第4回 奪還

「おのれ、三好、臆したかッ」

 筒井の本陣で藤政は吐き捨てた。


 その視線の先には筒井城がある。

 集落をうちに抱える格好の城郭は南北およそ四町、東西およそ五町あまりの縄張りをもち、筒井家の勢威の象徴だ。

 そこに今は松永方の旗がこれみよがしに翻(ひるが)えり、今は城内より飯炊きの湯気が盛んに、いくつも伸びている。


「殿、あまり気負われますな」

 筒井の先陣を務める左近は今、本陣にいた。


「もう気負ってはいない。ここ一月あまりのうちにとっくに俺は冷静、いや、冷めたといったほうがいい」

 床机に座りながら足を組んだ藤政は唇を尖らせた。


「確かに」

 左近は筒井家の武を担う者であるが、少なくともこうして本陣にいる間は普段との違いを見つけられない。

 ただ、どっしりとした存在感はある。

 

 美濃庄城を落城させた三好の三人は宣言どおり、多聞城を裸にするため動いた。

 小さな砦を無視し、向かったのが筒井城だ。

 美濃庄よりさらに南へ下がった場所にあるそこはその規模の大きな縄張り故に多くの兵を籠もらせるに十分だ。

 ここを封じなければ挟撃を受けかねない。

 勝手知ったる居城である。

 筒井に先陣が任されるのは分かっていた。

 しかし問題はそこからだ。

 後方に構える三好の圧力が弱い上に、三好方から深入りはするなという使いが来る始末。

 たしかに筒井城の周辺は低湿地であり、大軍で包囲した場合、兵の動きに制限が出てしまう。

 多聞城から久秀が打ってでてきた場合、挟み撃ちにされかねないと。

 しかし藤政もその程度のことは承知している。

 先の美濃庄城を事実上、久秀が見捨てる格好になったことで同心する味方が駆けつけ、筒井勢は三千に数を増やしている。

 挟撃されることを恐れるだけでなく、むしろ城に籠もりきっている久秀を引きずり出す積極的な姿勢が必要なのではないか。

 救援のために駆けつけてきた久秀と雌雄を決する絶好の機会ではないのか。

 このように小競り合いばかりで長く対峙していては厭戦感(えんせんかん)が蔓延するばかりか、久秀討伐の勢いも失われてしまう。

 三好の三人はなんだかんと理由をつけながら、久秀という存在を強く意識しているのだ。


「殿、敵の動きが気になります」

 島左近は先陣にあり、実際に敵の動きを間近に見ている。

「本気で当たっている様子がござりませぬ」

「それこそ久秀との挟撃を狙い、張りつかせようとしているのだろう」

「それにしては当たりが弱すぎるのです。挟撃を警戒しているこちらを引きこむにはそれ相応の圧力を用いるべきなのですが、当たればたちまちばらけるほどの弱さなのです」

「運ばれた兵粮はかなりのものであったな」

 兵粮の動きには絶えず気を配っていた。

 藤政は左近を見る。左近は視線を返す。

 同じ事を考えているが分かった。

「確証はありませぬが、そう考えるのが自然かもしれませぬ」

 左近の表情は固い。

 もし考えていることがその通りであれば久秀にまた一杯食わされたことになる。

「しかしそのことを告げたとしても三好は小倅(こせがれ)の戯れ言だと笑い、動かないだろう」

 その時、三好からの使いが駆けこんできた。

 藤政は唇を噛んだ。

「主よりの知らせでございまする。三好の当主より至急、帰還せよとの命が届き、やむなく陣を払う、とのこと」

「御当主からの直々の命ならば藤政はなにも言えませぬ。どうぞ、背後はこの筒井にお任せあれとそうお申し付けくださいませ」

「されば」

「あと一つ。三好殿に旗をいくつか貸してはもらえぬだろうか。未だ三好が大和を見捨ててはおらぬことを領民たちに知らしめたいのだ」

「主にお伝えいたします」

「お願いいたす」

 使いが駆け去るのを見届け、藤政は「やられたようだな」と呟く。

「おそらく」

 久秀が河内へ現れたのだろう。

「確認のため使いを放ちます」

 藤政は頷き、采配を握る手を白くさせた。

「我が城を囮につかうとは許せんが、俺たちにとっては願ってもない好機。久秀が大和へ戻ってこない間に城を取り戻す」

 左近は硬い表情で本城を振り返る。

 力攻めは避ける。

 城兵は久秀より敵を釘付けにするよう言われ、全滅を覚悟しているはず。

