶ最も無難な色。


箸をちょこまかと動かしつつ、何を真剣に運んでいるのかと見ると、刺身に付けるワサビの量が気に入らないらしい。そんな様子も彼らしいかと思いつつ、ミオリは彼の隣の席に腰を下ろした。



「相変わらず君は、変なことにこだわるね」


ミオリの言葉に、「おっ」と小さな声を発して、その相手の男が顔を上げる。箸を持たない右手で、古い型の銀縁眼鏡を指で押し上げると、近くのミオリの顔に焦点を合わせた。



「そういう君は、いつでも大物らしい貫禄だね。仕事は順調?」


「そこそこ。ヘイタ君は?そろそろの準備かな?」



ミオリはそう言葉を返しつつ、やってきた店員に煮魚と白ワインのコースを頼む。


そんなミオリの様子を見つつ、"ヘイタ君"こと杉山ヘイタは、皿の端にあった大根のツマを、赤身の一切れに器用にまとめて口に運ぶ。もぐもぐとゆっくり時間をかけて吞み込んだところで、水を一口。ゴクリと喉を鳴らして、話を接いだ。


「いやぁ、まだまだ下積みって言われてね。落胆してるとこ。今日はミホに言われて来たんだろ?」


“ミホ”という名前が出たところで、話は早い方がいいとばかりに、ミオリは書類鞄からA4サイズの、青い封筒を取り出す。


「おっと、出ましたね。ミオリさんの青封筒」


ミオリは顧客から預かった重要書類で、混同したくない類のものは、色の異なる封筒に保管するようにしている。青色の封筒に入れるのは離婚届である。


「ごめんね、ヘイタ。これも同業の決め事の様なものだから」


というのは方便だが、預かったものは仕方がない。

女性弁護士間のつながりはそれなりに強く、特に家族関係の分野については、ミオリは一目置かれているらしい。そのせいか、別に揉めている訳でもないのに、離婚届の受け渡し係の様なものまで引き受けることがある。


同業のミホからの頼みで断りにくいのもあったが、今回はむしろ、彼女より相手の旦那との付き合いのほうが長い、という事情もあって、なんとも損な役回りだとミオリは思う。


目の前のヘイタとは、父親同士の”仕事”の縁で、ほぼ人生分の付き合いがある。


幼い時こそ、目立たず、口数の少ない少年だったが、いつの頃からか、成績でミオリと肩を並べる様になった。高校時代には、若気の至りで、ちらっと付き合っていたような気もするが、すぐに別れた。


そのあと、何事もなかったかのように友人関係は続き、同じ大学の学部を出て、今では議員秘書である。日に焼けたことのない白い顔に、濃く太い眉の他は、全体的にぼんやりした印象を与える彼は、休日も関係なく忙しいと、電話口でもらしていた。


ヘイタはしぶしぶ渡された封筒を開け、中身を引き出して、そこに、自分の妻の署名と捺印を認める。予想どおり、証人の一人はミオリである。


失笑しつつ、ヘイタは手元のぬるくなった熱燗をぐいと飲み干す。ミオリは、彼の為にもう一瓶カウンターに追加を頼むと、言いにくそうに切り出した。



「良かったの? 条件も出さずに別れちゃって?」


 実際、仕事の範疇だとするならば、妻側のミオリがこんなことを言えたものではない。だが、こと杉山ヘイタに対しては、”友人としての立場”を守りたいというのが、ミオリの本音である。


 ヘイタは、鼻の頭をそわそわと掻きつつ、自嘲的な笑みを浮かべて言った。


「互いに仕事は忙しいし、それでも同じ家に住んでさ。気も遣ってるつもりだったよ。でも、ミホが言うんだ。『結婚して損してるのは私ばっかり』って。何がいけなかった? 俺が専業主夫にでもなると思ってたのかな、彼女は。そんなわけないよね、互いに仕事は一番、ってそういう約束で一緒になったんだから」


「それで?」


彼の愚痴は、抑揚の効いた、役者のセリフ回しの様である。ミオリはフムフムと頷きながら、彼の話を流し聞き、届いた白身魚に箸を入れた。甘辛い香りがたまらない。さっきの会食では、説明事項が多くて、まともに食べられなかったのだ。ヘイタの話は続く。


「…お互い好きで結婚して、結婚式も挙げてさ。そりゃあ、好いことばかりじゃないのが人生だから、文句の一つや二つ、俺だってあるよ。でもミホは、結婚して損をしたから、これ以上続けるメリットがないなんて言うんだ。

