第34話 物語の芸術性

 何故文芸と言うか?で文学が文字による芸術と位置づけられるからになる。本質的に文学と言う型よりも芸術性の方が重要にナル。おそらく文学と言う型にはめないで芸術性の意味を強めたからこちらを用いる人も増えたのじゃないか?と見てる。文学というにはやや過去から逸脱した小説の増加じゃないか?と。


 私は芸術の一番のポイントは創造性においている。それが人の心を刺激する。本来芸術は人の心を刺激するが先に来て生み出された言葉だと思っている。なら私の解釈は逸脱じゃないか?それは近年の絶対主義から相対主義へと言う価値に対する変化があったからだと考えている。人の心の刺激が千差万別すぎて昨今過去の様に芸術だと叫べば多くの人が賛同するような価値を生み出せてい無いからだと見ている。それらも創作における作り手と受け手の極端な先鋭化による大衆からの乖離と繋がっている。私の発想は現代芸術に似てると思う。そこまで詳しくは無いけど、私が漫画物語の芸術的価値を見出そうと思ったときのきっかけとして村上隆の登場が大きい。彼の土台と私の土台って良く似ているから。現代芸術が抱える非大衆と非営利。後者は判りやすく言うと禁欲的じゃなくて単純に儲からない。芸術家としてやっていけない。だって価値を分かる人間が金持って無いから。結構下世話な話しだなと思うけど実際高度なセンスを持っていてもそれが大衆と乖離してるから仕事が無いってかなりモヤモヤした思いを感じてしまう。知ってる人は知ってると思うけど、彼が目をつけたのは日本のアニメ。アニメ漫画感系の人間には嫌われてる面が多い。それらの人は職人気質の人が多いので手を動かして何かを生み出してない自分達が創った借り物の絵を嫌ってるから。ただ彼は価値を売るのが目的であんまり気にしてないとは思う。そういうのが多分理解されて無い。


 とりあえず人の心は置いておいて創造性、何かを生み出す事が一つの土台になるのが私の発想になる。彼が絵にそれを見たなら私は物語にそれを見たことになる。実際に漫画アニメがここまで発展したのは絵によるところはかなり弱い。ハチャメチャでお馬鹿な中身の力がかなり大きい。


 ここまで書いて私が芸術って面に行くのにブレーキをかけるのがナンセンスになる。人の心をとりあえず置いておいての創造性、リアリズムの緩和。これらがもたらす先について想像できるから。滅茶苦茶すぎてついていけない。ゴミを生み出して何の意味があるのか?って領域に漫画物語は行きやすいから。しかもただつまらないなら良い。つまらなさすぎて頭にくる領域のものが簡単に生み出される…。漫画物語を芸術性から突き詰めることは出来るけど、そんなもの私が好きな漫画物語じゃないってはっきり拒絶したくなるから。そこから人の心の刺激から漫画物語の良い所を追求していくと漫画物語って全体的に見るとマジで考えないしセンスを磨かないなって分からせてくれる。でもそれは平均化してしまえば一般小説と文芸の関係も同じでは?となる。これはレベルが高いと言う作品も根底に漫画物語がもつ独特の部分と遊離して無い。漫画アニメ作品で質の高い作品ってなってくると結局一般小説の方向を追求した文芸的作品が混ざってくる。私が目的としてるのは、漫画全体の芸術性じゃない。リアリズムの緩い漫画物語の芸術性になる。


 おそらく理想に近いのは手塚だと思う。あの人結構雑。それを雑と思わせないで独特のスピーディさをストーリーに生んでしまう。編集の天才。映画のセンスに近い。リアルさより冗長さの排除が強い。しかも自身のリアルさの薄い絵を利用して現実とは違う面を上手く使ってるのがまた嫌らしい。あの絵によって手塚ワールドに誘い込むから違和感を消してしまう。私の目指すところの絵の奥にある中身に到達できない。それでも私が言う一般小説では組み立てられないだろう物語は手塚がわかり易い。ただ手塚を持ち出すと権威的になるのが嫌。後あまりにレベルが高くて、所詮一般小説も目指してるだけでリアルさが雑な作品も多々あるよ?って境界線を壊される部分がある。それぐらい手塚は偉大な面がある。そしてその手塚も今は古くて漫画物語としては駄目な点になる古臭さ。ありとあらゆる問題点が詰まってる。古臭いオタクなら手塚で満足すると思う。しかしそういった古臭さを進化させて若者を刺激するのが漫画物語の本当の武器だから。


 結局そこが私がサイト運営はライト層重視で良いと思ってる点で。小説なんて読むわけねーだろってお前本読みじゃないだろ?って原点の部分になってしまいます。私は物語マニアであって文字小説って媒体に全く愛情が無い。ただ世代を繋ぐ文化の継承って点で小説は不味い点があると書いてます。そしたら多分今の若者はアニメ漫画も見て無いよって突っ込まれるでしょう。私もそう思っています。物語の危機なのに全体を見ないで一つのジャンルに囚われてるから文化が途切れてしまうんだって義憤の様なものがありますね。物語自体が無い娯楽と比較しても正直意味無いんですよね。実際こういう反論はネットに溢れています。何故か?と言うと今自分が一番自体を把握出来てると上から目線で意見を言いたいだけのネット評論家が多いからです。


 私が何故邪魔だなと思う面もある文芸を単純に敵視しないか?と言うと物語り全体としては私の概念上は繋がってるからです。文芸とリアリズムのぬるい漫画物語を繋ぐ実際の具体例が無いのが残念ですけど…。古典的おとぎ話し、口伝の怪奇譚、民間伝承、童話、神話の復活だと思ってる面があって、何故リアリズムの程度の話ばかりしかされないの?一番根っこの創造性の方が重要な物語のコアじゃないの?って話です。別個で分けろといったのは私ですけど、私は同じものだから逆に価値は分けてるんですよ。リアリズムと言うフィルター無しに物語の創造性とダイレクトに向き会うには個人の資質の問題が大きいから。それを幼稚な感性といってしまえば終ってしまいますけどね。

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