第16回 信貴山城攻め

 六月。

 いまだ多聞城との睨み合いはつづいているが、順慶たちの姿は奈良の街から南西に五里ほど離れた信貴山城を見据えるところにあった。

 信貴山(しぎさん)城は河内(かわち)と大和の境にある松永方の多聞城と並ぶ拠点だ。

 去年の暮れより書状を交わし、ここを攻めることを決め、満を持しての出陣だ。

 やはり三好は久秀を恐れている。

 先の戦で不意を突かれたことがかなり衝撃的だったらしい。

 とはいえ、ここを落とせば久秀の逃げ場はなくなり、松永方への衝撃や首を絞めるという効果もある。仮に多聞城を落としたとしてもここに逃げこまれてしまえば厄介で、こちらを先に潰すことは戦略的には間違ってはいない。

 ただ、一つの山を丸ごと利用したような巨大な縄張りは一筋縄ではいかないということで一応、摂津より睨みをきかせているにとどめていたのだった。

 ここに集まったのは筒井勢二千、三好勢は四千。もちろん奈良での睨み合いは今もつづき、そこは重臣に固く守らせている。

「見るからに手強そうな城ですな」

 左近が感嘆の声を漏らす。

 山の頂から斜面にそうように郭が段々に設けられている。天に届かんばかりの櫓や川の流れや堀で固められたさまは責め手を威圧する。

「今ならば何とかなる。いや、今しかないというべきか」

 信貴山城にこもっている兵は多く見積もっても千五百ほどだ。

 主力が多聞城にこもっていることはもちろんではあるが、ここは久秀が自身で築いた城なだけあり、その時々の情勢に左右する国人ではなく、あくまでの己の兵に、とこだわった結果だ。

 三好勢の一部は松永勢の抑えとして河内方面に展開している。

「しかし」三好が兵をだしてくれるとはな」

「東大寺での一件で、殿に迷惑をかけた分をここで少しでもすすぎたいと思っておられるのかもしれませんな」

「まさか。そんなたまなものか」

 順慶はあやうく噴き出しそうになる。

「でしょうなあ」

 にっかりと左近が意地の悪そうな笑みを返してきた。

「義栄(よしひで)公が将軍となられ、いよいよ久秀を放ってはおけない、このまま睨み合いでは格好がつかないと思ったに違いありません。信貴山といえば堅城として名高いだけに落とせば、三好の名もあがる。もちろん我らも」

「名など。俺は一刻もはやく久秀の首が欲しい」

「はよう落として奈良へ帰りましょう。きっと朝菊が今ごろ、殿の帰りを首を長くして待っているはずですからな」

 意味ありげな視線を寄越してくる左近を無視して言う。

「ふん、言っていろ」

 信貴山の支城である西宮城、片岡城には抑えに兵をおき、信貴山城だけを目指して進軍する。

 筒井方は西宮城を回りこむ格好で山の東側より責め立てる。

 正面をうけもったのは三好方だ。

 とはいえ完全に包囲はせず、一方を空ける格好だ。千五百といえども松永の兵であればおいそれと明け渡す真似はしないだろうが、逃げ場があることを心の片隅にでも止めた兵たちの腰の芯がそれだけで締まりをなくすものだ。

 城下町を焼く煙が見えた。

 順慶は空を見る。

 空気は湿り、ぶ厚い雲がたれこめていた。

 まだ昼ごろだというのに夜のように暗い。吹きつける風は湿っぽい。

(ぐずぐずしてはいられないな)

 雨が降っては道が泥濘(ぬかる)み、城攻めが困難になる。

 下手(へた)に日数をかければ、久秀から執拗な催促を受けた国人たちが動かないとも限らない。

「殿、分かっておられると思いまするが」

 左近が厳しい表情をする。

「以前のような無茶はしない」

 順慶たちは山道をのぼる。坂はそれほど急ではない。一歩一歩地面をしっかりと踏みしめ、木に手をかけながら斜面を登る。

 林の中で身体を屈めながらの進軍だ。

 敵方は数が少ないとはいえできれば鉄砲を使わせる暇をあたえないほど近づきたい。

 湿っぽい土のにおいがたちのぼってくる。

 半刻ほど進むと、林の向こうに石垣が見えてくる。

 すぐにはかけよらず、少し休憩を挟んで息を整える。

 城壁から人らしきものは窺えず、しんと静まり返っている。

 その時、遠くで火縄銃が炸裂した轟音が下腹に響いた。

 風もないのに葉がかさかさと乾いた音をたてたかと思うと、顔に冷たいものが打ちつける。

 ぽつぽつと雨がふりはじめた。

 左近の差配でいくつもの梯子が兵たちの手によってじょじょに最前線の兵に渡っていく。

 その作業がすむのをじりじりとした思いで眺める。

 もし城壁から見張りの兵が顔をのぞかせたら。

 そう思うと、今すぐにでも声をはりあげたくなる。

 目を閉じる。

 雨の粒が大きくなった。

 葉を叩く音がさらにやかましくなる。

(まだか)

