第6話 ヘビーとライト

 ネタが無いと書きつつまた思いつきました。読者層を分けることが重要じゃないか?と思います。究極的にどうして最近の小説には不満が溜まるか?と言うと古参の読書好きに物足りない小説が増えたからだと思います。それが私がずっと書いてきてる読むと見るなんですよ。ヘビー層ってのは読みたいわけです。ライト層は逆に読むことをコストだとも考えていそうな見る物語に馴らされてきた読者層です。ライト層はぱっと見質が低そうに見えますよね。でも質の低い読者に提供する書き手は決して質が低い作り手じゃ無いです。至れりつくせりでお客様の頭を煩わせることの無い事が無いような快適な読書時間を提供しなくちゃいけないわけです。ライト層向けってのはお客さんが頑張っては駄目なんですよ。


 根本的にこの2層って違う人種だと思います。あんまり私はそこに頭の質を問いたいと思いません。だってヘビーな読書層ってプレーンな目で見れば小説オタクでしょ?他の事でもその知性が発揮されてるか?かなり疑わしいんですよ。私は数多くの本好きと接してきましたが、その大半の人間の本質は知的であると言うより読書中毒に過ぎないって看過しました。中には読書と知性が良い形で繋がってる人も居るでしょう。でも大半は次の読書の刺激を求める中毒者に過ぎないです。見るライト層のアニメやゲームのオタク層とあんまり本質的には変わらないとは思います。ただねそれでも分けないといけないんですよ。同じ読書をしてるのに趣味が全く違うんですよ。どっちかと言えば、読書をしながら見る刺激と似た部分を持ちアニメや漫画読んでるのと変わらない、それがライト層が読んでるラノベだと思います。


 カクヨムの話になりますけどジャンルよりむしろこっちが重要だなと思うのは商売としてはイマイチなヘビー系の作品の公開の場があっても良いと思うからです。それを本格的な出版会社の角川が兼ねると言うのは角川にとっても良い事だと思うんですよね。全部混ぜてしまうから探す方は面倒になるわけです。


 ラノベにも文字独特の表現が特化してきてるなとは感じています。漫画アニメの文法そのままで文字で楽しませるものになってるため、一般的な小説ともまた違った独特の発達をラノベは遂げています。特にアニメ化したとき顕著なのですが、原作から大幅に削られたアニメ化。一般小説の地の文の多くは映像的イメージが得られるようなものが多いです。状況を説明するのにどうしてもそういった部分が種になる事が多いからです。モノローグはモノローグでまた別物でしょ。ラノベが独特なのはそういった部分雑でアニメにしたらこんな感じの大雑把な書き方する人が多々あります。その代わりにいろいろ別の物が突っ込まれるわけです。それを一言で言い表すのは無理ですし、私もそこまでディープなラノベファンじゃ無いです。ラノベを単独で読むよりアニメから知ってラノベって形が圧倒的に多いです。それゆえ独特の発達の仕方だなと思う事が多いです。逆にアニメ側でこれ何か台詞の部分がイビツな物語だなと思う事が多いです。


 ただそれらラノベが文字であるが故の独特の発達がありますが、その土台は漫画アニメの絵的な物語であり、それと外れたものじゃないです。だから読む事を基本とした小説とはずれます。でも実際ラノベの定義って難しいです。それ自体は問題じゃないです。問題は作者側がジャンルわけでヘビーライトの区別が出来るようになったら自分の小説をどっちにするか?かなり悩むと思います。私もつい最近これらの違いに気がついたばかりで、多分無理じゃないかな?とは思っています。


 それでも重要だと書いてるのは、どちらの層にも見たくないタイプの小説を見させられるわけで不快感がかなり強いです。互いの層にとっては求めてるタイプが逆の層には不快な存在でしか無いです。それが様々な不満の温床の一つになってないかな?と見ています。

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