第7話 閑話休題

ネタ不足というよりとりとめが無いのでこういう形にします。エッセイってなんだろうか?と考えてどうも私は自分の書き方が固いなと感じてきました。機会があって星を貰ったりフォローしてもらったりで他の方の文章を読ませてもらいました。そもそももっと読めよってツッコミはあるかもしれません。ただ私はライト層主義の様な拘りがあってランキング機能がしっかりしてから上位を読みたいと思っています。だから今放置してる状態です。私は不思議な性質を持っていて何故か大衆人気が高い作品が好きになります。それが当たり前だとずっと思ってきたのでランキング至上主義の様な考え方が形成されたのもあります。今の人気のって枕詞で外したと感じる事がほとんど無いです。最初から興味の無いジャンルとかならあります。例えばCDセールスの某男女アイドルの歌とかさっぱり興味ないです。あんまりアイドルグループってものが好きじゃ無いです。そういう最初からお断りじゃない限りは今人気のという言葉に裏切られたことがほとんどありません。


それがおかしかったと分かるわけです。大半の人ってランキングにすごくケチをつけて最終的にこれは不正行為だとなってしまう事が多いです。特にネットはそれが激しいです。私も様々なランキングの不正は否定はしません。ただ全く話しにならないものを上位に持ってくるような不正はあるのか?疑問があります。不正がある事と不正が問題になるのとは全く違います。多くの人は根本的にランキングなんてどうでも良いわけです。個人の好みの偏りが激しいんですね。ランキングってのは多くの偏った人間から集計した結果でありランキングと完全一致する人間なんて居ません。でも私は結構近いんですよね。そういう私の立場から見るとこれおかしいランキングだと言うのは大体ピント来ます。ただカクヨムはそれ以前の問題なので…。これはカクヨム作者のタイトルの話で書いています。


ああこれ良く考えたら脱線ですね。今回書きたくなったのは私は多分哲学に近いと思います。想起よりも思考に偏ってると感じます。哲学って言葉使うと構えられて、は???って突っ込みたくなると思います。他者と言うのはどうしても自画自賛のようなものに敏感になります。私は分類としてエッセイより哲学だなとふんわり思っただけです。私の文章どうも自分硬いなとなります。他者の文章の魅せ方の様なものを見てると自分にも応用できないか?と思ったのですが出来ませんね。文章の中身の根本から違うと感じました。それが軽快で爽やかな構成の邪魔をしています。文章の一つ一つが思考としてまとまりを持っていてそれを無理に分解して見せるような配置にすると形だけ整えてる不細工さがすごく出ます。


それで私もしかしたらエッセイじゃないんじゃない?って感じました。もちろんノンフィクションじゃないですからね。


でもこれからもエッセイというジャンルにおきたいと思っています。一言で言うと哲学(プップッ)って笑みが自分でこぼれてしまうわけです。自分でもちょっと恥ずかしいんですよね。でも根拠や事実を元に考察するなら科学の方が近いと思います。哲学ってのはそういったものよりは直感的な飛躍が多くても良いと思います。でもやっぱり本格的に哲学書とか見てる人からすると物語の哲学もそれなりに発達してますよね。私はそのあたり無知なのであんまり知らないので恥ずかしいと言えば恥ずかしいです。


子供の頃からの馬鹿な疑問なのですが、小説家が力があるならもっと儲かる漫画の原作やれば良いんじゃない?って思ってるんですよ。私それなりのおじさんです。だからその頃漫画原作なんて有名な人もいたけど売れてない人もいただろうし地位が低いわけです。今はそんな事無いですよね。その延長でラノベと接しています。やらないとずっと思っていたけど、今は出来ないんじゃないの?と考えを変えてきています。ライトノベルを漫画物語としてみた立場からの意見を書いています。照れを隠さずにそのまま書くなら小説と比較した漫画物語哲学をしてるのかな?と思っています。

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