第一話 お約束に突っ込むのも、またお約束
私立天英館高校は今から三年ほど前、卒業生で財界で活躍する某大企業のオーナー社長の寄付金により、新校舎への建て替えが為された。冷暖房完備、防音機能、トイレにはウォシュレットのみならず『音姫』まで着いている、という至れり尽くせりの新校舎がそれだ。『えらく気前のイイ話だな』と思うが……まあ、その後その某社長が脱税で捕まった所を見ると、どうやら税金対策の一環での売名行為だったようだ。良いんだけどね、別に。快適だし。
「……はあ」
そんな快適な新校舎を離れ、ボクが向かっているのは旧校舎の三階。夏は暑く、冬は寒いという自然の冷暖房に、隣の部室どころか屋上で屯してる女子高生の話声まで聞こえるという薄い壁、和式のトイレという、新校舎とは比べるべくもない貧相な装備のこの建物こそ、我ら天英館高校文芸部の部室がある場所だったりする。
「遅くなりました」
手書きで、『文芸部室』と書かれた紙の張ってある部屋の中へ入る。天井まで届くサイズの本棚が二つと、長机にパイプ椅子。これが、文芸部室にある装備の全て。部長曰く『本を読むのに必要な椅子と、本を置く机があれば文芸部は事足りる』らしい。間違っちゃ無いが、殺風景極まりない。
「ん? ああ、君か。遅かったな?」
手元の本に目を落としていた部長が顔を上げ、薄く微笑んだ。その仕草だけで頬が熱くなるのを自覚してしまう。
「ええ。掃除当番でしたので」
平然を装って部長の問いに受け答えしながら、ボクは何時も通り、定位置である部長の正面に腰を降ろした。と、部長の視線の先――具体的には机で隠れて見えない手元の『ソレ』に視線を飛ばす。
「読書ですか?」
「文芸部だからな。本を読むのが部活動だ」
確かに。
「何読んでるんですか?」
「これだ」
鞄から、飲みかけのペットボトルを取り出して口をつけ、部長の読んでいる背表紙を確認して。
「――って、何読んでるんですか!」
……口に含んだお茶を、噴き出しました。
「友人が貸してくれた。『マコト、折角だからこういう本も読んでみたら?』と」
「それで素直に受け取ったんですか!」
「折角の好意だ。無碍にする事もあるまい。まあ、なんだか含み笑いをしていたが」
「別に趣味趣向を否定する訳じゃないですけど部室で読まないで下さい、そんな本! 何処が文芸部の活動何ですか!」
部長がこちらに向けた本の表紙には、『今夜は暑い夜になりそうです、ごしゅじんさま』と、肌色の多い恰好をした女の子が、桃色の妄想を呟いているアニメ絵が書かれている。要するに……アレです。十八歳未満禁止のファ○通です。
「ゲームを原作にしたアニメや漫画や小説も作られていると聞く」
「それが何か!」
「今後、これらの作品のどれかがノベライズされる可能性もあるだろう? その為の情報収集だ」
「そんな情報収集は必要ありません! 取りあえず、その本は仕舞って下さい!」
心底『分からない』という顔を向ける部長に、ボクは胸中で深い溜息をつく。
伊野マコト。
我が文芸部の部長で、ボクの先輩。モデルである母親譲りの大きめな眼と、高い鼻を持ち、巷ではファンクラブまである容姿。某『港を照らす』大学で教授職をしている父親譲りの鋭利な頭脳。『誰に似たかは分からんな。努力の賜物だ』と言いきってしまっても嫌みに聞こえない程の、ずば抜けた運動神経。天が、出血大サービスで才能を三つも四つも与えた様なスーパー高校生。漫画の世界から飛び出したかの様な部長に、付いたあだ名が『パーフェクト』。正直、ネーミングセンスはどうかと思う。
そんな、スペック高めな我が部長、普通の感性ならモテてモテて仕方無いのだろうが……神様も、『あ、ちょっと才能あげ過ぎた?』とでも思ったのだろう、少し……訂正。『大分』ヘンだ。入部一週間は流石に『コレは不味い人と関わったかも……』と思ったりもしたけど、一カ月程経てば大概慣れてくる。
「本当に部長は……何考えてるんですか! この変態!」
……少なくとも、簡単にこんな罵倒が飛び出すくらいには。凄いね、人間の適応力って。
「まあ、そう怒るな。それより、この本を読んでいて思った事があるんだが……何故、そんなに嫌そうな顔をする?」
噴出したお茶を掃除しているボクの頭上に、部長の声がかかる。イヤそうな顔って……
「……そりゃ、そうでしょ?」
十八歳未満禁止のファ○通ですよ? 仕舞えって言ってるのに、机の上に置きっぱなしになってるその本ですよ!
