第4話 大衆層

 読者と言うものについて考えてみたい。私は小説と言うものは衰退してると思ってて、今でも小説がそれなりに頑張ってるのは、実写やアニメの脚本が登場してきたからだと思ってる。酷い偏見だと言うかも知れないけど今の小説の多くは映像化に向いてると思う。そこに加えて昨今では読書離れが進んでいる。これについては2つの見方があると考えています。1つは、単純に紙媒体の読み物の読者が減っている点。これは本屋の減少と重なります。2つ目は電子化されたもので最もヒットしたジャンルは漫画です。この2つから分かるのは、紙媒体とそもそも触れる人の減少。次にその人達は何をやってるのか?でネットをやってる。じゃ電子書籍は?となる。その人達が漫画を見てると。


 私は以前から小説は廃れると思っていました。それは読むと言う行為のメンドクササにあると思っています。漫画もアニメに較べるとかなり面倒です。でもアニメの見ると言う行為にまだ小説よりは近い。漫画はやや小説よりであるためアニメに較べると小説的な文字に頼った読む部分が濃い作品が結構あります。その辺りやはり見ると読むと言うのは大きく違う行動なんだなと分からせてくれます。見ると読むは2つの点で大きく違います。まずは能動性、次に見るはあたり頭を使わない。頭を使っても思考って部分がかなり読むに較べて薄い。この2つなら見ると言う媒体の受け手は頭の悪い見方をしてるといえます。さてそれは事実として良いと思います。しかし頭の悪い楽しみ方をしてる受け手は実際頭が悪いのか?これはイコールではないと私は考えています。そこが読者分析で大きな問題になる点です。漫画の小説といった感じのアルラノベは対象年齢も低いしいかにも漫画漫画した漫画の原作の様な話ばかりです。ラノベは頭の悪い読み方でも良いと思います。そこからラノベなんて読んでる人間は頭が悪い。とはならないと思うんですよ。そうかもしれない、それは否定しません。しかし、そうであると断定できるような関係ではないと思います。そこにラノベ嫌いのレッテル貼りの様なものがあるんじゃないかな?と思っています。


 昔から大衆に対してインテリ層の様な話がされると思います。そして小説はこういった話し度々されます。それで過去にはすんなり思っていた。しかし、今若い世代で顕著なように小説の読者が減っています。頭を酷使=入念に思考するような物語が原因じゃないか?と私は思ってるんですよ。


 頭の悪い読み方=頭の悪い人。これを断定するのは避けて、頭を酷使する=じっくり思考する事が面倒くさいと感じてる層が増えてきていると見ています。これが大衆=馬鹿、無知などに繋がっていく話にもなっていくと思います。私はこう考えています。それぞれの人が大人なら仕事があるでしょう。その仕事においては豊富な知識経験があると思います。多くの人はオールマイティで幅広い知識思考というものを持たないと思っています。そのため特化した知性の高さを取り上げられると大衆化してしまうのではないか?と見ています。息抜きで楽しむ娯楽の物語で仕事でもないのに頭を酷使したくない。頭をゆっくり休めたい、ほぐしたい。言わば仕事で酷使した頭の娯楽ってのはマッサージなんだと思っています。


 どうして10代向けのラノベが中年層にも浸透してしまったのか?それなりに昔に較べると高い教育を受けた人達もオールマイティな平均的な知識を元にした思考ってのが過去の時代に較べると現代は下がってるんじゃないか?と見ています。元来知識知恵が足りないわけじゃない。意図して馬鹿になって楽しむ物語が受けてるんじゃないの?って見ています。

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