第24話 方向性

 私が書こうとしていた方向性とは、まず第一に頭の悪い漫画物語(ラノベ)の擁護。でもこの先がある。ただその前にラノベの特徴のキャラはどうか?これメンドクサイ…。キャラが良いってゼロ年代の話で10年代以降古典的に物語が良いのでキャラが良いって古いタイプに戻ってしまっている。ラノベのキャラ論ってゼロ年代と10年代だと質が違う。キャラと中身が両輪の様にひぱったハルヒ、シャナ、とあるのヒット作のような作品とSAOは質が違う。逆に言えばゼロ年代のキャラ文化は別の場所に言った可能性がある。これに関しては私は外野からの意見なのであまり突っ込まないけどおそらくソシャゲ。ただソシャゲの話しはゲームの2極化も関わっていて、これが物語とキャラって漫画物語の問題とも絡み合ってる。例外的作品としてオタク系物語の中でFATEの成功を述べてるけど、あれと似た層をオタク系ヘビーユーザーと考えるとゲームのスマホゲーとPSゲーに分かれた人達もそれに値するような部分があるんじゃないか?と。現在のトレンドはライトとヘビー2極化と見ています。ソシャゲの登場でゲームはライト化した。これですべてライト化したで語ってしまうと私には都合が良い。でも私は実際はそんな我田引水をするつもりが無い。ガチゲーマー狙いのPS4の一人がちを知ってるから。ゲームの中で一番割を食ったのは微妙な立場に合った任天堂。


 なろうには若者ライト層を刺激する部分と中年ヘビー層を刺激するものが共存していると以前書きました。ただこのヘビー層はアニメの中に一部居る古いタイプの文芸アニメ好きには全く関わらない。特化型マニア。正確にはなろう出身じゃないけど魔法科なんてこの典型。さすおにに代表される古典的娯楽劇とSF的重厚なファンタジー設定。これが混在しています。後者はほとんど語られません。文芸アニメタイプが触れないからです。文芸の部分で見れるSFの面白さじゃないからです。設定厨と言われるマニアです。実際これが小説を書く時に悪い見本にされるわけですけど。実際魔法科の人電撃で落選してなろうで仕方なく発表したと聞いています。だからなろう出身じゃないと言われています。この辺の真偽は知りません。ただまあアニメ見ててもこりゃ駄目だって分かるので小説はもっとひどいでしょうね…。この駄目だはマニアからすると褒め言葉です。じゃあ設定厨向けにガンガンやれば成功する?しません…。そこが前回書いたランキングシステムの妙です。奇跡のバランスを偶然によってたたき出すシステムです。


 今アニメを中心とした漫画物語が先鋭化しすぎて、まともな頭じゃ作れなくなっています。だからまともじゃない人が偶然創ったような作品じゃないと勝負できない。狂ったような異常作品?違います。だからライトとヘビーの混在です。一見すごくあっさりしたシンプルな作品にどろっとした重苦しさをつけています。シリアスと言う意味じゃないです。におい立つような作品がなろうからは出てくる。


 オタク層へのコアがすごくややこしくなっています。それと言うのも飽和状態だからです。漫画物語の先端を欲するトレンドがまずあります。これが以前話したなろうがライト層が最も好むスターの誕生に立ち会ってるって話です。ただそれがギター侍じゃないのか?と言う疑念を私は捨てきれないと見ています。それとは別に流行に関係なくオタクっぽい好みをディープに刺激するコア層の存在が居ます。これは物語系の文芸オタとは違います。だからほとんど表面化しないんですよ。語れる人のアンテナに受信しない刺激はネットでほとんど語られない。ネットのオタは大体語れる文芸オタか数だけ多いライトオタです。このアニメゲーム漫画だけにあるコアな刺激について分かってる人は信者と言われてアンチ化した多数派オタの話しに混ぜてもらえない。


 このすばにそんなものあったか?ヘビーじゃないですが、90年代からゼロ年代のファンタジー系のコメディ見てた人を刺激してて、これは語れる人も分かるから珍しくまともに話し合われています。


 ややこしい話になるのはラノベ系ってのはこのアニメ漫画などの漫画物語全体の刺激の中で刺激化されるのでラノベ単独じゃありえないんですよね。そもそもラブライブ電撃の企画ですからね…。ここは前から書いてるように成長しない趣味人の独特の消費と食傷によって形成される流行によって刺激が作られるので、まともな創作の芸術的発展をしません。まともな芸術的発展はやっぱり世間と隔離した時間が止まったコミュニュティの中だけの縦の進化だと思います。それに対して時代と共に変化する時間が流れる発展です。世間と隔離してるのは同じです。それはオタクとどれだけ近くなっても一般人はアニメ漫画を浴びるようにした脳とは違うからです。ただ深く掘り下げるタイプの発展ではない。一般人との乖離がマニア型に較べてぬるい。20世紀のオタクは違ったのですけどね。結局クリエイターになってしまった庵野監督を代表とするような人を見ても分かると思います。


 流行とは関係なく、メジャーには晒されないマイナーなマニア刺激。それがコア化したものが中年オタの刺激になりやすい。流行は20代が中心だとすると30、40でもふつうにいる層です。だって90年代ゼロ年代の異世界ファンタジーコメディ懐かしいって刺激されるって30代いるでしょ…。


 ラノベが高年齢化してしまったのが不味いなとは思っています。アニメのメイン層と変わらないんですよね。10代が育てた奇妙な作品群があるとして20、30の人間がアニメで触れて爆発的にヒットする。これがもうラノベの時点で一緒になって育ててるから今のラノベに引っ張るようなものを感じません。その点読者層の偏りを感じるなろうには当時の10代が育てたラノベと同じにおいを感じます。でも私同時にキワモノとしての刺激としてギター侍じゃないか?とも見てるので…。


 ここから本題に入ります。カクヨムは、文芸マニアの色を感じる様な形で差別化すべき。なろうの後追いで良い。この2つの方向性。私は後者の形で前者を取り込む形で良いと思います。サイトの機能で工夫すれば良いと思っています。なろう2号にはならないと見ています。それはなろうの読者層が偏ってると見てるからです。ランキングシステム自体はまだ可能性があると思っています。次にわかり易い文芸マニア層じゃなくて、カクヨムが独自のカラーを作ってランキングとは違う価値観を作るべきでは?これカクヨム運営がやらないと駄目でしょ?文芸マニアは自然に任せる形でいけます。ランキングではなくて感想、書評、レビューとかで質小説を推していくなどすれば良いのかと。そうじゃなくて、コンセプトを独自に決めたサイトの方針としての強引なカラーリング。ランキングシステムのジャンプに対する少年誌の色のようなものです。ジャンプも正確には結果に対してランキングしてるだけで創る作品への口出し漫画家の採用に編集のカラーが出ています。私はランキングシステムを中心にして機能で工夫して文芸=芸術的発展型小説的なものが共存できるようなものの工夫かと。独自のカラーリングはなろうが偏ってるって推測で勝手になるんじゃないか?と見ています。ただ懸念としてネットの小説読者が少ないんじゃないか?です。同じ道を歩むならはっきり言ってランキングシステムは問題でしょうね。それはやってみないと分からないとしか言えない。出鱈目な作り方が混入する漫画物語においてランキングシステム自体には特に問題は無い。というより合理的。これを否定する人は多分漫画物語の面白さの真髄を分かってない。

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