第14話 ジェネレーションギャップ

 絶対にやっておきたいのがジェネレーションギャップについてです。でも避けてきたのは私若く無いからです。中年の視点なら話せるけど、若者代弁者には無理がアル。データなど見ててそこから意見になります。私はそれで良いとおもっています。若者の一人は所詮個性に大きく左右されます。彼が若者の代弁者になら無いです。彼は彼の代弁をするだけです。実際生の言葉はいい加減なものなら迷いが出る元になるのでデータの方が良いとは思っています。生の声を強く求める人にはあまり面白い話じゃ無いです。


 避けてきたのはもう一つ理由があります。今そもそも小説って若者対象なの?って点です。すぐ思いつきのがラノベですよね。実際2000年代には10代が大半を占めるデータ見てるんですよ。実際出版社のターゲットもそのまんまです。それから10年立ちました。換わってしまったんですよ。今10代多くないんですよ。アニメの視聴者と似ててさすがに50代以上は少ないですが10代から中年まで満遍なく居ます。でも相変わらず10代向けに創っています。これは理由が合って対象年齢を上げたレーベルが大半失敗したからです。出版社が考える年齢の高い人向けってのが的外れだったと見ています。失敗じゃないと言う意見もあると思います。ただ成功は間違いなくしていません。成功してたら間違いなくアニメ化するからです。元々2000年代がねじれてたのですが、円盤を買う層は20代以上、でもラノベの読む買う層は当時10代。今ラノベの買う層とアニメを買う層が重なっています。なら大人向けレーベルからアニメ出せば成功率にある程度信用できるわけです。肝心の原作の方で大成功と言う評判は聞きませんね。一応ネット小説をそういった形で扱っています。これがまた複雑化しています。


 とりあえずその前に、そもそも小説全体が衰退してその中でも若者のラノベを含めた小説離れは致命的。ラノベが無ければもっと酷かったと見ています。でも彼らはネットを使用する率は高いです。そうなると若者向けの小説をネットで展開すればとなります。おそらくカクヨムは勢いの落ちたラノベに変わって次世代を見据えた若者向けとして狙ってる部分もあるんじゃないか?と見ています。でも見てるとそういう方向性は良く分からないですね。カクヨムの一番の躓きは何がしたいか?が良く分からない部分です。大手にありがちな保守的な曖昧戦略なんじゃないか?と見ています。


 ジェネレーションギャップを書く上で最も重要な若者の存在を小説にほとんど感じない点です。10年前のラノベなら違っていたのですけどね。アニメだけの評判を見てるとネット小説発信って若者向けだと勘違いしてる人が多いです。頭の悪い楽しみ方をする物語=子供向けってのがどうも固定観念でありますね。実際はあれもう出しますけど、小説家になろう出身のネット小説が大半を占めますよね。直接アニメ意外で読んだ事は無いです。ただ私はその事情ある程度知っています。中年層が選んだランキング上位作品です。これ知るとアニメ視聴者はすごく驚きます。ラノベより幼稚じゃないか?と思ってる人も居るからです。大半の作品大筋はベタなヒロイックファンタジーですからね…。もちろん捻りは加えてますよ。でも大筋かっこよく戦いなどに勝利して美少女キャラにモテモテになるってそんな話が多いです。私はSAOから始まるネット小説の流れを見てこの人達何十年前の作家だ?と思いました。すぐにももたろうから発展してない物語のような臭いを感じ取って素人臭いと思いました。ちなみにこれが面白いんですよね…。嫌いな人が多いのは分かります。でも何故かこれが中年に受けてるのが分からないでもない。


 見た目は子供向けだけど、実際これ若者に受けてるのって副産物です。ゼロ年代の本当のブームを知ってるとまがい物だと思っています。今ジェネレーションギャップを扱うことは妥当じゃないと思っています。それでもやるのは普遍的な歴史の繰り返しに突っ込もうと思うからです。何故中年向けのヒロイックファンタジーが若者も楽しめるのか?リアリズムがいい加減であんまり考えないからってラノベの漫画物語としての基本法則から逸れて無いからです。ただ何故妥当じゃないか?と見てるかといえばちょこちょこ使われてるMMORPGが古い…。そりゃそうでしょSAO(ソードアートオンライン)の原作本当は2004年の作品だそうですから。SAO以外の後発の作家さんは当時の20代ぐらいの人が中年になって書いてるんでしょ。何かこれずれてるよなって感じです。ゲームって大きなくくりでなんとか若者に吸収されてるだけで若者ターゲットの作品じゃないと分かる一つの例です。実際当時MMORPGやってた人の方が楽しめる細かいツボ結構あります。私も90年代にやってた古参の経験者なので、これ今さびれてるよな…って懐かしい目で見てる部分もあるんですよ。


