第2話 ライトな作風

ライトな作風ってなんだろう?と考えた時に私は漫画の様な読みやすさじゃないか?と考えています。あくまで読み手として意見を述べてみます。


一番重要なのは印象で個性を出すです。事細かに読んで分析するような特徴は意味が無いです。パッと見こんな感じ。その第一印象でどういうイメージをもたれるか?ここで他の作品とは違うものがあるか?です。何故ヒットする作品とヒットしない作品は分かれるのだろうか?ヒット作の特徴を探っていくと見事にこの法則に当てはまります。要するにあんまり頭使わずに初期の段階でどう感じるか?です。一般小説などに較べて漫画の方がこういった特徴が重要にナル比率が高くなると思います。漫画物語に批判的な人は出オチって言葉を良く使います。でも実際そういった批判は悪口にしかなりません。多くの人はその出オチ作品を長々読むことになります。それで大衆はうんぬんとなると思います。逆に言えば大衆に受けるにはどうすれば良いか?が詰まってると思います。ただ漫画ラノベでも玄人とは生まれます。印象のデータベースが頭に溜まっていきます。印象が凡庸でぱっとしない作品はざっくりと凡作として無視されます。だからこういった玄人は大衆的な視点で独特の玄人評価になります。一般大衆的には大差の無い作品でも些細な違いで瞬時に読み取ってくれます。所謂オタクって人種だと思います。非オタクの人からは何が面白いか?良く分からない似た様な作品でも、頭の中にある印象データベースの量が全然違うわけです。全体の中の詳細な違いを見るわけじゃなくて、最初の印象の些細な違いを瞬時に玄人目線で発見します。僅かな違いの今の旬を発見します。これがオタクと非オタクの好みの違いだと見ています。根本的には21世紀のオタクは素人目線だと思います。所謂読書家のような視点じゃ無いです。あくまでアニメ漫画の延長でラノベのヒット作を見ていてラノベを読むと私は見ています。もちろん一般小説もこういった個性は重視されます。ただ重要性の比率が全然違うと思います。


おそらく一般小説の作家が漫画原作をやっても活躍できないでしょう。様々な比率の違いから必要とされる能力の比重が違うと思っています。


その他の様々な部分も触れてみます。漫画アニメの土台に映画の論法の取入れがあったと思います。一般小説で実写なら映像化されてるだろ?となると思います。それは映像向きの小説が徐々に増えてきたと見ています。ただ漫画アニメのようではこれでは足り無いです。ただアニメはあまり無いですが、漫画の中でも実写化に向かう作品も多々あります。それは実写映像に向かない非現実的なファンタジー要素のせいでしょうか?多くは実写みたいな漫画ってかなりの数あります。少女漫画と青年漫画です。漫画の映像化において実写とアニメに分かれるのは後でやります。取りあえずは小説の中で映像作品向きの話をします。それは映像化してみたいよりも脚本が大衆娯楽として向いているのが大きいです。大衆娯楽としての映像物語にはどんな特徴があるか?


映像と言うのは小説と違って能動的になってみてくれません。受身の流される映像を見るだけの受け手です。良く言われるのが小説は読む、映像は見ると言われます。読む=能動、見る=受動になっています。受動的であり大衆的、そういった物語の特徴は、退屈な時間を長時間創らない事が重要です。何かしらの刺激をこまめに入れていく。物語で言うなら展開がその典型だと思います。次どうなるの?と気になってみていくといつのまにか物語を読み終えています。展開が重要なのは良く言われるのですが、何故展開が重要なのか?についてあまり語られることは無いと思います。展開は物語を最後まで読まなくても物語の間に強い刺激を作れるからです。展開の刺激の強い作品は、読むのではなくて、読まされてるというのがわかり易い受け止め方かと思います。これは見ると言う映像作品の受け手の受動的立場と良く似ています。次に物語の時間が決まっているので、考える時間に制限がある事です。ここから次に重要なのはあまり考えなくて住む刺激が理想になります。所謂セックスバイオレンスがその代表例だと思います。最後に大衆的である事からそれらは多くの人にわかり易い刺激でなければなりません。これもセックスバイオレンスが重要にナルのと重なります。


これだけでは実写作品の特徴です。ライトノベルらしさが無いです。ライトノベルとは漫画よりもより漫画らしい作品になります。その理由はライトノベルは商業的に実写に向いている一般小説とは差別化されて創られた作品群だからです。そうなると実写的な特徴を多く持つ数多くの漫画はラノベらしくないです。どういった特徴を持つのか?リアリズムの追求が緩い物語です。それによって実写的な物語に較べてリアリズム以外の部分の刺激が重視されることになります。


ラノベは低俗だという見方があると思います。それはリアリズム絶対主義におかされています。最初からリアリズムが緩い条件でその他の刺激を楽しむために見る小説だと思えばラノベは高い能力が必要な作品だとわかります。高いレベルのリアリズムの追求によって生まれる物語を作る能力だけが一番だと考えるのが単に固定観念によるものだと私は思っています。どちらの作家が劣っているとかじゃ無いです。一般小説とラノベでは必要とされる能力が違うだけです。

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