第35話 閑話休題

 老害と言う言葉に対して怯えてるわけじゃない。そんな感情で動いてるわけじゃない。ただ私の文芸をなんとか取り込みたいと思ってるのは間違いなく老いが原因だと思う。自分が若ければ老害の一言で文芸を片付けていたと思う。


 この年になると意識するのは文化だけじゃなくてあらゆるものでただ継続していけばその中身を問わないのか?って事。昔から戦中、戦後の価値観の変化についていけずに失望するって話を良く見ている。私は右翼的じゃない戦争賛美でもない。ただ日本人が生物的に残るよりも日本人たらしめる文化に染まった日本人として残したいそんなプライドや意地ってのは分からないでもない。そういう事言ってると何か特攻万歳とかなりそうなので避けておきたい。そんな単純じゃない。


 価値ある過去の物を継続せずにただ残れば良いのか?


 今となっては自分の中で過去の人だけど、イチローを見ていて楽しい。純粋に優れた神業を持つ人の存在とそれに対して日々の修練を怠らない土台となる精神。芸術の古典的な発展とはおそらくこういったものだと思う。スポーツは分かりやすいし、客が中身の発展にはそれほどは関わらない。創作は違う。客と一緒に作り上げる部分が強すぎる。創作の世界で良くある早すぎて価値が認められない作品。創作は根本的には笑いと良く似ている。笑いは徹底的に客に媚びるし、むしろ客の空気を読めないなんて一流じゃないとされる。客に合わせる点で多分芸人は創作的なクリエイターとしての最高点だろう。他の創作は結構こういうの嫌う。作り手の価値観がむしろ尊ばれる。私はおそらく概念としての娯楽はもっと前からあると思うけど、つまらない作品を見てエンターテイメントを知らないと言う言葉の意味はここから来てると見ている。お笑い芸人ならむしろそうあるべきだと言う価値観が他の創作はそうじゃないから。何故かは分からないでもないけど、とりあえず置いておく。


 素直に優れた人への尊敬のような気持にならないのは間違いなくこれがある。スポーツと創作はどっちもプロとしては客が居ないと成り立たない。ただ依存性という部分で全然違ってスポーツ選手の様なシンプルな能力に対する賛美にならない。


 一つ思ったのは、ネット小説は数の増加によって漫画物語と一般小説を繋ぐニッチを創る可能性がある。ひょっとしたらそれを文芸の人は恐れてるのかな?と。実際商売的にはすごくここ美味しい。出版社としては作りにくいから。発展成長させる場を作るのが中途半端ですごくやりにくい。漫画の絵の部分を除くと多分もう出来てると思う。でも文字で逸れやったのは無い。グリムガルがファンタジーだって点があれだけど。これラノベだけど一般小説の作り方と繋がるなと思った部分。過去のアニメはああいうリアルよりの描写が多かった。それよりももっと上手いし、かつ絵が今の時代らしく洗練されてる。ただそこまでべた褒めするほどじゃない。漫画なら別に珍しく無いから。


 根本的に一般小説の芸術的頂点として文芸を位置づけるとそもそもランキングが向いて無いから結構どうでも良い。でもこのニッチはらんきんぐによってこそ生まれる。無料と大量と素人臭さが生む部分。もしこれが出来たらカドカワも想定外だと思う。


 日本の小説の行き詰まりにドラマの問題が大きいと思う。お金掛かるから非日常をあまり描かない。それで警察や探偵って非日常があふれてい来る。でも非日常としてのエッジの利かせ方が甘いし、また殺人事件かって単調さ。文芸からは距離が遠くなっても本読みなら刺激されるだろ?って点で、日本はこれをファンタジー使わないと描け無いんだよな。全くい無いわけじゃないけど、現実逃避を目的とした非日常作品を創るのがどうも納得できない事が多い。私は単純にリアリズムを嫌ってるわけじゃない。私が見たいのは現実逃避を目的とした非日常であってファンタジーではない。ファンタジーはその手段に過ぎない。現実逃避を目的とした物語を求めるのは幼稚だろうか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る