天啓の仔 其の二

 閻浮五州のうち北東の大国である蓬莱。


 四方を山々に囲まれた丘陵地帯に建国された、鉱山資源が豊富な都市国家である。


 国土の西から北東へと連なる蓬莱山脈は、北西の金鰲山脈へと続く連峰で、標高一万尺を超える山々からなり、金や鉄などが産出されていた。

 その尾根を源流とし、南の竜宮へと流れる大河白澤が国を南北に貫き、大地に豊穣を齎している。

 東には、大河の恩恵を受けた肥沃な平野が拡がり、その豊かな土地を狙った北狄、東夷、南蛮の蛮族が度々進入を繰り返し、昔から領土戦争を繰り返していた。


 その、三十五代皇帝凱逢ガイア


 亜朱羅の祖父に当たる先代皇帝には三人の子があった。


 長兄であり、次期皇位継承者である覇瑠俄バルガ

 次兄で、放蕩者の戯流ギル

 そして、末妹で美しき姫沙羅サラである。


 その内、難儀を全うした覇瑠我は、小武王と渾名される根っからの武人気質で、自ら戦場に立ち指揮を執る勇将だったのだが、己の力を過信するきらいがあった。

 その性格が災いし、先の南蛮との大戦に出征した際、部下が止めるのも聞かずに前線に出過ぎてしまい、流れ矢に当たり戦死してしまう。


 覇瑠俄には子が無かった為、本来ならば歳の離れた次兄の戯流が次の皇位継承者となる筈だった。

 だが、この男は兄とは違い生来の小人物で、難儀を拒んだばかりか、奸臣に唆されて、在ろうことか反乱、皇帝の暗殺を企てたのである。

 然し、結局その計画は大事には至らず、逆臣は皆処刑されたのだが、御輿に担ぎ上げられただけの戯流は、国外に追放されることになってしまった。


 そこで困った事態になった。


 皇位継承権第三位に当たる末妹の沙羅姫は、貴族の兌唎亜ダリア紫伯と既に婚姻し、身籠っていたからである。

 とはいえ、そもそも箸より重い物を持ったことがないような沙羅姫に、難儀を乗り越える力がある筈も無く、又、仮にあったにせよ女帝の存在は初代より当代まで一度としてなく、それはそれで問題なのであった。


 結局、沙羅姫の御腹の御子に全てが委ねられることになる。


 当然の如く男児の誕生が切望されていたのであるが、産まれてきたのは女児であった。


 ──後に亜朱羅と名付けられる運命の子である。


 望まぬ女児の誕生に、年老いた皇帝は、初孫の誕生にも拘らず酷く落胆し、塞ぎ込んでしまった。

 期待を賭けていた皇太子覇瑠俄の戦死と、次兄戯流の反乱が相次ぎ、元々心身共に弱っていたのだが、一縷の望みも絶たれ、相当堪えたらしい。


 孫を抱くこともない父王に、次の御子を急かすような心ない言葉を掛けられ、沙羅姫も心に深い傷を負ってしまう。

 そもそも、沙羅姫自身、夫である兌唎亜紫伯との夫婦関係は既に冷えきっており、次の御子なぞ作るべくもなかったのだ。

 というのも、夫君である兌唎亜というこの男。

 良家に生まれただけの自尊心だけは矢鱈と高い野心家で、皇帝に上手く取り入り、まんまと王家に名を連ねることになったのだが、その自惚れと比例するように猜疑心が異常に強く、到底沙羅姫と夫婦になれる男ではなかったのである。


 そして、実は、沙羅姫には長年の想い人があったのだった。


 それは、東夷の荒津曲、北狄の毛虎の侵攻を悉く退け、後に、戦死した皇太子覇瑠俄に代わり南蛮荒羅厳との全面戦争では総指揮を執ることになる大将軍にして、見事これを討ち倒し、自ら荒羅厳王の首級を上げた戦場の生きた伝説。


