第12回 朝菊

両陣営の奈良での睨み合いは決定打がないまま九月に入ってもつづいた。

 盛りが過ぎたとはいえ朝晩の残暑が辛い。季節は秋というだけで、蒸し蒸しした空気感と厭戦気分で心まで塞いでくる。

 兵力において優位なはずの筒井方ではあるが、主導権を握る三好がいやに慎重なこともその一因だ。

「どちらも攻めるに攻められぬ、といったところでしょうな」

 左近が井戸水にさらした布を渡してくる。

 順慶は左近を連れ、興福寺の境内を歩いていた。

 もはや建物の中にいることそのものが息苦しくなってきていた。日差しに曝され、熱を帯びた頭を撫でるようにぬぐった。きんとした冷たさが染みいってくるようでため息が漏れた。しかし清涼感は降り注ぐ直射日光によってたちまち蒸発してしまう。

 溜息がでた。

 六月に陣を興福寺内に移したのだった。いくつかの宿坊に陣を設け、簡易な城を築いた。

 先に松永方が設けた城と要領は一緒だ。

 もちろん奈良の市街地を戦場にするつもりは毛頭ない。動きがあれば即応できるように陣を東大寺に近づけたのだ。

 しかし結局、そんな動きも無駄になった。三好方が東大寺は戒壇院に陣をおいていた松永方の武将を寝返らせた。そこまではよかったのだが、戒壇院を焼かせたのだ。

 順慶がことの次第を知ったのは翌日のこと。

 東大寺より遣いが来訪し、順慶に三好方へ抗議をするよう言ってきたが、今となっては遅いというほかない。

 三好の布陣を東大寺が渋り、これをなんとか順慶が頼み込んだ末に許可がおりた、ということであれば三好方も多少の遠慮もするだろうし、気も遣っただろう。しかし東大寺があまりにもあっさり許可を出したばかりか是非にと陣を敷くことを願ったのだ。

 三好方は図に乗り、自分たちの領土とばかりに悠々と振る舞ったのだ。

 そもそもこんなことは最初から許すべきではなかったと今さら言っても意味のないこととは知りつつも思わずにはいられなかった。

 一応、三好に使者を向けたが久秀にとられては一大事と判断したと言われ、案の定、聞く耳をもたなかった。

 これにともない奈良の民からの怨嗟の声は筒井方にも向くようになった。

 三好を抑えられぬ腰抜け、寺にこもって出てこない臆病者と散々な言われよう。

 兵たちも住人たちからの罵倒や時には石を投げられることもあると言ってきた。

 反論できなかった。たしかに民の言う通りなのだ。

 なにもいえない。言っても通らない。

 筒井の存在は三好にくらべれば吹けば飛ぶようなものだと言わざるをえなかった。

「左近、このまま年越しか」

「久秀になにか策があれば、おそらく」

「面白い言い方だな」

 たしかに久秀の打ってくる手は奈良の街に限らなくなっていた。

 紀州の根来という武装集団を煽動させて和泉や大和の国の南部へ差し向けてきた。大和の国人の一部がそれに同調した。順慶は素早く動き、兵を動かした。

 さらにこちらの陣営についていた河内の飯盛山城主を寝返らせ、奈良の兵力を裂かせることに成功している。三好が兵を差し向けたが今もまだ落とせたという報告はきていない。

「策がなければどうなる」

「弾けましょう。策が破れれば、それは自分の首が絞まっていくのと同じ。いくら久秀とて人なのですから焦りもしましょう。それがどういう形で出るか……。それ次第ですな」

 と、東六坊大路のほうが騒がしい。見ると、兵たちが集まっている。

「殿はここでお待ちを」

 左近が駆けていく。左近が兵たちの間に入っていくと騒ぎは一端収まったようだ。

 順慶は好奇心を覚えて駆け寄った。

「殿」

 呆れたように左近が目をやる。

「筒井の殿様に会わせてくださいっ」

 兵たちの腕によって遮られながら顔をだしたのは女だ。

「おい、女、騒ぐなと言っているだろう」

 身を乗り出そうとする女を、兵卒がおさえこもうとする。

「やめよ。殿の御前ぞ」

 左近が兵卒を下がらせた。

 麻の着物に袖を通した女が出てきた。まだ十代の半ばを過ぎたあたりか、表情にあどけなさをみることができるが、着物から見える白い腕や足は妙に艶っぽく、胸のふくらみもしっかりしている。

「あなたは……?」

 少女は訝しそうに見る。

「私が筒井順慶だが、そのほうは」

「あ、朝菊と申します」

 慌てたように頭を下げた。

「私になにか言いたいことがあるのか」

「戦はいつ終わりますか」

「……分からぬ」

 そんなことしか言えぬ自分が情けなかった。しかしそれしか言えないのだ。

「みんな不安がっています」

「分かっている。我らも力を尽くしているのだ」

 本当にそうかと口の中に苦みが広がる。

「私には弟がいます。母も。みんな、早く戦が終わって欲しいと、筒井の殿様が松永の兵を追い出してくれるって信じて、東大寺さんのほうにも毎日祈っております。今は、変な人たちがいてあんまり近づけないけど……」

 朝菊の声に熱がこもると左近や兵たちも恥じ入るように俯いた。

 朝菊の気持ちは真摯でまっすぐだ。

「その祈りは決して無駄にはせぬ。松永は我々が大和より追い出す」

「本当ですかっ」

 朝菊の顔が輝くような笑顔につつまれた。つられて順慶も頬がゆるむ。

「約束しよう」

「やっぱり筒井の殿様は強い人なんですね。周りの人はあんまりよく言わないけど……」

 それから失言に気づいたのか、はっとして口を手で押さえた。

 順慶は女のわかりやすい反応に苦笑した。

「別に隠すことはない。周りがなんと言っているのかは痛いほど知っている」

 朝菊は頭を下げると、去って行った。

「左近、今の言葉、安請け合いと怒るか」

 左近は白い歯を見せる。

「まさか。我らはそのために来たのですぞ。当たり前のことを口にしたまでです」

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