第10回 もどかしさ
再び事態が動く。
三好の三人の東大寺への動きに合わせ、松永方が東大寺の転害門・戒壇院へ布陣したというのだ。
転害門・戒壇院は東大寺敷地内にあって、二月堂・念仏堂とは大仏殿を挟んで反対側に位置している。
結局は危惧したとおりになってしまった。
翌日、薄曇りの中、肌寒さの中で一日がはじまる。
しばらくして西方寺方面に軍勢が出現した旨が入った。
順慶は兵に警戒を促す一方で、三好の本陣へ報を入れた。
「それならば、我らの与力である。気にすることはない」
返答はそれのみであった。
「なにも聞いていないぞ」
順慶は歯ぎしりしてしまう。
おそれるのは筒井が埋没することではない。自分たち大和の住人を無視して三好や松永という他国の人間に奈良の街を好き勝手に蹂躙されることだ。
(こんな時だからこそ冷静にならなくては)
順慶は弱気をおいだすようにかぶりを振った。か弱き民を守ることこそ筒井の当主の役目。それこそ父が目指したことだ。
「左近、松永の隙を逃すなよ。一日も早く連中を駆逐するのだ。でなければ、大和の国人の名折れだぞ」
順慶は三好の本陣に使者を送る。
くれぐれも東大寺内でのぶつかりあいだけは自重して欲しいと確認のためだ。承知したという形ばかりの返答があるばかりだった。
しばらくして三好の動きを見張らせていた使者から三好方の前線における移動が伝わってきた。
東大寺に一部の兵を残し、多聞城の東を窺う位置に陣取り、天満山を本陣にしていた長逸は西方寺方面の部隊と合流、油坂に陣を置いたようだった。
兵力の多さを利用した包囲を三好は着々と築きつつある。
対する松永方は劣勢である今、無理に同じように兵を展開させれば層が薄まり、攻められればたちまち突破されるだろう。
しかしそうかといって陣をまとめようと東大寺から退けば、さらに押しこまれる危険性がある。
しかしその一方で三好の用兵にも、大言壮語とは裏腹な慎重さが見え隠れしていた。
押しこもうとすれば押し込めるだろう。
まさか市街地での戦闘を回避してほしいという順慶の言葉があるからなどとは思えない。
なのにここまでしっかりと包囲を完成させようとするのは、
(三好め、そうとう、久秀を恐れているな)
そう判断するほかなかった。
あのけだものの三人にここまでさせるという久秀という存在が不気味だった。
「大変にござりますっ!」
兵が駆けこんできたのは三好方が包囲網を敷くために動いてから二日後。
昨日、多聞城を東より攻めたという知らせが入り、湧いていた矢先のことだ。
薄い雲の棚引く夜空を舐めるよう東側の空が不自然な赤さを帯びていた。
「詳しいことは未だ分かりませぬが」
「分からぬではない。さっさと調べよッ」
順慶は引かせた馬に飛び乗った。
「すぐ出陣する」
今にも馬廻りを引き連れ飛びださんばかりに檄を飛ばす順慶のもとに、左近が立ちはだからんばかりに両手を広げた。
馬が嘶き、前足をもちあげかける。
左近は轡にとびつき、必死に馬を制止する。順慶は鞍の上で四つん這いになった。
「左近、なにを。久秀が攻めてきたのだ!」
昨日のぶつかりあいで相当に追い詰められたのだろう。久秀は遮二無二とびかかってきたに違いない。
「今は探らせておりまする。落ち着かれよッ」
「そのように悠長なことを」
「殿!」
左近の目に鋭い光が閃いた。頭の中を覆い尽くしていた激情の熱にふっと冷気がすべりこむ。順慶は唇を引き結んだ。
詳細が分かったのはそれより一刻ほど経ってから。
般若寺・文殊堂などが松永方の手によって焼かれたらしい。
「周辺の被害は」
「分かりませぬ。火元周辺には東大寺の松永方の陣も近く」
「左近、我らだけでも東大寺の松永方を討てぬか」
「殿、我らは南の抑えにござりまする」
順慶は左近の正論を鼻で笑う。
「抑え? 置き場がないものをそれなりの理由をつけて遠ざけようとしているだけではないか」
「たとえそうであったとしても我らもまた包囲の一部であることに変わりはありませぬ。今、足並みを乱せばそれこそ久秀の思う壺」
「陣も動かせぬか。
三好は我らに何一つ伝えぬまま陣を好きなように動かしているではないか」
順慶は感情の水面にぷつぷつと泡ができるのを感じた。
抑えなければという気持ちはあるが、寺院を焼かれたことへの憤りは心を滾らせる。
「こんなところでは前線の様子がわかりにくい。いちいち人をやって調べさせてはもしもの時、すぐに動けぬではないか」
「であれば、他に適当な場所を検討いたします」
「早くしろっ」
左近が陣を出て行くと、順慶は目を閉じ、唇を噛みしめた。
(落ち着け。左近に当たるなど筋違いも甚だしいではないか。戦は冷静さを失ったほうが負けなのだ。久秀はこちらの心理に揺さぶりをかけているのだ)
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