「何か不味いのか?」
「異性の前で、その……え、ええっと……そ、そういう話題を出すのはどうかと思いますけど?」
「ん? ……ああ、そう言う事か。安心しろ。『そういった』方面の話では無い」
「……じゃあ、何の話ですか?」
「『お約束』についてだ」
「……『お約束』?」
「よくある設定で『進学校に通う不良』というモノがあるだろう?」
「ええっと……ええ、ありますね、確かに」
まあ、別段目新しい設定では無いだろう。何だっけ? ええっと……『人生』とか言われてるゲームだって、主役は不良だし。
「あの設定が不可解でな」
「……そうですか?」
学校で落ちこぼれと言われる不良が、心優しい幼馴染とか、しっかり者の委員長とかに支えられながら少しずつ成長していき最後は結ばれる……なんて、王道のラブストーリーだと思うんですけど?
「常識的に考えてだな。東大や京大、或いは国公立の医学部を志す学生の通う学び舎に、『他校にも名が通る程の札付きの不良』等という希少種が紛れこむ事があるか?」
……っんぐ!
「か、考えにくいとは思いますけど……で、でも! ほら、入学してから不良になったとか! ほら、『高校デビュー』ですよ!」
「高校から悪事に足を染めた人間が、他校にも名が通る不良になるのか? 流石に非現実的だろう、それは。一体、どれほどの不良行為を行えばそこまで名が通る様になるのだ?」
「そ、それは……まあ、そうでしょうけど……」
「現実世界なら、そんな人間は即刻退学だろう。百歩譲って、一人や二人ならともかく……作品によっては『一クラス丸々』なんていうのもある」
「そ、それは……た、たまたまその年はそういう子が集まった……とか?」
当たり年……はちょっと違うケドさ。そう言う事だってあるでしょ、偶には。
「その時点で既に進学校では無いと思うが」
っぐぅ! せ、正論を……
「ええっと……部長は、『お約束』嫌いなんですか?」
「そういうつもりは無いさ。『お約束』を使う事で、物語がより分かりやすくなる事もある」
「例えば?」
「設定に限った話ではないが、『お約束』というモノは多々あるだろう?」
「ええっと……キャラとか?」
「それもそうだが……台詞等でも、必ずと言って良い程使われる台詞がある」
「必ずと言って良い程使われる台詞……ですか?」
アレかな? 『○○が……したいです』とか?
「そうだな……例えば、『此処は俺に任せて先に行け!』」
「……ああ」
そういうやつですか?
「ええっと……『俺、この戦争が終わったら……結婚するんだ』」
「他には……『や……やった……か?』」
「何となく、用途が限定されそうですケド……『あれ……逢いに……来てくれたのか?』」
「それは既に臨終真近だろう? 『俺様に勝てると思うかぁ!』」
「その台詞を言った後って、必ず負けますよね。『三十分して戻らなかったら……警察を呼べ』」
「時間設定次第では、生き残っている可能性もあるが。まあ、この様に良く使われる『お約束』の台詞があるだろう?」
「そうですね」
全て死亡フラグってのはどうかと思うんですが。
「他にも『この手術の成功率は~』という台詞が出てくれば、成功率の高低に関わらず、ほぼ百パーセントの確率で助かる」
「助からなかったら物語終わっちゃいますから」
たまに、失敗するパターンもあるけど……まあ、少数派だろう。
「台詞では無いが推理小説の場合ならば、橋が壊れる、車が燃える、電話線が切られるは三種の神器だな。場所によっては車が船になったりもするが。ちなみに携帯電話の電波が届かない所というのはデフォルト装備だ」
「まあ連絡がつくなり逃げられるなりするなら、物語が終わっちゃいますから」
「『なんだか焦げ臭いな』と言えば、まず爆発が起こる。『なんだ、窓が開いていただけか』と言ってほっと一息つけば、登場人物の後ろには必ず殺人犯なり幽霊なりがいる」
「いや……そうですけど……っていうか、詳しいですね部長」
「『文芸部』だからな。本はそこそこには読むさ」
「幅が広すぎる気もしますけど……ちなみに、ホラー系は好きなんです?」
「嫌いではないが……なんだ? 君は嫌いなのか?」
「嫌い……って言えば嫌いなんですけど……」
ボクの渋面に気付いたか、部長が訝し気に声を掛けてくる。いや、金曜日にしか活動しない様なのとか、斬り裂く事しか能の無い殺人鬼ものはまだ何とかなるんだけど……
「幽霊とか怨霊系は壊滅的にダメです。何考えてるんだか分かりませんし、思いっきり物理法則とかすっ飛ばすでしょ?」
ドアを閉めたのに振り向いたら後ろに居るとかどんなウルトラチートだよ、とか思うし。流石に反則でしょ、ソレ。
