第25回 辰市城
人夫たちの懸命な働きで辰市(たついち)城は想像以上の早さで形になりつつあった。
順慶は山田順清をふくめた供回りと共に現場を見舞う。
息が苦しくなるような熱気と刺すような日差しの下でも、人夫たちは休みなく働き続けていた。
工事現場の片隅には近くから駆り出された女性たちが麦でにぎりめしをせっせとこさえている。
順慶の姿に人々は手を合わせた。
「なにか困ったことはないか」
空堀の作業場所にいる壮年の人夫に声をかけた。日に焼けた男の額には汗が光る。
「いえ。三食飯を食わせてもらえるだけでありがてえんですわっ」
「休憩はちゃんと与えてもらっているか」
「休んでなんていられませんぜ。この城、松永を倒すために必要なんでございましょう」
「そうだ。しかしそのために民を苦しめては意味がない」
「なら、俺たち、休みなんていらねえ。筒井様が松永のやつを追い出してくれんの、楽しみにしておりますからァッ」
「……そうか」
順慶は民からの期待がのしかかってくるのを感じながらもしっかりと背筋を伸ばす。
一通り、巡回を終えたあとは、この城の指揮を執る井戸良弘と面会した。
「これは順慶様、よくぞ参られました」
良弘が人懐こい笑顔で迎えてくる。良弘は順慶の姉を妻に迎えている。
「工事は順調のようでなにより」
良弘はえらの張った男で、大きな目に浮かぶ光は柔らかい。
緊張感に欠けているわけではなく、常にどんな状況にも即応できるようにほどよい力の抜き方、というものだろう。さすがは歴戦の将だけあって、そういうことを意識せずにできるのだ。
左近もそうだが、目の前の男が松永の猛攻を何ヶ月も小勢ながら防いだ軍の指揮をとったとは一目だけでは分からない。
「松永方からの妨害は」
「不審火がいくつか。しかし目を光らせておりましたので大事にはいたりませんでした」
「間者か」
「歩哨の数を増員しましたが進捗状況は大まかながら漏れていることは覚悟しておくべきでしょう」
先月は興福寺に筒井の足軽と名乗る者たちが乱入し、馬を奪い、さらに寺の下男たちを殺害したという情報が、興福寺からの書状で明らかになっている。これは大和国内における順慶の評判を落とそうと久秀が手の者をつかって仕組んだことだろう。
久秀の狡猾さに歯噛みすると共に、久秀はやはり大和を分かっていないとあらためて感じた。
大和の人々の信心を集める興福寺に対してそんなことを、どれほど困窮しようとも順慶がするはずがない。それはみずから大和の国を放棄するようなものだ。
そんな者にはなにがあっても大和を治めさせるわけにはいかない、その思いをますます強くした。
「なにはともあれ、本格的な妨害がないことは助かっております」
「工事の進みが早いせいで、手が出しにくいのかもしれないな」
「織田との睨み合い、できるだけ長く続いて欲しいものです。それだけ我らは力を蓄えることができる」
順慶は複雑な思いでうなずく。
織田と結ぶのを拒絶しながらも、間接的にその織田の世話になってしまっている。
「私は工事を見回って参ります。どうぞ、順慶様たちはあちらでお休みください。本当はもっとちゃんとしたものがあればよいのですが」
「十分、ありがたいと思っています」
職人たちの休息所として利用されているのであろう小屋に入ると順慶の表情はたちまちかき曇った。
左近の申し出が悩ませていた。
左近の言葉は正しい。筒井家がたとえ大和を統一したとしても三好や織田と競り合うことなどできないし、順慶にそのつもりもない。ただ領民の平穏を願っての戦の日々だ。 しかし順慶は自分の心の一部にしこりがあるのを感じた。それは領民のことなどかえりみない、依怙地な自分だ。
織田家になぞ頼りたくない。誰かに力を借りることの不自由さは三好でたくさんだ。
誰の下風にも立ちたくない。
それは矜持などというものではない。ただの見栄とも言えた。
「ずいぶん慕われているみたいだな。俺んとこでも俺はあそこまで慕われちゃいないな」
順清からにぎりめしが差し出される。
「くすねてきたのか」
「そんなことするかよ。筒井様とご一緒にってもらったんだ」
「お前はちゃらんぽらんだからじゃないのか」
順清から受け取り、かぶりつく。塩加減がほどよくてうまい。
一緒にもってきた水を飲む。ぬるかったが、黙っているだけで汗が勝手に滲むような陽気の下ではありがたい。
「順清、お前は左近が言っていたことをどう考える」
「織田家と誼を通じるってやつか」
「そうだ」
「結べばいいと思う。島殿の言うとおり、織田は拒絶しないだろうしなァ」
そのあまりにはっきりとした返答に、順慶は自分で聞いておきながら眉をひそめずにはいられなかった。
「織田がどんなものか知らないというわけではないだろう」
「自分の妹の嫁ぎ先を攻める上に、まるで息をするように周りに敵をつくる。まあ、すげえやつだよな」
順慶は危機感のない順清を前に脱力してしまう。
「織田につけば、その尖兵として使われることは目に見えている。あの久秀と同じように」
「それで大和が平和になるんだったら安いもんだろ。違うか」
「三好が勝つかもしれない」
「じゃあ、三好に従って久秀と和解なんてこと、本気で考えてるのか」
順清はにぎりめしの最後の一口を呑みこみ、指についたご飯粒を舐めとった。
順慶は口をつぐんだ。そんなことができるはずもない。
