第21話 相関関係と因果関係

 ネットの議論で分かってないなと思うのが漫画物語の作り手っての能力って因果関係じゃなくて相関関係なんですよね。ようするに結果論しか良く分からないです。見る側が良く分からない面白さってのは作る方も意識的にはかなり難しいんですよ。自分でも上から目線だなと思うのですが、とにかくリアリズム重視の近代小説論で漫画物語を紐解いてもピントはずれな話ばかり。全部駄作認定じゃないですかね?何故こんな事になるか?って言うとこういうタイプって馬鹿物語みるのに真面目に見すぎるんですよ。見て楽しむものを読みといてしまうんですよ。そのフォーマットに無いものを楽しめないんですよ。ある意味ヘビー層も見る訓練がされないんですよ。


 多分ヘビー層でも書く事に突っ込んだ人なら編集さんとかの話を見たことがあると思うのですが、話を見る目が肥えてくると読者視点ってのが失われてしまうって話です。あれと良く似ています。近視って視力の筋肉が鍛えられてしまって固定化されるからです。鍛えられた目いらないからもっとリラックスして見る事ーーみたいな感じです。頭からっぽにしてミロやって話しで。小説よりも漫画の編集さんがこれを強く言います。


 ノーマルな創作の発展として作り手と受け手の共進化があります。作る力に対して評価する力が上がっていきそれに合わせて創る力も上げていきます。最終的にそれで受け手を満足させられない作り手が脱落していきます。ノーマルだと言う事は私は肯定的に見ているか?なら見ています。結局芸術性の正しい発展は最終的に大衆性との乖離を招きます。これをどうするか?ですべて衰退するわけじゃないからです。大衆層の取り込みと向き合ってる者は多いからです。特に商業的なものはそれがしっかりしています。何度も書いてますが、企業と言う組織は例え過去の高い技術が壊れてしまっても変化して生き残るならそっちを選びますからね…。綺麗に残っていくのは難しいかもしれません。所謂高尚なエリート層による低俗な大衆って発想の根幹みたいな部分です。


 漫画と小説は違う。過去ならそれで終ったでしょう。でもラノベの登場で本質は絵にあるわけじゃないと気がつきます。小説にも漫画と繋がる部分があると分かります。より頭を使わない方向に一般小説も含めて小説全体はシフトしています。漫画物語を知ると言う事は小説を知る事にも繋がります。


 因果関係で見てしまう人って評価と楽しむ事が表裏一体になっています。それに対して漫画物語はそうじゃないです。だって楽しめるか?楽しめないか?があればよいだけだからです。そもそも感想を文章化しにくい物語は避けてしまうわけです。それを無理矢理因果関係の物語の楽しみ方で片付けてしまうとガタガタになってしまいます。


 私は両方出来るのか?で読む力が大したことが無いのが原因でしょう。そのせいで近視じゃない。さっと遠くに焦点が合わせられるわけです。たいした事してるわけじゃないです。ただ、ここの基本が出来てないのに批評するのはそれはサッカー選手を野球選手の技量で評価するようなものです。


 さてここからが核心、漫画物語の方が私は一発屋が多いと思っています。因果関係が明確な確かな技量が曖昧だから本人も作るとき意識的にかなり難しい。ヒットと作者の技量が相関関係でしか計れない。だから結果論として上手く言ったなでしか分からない。おそらく新人賞の選ぶ人間と実際ヒットした人間がずれるのは、作品と言うのは確率的な部分が多くて、編集が選択する場合に長期にわたって活躍できる技量を独自の視点で因果関係的に計るはずです。この問題はすでにジャンプが80年代から批判されてやってる話です。2010年代ジャンプは変わったか?人気投票の結果のバトルモノが進化を遂げて未だに漫画界NO1を保っています。それが正しいと言いたいわけじゃないです。土台となったテンプレに発展の余地があるか?ここに尽きると思います。それに定期的にギャグとか取り入れて上手くやってますしね。ちょっと話が飛躍しています。結果論的に計られるような作り手の技量の作品は結局は結果論でずっとやっていくしかないと言う事です。ならマガジンが必要なのではないか?ジャンプはあくまで極端な例であって、別にマガジンが古典的なリアリズム重視の物語作りしてるわけじゃないでしょう。


 それにね、リアリズム重視の小説って所詮近代小説じゃないですか。今のSAOから続く流れってもろギリシャ神話でペルセウス、ユリシーズやヘラクレスの英雄伝説でしょ。どっちかと言えば漫画物語が王道で近代小説の方が本来脇役なんですよね。