「ふむ……そう言う解釈もあるか……一理あるな、それは」
「だからと言って連続殺人犯と友達になれる神経はしてませんよ?」
比較論で、まだマシってだけで。
「私だって殺人犯と一緒にスキップして踊る神経は持ち合わせては居ないさ」
そうですか? 貴方なら殺人犯に説教ぐらいしてそうな気がするんですが……
「まあ、それはいい。逆に、『お約束』を事如くぶち壊すキャラが居れば、一周回って斬新だと思うのだが、どう思う?」
「お約束をぶち壊すキャラですか?」
「そうだ。例えば『俺、この戦争が終わったら結婚するんだ』と言っている人間が、戦争が終わって本当に結婚する」
「それは……どうなんでしょう?」
「『俺様に勝てると思うなぁ!』と叫んだ敵役が、本当に主人公に勝つ」
「ナルシストなだけでしょ、それ!」
「『ほぼ絶望的な成功率です』と言ったら、主人公、或いはヒロインの生存率はほぼ絶望的」
「だから、それじゃ物語が終わっちゃいますよ!」
「『何だか焦げ臭いわね~』と言って、台所に行って見れば魚が焦げていただけだった」
「日曜夕方の国民的アニメ! 唯のドジな主婦です、ソレは!」
「古びた洋館で殺人事件が起こるが、車も無事、電話も通じるので直ぐに警察が到着。何事も無く事件終了」
「じっちゃんの名にかける人も、真実は何時も一つの人も確実に職を失いますねぇ!」
その前に打ちきりだ、そんな漫画!
「ある意味では究極のリアリティだと思うがな。むしろ、行く先々で殺人事件に巻き込まれる様な高校生や小学生など居てたまるか。私が警察なら一番に連続殺人犯の疑いをかける」
そりゃそうでしょうけど! だからそれじゃお話しにならないんですって!
「全くその通り。だから、敢えて『お約束』をぶち壊す様なキャラは出さないんだろうな。ああは言ったが、私も推理小説で延々事件が起こらなかったら流石にうんざりするさ」
「……部長の言う、『斬新』かも知れませんよ?」
299ページ目に事件が起こって、300ページで解決、エンディングとか。
「斬新ではあるが、既に推理小説では無いだろう、それは」
「……ですよね」
「『斬新である』と『面白い』は必ずしも等号では無い。先の推理小説では無いが、斬新な『だけ』なら、作りようによっては無限にある。それに、『お約束』は着地点を見極めやすい安心感もある」
「どういう意味です?」
「『お約束』を理解している人間には至極分かりやすい。私は乱読で何でも読むが、人によっては得手・不得手があるだろう? 君がホラーが苦手なように」
「べ、別に怖いって訳じゃ無いんですよ! た、ただ、理不尽だな~って!」
そ、そうですよ! ズルイって思うだけで、べ、別にこ、怖い訳じゃないんですって! や、やだな~、部長。
「口ではそう言っても、体は正直だぞ?」
「……」
「……」
「……流石にさいてーですね、ソレは」
「……悪かった。だが、反省していない」
「反省して下さいよ!」
「冗談だ。流石に悪趣味だったと思うさ。まあ、場面次第ではアレも『アリ』なのだがな」
「眼の前にあるのがそんな本じゃなかったら、ですけど」
って言うか、いい加減仕舞って下さいよ、ソレ。
「ふむ。取りあえず、君がこういう本が『嫌い』なのは良く分かった。以後は、部室でこういった本を読むのは少し控えるとしよう」
「少しじゃ無くて、全面的に控えて頂けたら有り難いんですけど?」
「考慮しておこう。さて、それでは予備校もあるし、私はそろそろ帰ろうと思うが……君は、どうする?」
「ああ、それじゃボクもそろそろ帰ります」
「そうか? 別に私に合わせる必要は無いぞ? 一人静かに本を読んでくれてても構わんが?」
「イイですよ、別に。そんなに本が好きな訳じゃないし」
「……文芸部員にあるまじき発言だな」
「……貴方が取りあえず籍だけ置いてくれってボクに言った記憶があるんですが?」
自分の言った事には責任を持ってくださいよ。
「……そうだったな。それでは帰ろうとするか」
そう言って鞄に手をかけて席を立つ部長に合わせてボクも席を立つ。なんだろう? 今日も文芸部らしい活動をしていない気がするが……
「この後、暇か?」
「暇って言うか……まあ、暇と言えば暇でしょうか? 特段用事もないですし」
「なら丁度良い。予備校の時間まで少しあってな。夕食でも食べようかと思うんだが、どうだ? 暇なら一緒に」
「……ご一緒しましょう」
……ま、いっか。
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