第36回 籠城戦
「蟻の這い出る隙間もないというのはこのことですな」
左近が城内から外を見やりながら呟く。
順慶も狭間から眺める。
見渡す限りの人だ。
一万数千はいるだろうか。
筵旗むしろばたや国人の旗が翩翻としていた。
雲のない気持ちのいい晴天の下では見たくはない光景だ。
「左近、そんな暢気に言っている場合か」
「深刻に構えていてもどうにもなりませんぞ。殿、臆しておりますか」
「馬鹿を言うな。この陽舜坊順慶、こんなところで死ぬわけにいくか」
「そのいきですぞ。朝菊様と多加姫様も殿の帰りを待っているのですからな」
砦にこもっている織田勢は六千あまり。
普通、城攻めには十倍の数が必要というが、ここは急普請で造られた砦だ。
五月三日、順慶は本願寺攻めのために出陣し、本願寺への備えとして南に位置する天王寺に設けられた砦にこもった。
去年、和睦を結んだものの今年の四月にはいるとすぐ本願寺側が破ったのだった。
もちろん、この動きの背景には毛利の庇護を得た足利義昭の動きがあり、今度は越後の上杉も同心していた。
後詰めさえあれば。喉元まででかかることばを呑みこむ。
一軍の将たる自分がそんな弱気を口にするわけにはいかない。
日が暮れれば篝火を盛大に焚き、夜襲に備えた。
夜半。
鋭い喊声とともに数千の軍勢が大地が押し寄せた。
未完成の塀に代わり畳や牛馬を障害物として利用して城兵は対抗する。
火縄銃を放ち、空櫃や油、城内にあるものを片っ端から投げる。
「休むな、休めばその分、仲間が死ぬぞ」
砦の兵たちは懸命に抗ったが、敵側の激しい攻勢の前に次々と倒れていく。
傷病者を顧みる余裕はなく、それぞれの持ち場を死守するおで手一杯という状況。やがて退き太鼓が闇夜に響くや、敵兵たちは引いていく。
順慶はすぐに死傷者の把握に努めた。
(しかし、こんな襲撃を何度もしかけられたら……)
「順慶様、忍びの使用を明智様にお伝えねがえませんか」
左近がかすかに肩を上下させつつ言った。
「相手の守りは堅い」
「ただの撹乱ではなく、敵の陣の弱い部分を探ります。陣を固めてはいますが、人の集まりである以上、もろい部分はあるはず。それが戦になれた兵ではなく信仰心でよりあつまった民たちならば尚更。ここで多少なり、相手側にも恐怖心を抱かせ、襲撃よりも兵粮攻めを選ばせ、日数を稼ぐことが賢明かと」
順慶は少し考えたあと、光秀と会い、左近の献策けんさくを伝えた。
光秀はわずかな逡巡もみせず、即断した。
すぐに青狗を筆頭にした忍びに号令をかけ、左近の策を伝える。
順慶と光秀は砦にもうけられた櫓やぐらにのぼった。
敵陣は赤々と炎が焚かれ、よく見える。
半刻ほど経ったころ、耳を聾する銃声が轟きわたる。
忍びによる撹乱行動だ。
陣全体がどよめいていた。
「敵襲」のかけ声は陣のあちこちからあがった。
順慶たちがみるのはその波の動きだ。
目をとめたのは陣の左手側だ。
ほかのところより兵の動きが激しかった。
順慶は夜陰にまぎれて砦を出、十里ほど東にある森のなかにひそんでいる左近をはじめとるする騎馬隊三十騎へ伝令をとばした。
「光秀、我らが打ってでる」
「しかしこの作戦は多大な犠牲を覚悟しなければならないぞ」
「光秀、我々は織田方として本願寺と戦っているが、一方では筒井として織田と戦ってもいるのだ。成果をあげ、必要であると認められなければたやすく土地は奪われても文句は言えない。そのために必要な血は流す。もちろんその血は活きなければならない」
信長の目は麾下の部将はもちろん、傘下についた国人たちのことも見ているのだ。信長は順慶に国を守ってみせよ、と言った。
「……大した決意だ。私は自分が恥ずかしい」
「なにを。光秀はこの国が治まったあと、さらに活きる人間だ。俺のように大和の地がすべてになってはだめだ」
光秀はそれ以上はなにも言わなかった。
すぐには攻めない。
撹乱のあとは当然、こちらがその騒ぎに乗じると考えているはず。
順慶が馬上になったのは東の空が白み始めたころ。
「かかれ」
一気呵成に打ってでる。錐のような陣形で駆けに駆ける。
敵勢も気づき、前衛に鉄砲隊が並んだ。
距離が二町に縮まれば腹に響く発砲音が轟き、最前線を走っていた兵がもんどりうって倒れる。
しかし順慶率いる筒井軍の勢いは止まらない。
馬止めの柵にくみつく。
槍が突き出され阻まれるが、順慶は督戦をつづける。
(さすがに真っ正面から挑むのはきついか)
柵の一画を崩すが、それでも圧力が強く、じりじりと押されてしまう。
順慶の前で次々と兵が倒れていく。
それでも背中をみせる兵はいない。
懸命に柵にとりつき引き倒そうと奮戦する。
「殿ッ」
順慶の前に躍り出た騎馬武者が次の瞬間、見えない何かにはね飛ばされたように虚空へその身をおどらせる。
家臣の身体がなくなり、垣間見えた敵陣には火縄銃を構えた兵がいた。兵士は外したとしるや素早く自陣の奥へ戻ってしまう。
「庄右衛門しょうえもんッ」
大地に倒れる家臣は事切れていた。
その時、敵勢の左側面が揺らいだ。
左近率いる騎馬隊が襲撃を成功させたのだ。
左近たちの役目は敵勢を討つよりは恐怖心を植えつけることにある。大いに馬で蹂躙し、素早く離脱する。
「引けッ」
