ツバキ

小海

第1話


 

 いつもはヒマワリのように晴れやかで清々しい笑顔を見せるのに、どうしても写真は苦手らしい。私の手元に有る彼の写真は、どれも引きつり普段のハンサム顔とは相反したブサイク顔しか無い。なかなか自信家な彼でも、苦手とするモノが有るのだと思うと、そこが途端に可愛らしく思えてしまう。だから私は彼と一緒に写真を撮りまくり、専用のアルバムまで作って、彼の可愛らしいブサイク顔を溜め込んだ。苦手な事に付き合わせるのは少し申し訳なかったが、彼はヒマワリのように清々しく笑って、私のカメラのレンズに視線を向けてくれた。不思議な事に、ハンサムな彼はブサイクな顔でそこにいる。その変わり様が、とっても面白くて。私は彼には劣るが、清々しい夏の花のように笑うのだ。

  ヤマトのお兄さんがトイレマットと便座カバーを持ってきた夜は、ヌルヌルと暑い熱帯夜だった。こんな時間帯にエレベーターの故障したマンションの三階まで、荷物を持って上ってきてくれた彼に冷えた麦茶をご馳走した後、私は楽しみにしていた金曜ロードショーを観るためにテレビを付けた。少し暗い液晶画面には、会社から帰ったままの若い女が映っている。くたびれたそいつは、私だ。邪魔だ。最近テレビで見なくなった俳優さんが主演を務めるその映画は、いつだったか女友達に引きずられて観に行って半分寝たヤツだ。だから、ほとんど内容がわからない。近所の公園で忙しく鳴く蝉は、本当に7日で死んでしまうのか、というほど力強く鳴き続けている。アブラゼミの鳴き声は、濁っていて薄汚い夏らしい声だ。私は、働き者の特権『金曜ロードショーを観ながらの缶ビール』を飲むために、プルトップを押し上げた。

  恋愛映画は、一人で観たことが無い。綺麗事を並べているような気しかしない映画を見るために、居心地の悪いカップルだらけの映画館には行きたくないし、そもそも恋愛自体にあまり興味がなかった。けれど、どうにも彼はそのテの映画を私と一緒に観たいようで。私も、満更でもなく。週末はカメラと化粧ポーチと財布をぶち込んだカバンを肩に下げ、街に繰り出したものだ。人気の映画は金に困らない程度に観て、名作はレンタルして、ブサイク顔を写真に収めて。ダラダラと冷えているけど気の抜けたソーダの様な時間を過ごした。

  彼はその笑顔によく似た花が好きだった。男性が、花屋の常連なんて珍しいものだ。彼は花屋のオバちゃんにモテモテだった。彼は私の家で恋を観る度に、お気に入りの花屋で買った花数本を持ってきた。それらは全て、彼が買ってくる花のために二人で選んだ、無難で安価な水玉模様の花瓶に収まった。

  美しい人が浜辺で遊ぶのを、その人を愛する者が眺めるだけのベタな場面。何十年も前のイタリアの映画でも、それは変わらないらしい。それを、ワンルームマンションの一室のベットによしかかり、体操座りをしながら眺める。素朴な味の、冷えてるけど気が抜けたソーダみたいな午後。隣で、机上のマーガレットが収まった花瓶を指で弾く彼は、私の柔軟剤の香りがした。

  彼が私に話しかけるハジメは、いつも決まっていた。

 「椿つばき、椿。俺としては、お前が俺の買ってきてくれた花を生けているところを見てみたいんだが。」

  どうやら、彼が買ってきた花を花瓶に生けている様子を見ているだけの私は、彼の希望に沿えていないらしい。けれど、私がするよりも確実に彼がした方が花は『生きて』いて『活きて』いた。それに、私は花を生けている彼を見るのが好きだった。

 「私がしなくても、岡部君がやってくれるじゃない。私、岡部君の生けるお花、好きぃ」

 「俺は?」

  頭の軽い事を言う私に、彼はニヤニヤ笑いながらそう言う。私の襟元で、同じ柔軟剤の香りが弾けた。

 「そうね…冷えたソーダと同じくらい好き」

 「夏季限定か、俺の魅力は」

  苦笑して、彼は私の腰に手を回した。人肌のそれを軽く握り、私たちはそれぞれの肩に体重を掛け合う。

 「大丈夫。冬は温かいカフェラテになるわ。」

  画面にうっすらと映った寄り添い合う私たちは、その更に奥の揺れ動く教授の心理描写を、静かに、教授が生き絶えるまで観続けた。

  カラーリングで傷んだ髪が、バラリと指先からこぼれ落ちた。クルクルと再びそれを弄ぶと、それはキシキシと嫌な感覚を頭皮に伝える。金曜ロードショーは、ぼんやりしたままいつの間にか終わってしまった為、また全く内容が分からなかった。あの少女と、少年は結局どうなったのであろうか。まあいい。シャワーと化粧落としだけして、寝よう。そう決めて、私はトイレマットと便座カバーをまたいだ。気が完全に抜けたもはや甘くぬるい水のような、金曜日の夜。


