第33話 ラノベから文芸へ
以前から考えている事で漫画物語に文芸のような価値は無いのか?があります。私自身複雑な思いがあります。単純に文芸という視点でラノベを下に見られる悔しいってのはそれほど無いです。何故駄目なのか?を無知なラノベしかしらない子供と違って知ってるからです。しかし土俵が違うだけで何かしら優れたものは無いのか?もっと言えば物語全体の中で見たとき文芸より優れた物語への貢献。
私はリアリズムと言うのは物語の創造性にとって邪魔だと思ってる部分があるんですよ。あくまでリアリズムを重視した枠内の物語の種類を増やすだけでは弱いと思っています。いわば一般的視点での文芸が整数だとすればリアリズムを緩めた作品は実数だと見てるんですよ。本当はそれこそが物語の王様であるべきなんです。上下関係が逆になってしまってるんですよ。
新しい物語の創造=それは本来文芸の領域なんですよ。ただ世の中でリアリズムを緩めた物語を文芸と呼ばない。古典的に言えばおとぎ話と言われてしまうのかと。創造性とは芸術の王様であるはずなんですよ。
ただその方向で話を進めないのは私個人の問題です。第一に実際に漫画物語らしい作品が物語りすべてに影響をもたらすような作品を作ったことがあるか?と言うとなんとも言えないですね。私が一般小説について詳しくないのもあります。もう一つは以前書いた一体どこまでリアリズムを軽視して良いのか?がさっぱり分からない点です。そこが結局なんとなくだから芸術足りうるものと呼べない。
それでもこういう本当に重要な事は私は本当はこっちが王様なのになんで家来に頭を下げなくちゃいけないんだ?って腹が立つ部分は本気の対抗意識としてあります。それが私の書かせている動機の部分です。
何故漫画物語は神話を作れないのか?それはリアリズムを重視した小説の根底に科学や近代の社会発展があるからです。それより前のリアルのずれがおとぎ話しや神話を作らせてきた源泉になってて意図的に全くの出鱈目のでっち上げ話を量産したわけじゃないです。意図的なでっち上げ話もあるとは思いますけどね。そこまで古代の人も盲目的じゃない。本気でファンタジーな事を書いてた連中にリアルだファンタジーだと冷めた目で書いてるフィクションの作り手が同じ物を作れるはずが無い。と言いたいですが、それはあくまで確率的な事で全くありえないわけじゃないと思っています。検討したことが無いってのが本音です。ただパッとすぐには思いつかないですね。
ハリーポッターは確か児童書でしたね。
私が一番になる事がほとんど無いラノベに対して何故こうも肩入れするか?で単純に面白いか?面白くないか?が私にとって重要じゃないからです。当然シンプルに面白い事が重要で、後はより面白い作品に繋がるための土台になるか?で見ています。アイデアは良いと思うけど、細部がぎこちなくてそれが気になって楽しめなかった。それは良い部分とその他の稚拙な部分があるからです。似たことでアイデアは良いと思うけど、それでもキャラの言動のツッコミどころが気になってあまりおもしろくなかった。これを頭空っぽで見る事でアイデアの良さがダイレクトに面白さになります。本来なら消えてしまう作品を生かす事が出来る。その作品の素材が次の作品に繋がっていく。その時以前見た作品より似た作品だけどより完成度が高くて刺激を受けたとなります。漫画の中ではこれが良く発生します。
でもそれが一般や文芸に行かないのは何故か?ファンタジー要素だけじゃないです。漫画の中で実写に近くてもそれらのリアリズムへの追求は程度問題でばらけていて一般小説の様な幅の狭さが無いわけです。どうしても距離があるんですよね。また再度書きますが、グリムガルがかなり丁寧な人物描写でもあれが一般として売られるのは多分無い。小説の方が見てないので文章とかもかなり違うのかもしれません。
いつか漫画が元ネタになったオタク向け以外の小説を探してみたいです。
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