 何言ってんだ、むしろこれから得をするために、今結婚してるんだろ?老後はどうするんだ、って言い返したさ」


「なるほど」


ミオリのあいづちに、ヘイタも頷いて熱燗の瓶を小突く。


「そしたらあいつ、なんて言ったと思う? 老後の安心は労働で買える、とかぬかす。確かにあいつの稼ぎなら、そうだろうさ。でもって、話せば話すほど、俺の方がどんどん不利になるっていうか、なんでそもそも俺は結婚に拘ってるんだっけ?とか、思い始めて。

 で、しばらく忙しい合間に考えてって、言われて一週間。んで、気付いたんだ。なんで俺は、最初にミホが好きだからっていう理由を、別れたくない理由に挙げなかったんだろうって。理屈を並べ終わったら、結局はそれしか残らないのにさ」


「そうだね」


ミオリは白く、つやつやとしたご飯がのこす甘い余韻にひたりつつ、ワインを口に含んだ。ヘイタには悪いが、ご飯がおいしいのは別問題である。ヘイタはミオリの食事に夢中なのを見て取ると、おしぼりで自分の口を拭い、ぶらんと下ろした腕を、膝の上に組み直して、ミオリの方へ身体を傾ける。


「ミオリさんや、こうした問題に慣れっこなのはわかるけど、もう少し、気の利いたなぐさめでも言ってくれないと、俺泣いちゃうよ。俺たち、長い付き合いじゃん。愚痴は聞いてくれても、言葉が欲しいのよ、言葉が」


ヘイタはそう言い、カウンターから本日何本目かのおかわりの酒瓶を受け取ると、すぐに口を傾け、空いた盃を満たした。


ミオリは、口を動かしつつ、何を言ったものかと思案する。


相変わらず酒を飲むと、絡み癖のあるヘイタだが、記憶はしっかりと残るタイプのため、いい加減なあしらいも出来ない。ここで甘い言葉の一つや二つ、かけられないこともないのだろうが、それは逆に残酷なようにも思う。


だが、ヘイタの飲むペースが気になる。彼の手元を見れば、どうやら最初にウィスキーまで飲んだグラスまで残っている。ミオリはとりあえず魚の半身を平らげたところで、口を開いた。


「ヘイタさんね、君という人は押しに弱くて、どちらかというと、何でも人任せに動きたがるから、こんなことになってんだよね。彼女も、自分の意見にノーと言う男が嫌いだから、二人がくっついたのは悪いことじゃないと思ったけど、積極的にイエスの態度も示せないとなると、時間の問題だったかもね」


相当辛辣な言葉である。ミオリも自覚している。だがこれくらい言わないと、ヘイタも歳相応に「もの言う男」に成長している為、すっぱり、切ってやるくらいが丁度いい。


ヘイタはこれ見よがしに口を尖らせる。


「あー、ミオリさん。それは元カノとしてのご意見ですか? きっついなぁ、きついよ。俺にオアシスは必要ないっていう訳?俺だって一生懸命に働いてるのに、なんでそんなに冷たいのかなぁ、世の女性たちはさ」


そう言われたミオリも、こういう場合の”気の利いた言葉選び”なんて、巧いことはできない。こう言って返すのが関の山である。


「それで、条件は? くだらないのでもいいよ。素直に離婚を認めません、ってのが伝われば、少しくらいは可能性があるかもしれない」


これは嘘ではない。土壇場になって最後の悪あがきが無駄、ということは、こと離婚においては、あてはまらないことが多い。


まして離婚の理由が家庭内暴力や借金など、目に見えてどちらかの非を問えるものではなく、「価値観の不一致」、もしくは「結婚している理由もない気がして」、「愛情の喪失」という、当の本人たち以外には分からぬ繊細なものだと、本当の最後までどうなるか分からない。


離婚届を託されたのは、何も必ずヘイタに渡す、ということだけではなく、「不服があれば聞きましょう」という、ミホ側の隠れた譲歩もあるのだ。


ミオリは、口ほどに酔いの回っていないはずのヘイタの頭を信用している。


謙遜しなくとも、彼はとても頭がいい。だが、新卒で奉公した省庁勤めがだいぶ心身に堪えたのか、頭を回すより、うまい言葉を口から吐き出す方に意識が向いてしまった。おかげで、本心を語るのが難しくなったようで、今日のところ、ヘイタの本音はまだ出ていないと、ミオリは感じるのである。


ヘイタは、何かを考えている風に手酌で一杯あおると、ごつんと音を立てて空の器を置き、頭を抱えた。



「俺、頭がおかしいのかも。離婚するって言われても、全然実感わかない。彼女とはずっと上手くいってて、小さな喧嘩もすぐに仲直りして、家事の分担もそれなりに…なんの問題もなかった。それで、別れるって?俺、何したんだろ。ほんとに全然分かんないんだ」


ミオリは何となくだが、二人の間にある”事情”を察する。


ふいに持ち掛けられたミホの相談は、実質、相談のレベルではなく、すでに離婚を決めたという急な話ではあった。結婚式にも招かれた手前、「ちょっと待って?もう決まったことなの?」と、その場で問い返したくらいだ。


