第5回 己の道
物心がつく前から釈迦如来(しゃかいにょらい)に祈ることを教えられた。
言われるがまま、年長の家臣たちを従え、祈った。
筒井家は大和の古刹(こさつ)、興福寺(こうふくじ)と篤(あつ)い仏縁で結ばれている。
興福寺の擁(よう)する僧兵の棟梁(とうりょう)、それが筒井家のはじまりであり、大和の象徴に仕える筒井はまさに守護者たらんことを忘れるなとことあるごとに教えられて育った。
民にとって信仰は死とものの焼けるにおいの漂う荒んだ世にあって支えである。
では自分にとってはなんなのだろう、と藤政はしばしば考える。
ほぼ毎日、かかさず手を合わせている。
信仰心という漠然としたものはある。一方で戦にはでている。
藤政が槍や刀をふりかざして戦ったことはなかったが、それでも自分の言葉で家臣が動き、戦の準備がはじまる。
この国にはさまざまな信仰があるが、いたずらな殺生(せっしょう)を禁じないものはない。
家臣が藤政の命で動いている以上、自分が斬ったも同じことだ。
それを悔いたことはない。
民を守るためという気持ちが藤政の中にはしっかりとある。
討たねば討たれる。だから討つ。
これは信仰と矛盾しないのか。
信仰心があるとほんとうに言えるのか。
考えても明確な答えはでない。
この悩みを左近に話したことはない。
左近がどう自分の中で折り合いをつけているのか知ることに意味はないし、他の者も同じ、そんな気がした。矛盾を抱きながら藤政は祈りつづける。ずっとそれを続けてきた。
「殿」
廊下から左近の声が聞こえると、藤政は目をひらき、合わせていた手をほどく。
藤政は筒井城内にある私室にいた。
「入れ」
城内は一度は敵方に奪われたことなどなかったようにどれも最後に見たのと変わりがなかった。
「久秀の行方が知れませぬ」
左近は部屋に入るなり言った。
大和に乱入した三好の虚を突く形で河内へ出陣した久秀は再びことを構えた。
しかし勝敗は明確には出ず、堺の商人を通して和睦を結んだのだ。
それでも戦況的には久秀劣勢の戦いではあったらしい。そしてそれ以降、消息は不明である。
「いかがいたします」
「今、俺たちの力で大和の松永めの勢力をたいらげられるか」
「無理でしょう」
「ずいぶんとはっきり言うな」
思わず苦笑が浮かぶ。
「劣勢になれば弱くなる兵であれば、ここまで三好と競(せ)りあうことはできますまい。
それに、行方が知れぬのはこちらだけで、向こうとは連絡をとりあっているかもしれませぬ」
「……そうか」
藤政は思わず口元を弛めてしまう。
自分の力の弱さを笑ったのではなく、祈りの余韻覚めやらぬ中、平然と自分が久秀を殺せるか否かを考えていることがおかしくなったのだ。
「しかし久秀の策が破れた今、すぐに動けはしないだろう。この城を囮にしている間に多聞城の守りは確実に薄くなってしまったわけだからな」
「ですな。松永方に傾いていた国人衆もこちらへ帰参(きさん)したいと動いていますからな」
「もう一押しか」
「それがひどく難しいのでございますが」
「左近、馬鹿なことを言うな。そんなことは分かっている。父上が手を焼いた男なのだ。しかし少なくともお前の口からそんなことは聞きたくないぞ」
藤政は鼻白(はなじろ)んだ。
「無理とは言いません。ただ時が必要ということでござりまする」
順慶は動こうとしない左近に目をやる。
「まだなにかあるのか」
一向に立ち上がる気配のない左近を訝(いぶか)しげに見た。
「殿。家老の方々から言われていると思いますが」
いつにない以て回ったような言い方になにを言いたいか察知した藤政は顔をしかめた。
「得度(とくご)のことにござりまする」
「……お前までそれを言うか」
思わず視線を泳がせてしまう。
筒井家の当主は皆、僧形(そうぎょう)である。
僧形でありながら鎧をまとい戦をする。
それが興福寺の僧兵の棟梁。
筒井家の当主としては避けては通れぬ道である。
しかし藤政には迷いがある。
信仰と己のなしていることへの矛盾ばかりが原因でなく、今の自分にそうなるにふさわしいものがあるのかということだった。
頭に浮かぶのは父、順昭(じゅんしょう)のこと。
父は大和に食指(しょくし)を伸ばした勢力や、国人たちと熾烈な争いを繰り広げ、大和に筒井ありと言わしめるほどの勢力へと躍進させた。
得度することはその父の事跡(じせき)を継ぐことを内外へ知らしめることだ。
自分にそれほどの力量があるのか、なにをなしたのか。
奪われたものをとりかえしただけに過ぎず、大和一円は未だ騒いだままである。
であるのに得度などと一人前扱いされるのかという思いがある。
「もうよい。下がれ」
藤政は蠅を散らすように手を払うが、左近ががんとして動かないどころか身を乗り出してきた。
「これは筒井家の当主として必要なことにございまする」
左近はしつこく食い下がる。
「左近、お前は戦のことだけを考えていればよい。そういうことは他の者たちから耳にたこができるほど聞かされている」
「その戦に必要なことでございまする。筒井家の当主がいつまでも得度せぬのは家臣の士気ばかりでなく、民人(たみびと)たちもも戸惑わせまする」
「形がそんなに大切か」
大切なのだ、だから自分はこんなにも、思い、悩んでいるのだと自答してしまう。
「人には目に映るものが大切でござる。
だからこそ、寺には仏をかたどった像がございまする。
肉体を持つ者にとって、見えぬものを見ることほど難しいことはございません。 心、魂……などと言ったところで、形なきものを信じ切れるものは一握り。だからこそ人々は祈るのです。
殿は筒井の当主であり、民にとっては大和の守護者の裔(すえ)なのでござりまする。殿が得度されることは、戦に勝つことよりも大切なのでございまする。
興福寺の衆徒に守られている、だからこそ大和の人々は安堵できるのでござりまする。昔からそうであったように。
終わりの見えない戦の世だからこそそういう形がより重みを持つのでござる」
「俺は、仏像のようにただそこにあれば良いと申すか」
「東大寺の盧舎那仏(るしゃなぶつ)はただそこにあるだけで、民の光になりえます。殿には、どうか民を安心させていただきたいのでございます」
「……下がれ」
藤政は背を向ける。
納得したとわけではないだろうが左近はそれ以上つっこむことはせず、大人しく退室した。
(神仏たりえない俺が、光になりえるか? この無力な、俺ごときに……っ)
釈迦如来を見るが、答えは返ってこない。
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