第14回 仇
十一月に入ると三好方は体勢を立て直すことを名目に一端、摂津へ兵を下げた。
完全に撤退しわけでなく、淡路・阿波(あわ)衆が奈良の西部に陣を敷き、多聞城への抑えは忘れなかった。ただ筒井方に配慮してか、よくよく吟味して行動を決めることを申しつけられたらしい。しかし今さらすぎる配慮など順慶にはどうでもいいことだ。
筒井の城を奪還したのは三好が退いてからだ。三好が頼もしいと同時に重荷だった。
「三好の反応はいかがであった」
使番に馬上より順慶が問いかけた。
「いきなりのことに戸惑っている様子でございました」
助力を願ったわけではない。これより一矢報いるために出陣するということだけだった。
まだ市中に朝靄の残る時間帯。
「であろう。よし。出陣する。敵は松永ぞッ」
順慶の声に筒井軍は興福寺を出た。大半を引き連れての移動だ。
兵の一人一人に気が満ちていた。そこには静かな怒りがこもっている。しかしがむしゃらに立ち向かおうという荒みはない。
そこは順慶がとくと言い聞かせた。
目的は松永方の士気を挫くこと。このまま勢いにのらしてしまっては奈良そのものを奪われかねない。
松永方は大仏殿焼失以降、東大寺の外、春日大社の周辺に陣を敷いていた。
「かかれ」
堺との関係の深い松永方は鉄砲を多数所持している。その相手に挑むには奇襲しかない。
東大寺での仇をここでとる。
矢を放ち、ついで喊声を発して突入する。敵には油断があったが、街中だ。数の多さを恃むことはできない。ならばただただ相手方を押すしかない。
先鋒が錐のように鋭く松永方の陣へ斬りこんだ。篝火を蹴り倒し、兵の中を蹂躙する。
敵兵は面白いように乱れた。
「みな、我らもいくぞ」
「殿、なりませぬ」
馬廻りの制止を振り切り、順慶はみずからも雑兵の中にまざって駆けた。
朝霧を裂くように鋭く敵陣へつきこんだ。
馬上より刀を振り下ろし、体勢を立て直そうという敵兵を倒す。目を見開き、驚愕の色に塗りつぶされた相手の顔がしっかりとみえ、目もあった。
長槍をとる暇もない敵兵は刀で応戦する。
「殿、血気に逸ってはいけません」
左近が気づき、馬をのりつけてきた。
「大和武士の意気を見せるのだ。大将が出張らねばはじまらぬであろうッ」
「目的をお忘れか。すぐに退きますぞ」
「なにを言う。今は敵が崩れているのだぞ」
「すぐに立て直しますぞ」
その時、圧迫を覚えた。自分がではない。それまで優位に運んでいた空気に歪みがはしったのだった。
松明が尾を引いてちかづいてくる。ちらつく炎に照らされはためく旗は松永のもの。
街中に築かれた松永の出城からの援軍だ。
「早いな」
「挟み撃ちですぞ」
しかしこうなると数の多い筒井勢は進退窮まる。
鉄砲のやかましい音がつんざいた。敵方より鬨の声があがる。
さらに前方からの圧力が強まった。
くずれたった敵方が体勢を立て直し、足並みの乱れた先鋒にぶつかってきたのだ。
火縄銃の放たれた閃光が闇にちらつく。黒煙が風に棚引き、朝靄を汚した。
「左近様」
「馬鹿もの、大将を一人で駆けさせおって」
遅れてかけつけてきた馬廻りを叱りつけると、すぐ一人二人挟んだ向こう側では乱戦模様だというのに手早く味方をまとめあげる。
「我らが殿をつとめる。殿」
「す、すまぬ、左近」
「ほんとうにでござりまするぞッ」
左近はしかし言葉とは裏腹に白い歯を見せ、目を輝かせ、槍を振り回した。石突きで薙ぎ、穂先で突き倒す。
馬廻りが轡をとって方向を転換させる。
順慶は馬腹を蹴った。兵が逃げている。そのために馬は当然だが、速度を出せない。
瞬間、右の二の腕のあたりで火花が散った。
衝撃に、順慶は馬上で体勢を崩してしまう。
馬がいななき、竿立ちになる。
振り落とされまいと手綱を握ろうとして咄嗟に手指に力を入れるも、地面に叩きつけられた。空気のかたまりを吐き出す。馬は狂乱の態で街中を駆け去って行く。
「殿ッ」
馬廻りが周囲をかこむ。殿をつとめる左近が駆けてきた。
声が遠い。左近や馬廻りの顔が間近にあるというのに、見えない何かに包みこまれたように声がよく聞こえなかった。
「死ねェッ」
憎悪に顔を青白くさせた敵兵が斬りかかってきた。順慶は腰のものに手をやろうとしたが落馬の衝撃でとりおとしてしまったようだった。
「殿ッ」
馬廻りが身を呈して鍔迫り合い、相手を力で押す。相手が体勢を崩したところを蹴りとばす。
「今のうちでござりますぞ」
順慶は馬廻りたちに、抱き起こされる。
雑兵にまじり、興福寺の方面に駆けた。吐く息で目の前が霞むくらい駆けた。
背後を振り返る。筒井の旗と松永の旗が交錯していた。
順慶を追おうとする松永の兵の機先を制するように筒井の旗が回りこむ。
順慶たちが興福寺の本陣に戻ると、しばらくして殿をつとめた左近たちが戻ってくる。
手負いのものたちは興福寺の下人たちが手当にあたる。
順慶は落馬の痛みのために具足を脱がされ、横になった。
医師によれば打ち身のようだ。それで済んだだけで運が良いと言うべきか。
「殿」順慶が具足のまま入ってきた。
「左近、すまん……」
順期が身体を起こせば制せられる。
「どうせ謝るのであれば兵に向かって謝りくだされ。我ら将よりもその下のものが多く傷つき、死ぬのですぞ」
順慶は左近の目を正視できない。血が沸いた。頭では分かっていたはずなのにあと一押しで崩れる思うととめられなかった。浅はかだった。
「大将が前線にでるなどあってはなりません」
順慶はうなずいた。
「しかし、三好には助かりました」
「三好?」
「彼らが動いてくれました。おかげで兵を多く死なせずにすみました」
「そうか……。動いてくれたのか」
「彼らのなかにも痛撃を与えられたままでは腹の虫がおさまらなかったのでしょう」
「松永は?」
「春日大社の門前より離れ、奈良坂のほうまで退いたようにござりまする。所定の目的はとりあえずは果たしたと言えまする」
「そうか」
「殿もよくお休み下さいませ。寝ている暇などありませんぞ」
「なに、今も大したことは」
身体を起こそうとすると背中から腰にかけて鈍い痛みがはしり、噛みしめた歯の隙間から吐息が漏れた。
「無理はなさらぬことです。今は我々にお任せあれ」
左近は去って行く。外で宿直になにかを申しつける声がかすかに聞こえた。
順慶はしばし天井を見つめ、まぶたを下ろす。
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