第9回 布陣
筒井方は三好方の進軍と足並みを揃える形で奈良の街へ入ると、筒井方は大乗院山へ、三好方は天満山へ。
山といっても大きさだけでいえば丘といったほうがしっくりくる。
夕闇が忍び寄ってくる。古都の街並みは闇の中に輪郭をじょじょにとかしていく。
人のしわぶき、馬の嘶きが響く。
人がすぐそばで暮らしている。そのさなかでの布陣だ。
夜襲を警戒し、篝火(かがりび)を赤々と焚いた。
松永方の動きは探らせているが未だ判明しない。
久秀も腕のいい忍びを飼っていることはその生死すら探らせず、数ヶ月間も雲隠れしつづけたことからも明らかだ。ただ本拠地多聞城から奈良の街までは目と鼻の距離だ。
動こうと思えばすぐに城を打って出、市街戦を展開できるはずだ。
三好から使いがやってきた。
用件を聞くと、さすがの順慶も目を瞠らざるをえなかった。
三好は多聞城との距離を詰めるため部隊の一部を東大寺へもっていきたいというのだ。ついては東大寺と交渉してもらいたい、という依頼という形をとった命令だ。
それもさきほどあの場で伝えてこなかったことを思えば順慶の制止は受け入れず、なにがなんでも東大寺に布陣する気なのだろう。
「三好の本陣へ参るッ」
順慶は馬にのる。
考えられなかった。
市街戦が起きた場合戦火の巻き添えになることを心配していたが、まさか三好がそこまでの行動にでるとは予想だにしなかった。
古刹に陣を敷けば、そこはもはや否応なく戦火に巻きこまれるだろう。
久秀としてもこの戦に負けるわけにはいかないはずだ。となれば、陣を焼き打つのになんのためらいがあるだろうか。
順慶の頭にあったのは源平の争乱期におきた、平重衡(たいらのしげひら)による東大寺・興福寺の焼き打ちだ。
特に東大寺は大仏殿が焼かれるという未曾有の大損害をこうむった。
今またその危機に直面しているのだ。それだけは絶対にあってはいけない。
「お一人では危のうございます」
「ならば、ついてこい!」
左近や馬廻り(うままわり)を引きずるような格好で、三好の本陣へ駆けこむ。
順慶の顔を見るなり、あきらかにうんざりという表情の政康と目が合った。
長逸は世間話に来たのを迎えでもしたかのように笑いかけてくる。
「岩成殿は」
「友通は陣をうつすための準備にとりかかっている」
「そのことでございますが」
「順慶、なんなんのだ、お前は。久秀を討つ我らの邪魔をしたいのか」
政康が眉間に皺を刻んで反駁した。
「邪魔など。敵の動きが定かではない今、不用意に動けば、敵に隙をみせるようなもの。いくら数が多いとはいえ、久秀はなにを考えているのかわかりませぬ」
「定かならぬからこそ我らが動くことで久秀めを逆に誘導することができる」
嗄れ声と共に長逸は胡乱(うろん)な光を双眸にみせた。
本性を見せたと、順慶は目を細める。
けものの目。長逸のみせたものは欲にまみれたけものの目だ。
「なれば、久秀に東大寺を占領された場合はなんとする。寺を傷つけるためにはいかぬから手は出せぬ、と言う気か」
「そんなことは……」
長逸の言葉に順慶は口ごもる。
「久秀のことは我らのほうが知っている。狡猾さ、残忍さ、計算高さ。取られる前に取るべきであろう。取られてからでは遅い」
長逸の言葉の白々しさが伝わってくるが、それを覆せるだけの材料がない。
順慶は折れるしかなかった。
「東大寺の件、頼みましたぞ」
「一応、話はしてみましょう」
「いや、是非にも説得して欲しい。平家の時のようになるのを防がねばならぬ」
順慶は陣を出るや騎乗する。
順慶が声を荒げたこともあって、外で控えていた左近にも話の内容は聞こえたらしかった。
道中、無言で従ってきた。
出向いたのは東大寺ではなく興福寺だ。
興福寺に東大寺との仲介を頼んだのだ。
すると一刻と待たずして、東大寺より三好方を受け入れる旨の報が入った。
「あっさりとしたものですな。兵の布陣をこうも簡単に許すとは」
左近もさすがに動きの速さに驚きを隠せない様子。
「松永を除くことと天秤(てんびん)にかけたのだろう。それに、松永に占領されるよりはいくらかまし、だともな」
「そうでしょうかな」
「俺はどっちもどっちと思わないでもないがな。
左近、興福寺の僧を通して東大寺のほうに礼と、三好の者の動きについて気にかかることなどがあれば伝えるよう使者を送れ。
できるかぎり三好殿と交渉しよう、とな」
順慶は三好の本陣へ許可がおりた旨の使者を送り、自身は本陣へ戻る。
筒井の本陣のある場所からは東大寺のほうを窺うことはできないのが余計、胸のうちの不安を大きくする。
間もなく東大寺から連絡を受けた興福寺の者より使者がくる。
三好方は東大寺の境内の東に位置する二月堂・念仏堂方面に陣を敷いたようだ。
(久秀討伐だけに集中したいものを)
順慶は重い気持ちで本陣で座する。
本心では順慶も東大寺を窺えるところに本陣を敷きたかった。
しかし筒井に課せられているのはこうして奈良の南で警戒し、多聞城との連携を図ろうとする敵勢の押さえだ。
東大寺に本陣を置くことに対しては筒井家の家臣たちも不安がっていることは手にとるように分かる。
(筒井の当主たるべき俺ができることが番犬代わりがせいぜいとは……情けない……っ)
東大寺が頑強にはねつければまだどうにかなるかもしれなかったが、久秀に寺領を横領される立場としてはこの機会になにがなんでも討ってもらいたいという気持ちが強かったのだろう。
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