  大学の図書館でいつも使う使う席が、偶々近かった。それが彼と私の出会いだった。人当たりの良い彼は大学でも人気者で、特定のサバサバした女友達しかいない私とは全く接点のない人だった。だから、見て見ないふりをしていたし、しゃべりかける必要もなかったから、私はただ黙々とレポートを書いていた。彼もきっと私の事を認識してはいたが、話しかけることはなく己の課題を消化していった。

  大学の外で出会ったのは、私達がお互いの存在を認識して一ヶ月くらい経った頃だった。大学の近くに出来たカフェで、一人でコーヒーと課題を決め込んでいた所、彼が相席を頼んで来たのだ。断る理由もなかった為、了承して私は再び手元の二つにに意識を移した。

 「図書館でいつも近くに座っているよな」

 「そうね」

 「俺、このカフェに来るの今日が初めてなんだ。」

 「そう」

 「なにかオススメはあるか?」

 「カフェラテ」

 「今飲んでいるやつか」

 「そう」

  彼は一方的に話しかけてきた。私はそれに単語で答えた。落ち着いた雰囲気とジャズのリズムが漂う店内で、それを続ける。どうやらクリスマスが近づいてきていることもあり、店の中はカップルだらけのようだ。そう思うと、目に見えてガールフレンドが沢山いる彼がまだこの店に来たことがないのは、少し変ではないかと考えもした。しかし、ワザワザ口に出すことでもなかったから、私はカフェラテを口内に広げる。彼も、そうする。

 「美味いな」

 「でしょう」

 「そういえば、名前は?」

 「私の?」

  ソーサーの上に、カップを置いた。彼も、そうした。目線を上げると彼のやや色素の薄い瞳が目に入り、彼がコーヒーと課題にお熱だった私をずっと見ながら話していたという事が、分かった。柔らかな色の癖毛に縁取られた輪郭は、ラテアートの様に少し薄ぼんやりとしていたが、彼の少し高めの鼻とキリリと太い眉が私の意識を掴んで。少し、ハッとした。

 「キタムラツバキ。方角の北にペンギン村の村、木ヘンに春の、北村椿。」

 「キタムラツバキ、北村ツバキ、北村椿。よし、覚えた。」

  なんで私との繋がりを深めようとするのか、その意図は不明だったが悪い気はしなかった。私の名前を繰り返し唱える彼は、最後に二ヘラと笑う。その笑顔を見たら、何だか。私も名前を尋ねなければならないって気になって、口をついて言葉が出た。

 「あなたは?」

 「俺の名前?」

 「ええ」

 「オカベ。オカベシグレ。普通の岡に部屋の部、時間の時に雨の、岡部時雨。」

 「オカベ、シグレ。岡部、時雨。」

  私は先ほどの彼の様に、名前を繰り返す。あまり名前を覚えるのが得意ではない私だが、彼の名前は不思議とすんなり胃袋の奥に収まった。

 「覚えた?」

 「ええ」

  岡部、時雨。岡部時雨。何度も何度も繰り返す。心地いいとさえ感じてしまうその響き。彼にはそんな不思議な魅力があった。深緑色のカジュアルなセーターがよく似合う彼は、コクリとうなづく私をなんとも言えない絶妙なえみを浮かべながら見る。私はその彼に向けて、ニヤリと笑い返した。そして彼は、カフェの窓際に置かれたプランターを一瞥して、自嘲するように再び笑う。

 「ポインセチアだらけだな」

 「ポインセチア?」

  理解できなかった。彼が言った単語の意味もそうだが、自嘲するように笑った意味も、彼に私が好感を抱いている理由も。オウム返しをして、首を傾げると彼はうなづく。

 「そ、ポインセチア。クリスマスフラワーの赤い花。」

 「あぁ。ポインセチア」

  やっと理解出来た。ポインセチアとは、あの。十二月になると急に花屋の店頭や、街角、舞浜の夢の国などに姿を現す、赤い花。普段意識して見たことがないものだから、私は始めてその花の名前を知った。ほう、と感慨に浸っていると、彼は小さなメモを私によこして立ち上がる。

 「これ、俺のメアド。よかったら、メールして。」

 「なんで?」

 「椿とは、気が合いそうだから。」

  いきなり呼び捨てか、とも思ったが。連絡しないでやろうって気は起きなかった。彼は会計を済ませ、扉の外へ。私は一杯のカフェオレで、扉の内側に長時間居座った。

  そんな私が、会計を済ませようとした時店員さんに言われた。「男性が全てお支払いになられましたよ」という言葉。それを聞いて、私は思った。彼に再び会わないと。突然現れた彼は、とてつもなく強力な爆弾を落としていった。

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