ミホから聞いた夫としてのヘイタと、いま目の前のヘイタから出た言葉とが、ようやく結びつき、均衡して、ミオリの頭の中に納まった。


ようやく本音らしいものを口にしたヘイタは、禁煙以来の癖である唇をいじりながら、ぼんやりと宙を見上げている。おそらく、愛情の問題ではない。ヘイタが、ミホに対して如何に優秀な夫であろうとしたか、それは何となくミホの云いぶりからも伺えた。


でも、それだけではだめらしい。ミオリはこうしたタイプの別れ方を、前にも見たことがあるなと思い出す。”まじめすぎる伴侶”の問題、というやつだ。


時間が経てば、ヘイタもいつか気を緩めて、好きなようにお互い罵り合うこともあるかもしれない。でも、そのいつかを、ミホは「待てない」と、一人で判断してしまった。


妻の機嫌を損ねず、忍耐強く、無難に振舞うヘイタ。自分が最初に楽になる手段を考えられない、そんな良心的すぎる彼を、ミオリはたったの一度も憎んだためしがない。だから、今の仕事に就くのをきっかけに結婚した彼の幸せを、ずっと願っていたのではあるが。


ミオリはふっと笑顔を作り、大事な友人としての立場で、こんなことを言ってみる。


「ヘイタさん、深呼吸だ。十分ミホは我儘を言ったんだから、ヘイタも少し力抜いてさ、これからの自分に、一番楽な形を考えなよ。努力して支えた家庭のメンバーが、『もういいよ』って言ってんだから、一人で夫婦はやれないよ」


ミオリのその言葉に、ヘイタは眼鏡をあげて、目頭を強くつまんだ。相当に酒の回った頭で、いつもは見せない顔を見せる彼がいま、何を感じているのかは、はっきりしない。だが、元来頑固で、嘘を吐けない性質の彼が、こんなふうに苦しんでいるのを見るのは辛かった。


「ミオリは、俺のこと分かってんだね」


ヘイタがぼそりとそう言い、ミオリは気付かれない程度に、首を傾げてみる。言葉では何といえても、実際にできることは限られる。そろそろ時間も気になるところだ。


「そうでもない」


ミオリも小さく呟くように言って返した。ヘイタは出てきた鼻水をティッシュで拭い、眼鏡の位置を確認すると、深く息を吸い、吐いた。それをもう一度繰り返す。


「…とりあえず、書類は持ち帰る。ミホには、一週間後に渡すって言っといて」

「分かった」


ヘイタが封筒をしまい込むその左手には、結婚指輪が光っている。ミオリはふと、羨ましい気持ちになって、その金属の輪を見つめた。


はたと気付いて、視線をすぐさま外したミオリだったが、ヘイタは気にした。酔っぱらいの風貌で、薄く頬と目元を染めた彼は、じっと醒めた目をしてミオリを見つめる。ミオリは、そそくさと鞄を持ち上げ、席を立とうとする。


「ミオリ、」


ヘイタが強く、呼び止める様にミオリの名前を呼ぶ。ミオリは反射的に構えて、困惑した顔で見返す。その顔を見て、ヘイタはすうっと、意地の悪い笑みを浮かべた。


「なんだ、俺を、まだ悪いと思ってんだ」


ミオリは、はあっと溜息をついて、もう一度腰を下ろした。襟を直して、強気の視線でヘイタの真意を探ろうとする。


ヘイタは、ミオリを引き留められたことで満足したように、氷の解けたお冷をぐいぐいと喉に流し込む。


「ヘイタには悪いと思ってるよ。でも、おかげで私は違うんだって、分かったんだ」


ミオリも真面目に言葉を返した。


 真実、高校時代、一時期付き合っていたのは、ヘイタの告白がきっかけだったとミオリは記憶している。だがその後、間もなく訪れた機会、初めてのキスを終えて、ミオリが彼に対して放った言葉は、「」であった。