 死にものぐるいの兵と正面からぶつかれば深手は避けられない。

 さらに三好軍が引き上げたことで主君の策がなったことを知った今、士気は最高潮にあるだろう。

 藤政は信頼する侍大将の部隊をいくつかの集団に分け、城の周囲にはりつかせ相手方を撹乱する。

 こちらは勝手知ったる城だ。

 敵はどこかに自分たちの知らぬ抜け穴があるのではないかと神経をとがらせ、兵を四方へ割かねばならない。

 さらに各隊には使いを走らせて細かく連絡をとらせ、昼夜の別なく攻めるそぶりをみせた。

 徐々に士気を削る、持久戦の構えをとる。

 最初の十日ほどこちらの攻めに対して果敢に応対していたが、やがてそれもどこか緩みはじめた。

 勢いに陰りが出はじめているのは明らかだ。

 死にものぐるいになれたのも久秀の奇策を成功させんがため。

 そして策はなった。

 あとは久秀が三好の主力を平らげ、返す刀で救援に駆けつけてくるのを待つばかりだったのだろう。

 それが思い描いた通りにいっていない空気が城内に漂いはじめたに違いなかった。


「左近、河内の戦況は」

「未だ明らかではござりませぬ」

「うむ……」

 敵方の乱れを感じながらも、藤政もまたじりじりした思いに駆り立てられていた。

 気持ちの上では敵方とそう変わらない。

 いつ久秀の主力が駆け戻ってくるのか。

 そうなればせっかくの好機を逃すばかりか挟撃を受け、敗北は必須。

 そうかといって力攻めをとるには兵が少ない。

 総攻めして城を奪還したところで、河内より戻ってきた久秀の軍に包囲されればまたも城を逐われるだけだ。

 家臣の中からも犠牲を払ってでも押すべしという意見があがりつつあった。

 それを左近が必死に押しとどめる。

「今、ことを急けば敵方は主君有利と考え、抵抗は頑強になるであろう。無駄に敵の士気をあげ、こちらの損害を増やすような真似はするべきでないっ」

「みな、今が踏ん張りどころだ」

 筒井方にも厭戦感が広まりつつあることを藤政は肌身に感じていた。

 

 さらに数日を過ごした頃、河内から戦況が膠着しているらしい報告が届く。

 主立った家臣たちを本陣に集めていた軍議の場に入る。

 河内の三好と松永は双方共に何度かの激しい衝突の末ににらみ合ったままだという。

 おそらく次、ぶつかった時に勝敗をつける気なのだろう。いや、大和にまで知らせが届く時間差を考えれば、もう決着はついていてもおかしくはない。

「今をおいて他にない。明日、夜明けを待って総攻めといたす」

「しかしながら」

 下座の中から声が上がった。

「なんだ」

「相手は士気が低いとはいえ、筒井城は堅固でございます。我らの手勢だけでは……」

「だから、これをつかう」

 順慶が左近に目配せをすると、左近は三好より借り受けた軍旗を掲げた。

「こちらの旗を周辺の住民たちに掲げさせ、三好方が戻ってきたように偽装いたします」

「おお! それならば、筒井城方は久秀が敗れたと思うかもしれんのう!」

「皆、それでも決して油断はするまいぞ。筒井党の手で城を勝ち取るのだっ!」

 順慶の声に、家臣たちは声をあわせ、「応ッ」と叫んだ。


 翌朝。

 藤政は家臣に命じて近郊の住民たちを動員させ、本陣の後方に置く。住民たちは三好の旗をかかげ、喊声をあげる。

 夜明けと共に筒井軍は鬨の声をあげた。

「者ども。大和に筒井衆ありということを松永の侍どもに教えてやるのだッ」

 左近は雄叫びをあげれば、それに答えて軍勢がうねり、城門に殺到する。

 まるで大きな川の流れのように突き進んだ兵士たちに矢が射かけられるが、波を堰き止めるにはあまりに頼りなく見えた。

 使番から報告がくる。城内からの抵抗は弱いらしい。

 そして何度目かの報告を受け取ってしばらくして、

「やったか」

 藤政は城内からあがる勝ち鬨の大音声にたまらず本陣を飛び出し、今も大きな声をあげ住民たちを見やった。

 住民たちもまた戦の勝利を察知したように歓喜の声をあげている。

「やったのか」

 藤政はもう一度、声に出して言う。

 太陽は中天にさしかかろうとしていた。

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