 実はね漫画が大人になっても読むと言う事が定着したのは大衆向けって子供向けと良く似てるんですよ。いろいろな点で大人向けとしてのつぼがあります。でも大筋の作り方やポイントは頭の悪い見方にあわせたお話は数多くの人に受けるって見ています。子供向けってこばかにするような批判って実際妥当なのか?と思うわけです。でね、ここからがポイントで馬鹿になって見れるってのはその創作に対して未熟であっても高いレベルで楽しめるって事です。多くの趣味を持ってる人が本当に楽しむには深く入り込んで何かしら鍛えたりしたほうが楽しめる事って多いでしょう。鑑賞するだけならまた違いますが、スポーツってそれが大きいでしょ?いつまでも初心者で楽しめるものじゃないでしょ。ライトノベルってここが趣味人としての高みへいかなくても楽しめるわけです。基本未熟で未経験な若者は何も努力無しにいきなり強く楽しめるものを受け入れるケースが多いと見ています。これに若者はいつの時代も古臭いものを嫌います。何故かは分かりません。これは人間の本能だと思います。若者ほどそういった本能的性質をコントロールする理性が発達して無いからで安いと見ています。後年を食うと逆に変化を嫌うようになるので真逆の反応なると思います。でも単純じゃないのは年を食っても新製品とか喜ぶ人確実に居ます。それが若者に較べて顕著じゃないだけです。未熟でいきなり楽しめるというのはすでに完成された趣味は古いと馬鹿にしたら都合がいいんですよ。実際は楽しむための努力不足で古典創作の価値が分からないわけです。上手くこの2つが絡み合って排除されていくんですよね。創作の衰退の歴史とジェネレーションギャップの一つの考察と言う感じです。


 だから創作が衰退しないためには必ず若者のこの性質に合わないといけません。その点私はイマイチ中年臭い小説家になろうの好みはいずれ飽きられると見てるわけです。根本的にはオッサン向けで多少新しく見えるから楽しめてるけど若者は細かい部分でずれてるから長続きせんだろうなと。がらりと変わってしまう可能性もありますけどね。ある意味節操のないコピー品の乱造って点でなろうとラノベは良く似ててラノベが次の時代にいけるならなろうだって自主的変化でいけるはずです。ただその前にカクヨムが押さえてしまえればと思うのですけど。


 ジェネレーションギャップは実際は趣味人の高く感性が磨かれた経験豊かな大人と若者対立で大衆的な楽しみ方をしてる中年はさほど対立してないと思います。私が代表例としてね。さて問題は間に出てきた古臭さです。これに関しては難解なので辞めておきます。一番大事なのはマニア的な起源の話じゃ無いです。例えばエヴァを持ち出してイデオンやウルトラマン、デビルマンが元じゃないか。そういう話じゃ無いです。90年代エヴァは作品全体から新しさがありました。私が最も重要だと書いた印象に訴える。ここです。ここに新しさを感じるか?です。厳密に言って起源がどうたらって言うのはマニアが勝手にやっててください。そもそもそんなもの見てない若者を刺激する話とは関係無いです。なろう作品は新しさがありますよ。ただ細かい所で古いって感じます。いずれはこればれるだろうなと見ています。なろうは異世界召喚転生が王道化したとは微塵も思っていません。なんとなく新鮮さがあるからです。素人臭いのも大きいです。わけの分からない軌道を描くボクサーのようです。見えないパンチが飛んできて倒されるがいずれはばれたらただのトリッキーな強者に過ぎないとなります。私はかなりカクヨムに期待してるんですよね。まだネットには彫りつくされてない鉱脈があるはずだと。ただネットになってしまっても小説ってのは根本的には今の若者の流れに乗って無いですね。ラノベってのはその点小説が生き残っていくための最低限の折衝案ですね。


 もう一つここで重要なのが、そんなにしてまで大衆層を取り込んで生き残ることが大事なのか?そこが私がそれを絶対の善だとおもってない点です。企業は必ずそれを善としますよ。企業はそういう組織ですから。でも趣味人としては高いレベルの楽しむを捨ててしまった別の小説に価値があるのか?です。変化と言うのは世代間ギャップと大きな関係があるから書いてますが、私は正直自分なりの納得を得ていません。たまたま私がライト向けがものすごく好きなのでそれで時代の変化に簡単について行けるので気楽なだけです。それでも私はそういった高いレベルの趣味人としての面も小説を読む事以外で持ち合わせています。苦肉の策としてネットの片隅でライト層のおまけとして生き残らせてもらうのが良いのじゃないか?と思っています。私は歌舞伎の様な大衆芸能から発達して税金でしか残れないようなものよりもまだネットの片隅で無料として生き残るほうがマシだと思っています。今本屋に本があるから安心してる人もいずれ滅びの時が来ますよ。電子書籍がとかそういう話じゃ無いです。根本的に小説の読むと言う力量が敷居が高すぎて趣味として斬り捨てられる未来が私には見えるからです。それは私も読む力をある程度経験や読みたいって動機から意識的な努力によって得たからです。これを他者に求めるのはハードルが高い。しかも私などは本当に読む楽しみを持った読書からすればぺーぺーみたいなものです。それでもです。

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