順慶は押す力が弛んだ隙に退き鉦を打たせた。
しかしここぞとばかりに押し包もうと兵が柵より打ってでてきた。
殿を務める味方が次々と打ち倒される。
「振り返るな。ただ駆けろ」
その時、土煙が順慶たちに食らいつく敵勢にくいこんだ。
追いすがってきた敵兵を半ばより、離脱してきた左近率いる騎馬隊がかち割ったのだ。
「反転」
順慶は素早く馬首を巡らせ、孤立する敵軍を押し包んだ。
もちろん敵勢も孤立した味方を救おうとしたが、光秀率いる鉄砲隊が一斉射撃をみまい、順慶たちを守るように押し寄せるのを見て、慌てて後退していく。
順慶たちは孤立した門徒衆を散々に打ち破ると砦へ戻り、扉を固く閉ざした。
「左近、助かった。あやうく討たれるところだった」
「むこうの犠牲も決して少なくなかったはずですな。これで無理攻めは避けるはず」
「……そうならいいが」
砦に籠もりつづける。
本願寺は持久戦に切り替えたらしかった。
一方で、砦の中の食糧は尽きつつあった。
そもそもが籠もるためではなく牽制や、多方面との連携を主眼において築かれたものなのだ。
飢えというほどではないが兵達は疲労と緊張感にさらされてあきらかに弱り、城内の空気は明らかに荒んでいった。
順慶は兵たちに呼びかけ、砦内の一番広い場所を借り切った。
(まったくなにが役にたつか分からないな)
順慶は戦場で常に懐にしのばせている如来の木像を前に念仏を唱える。
廊下にも手を合わせているものが多い。
本願寺を相手にしながら、念仏を唱えている。
奇異なことのように思えるが籠城を支える気力をうむ。
それも念仏を唱えている唯一の僧形の自分は信仰心がよくわからないと来ている。
これをはじめたのは二日前で、光秀と共に城内を巡回している最中、順慶に手を合わせている雑兵に気づいたからだ。
光秀に念仏を頼めるかと言われ、受けたのだ。
不思議とそれからは城内の空気が心なしやわらかくなっている。
心に余裕ができていると言ったほうがいいかもしれない。なにはともあれ、まだ戦える。
「兵ですッ」
七日の昼過ぎ、本願寺門徒の陣の向こうより土埃が舞い上がっていると櫓にいる兵が伝えてきた。砦の中は騒然とした。
「静まれ。全員、武器をとれ。持ち場につけ」
現場の指揮は左近に任せて順慶は光秀と一緒に櫓に上った。
近づくにつれ、土煙をたてて向かってくる一軍が掲げる旗がみえてきた。
黄色地に瓜うりの花の家紋。
「信長様ッ」
光秀が吼ほえ、順慶を見やる。
順慶は息を呑まれながらうなずく。
信長は軍勢を三段にわけ、数倍の敵勢めがけてつっこんでいく。
それも旗の様子から信長は一段目、最前線にいるようだった。
そのあまりの勢いに兵は左右に引き、そのなかを一軍は砦めがけて突っ切っていく。
「信長様が救援にきてくださったぞ」
普段の冷静沈着な光秀はなにかに憑かれたように声をあげれば城兵は沸いた。
城門があけられ、信長たちが入城した。
「……無事のようだな」
信長は無謀なことをしたという素振りなどすこしもみせず、順慶たちの控える広間に姿を現した。足を負傷しているようだが、歩みに乱れはない。
広間には順慶が何度か見たことのある織田家中でも名高い部将がおり、その中には久秀もいた。
兵力は少なくとも織田の中核を担う面々がそろっていらしい。
光秀を筆頭に順慶たちは頭を下げる。この場にいる将の目が精気に漲る。
信長からこみあげてくる覇気が伝わってきていたのだ。
「信長様、木津のほうは」
「散々打ち破られた。木津にいた塙が討ち死にしたぞ」
しかし少しの動揺もみられない。
信長一人の存在があれば負けることはない、そんな確信に満ちたものが広間にあふれるほど。
「我々は戦っているのだ。犠牲はでるべくしてでる。それに心を動かすな。負けることはゆるされん。なぜなら、我々が天下を鎮めなければならないからだ。帝もそれを期待しておられる。全軍で打ってでる。坊主ごときに負けることなど許さんッ」
部将たちは「おう」と声をあわせた。
門を開け放ち、一万余りの兵を二段に構えるや突撃を知らせる太鼓が打ち鳴らされる。
順慶は一段目の左翼を守る。
信長はそこでも先陣についた。大将を討たせまいと全軍は我先にと駆け、鏃のような格好で本願寺勢へつっこんだ。
信長からの襲撃に一度は算を乱しながらもなんとか態勢を立て直した本願寺方は一斉射撃をして押し包もうとする。
しかし信長を中心に一丸となった織田勢の鋭さは鈍らない。
外様の順慶すら、信長を守るために一人の将として槍を扱く。
肉を貫く生々しい手の感触すらほとんどわからなくなるほどきつく柄を握って揮いつづけた。
数に勝る本願寺勢だが、押し包もうとする際の圧力はほとんど感じない。
敵勢の心は完全に浮き足立っている。
順慶たちはたちまち一軍の中を突っ切る。
再び突撃をしかけようと反転した時には、すでに本願寺勢は潰走しているところで、餓狼のごとくおいすがってさらに討つ織田軍に容赦はなかった。
順慶は信長を守る一軍に合流する。
信長は勝利の高揚感など微塵もみせずに残りの部隊を休ませることなく付け城を造るよう下知した。
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