 焦る心と共に呼吸も早くなった。

 準備が済んだことで伝えられる。城壁にはやはり人影が見られない。

「かかれッ」

 順慶が目をかっと見開いて声をあげれば、合図の鉦が打たれた。

 それを合図に兵たちが鯨波をあげ、梯子を城壁にたてかける。

 雨が頭巾を濡らす。

 冷たい感触が頭皮に触れたが順慶の熱い視線は兵たちの後ろ姿、そして次々と梯子にとりつく姿を目蓋にやきつけようとせんばかりに見続ける。

 抵抗はなかった。

 他への防備に忙殺されているのか。

 順慶も梯子にとりつき、郭の一画にのぼった。

 しかしこれはまだまだ入り口だ。段々になっている郭は山頂までつづいている。

 垂れ落ちる雫を手でぬぐい、先を急ぐ。

 兵は郭を盾を押し出して進むと、固い音がした。

 矢が一本突き立っていた。それを期に次々と矢がふってきた。

「怯むな、進め進めェッ、敵は小勢ぞォッ」

 侍大将が声をはりあげ、兵たちが盾を前にじりじりと押し出す。

 矢の勢いは風に煽られているだけでなく、あきらかに威勢に欠けた。

 やはり三好、筒井に備えるために兵力を分散したのがこたえているのだ。

 それでも敵側も必死だ。

 一人でも多く打ち倒そうと抵抗は激しい。

 塀に張りつこうとすれば、槍をつきかけてきた。

 筒井勢はそれを数で押す。梯子を次々とたてかける。

 左近が喊声をあげ、兵を鼓舞する。

 一画が崩れれば、たちまち抵抗はやみ、郭に自軍が殺到する。

 ぶつかり、白兵戦をへれば、たちまち松永方の守兵は地に転がった。

 山の地形をうまく利用した堀切や、空堀にしばしば進軍が滞る。

 雨の勢いはさらに増し、視界を遮る。

 力攻めの犠牲は決して大きくないが筒井勢は進みつづける。

 かけあがるごとに初夏はともえぬ冷気がまとわりつき、鎧の下の筋肉が強張るのが分かった。

「立ち止まるな。敵は小勢ぞ。休ませずに攻めろっ」

 侍大将が叱咤する。

 順慶は振り返る。山の裾をみおろせる。

 たちのぼってきた靄にまぎれ、郭の一画から黒煙がのぼっていた。

 山頂に近づいてきたころ、それまであった抵抗の気配が途絶えた。

 筒井勢は喊声をあげて本丸になだれこむ。

 敵の姿はなかった。

 どこぞの退路をたどって逃げていったのだろう。

 空が近かった。雲が掴めてしまいそうだ。

 松永の旗が泥濘に落ちている。

 草鞋(ぞうり)に何度も踏みしめられた痕跡がいくつもあった。

「落としたぞ。敵勢は逃げたァッ」

 左近が声をはりあげた。

「殿、やりましたぞ」

「勝ち鬨をあげよ」

 肌が粟立つ。

 落とせぬ城とは思っていなかったが、これがまともに松永へ与えた痛打だという実感が、声をはりあげることで、昂奮して紅潮した兵の顔をみることで、胸の奥が熱くなる。

 久しぶりに全身を包む歓呼の声が兵ぜんたいに広がる。

 どこかで兵たちが笑っている。

 酔っ払っているような笑いだと思った。

 順慶の口元も自然とゆるんだ。

 落とした城を歩き回り、笑みを浮かべた僧形の自分を客観的に見る。

 順慶は大きく笑った。

 これまでになく爽快な気分だった。

 自分の城を取り返した時にもこんな気持ちにはならなかった。

 あの時は当たり前のことをただ当たり前にしたという感が、今覚えば強かった。

 でも今日は違う。松永の大きな拠点を落としたのだ。

 一矢報いることができたのだ。

 天を仰ぐ。

 雨が顔を打つ。温かかった。

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