順清の表情は不意に引き締まった。
「俺はそんなこと耐えられない。そんなことをするくらいだったら俺だけでも織田に味方する。親父もそう言うはずだ。そうでなかったら、なんのためにこれまで多くの血を流してきたっていうんだ」
正論だ。
「それにだ。聞いたろ。ここで働いている連中は、みんな、お前が久秀を倒すつもりだから協力してくれてんだ。ここは松永の勢力圏なんだぞ。いつ襲われるか分からない。それでも筒井家の呼びかけで集まってる。休憩なんてしていられねえって言ってくれるんだろうが。俺たちがその声を受けとめきれないでどうするんだよ」
順清の声に熱がこもる。
順慶のようにつまらない自尊心などおくびにも出さない。
「織田に思うところがあるんだろうけど、腹をくくれ。お前が一番にするべきことはなんなのか。織田との関係に悩むのはあとまわしだ」
順清はにやりと片頬だけを歪めて笑う。
「って、俺は思う。ま、織田家につくって勢いで言っちまったけど、お前が決めたことにはしぶしぶだけど従うことになるんだろうさ。さあ、腹ごなしにもう一回りしようぜ」
順慶は手の中で冷えたにぎりめしを頬張り、立ち上がった。
巡回を終えると順慶は福住城へ戻る。
廊下で左近とすれ違ったが、三好や松永の動向について事務的なことを伝えるのみで、まるで自分で口にしたことを忘れてしまったように織田のことはおくびにもださない。このことについては他の重臣にもまだ話していないようで、その点は順慶としても助かった。
順慶は一人で部屋にこもる。
高かった日が落ち、日差しの色は赤みを増し、影が伸びる。たちこめる熱気に湿り気が増すにつれて肌に絡みついてくるような感覚が厭わしい。
「順慶様」
「朝菊か」
「白湯をお持ちしました」
「それはようござりました」
退室しようとする朝菊を呼び止めた。
「ここにいてくれ。一人でいても悶々と悩むばかりで息苦しい」
「はい」
順慶は白湯を口にしながら横目で見るが、順慶に対して特別、関心を払うよう様子や、ここにいるようにと求めたことに対する疑問もなにもないかのように自然なたたずまいだ。
「おい、朝菊、なにか言うことはないのか」
「言うこと、でござりまするか」
「そうだ。俺はずっと部屋に籠もっているんだぞ。なにか考えていることや、悩んでいることがあるんじゃないかと察するのも室の役目とは思わないのか」
むしゃくしゃしてつい当たってしまう。
「ですからこうして黙っているのでございます。お好きなだけ悩めばよろしいではありませんか」朝菊はしれっと答える。
「なんだその言い方は。今、悩んでいることはそれが筒井だけでなく、大和の将来すら左右するような重大なことだぞ」
「どんな無茶なことでも順慶様がだした結論であれば、皆は納得しましょう」
順清に負けるとも劣らない暢気な答えに、順慶は驚きを隠しきれない。
「とんでもないことをするかもしれないのだぞ」
すると朝菊は口元を手で隠して微笑んだ。
「なにがおかしい……」
順慶のほうが戸惑ってしまう。
「あまりにも順慶様がおかしいことを申しますので」
「だからなにがおかしいんだ、と言っている」
「とんでもないことであるならとうにしているではありませんか。先の筒井城の折でござります。勝てぬと分かっていながら順慶様はそれでも兵をあげて敵を迎えうたれた。あれよりもとんでもないことなどそうそうあるはずありません。ひとつ間違えれば順慶様もあそこで討たれていたかもしれないのですから」
順慶はとっさに反論できない。あの時は、実際には感じるはずのない多くの視線を意識していた。無我夢中だったのだ。
「それに、島様より聞きましたが、順慶様ははじめて筒井の城をお捨てになられた時、まるで幼児のように駄々をこねたそうではありませんか……と、これは蛇足でございました」
朝菊は笑みを隠し、真摯な眼差しをそそぐ。
「私が言いたいのは、順慶様が熟慮に熟慮を重ねた上でなされたことは、民のことを、この国を思ってしたこととみなは思うということなのです。たとえどれほど無茶苦茶なように見えても、順慶様が考えた末に選んだことだから、と。民はあなたのことを信用しています。だから筒井の城を逐われてもなお、順慶様の声に答えるものがいるのではありませんか。そしてその民の輪の広がりのおかげで、もう一度、松永と戦うところまでこられたのではありませんか」
「そうなの、だろうか」
「……そうなのでございます。ですから悩みたいだけ悩めばよろしいのです。まだ時間はたっぷりとござります」
「悠長なことを。時間はそれほど残ってはいないぞ」
「分かっているではありませんか。順慶様、こうして女相手に声をあらげている暇などありませんよ」
ぐうの音もでない。
「お考えください。食事などはすべて私がもって参りますし、重臣方のこともお任せください」
朝菊は部屋を出て行く。
朝菊には申し訳なかったが、理不尽な感情とあわせて自分の心にある澱んだものを吐き出したようで妙に頭のなかがすっきりしているように思えた。さきほどまで考えても考えても、深い穴の底にいるような鬱屈としたものは綺麗になくなっていた。
順慶は人を呼んだ。
「左近をここに」
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