第33回 天下への歩み
久秀との戦の終わった翌年。
四月十一日には順慶は、信長の意をうけて出陣した。
織田方からは塙直政や明智光秀が派遣された。
総大将は明智光秀だ。
本願寺に呼応した将兵が高屋城にたてこもったものだった。
順慶をはじめとする討伐軍は本願寺勢力が拠る石山本願寺、三好康長が籠もる高屋城を睨にらむ形で軍を展開させる。
順慶は本陣を固める雲霞のごとき味方の軍勢に息を呑んだ。
数は一万を超えているだろう。
見渡すかぎり鎧に身を固めた兵だ。
大和での戦では考えられない。
眼前に広がる兵の数が織田の力だ。
戦乱を熄ませる可能性を秘めた力だ。
順慶はもはや大和一国に汲々としている身でないことを思い知った。
三日前には信長が出馬し、高屋城の東にある駒ヶ谷こまがたにに着陣した。
本願寺の備えとして住吉、天王寺に軍を進め、麦を刈り、市街を焼き払った。
順慶は織田の本陣に入る。
光秀に会いたいと言われたのだった。
人払いがされているらしく陣幕内にいるのは光秀だけだった。
「おお、順慶」
光秀は周辺の地図から顔をあげて笑みをこぼす。
最後に会ったのは二月の頭、彼が岐阜に出立する前だ。
その時、光秀は多聞城たもんじょうの定番をつとめ、武田攻めの後詰めとして美濃へ向かうことが決まっていた。その激励として向かったのだ。
休む暇もない激務の中に身をおいているようだが、その顔色は京にいる時よりもすぐれているように見えた。
目の中にある光は冴え、しゃべりにも力があった。
天下統一の大事業にかかわっていることが光秀をこうも充実させているのだろう。
「元気そうだな。蘭奢待らんじゃたいの件で落ちこんでいると思ったが杞憂きゆうだったか」
今年のはじめ、信長が蘭奢待を切り取ることを望んだ。
蘭奢待は東大寺の正倉院に収められた宝物で、これまで切り取った人物は帝や時の将軍くらいで権威の象徴ともいえた。
順慶は切り取りの許可を得るように言われたが東大寺側を説得できず、結局、朝廷の勅許を信長が求めて切り取ったのだった。
「大将殿から心配されるとは光栄だな」
「俺が思った通りの男でよかった。しかし俺のことよりも自分のことを心配しろ。三好はともかく本願寺が相手だ」
「大将という肩書きは形ばかりのものだ。信長様が戦場に出ている以上、その命令を忠実に実行することが私の仕事だ」
「……このまま総攻めということになるか」
「いや、信長様も本願寺をたやすくつぶせる相手とは思ってはいない。弟君も一向一揆との戦で命を落とされているからな。我らはひとまず高屋城を奪い、本願寺とは腰を据えてにらみ合うという形になると思う」
順慶はそれからいくつか言葉を交わし、自陣へ戻る。
城を打ってでた本願寺と野戦に及んだ。
本願寺勢は数千はいるであろうと思われた。
各方面に兵を備えさせた結果、光秀や順慶の手勢はあわせて二千ほど。
本願寺の門徒たちは数を頼んで押し寄せてきた。
順慶たちは光秀の指揮のもと小さく固まり、当たっては引き、ひいては当たりをくりかえし、本願寺勢を城より引き離したところで一気に押し出した。
そこまでくると勢いに乗じた本願寺勢は一部が突出する格好で数を頼める態勢でなかった。
本願寺は後退しようとするが支えきれず、一千を超える死傷者を残して引いていった。
本願寺勢は強さの源は門徒を中心にした数の力だ。
数に劣る織田は各地を転戦した強兵で、将には兵の動かし方には一日の長がある。それほど眩惑は難しくはなかった。
「……今のところは上々ですな」
左近の表情は口調とは裏腹に冴えない。
武田がいて毛利もいる。
引きこもった大軍を前には兵粮攻めくらいしか方策はない。光秀も野戦で追い散らせるのは今回が最初で最後だろうと思っているに違いない。
順慶たちが本願寺勢を牽制している間に信長は中島城を落とすと、高屋城の守将の康長が降伏してきた。信長が直々に出陣してから十日のうちだ。
織田の部将を抑えとして残すと、順慶や織田の本隊は兵を引いた。しかしそれで小康を得られるほど戦の世は甘くはない。
五月には武田勝頼が遠江の高天神城を攻め、六月の半ばに城を落とした。
信長は七月になると伊勢長島にたてこもる本願寺勢に攻勢をかけ、九月までに立て籠もる人間たちを焼き殺した。
織田にとっても、順慶にとっても心も体も休まぬ日が続いた。
そんな戦の年があけた三月。
塙直政(はなわ なおまさ)が大和の差配が信長の朱印状で認められたことで筒井の家中には少なからず激震がはしった。
といって朝廷の公的な任命があったわけではない。
しかし実質的に、大和が直政の指揮下に入るという信長の命が下りたということで、それは朝廷の公的な任命と同意だ。
ただ、軍の編成において光秀の傘下にあることに変わりはないらしかった。
家臣たちには憤るものが多かったが、順慶はほとんど感じるものはない。
実務は大和の国人衆たちが担う。
筒井家の力が衰えることを憂える重臣や親族は多いが、こうして徐々に筒井家がいち国人に戻ることができると順慶は楽観していた。
(定次が生きる大和はもっと静かなものであって欲しい)
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