第6回 民

 順慶は数名の警護と共に領内を巡回する。

 筒井郷(つついごう)の夏は蒸す。

 まだ本格的な夏の訪れまでは一月ほど間があるが、顔に受ける風は少しの厚みと熱気を孕みはじめている。

 空を見ると、雲が低い。雲が大地に大きな影を落とす。

 風が吹き抜けると青々とした田んぼが静かに波うった。

「今年もこのままいけば豊作のようでございますな」供回りの一人が言った。

「火をつけられなかったのは良かった」

 大和平野は米をはじめとして麦や大豆、粟などが豊かに実った。

 だからこそ周辺の勢力が執拗に食指を伸ばす。

 農作業にうちこんでいる民の一人が藤政に気づき、手を合わせる。

 それに気づいた他の民も仕事の手をとめ、手を合わせる。

 最初のうちは手をとめる必要はないと言っていたが、そのときは従ってもまた次に見回ればまた同じように手を合わせた。

 藤政はそのうちになにも言わず、その様子を馬上から眺めるにとどめる。

 

 なぜ手を合わせるのか、領主であればこうべを垂れるだけで構わないだろうと家臣に尋ねてみたことがあった。

「僧侶を前にすれば自然とこうべが下がり、手を合わせるものでございます。民草(たみくさ)にとって筒井の御当主はそういう存在なのでござります」

 そんな答えが返ってきた。

 

 たしかに興福寺と篤い仏縁で結ばれている筒井家をそういう風に見ることができるかもしれないが、完全にうなずけなかった。

 今もそれについて納得はできかねたが、ただそういうものであると割り切って考えないようにしていた。

 

 

 しばらく進むと、道端に寄った子どもが大人に倣ったように藤政を拝んでいるのに気づいた。五歳か、六歳だろう。

 拝んでいるというより大人の真似をしているだけにしか見えない。

「名は?」

 藤政は馬を止めた。

 子どもは最初話しかけられていることに気づいていないようで、何度めかの呼びかけでようやく顔をあげた。きょとんとしている。

 藤政は馬を下りた。子どもは黒目がちな目で藤政を見上げている。

「名前だ。言えるか」

「とうじ!」

 子どもは元気よく答えた。

「そうか。私がだれだか分かるか」

「筒井様だろ!」

「そうだ。ではとうじ、なぜ手を合わせているのだ」

「おっかあが筒井様には手をあわせろというから」

 素直な言葉に供回りから笑いが起き、藤政も片頬を持ち上げた。

「そうか。ではお前のおっかあはどうして手をあわせろと言ったのだ」

「筒井様が仏様が遣わされたから。おらたちはだから生活ができる」

「私は人間だ。仏に使わされたわけではないぞ?」

 そう冗談めかして答えると、子どもはにっかりと笑う。

「知ってるぜ! おらもそういったもん。でも、おっかあは、それでも神様が遣わせてくれたんだって。こんな時代に、おらたちみたいな弱い人間を守ってくれる人は神様くらいなもんだって!」

「そうか」

「みんなそう言ってるし、それに悪いやつだってやっつけてくれたんだろう!」

「そうだ。私は松永久秀という大悪人を追い払った。とうじ、おっかあの言うことをよく聞くのだぞ。お前たちのことは私が守ろう」

「はいっ」

 頭を撫でると、とうじははっきりと返事をする。

 

 藤政は騎乗すると、走らせた。

(俺は少し、考えて過ぎていたのかもしれないな……)

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