第17話 楽しみながら批判

古典的小説読みの人にはむかつく部分がある話かもしれません。


古典的小説読みの人のなろう批判って的外れだと思う事が多いです。それは好きで見てないと面白さが分からない。本質にすきでもないのに見ても迫れません。過去にネット界隈でセカイ系ってのがありました。私はその頃そういったサイトと距離があったのであまりしりませんでした。でもなろう系、俺TUEEE系って出てきて、あこれ好きでもない人の外から見た揶揄だとリアルタイムで分かりました。


基本的にはこういう視点ってすげーつまらん話ばかりです。ただ基本的にです。例外的にごく稀に頭の良さセンスのよさが外から見た内で見ていたら気がつかない面白い視点の批判があります。私はそれを見るのが楽しくて批判的な意見たまに見ています。ただ8、9割が外から見た意見はゴミしか無いです。最近の若者はって何故駄目な意見が多いか?と言うと批判じゃなくて否定の感情から来る幼稚な感情論だからです。どれだけ緻密に言葉を重ねてかっこよくととのえても根底がガキんちょレベルの感情なので批判として昇華できていません。


この手の創作論で共通するので書いています。好きで見ないものなんて意味が無いと思ったほうが良いぐらいです。あくまで私にとっては残り1割が役に立つだけです。私は好きの中心軸にはい無いので間を繋ぐ架け橋になれるからです。中心軸で好きで見てる人にはむかつくだけでしかも批判として役に立たないから価値が無いでしょうね。


とんがった一見マニアに見えるなろうですけど実際は大衆的ライト層です。いろいろとそれだけじゃ決まらないから尖がって見えるだけです。大半の大衆向けって頭使う作品より思考は少なめなほうがヒットしやすいです。そもそもミステリー好きって煩いですけど、実際ミステリー支えてる層って映像作品だと女性層なんですよね。小説では分かりませんけどね。ミステリー好きって能動的に読者が謎を解くのをやたらと重視します。そうやって作られてナイト不出来だと言うわけです。TVでそんな事やってられないよ。わずかなら思考しますけど。基本探偵さんが見事に最後解決するのを聞いてるのが大半です。古くからシャーロックホームズがそうですけど、探偵者ってミステリーよりキャラ物の面が強いです。頭を使ったバトルヒーローモノです。小説読みって本当にセンスが悪い…。もうちょっと頭使うの抑えて楽しむ楽しみ方しらないとライト層向けの批評なんて出来ないぞ?って話です。


そこまで言いつつも私が基本映像作品で物語を見るのは、やっぱり小説ってライト向けでも頭使わされます。これがわずらわしくて仕方ない。見たいのに読まされる。このわずらわしさがたまらなく嫌。読むなら読むに値した作品を見たいわけです。ヘビー層の言い分も分からなくも無いです。後ヘビーとライトの境目ってSF論争に似てますね。リアリズムの度合いだけで片付けられる話じゃ無いですから。カクヨムが改良して欲しいジャンルの部分ですけど、問題は作者の登録が困難だろうなと。結局カクヨムって編集の負担を作者と読者が担うと見ています。でもそういった手抜きは仕方ないと思います。無料ですからね。


否定じゃなくて批判しろって一番言いたい事です。

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