第12話 媒体を超えた物語

 自分の話に一貫性みたいなものが見えてきたと思う。数多く小説の論みたいのはあると思うけど漫画を物語に絞った論ってのはあんまり見かけません。ラノベを小説の切り口として読み解く話は多いでしょう。でも私はあれ文字による漫画だとしか思ってません。数多くの漫画論がありますが、大体絵についてが多いです。でも絵なんてとことんどうでも良いんですよ。漫画の中の実写的な話の面白さならそれは普通の小説のストーリーの作り方とそう変わりません。でもね漫画にはそういったリアリズムがしっかりした話じゃないものの方がむしろ多いです。リアリズムの部分で一番大きいのが人間の描き方です。一般小説でもリアリズムがしっかりしてるなんてそうそうあるものじゃない。でもこれだけは多くの人が気にする部分で大人向けの一般小説の人物の描写はリアリティが求められます。このリアリティはリアリズムとほぼ同様です。漫画の人物描写のリアリティはどうもそればかりじゃない。受け手はリアリティって言葉でなんとなく違うと思うこの2種類の物語を無自覚に無理矢理物語として統一的に見てしまいます。でも作り手はそうは行きません。作り手はリアリティなんて言葉で誤魔化してちゃ駄目なんですよ。作り手はリアリズムとして作らないといけないと思います。些細な小道具背景のリアリズムに読者は突っ込むわけじゃ無いです。人物描写がありねーよって感じるから漫画だなと言われるわけです。人間が人間として動くこれで大体のリアリズムはどうにかなります。


 一般小説だって漫画だって下手糞はどっちも下手糞で、物語の展開筋で大枠を組み立てるとそこで動くキャラがそいつどういう了見でそんな行動に出たんだよ?疑問符がつきます。でも漫画ってのはそういうのちょっと多目に見てくれるんですよ。それで独特の物語になっていきます。ただ何度も書いてますが、漫画の中でも実写や一般小説の様な人物描写のリアリズムを保持しようと描く作品はいくらでもありその漫画家の力量は小説家以上でも全く可笑しくは無いです。ただねラノベってのは大きいところで角川さんが一般小説とは差別化して売りたいわけです。一般小説と変わらないものを商品として売っても仕方ないです。漫画の中で実写向きの物語じゃない漫画らしい読者が大目に見てくれる物語を展開するわけです。私はねそこを大目に見ずに馬鹿みたいに囚われて批判するトンチキな批判が嫌いなわけです。ただラノベにも問題がある。絵による説得力が無い。100聞は一見にしかず、どうして漫画だけにそんな馬鹿な物語が許されるか?と言うとお前らは信じられないだろうが俺は確かに見たんだ。馬鹿馬鹿しくて誰も信じないと思うけど。絵ってのにはそういう魅力があります。オバケでも怪物でも自由自在に絵によって創造する。現物がそこにあるんだから話はそれに任せて展開していく。じゃあやっぱ絵抜きにラノベで漫画の話をしても仕方ないだろ?漫画になれた人間がこの奇妙な物語のその先を見たくなるわけです。漫画になれた人間は大目に見る姿勢がすでに出来上がっています。絵が無いのにです。挿絵があるだろう?挿絵はすごく重要だと思います。ただね挿絵でカバーしきれるものじゃない。大目に見る姿勢がすでに出来上がってるからそれを利用してるわけです。ちなみにラノベが10代対象なのは年齢が若いほどリアリズムについての認識が甘くなります。おっさんと子供が同じも物を見るって実は全く不思議は無いです。免疫みたいなものです。おっさんは慣らされていて自然に見れます。だからラノベが一部のオッサンしかみないわけです。誰もがなれてるわけじゃないから。所謂突っ込んだら負けってやつです。


 リアリズムってやつは政府の規制みたいなものです。この規制が外れると規制の元で大きくなった企業とは別の企業も発展する可能性があります。今まで規制の中で抑えられた弱い要素が規制が緩んだことで爆発的に伸びていくからです。物語が法律と違うのは無理矢理規制してるわけじゃないです。読者に合わせてるだけです。ラノベ=漫画物語を読むと言うのはラノベ漫画の常識に染まると言う事かと思います。そういった慣れの出来てない大人に無理矢理押し付けても不快なだけですし、ずっとそういったものが生まれない大人だっているでしょう。決まりごとのように決まってるわけじゃないからややこしい。


