第18話 閑話休題

 いかんいかんミイラ取りがミイラになってますね…。前回ちょっと感情的に否定的意見になっていました。


 ただ私は自分自身が面白いから好きな作品否定されてむかつくじゃないです。的外れな意見を知的に魅せて広めるのが本当に不快で…。頭の使わない物語の楽しみ方ライト層擁護をずっとやっています。生理的にインテリってのが多分嫌いなんだと思います。そういう私もどっちかといえばインテリそうに近いです。多分そういう層から外れてしまったルサンチマンがあるとは思います。ただそれだけじゃないです。頭が良いはずなのに的外れだから感情的になってしまいます。


 何故そうなるのか?と言うと知性だけでは創作は解決できません。感情の理屈だからです。感情面がぐっと来ないと頓珍漢な事を繰り返すんですよ。感情無視して知性で片付けられるほど人の頭の中は知性によって明らかになっていません。創作論ってのは脳科学の文系版です。多量の思い込みや直感が入り乱れます。そいつらと科学の知性を借りずに向き合って行かないといけないわけです。


 すみませんそれでも言い過ぎました。


 カクヨムの根底にちょっと問題のあるなろうとの差別化への期待が入ってると感じてるからです。重度小説読みのサイトは利己的なおためごかしにしかならないって話しています。そういう自然な流れに逆らう自分の居場所を作りたい我田引水の論が多いんですよ。無料でやっててずうずうしいよと思います。


 私はあくまでライト層向けとして偶然性の高い進化によって生じたにすぎないとなろうを見てるんですよ。ダーウィン的な適者生存じゃなくて中立説的なランダムドラフトだと見ています。ガラパゴス諸島の島進化ってのがあって、島として隔離される事で種分化が起きます。これって自然淘汰的じゃないです。隔離によって遺伝的な距離を強引に創っています。創作と生物の進化は本当に良く似ていまう。


 大体創作って初期に完成されたものが出来てそれを基本ベースに真似ていきます。生物ならカンブリア爆発です。


 自分でも闇ナベパーティの論の立て方だなとは思います。ただ競争原理が働くものって進化の過程が似ますよ。自然選択の自然=読者です。虫と花の共進化なんてもろ読者と作者の進化と似ています。私は芸術的に先鋭化した作品群が大衆の好みから外れていくってのをずっと見てきています。ライト層を馬鹿にするようなインテリ層、マニア層の意見が無性に腹が立つわけです。自分で自分の首を絞めていると感じるからです。なろうが粗製乱造によって駄目になる。これは同意する面があります。ただだからってより人気の無い重厚な作品が主軸になる事は無いです。それは論点の摩り替えです。こういうのが我田引水だと言ってるんですよ。過去の創作の衰退の歴史からより首を絞めるわって思っています。

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