 両者を1つの判断基準で評価するのは、魔法科のテストと似ています。出来ます。しかし、それはどんな意味を持つのか?についての考えが足りない。じゃ漫画の様に混ざってる場合どうするか?私は瞬時に使い分けています。ただまあその点ラノベは楽です。グリムガルの作者さんも同じ投稿者なので気が引けるのですが、あれって漫画物語というより一般小説みたいな作り方ですね。ただ根底は漫画物語です。だって舞台のリアリズムがフワフワ過ぎるから。人物描写はまるで一般小説のようです。ただ土台となる部分と言動って切り離せないんですよね。その辺り判断しにくい。そういう判断のしにくさもラノベでやってる狙いなんだろうなとは思います。ただ私の話しで扱いにくい作品なのは確かです。


別にグリムガルが特別変わった作品じゃない。ただ異世界ファンタジーとしては現代人の視点におきすぎたドラマしたて。多分そこに異色の作り方があるのかと。そもそも読むの話と見るの話って簡単じゃなくて実写向きの話し作りだとグリムガルみたいな話作りになります。読み解いていくってほどの難解なものじゃないです。ただ漫画物語独特の論法とは全く違います。境界線にたつ櫻子さんとかユーフォとかの作品はもう一般小説となんら変わらないです。でも一般小説の中にグリムガルがあった場合は多分戸惑うと思います。ラノベとは何なのか?と言う事でややこしい作品だと思います。


読むと見るについて脱線してしまったので見るは予め観光ガイドなどを見て巡る旅行で、読むはふらっと街に出て自分なりに楽しめる場所を探すような旅です。めんどくさいけど面白いそんなものを上手く表現できればと思うのですけど。ネット小説で読むをどうしても私が強調してしまうのは書き手が下手糞ゆえに読み手に負担が掛かる。それが見ると言う気楽さより読むに近いと感じるからです。これ何が面白いんだ?作者にはそれがあるわけです。見る作りができる作者はそれを想定して用意して置けるわけです。何故なろうがあそこまで発達したか?がよく分かると思います。はっきり言ってなろう作品は細部はマニア嗜好です。読むに近いです。ですが基本の流れがテンプレ化しててそこが見ると言う気楽さになっています。なろうってのは本当にコアとライトが共存してて扱いにくいものです。実際なろうを批判してる人って面白さを紐解くように読めてないんですよ。その細部が素人むき出しの趣味で上手く無いからです。じゃ私はコア層なのか?独特のなろうテンプレってコミュニュティに属するシンパシーに訴える部分があるんですよ。それは私さっぱりです。気軽に楽しめるけど熱狂的になる理由はさっぱり分からない。


なろうに一つだけ可能性を感じるのはなろう作品は商業作品には無いよさがあるからです。良い意味で無料でやってる作り手本位の作家性があるからです。極度な受け手重視の作品が何故?多分そりゃ失敗作はそうなります。成功作は奇跡のバランスで受け手重視と作り手重視がバランス取れてると見ています。それ技量ジャンとなりますが、多分違うと思います。作家本人知らないのであんまりいえませんが、ああいうランキングシステムって奇跡のバランスの作品を上位に上げて来るだけです。それが昔から漫画界では良くあったことなので不思議には思わないんですよ。高い技量的じゃないか?と言うと自己満足的な刺激だからです。どうしてライト層向けのなろうの作りでオタクと言う濃いファン向けになるのか?と言うと、オタクをくすぐるツボが自己満足的に創れるからです。これをライト層向けの作りと両立させるって必然としてやると無茶苦茶難しいんですよ。なろうをライト層向けですぱっときるのは難しいのは難しいです。


じゃなろうはジャンプで語れるのか?というとそんな単純じゃない。編集の目でジャンプカラーの選別をしてるのを作者が受け手に合わせて勝手にやってるだけです。その点編集を間に通さないで直接デビューできる点が全く違うし。ここにプロの格闘技より喧嘩殺法の様な滅茶苦茶さが生まれると見ています。漫画界でもかなり異色の作品が連載を続けるジャンプよりもっとエグイ。実際はバトルモノがラノベにまで浸透して異色じゃなくなってるのですけどね。最大の問題はジャンプの読者と比較すると数がちんけすぎる。選別する集団の好みが偏りすぎてる可能性は高いです。実際カクヨムがまともになったらどうなるか見ものです。




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