その言葉で深く傷ついたヘイタと、自分でそうは言ったものの、詳しい何かがはっきりとしないミオリとの間で、一気に距離が出来たのは言うまでもない。


互いに明確な別れを切り出さずに、「ミオリがヘイタをふった」というのは、まさにこの出来事を指してのことである。


ヘイタは、自分の頭をがしがしと掻きつつ、苦いものを吐き出す様に、言い募る。


「俺はね、俺が言いたいのはさ」


ミオリは敢えて何も言わず、大人しく待つ。ヘイタは手すきで髪を直し、肩を鳴らして猫背を正すと、真っすぐ椅子に座り直した。


、ふられたんだって思うべきか、ってことで」


ちなみにその後の付き合いで、ミオリの「なんか違う」の正体は見えてきたのだが、ヘイタもその後と今を、もちろん知っている。ミオリが知らせたのだ。


「俺はね、男だから。だからさ、俺はね、女じゃないからさ」


ミオリはまだ、ヘイタの謂わんとしていることがつかめない。ヘイタの方は、もう喉まで出かかっている。


自分の頭の中で、何かを整理するように身振り手振りで訴えるヘイタは、目の前のミオリに、今でしか言えないことを、言いたいのである。



「女ではないのが、俺なわけで、そんな俺のことを好きなら、別に男であろうが何だろうが、きっと?だから俺は、ミオリが向坂を好きだって、女が好きだって、俺に言ったとき、『こいつ、嘘ついてんな』って思った。素直に言えばいいんだ。俺のことはそんなに好きじゃないって、俺が嫌いだ、ってさ」


「それはヘイタ、違うよ」


「違わねぇよ」


ヘイタの声は冷たく、小刻みに奥で震えているように、ミオリには聞こえた。


ここで押し問答をしても仕方がないと、ミオリも分かっているし、ヘイタだってそうだ。しかし、うまい答えなんて、見つかるものだろうか。やはり、この仕事を引き受けたのは間違いだったかと、ミオリは二人分の払いをもって、立ち上がる。


「自分の分だけ、持って行けよ」


ミオリの方を見もせずヘイタが言う。ミオリはぴしりと気を引き締めて、言葉を放つ。


「そうはいかないな。友人だから、こういう場合は奢るべきだよ」


ヘイタはそれ以上追及せず、ミオリは「じゃあ、また」とだけ言うと、静かに席を立った。店を出て狭いエレベーターに乗り、一人になると、一気に疲れが押し寄せた。


『久しぶりにきつかったな』


自分の周囲の人間と、そしてイスミとの関係。当のイスミには、明確なことを言ってはいない分、まずは、そうした女同士の生き方に理解ある環境をと、ミオリはそれとなく周囲の人間を選ぶようにして来た。可能性があれば、巻き込みつつ説得に近いやり方もしている。



『で、肝心なことが進んでいない』


20代最後の年末を、二人で過ごしたあたりから、イスミにとっての自分が特別であるはずだ、という想いが強くなった。だが、きちんとした告白も無し。恋人なんかではなく、友人として最上級というだけ。


外堀を埋める様に仕事に精を出し、社会のすべてに背を向けても、彼女を護れる強い自分でいたい。


 社会的地位、財産、ひとりで生み出せるものには限りがあるが、ミオリはそれ以上だって、どうにかしようと考えている。自分の家、父親。それに厳格な祖母。表向きに掲げた看板に対して、濃すぎる暗闇のような家業。立ち向かってものがいえる年齢になるまで、と思いながら今に至っているが、それだってイスミに話したことがない。


ヘイタに好きなように言われて、言い返せなかったのは、何より自分が前に進めていないせいだとミオリは感じた。


自分一人が黙っていれば、このまま過ぎていくかもしれない穏やかな時間を、”どうにかしないといけない”。そんな風に運命にせっつかれたような気がして、。つまりはそういうことなのだろう。


“性別を超えて、好きになる”


ミオリは、この表現があまり好きではない。なぜなら、それは男女間の恋愛を前提とする社会にあって、そうではない人間の恋愛を一括りにする、ひとつの美しい「理屈」だと思うからだ。


『言うべきなら、性別の問題は、よね』


誰かを好きになる。誰かと恋に落ちる。そこまでは誰も手が出せない。でも、問題はそこからだ。好きになった相手がどういう人であるのか。


それは性別も含めて、その人を構成するあらゆる情報、すなわち背が高い、美人、話が面白い…等々が、自分と社会との関りにおいて、何を現実にもたらすか、ということ。そしてそのことに、多かれ少なかれ、悩むことになるということ。


中には、その恋を諦めなければならない程に、重大な悩みもあるだろう。その一つが性別かもしれない、というだけなのだ。


ミオリは当然、諦めるつもりがない。


障害があっても、『じゃあ、ほかの誰かで』なんてことが言えないほど、真剣に想う相手のことを、どうして諦められるだろうか。


感じないのでも、見えないのでもない。

胸がどれだけ痛んでも、優先すべきは彼女だから、採る行動は一つだけ。そう、ひとつだけなのだ。


ミオリは、手袋のない両手を、コートのポケットに突っ込み、駅への帰り道を急ぐ。頭の中で考えるのは、今ここにいないイスミのこと。


『もし自分が告白をしたら、どんな顔をするだろうか』


ひどく怖い。怖いが、知りたい。知りたい気持ちを押さえて、友人の範囲を守るのもそろそろ限界だと、ミオリはハアッと、長く、白い息を吐き出した。


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