 私はねリアリズムの視点から突っ込むのが批判だなんて馬鹿馬鹿しいと思っています。そんなのラノベ漫画でやってもキリが無い。規制が緩んだ事で伸びてくるはずの部分がきちんと延びてるか?を見てるわけです。ラノベは確かに低俗かもしれません。読者の質は分かりませんが、ラノベを読んでる時間はあんまり頭を使わずに楽しんでると思います。でもね創ってる人間が馬鹿な物語作ってるからってリアリズムに凝り固まった馬鹿から批判されることだけは我慢ならんわけです。一流の一般小説の作家には出来ない事をやってるんだから下らないところ見てるんじゃないよって思うわけです。多くの人もなんとなく思ってるんじゃ無いですか?一般小説って何か似たような話ばかりじゃ無いですか。文章の細部に拘って独特の文体とか雰囲気とか。私はそんなもの差異を見たいわけじゃないんですよ。物語のバリエーションが見たいわけです。別にリアリズムのしっかりした小説の批判をしたいわけじゃないです。それはそれこれはこれ。規制が緩んでありえないものがわんさか生まれるからそこから物語に広がりが出るわけです。今のラノベはネット小説におんぶにだっこですけど、それでももうちょっと小説としてバリエーションを生む創造性を高く評価されても良いと思うんですよね。


 ちなみに私が慣れってやつを自覚する時の方法は頭空っぽにして見る事です。ごちゃごちゃいろいろ考えないで見るです。ああこれ漫画の方が近いですね。正直ラノベって文字による刺激で歪んでますけどアニメ向きだと思いますよ…。最終的に映像にし無いとイマイチだなと思う事は多いです。


 さてここで問題が出るでしょうね。何故それを小説サイトで話すのか?私はメディアに囚われない物語の魅力で考えています。どれだけアニメがラノベの最終的な表現の場として向いていてもそのコアとなる物語を作り出すのはラノベ作家です。ラノベ単独の存在価値で語る事に今の時代意味があるのか?と私は疑問を持っています。そこで私がずっと書いてきた読むと見るの違いが出てきます。受け手が読む力を鍛えるよりも素人視点の見る楽しさを求める受け手にあわせる方が早いんじゃないか?と考えてるからです。物語としては同じ物語なんだから。文字による表現は豊かで面白いでしょう。ただそれは少数派でしょう。鍛えられた人間が怠惰な多数派によって駆逐されるわけです。悪貨は良貨を駆逐する。多分これが念頭にあると思います。しかしそれは小説だけで見てるから駄目なんです。大きな意味で物語として捉えると些細な事だと思えるようになります。そもそも古来物語りは口伝だったと思います。それはまた文字とは違うものだったと思います。どっちかと言えば流されていく物語なので今の映像物語に近いのではないか?と思います。


 単純に文字表現の素晴らしさを否定するわけじゃないです。ただそれに囚われてもっと大きな物語の文字表現での発展を阻害する批判に対抗しようとして書いています。単純に読む力を要求される文字好きのための文字表現に拘る小説なんて消えてしまえとは思っていません。


ただ完全に自由にやるのは無理だと書いています。それよりもっと大きな物語と上手く擦り寄って生き残れないか?と思って書いています。今の私は面倒で物語のシンプルな面白さより文字に拘った作品は大体開いてすぐにスルーしています。ただなんとなく好きな人はこういうの好きなんだろうなとは感じています。それは否定しません。一緒にやっていく道を模索しましょうって話です。ただ間違いなく少数派が今の位置は犠牲にはなります。数の多い民衆に対して貴族的態度で居られるとは思わないでください。


 本好きには私は嫌われるんじゃないか?と思っています。私はメディアに頼らない物語り好きです。その時代時代に発展した刺激的な新しいメディアで物語りは語られれば良いと思っています。

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