第26回 井戸良弘
順慶は辰市城内の井戸良弘(いど よしひろ)を訪ねた。
城はほぼ完成していると言えた。ほぼ半月ほどだろうか。砦としては十分だ。
真新しい塀や、城内に建てられた施設を見やる。
自分はこれから筒井城の時と同じくらい、いや、もしかするとあの時以上に残酷な命を、城内の者たちすべてにくだそうとしている。
「順慶様、こちらでござります」
城兵の一人が、会見の準備が整ったと案内をしてくる。
城内の広場では、兵士たちが槍をしごき、組み打ちなど調練に励んでいる。馬小屋も覗く。しっかりと世話が行き届いているおかげか毛並みはよく、馬も落ち着いている。
城内に設けられた簡易な屋敷の一つに、良弘はいた。
「工事が無事完了したようで安堵しました」
「これも順慶様の人徳の賜物にござりまする」
「褒めてもなにもでませんぞ」
「なんの。久秀めと相対するこの城を任されただけでも十分にござりまする」
良弘は微笑んだ。
「このたびの戦は激しいものになりましょう」
「松永と干戈を交え、生やさしかったことなどありませんでした」
「そうですね」
「この城の責任者にされた時からその覚悟はできています。真正面から待ち受け、きゃつのそっ首を見事あげてごらんにいれまする」
「井戸殿には去年の戦もそうだが、たびたび大きな負担をかける。しかしこの大役を頼めるのは井戸殿を置いて他にないと思っております」
「順慶様が気になさることはござりません。それに、みずから招いたこととはいえ久秀が娘の仇であることに変わらないのですから」
良弘はかつて筒井家から離反し、久秀に降っていたが、再び筒井家に復帰したのだ。
その際に久秀から攻められるも決して城を明け渡すことなく交戦した。結果、人質になっていた幼い娘を殺されている。
「井戸殿の覚悟しかと受け取った」
「なにかあるようでござりまするな。久秀を受けとめる、他に」
と、不意に瞳の光がいやに鋭くなった。背筋に冷たいものが流れる。
「俺は織田と結ぶ。すでに使者を向かわせている」
「織田と」
「三好からも誘いがきているが受けるつもりはござらん。筒井は織田と結ぶ……いや、織田の下につくことになりましょう」
良弘は順慶の言わんとすることを見極めるようにじっと見つめてくる。
「しかし織田に道具として使われることだけはなにがなんでも避けねばならない。そのためには織田に筒井を認めさせねばりません。そして大和は筒井に任せなければならぬと思わせたいのです」
「つまり、我らは見世物ということですな」
「その通り」
順慶ははっきりとうなずいた。
「はっきり言いますな」
良弘は順慶の肯定に眉をあげた。
「ここで無駄に言葉を弄するつもりはござらん」
良弘の口元に笑みがにじんだ。
「もちろん、見世物ということならば私もそうなりましょう。しかしそれよりもなによりも織田は、久秀の大軍を引きつける辰市城の守りを見る」
良弘の口元の綻びが大きくなり、やがて笑いが弾けた。
「ここまではっきりと言われればかえって小気味良うござりまする。存分に大和武士の意地、織田に見せつけてやりましょうぞッ」
「井戸殿、この戦は必ず勝つ。将兵ともども必ず生き残られよ」
「言われずとも」
良弘の目にうつる澄んだ光に、決して自暴自棄になっていないことを感じ、この男ならばかならずやってくれる、安心して任せることができるという確信をますます強くした。
順慶は福住城へ帰還すると、左近が私室へ現れた。
「兵粮、武器、兵の調練といつでも出陣できる用意は調ってござりまする」
「松永は」
「奈良からの報告によれば兵や物資の動きが慌ただしいとのこと。近日中に大きく動くかと」
すでに数日前に三好からは詰問の使者が来たが追い返した。
久秀を討つことに焦点を絞っている順慶にとってそれに属するものすべてを敵に回す覚悟はできている。
「久秀本人は出てくると思うか」
「無論。辰市城は松永にとっては喉元に突きつけられた刃であり、我らにとっては久秀を討つための楔。物資の流れは当然掴んでいるはずでしょうし、順慶様が打ってでてくることも折り込み済みであれば、久秀もここで一気に片をつけたいとみずから指揮するはず」
「諸城には物資の不備がないよう今一度、点検をするよう徹底するよう使者をとばせ」
「かしこまりました」
頭を深々と下げ、左近が出て行く。
雌伏の時からようやく立ち上がる。久秀と自分が雌雄を決する時は近い。
心にさざ波が起きている。身体がかすかに震えている。
敵を前にすればこの震えがおさまるであろうことはこれまで何度となく戦を経験したことで分かっている。
武者震いだけではない、純粋な恐怖、勝てるという昂奮がない交ぜになっているのだ。
するべきことはした。
配するべき人材はすべて配した。
それでも松永と直接ぶつかるその日がくるまで、昼も夜もなく勝つことと負けることをくりかえし頭に思い描きつづけることになるだろ。
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