 その者の名は弥鷺ミロ


 称号白鷺を賜り、若くして皇国侍士の頂点である十帝剣に登りつめた戦の天才である。

 沙羅姫と弥鷺は幼少の頃からの既知の間柄であり、その時分から互いに好き合う関係であった。

 その当時は、子供乍らの淡い恋心で済んだのだが、年を経て成長するにつれ、そうはいかなくなってきた。

 青年となった弥鷺には、このまま家を継ぎ、王家を守護する近衛兵として沙羅の側に仕える道もあった。


 だが、そうは考えなかった。


 戦場に赴き出世を重ねることで、沙羅に相応しい地位を手に入れようと考えたのである。


 元より神童と呼ばれる程、子供の頃から剣才を発揮していた弥鷺。

 初出征から僅か三年では、将軍の位である十帝剣の一席に数えられる迄に出世していた。


 十帝剣とは貴族の紫伯に並ぶ皇国侍士の最高位。

 王族以外では、これ以上の地位は望めぬ程の出世である。


 然し、皮肉なことに、異例の早さで出世した事実が、 二人の間を決定的に引き裂くことになる。

 沙羅姫と弥鷺の道ならぬ恋は、当の両人のみならず、宮中の者ならば知らぬ者は居ない程、噂の種であったからである。


 当然、それは皇帝の耳にも入ることにもなる。


 皇帝は、臣下として弥鷺の力や戦働きを充分評価はしていた。

 だが、姫を与えるとなれば話は別である。


 既に、皇国臣民に広く人気があり、若くして十帝剣に登りつめた弥鷺と姫が結ばれたなら、後々に禍根を残すことになる──。


 自分が死んだ後、息子達の政敵になり得る可能性がある──。


 後に皇太子は戦死、戯流は追放と、それは杞憂に終わるのだが、その時、皇帝はそう考えたのだ。

 何より、この若者が全てを手に収めんとするのが気にいらなかったのも事実である。


 そこで、強引に沙羅姫と兌唎亜の婚姻を推し進めた。


 沙羅姫と弥鷺の道ならぬ恋は道ならぬまま終わってしまったのだった──。



 二人は──。

 望まぬ結婚を強いられた沙羅は、皇女という立場を、自らの無力を痛感した弥鷺は、軍人としての道をそれぞれ歩んで行くことに決めた。


 そして、現実には結ばれずとも、それでも互いを想い合う二人は、魂魄の契りという約束を交わし、来世で結ばれることを誓い合う。

 それは、蓬莱に古くから伝わる恋人たちの伝承で、指輪のような四つの金細工を一組ずつ鎖状に通し、それぞれに恋人たちの名前を彫り込んだ後、首飾りや腕輪として互いに身につけるのというものである。


 引き裂かれぬ愛を形として表したそれは、契りの飾りと呼ばれ、本来は、戦地に赴く男と送り出す女、死別を覚悟した恋人同士のものだったらしい。

 それがいつの日か、不滅の愛を誓い合う為のものとなった。


 ともあれ二人は、互いへの想いを胸に秘し生きていくことにしたのである。



 だが、それは新たな悲劇の始まりであった。



 沙羅の夫となった兌唎亜紫伯が、沙羅が隠し持っていた契りの飾りの存在を知ってしまったのだ。


 夫を持つ皇女が、夫以外に愛する者がいることなど知られる訳にはいかず、沙羅は飾りを普段は身につけることはなく、密かに隠していたのだが、それを兌唎亜が沙羅の留守中に偶然見つけてしまう。


 飾りに彫られた名前を見て兌唎亜は全てを理解した。

 元々、沙羅と弥鷺の噂は聞き及んではいたが、その関係は終わったものとばかり思っていた。

 真逆このようなものを沙羅が所持していようとは想像だにしなかったのだ。


 妻に裏切られたと逆上し、生来燻っていた嫉妬の炎に油が注がれてしまう。


 兌唎亜は沙羅を激しく詰り、既に産まれていた我が子亜朱羅を、自分の子ではないと言い放った。

 沙羅の弁解なぞ一切聴く耳すら持たず、あっさりと夫婦関係は破綻した。

 兌唎亜には自分の側で清楚な妻を演じていた沙羅が、内心では他の男を慕っていたと思うと到底許せるものではなかった。


 その激しい怒りは、当然弥鷺にも向けられることになる。


 一年余りに及ぶ荒羅厳国との激しい戦いを征し、意気揚々と凱旋した弥鷺。

 戦死した皇太子に成り代り皇国軍を指揮したその手腕、蛮王荒羅厳を自らの手で討ち果たしたその殊勲は、既に皇国全土に広く喧伝されており、臣民の大喝采の中迎えられていた。

 長年の宿敵である荒羅厳を退けたことは、単に戦争で勝利したということ以上に、戦乱の絶えなかった蓬莱以東の地方に、漸く平穏が訪れるのではという期待もあったからだ。


 弥鷺は、戦勝の立役者として若干二十四歳で、皇国侍士乃位一位。


 つまり、十帝剣の筆頭に立つことになる。


 その晴れ晴れしい論功行賞の式典の後、兌唎亜は弥鷺を呼び出した。

 沙羅とのやりとりを弥鷺に話し、その関係を問い質す兌唎亜。

 弥鷺はただ言われるがまま、叱責されていたのだが、話が亜朱羅の出生に及ぶと、激しくそれを否定した。

 兌唎亜の怒りの矛先が、当事者である二人だけのみならず、全く関係のない乳飲み子にまで及んでしまったことを弥鷺は深く後悔し、自らの行いが招いた結果であるという現実を突きつけられた。


 そして、弥鷺は自らの潔白を証明し、沙羅への許しを請う為、例えそれが適わずとも、せめて亜朱羅にだけでも父親として接して欲しいと懇願し、皇国より去ることを申し出る。



 皇帝にことの次第を正直に打ち明け、暇乞いを赦された弥鷺。


 皇帝は当初、有能な部下であり戦勝の英雄である弥鷺を野に放つことに難色を示していたのだが、自らが愛する二人を引き離したことがそもそもの原因である為、強く引き留めることも適わず、遂には不承不承それを認めた。

 対外的には、戦場での古傷が悪化し隠棲するということを理由にして──。


 かくして、十帝剣白鷺の弥鷺は皇国より去り、何処かへと消えて行ったのであった。

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