第2回 書状

板の間はよく磨かれ、塵一つ落ちていない。

 筒井藤政はそこにでんと大の字になって寝転がっている。

 灯台に照らし出され、壁に映りこんだ影が大きく揺らぐ。

 部屋で目にとまるのは文机と、火の入っていない火鉢。

 鳥肌が立つどころか、骨身に染みるほどの冷気だが、目を閉じたまま身動ぎ一つしない。

 昨夜のことが思い出される。運び込まれようとする兵粮(ひょうろう)を焼いた。敵方が運び込もうとした兵粮があれきりのはずはない。いくつもの道によって運びこまれているはずだ。

 なのに兵たちは勝ち鬨をあげた。

 藤政はここでこうして安穏と、戦いとも呼べぬ小競り合いしかできていないことが情けなかった。

 

 こんな気持ちになるのであれば筒井城で死んでいれば良かった。

 藤政は本気でそう思っていた。

 

 松永久秀(まつなが ひさひで)。


 自分を逐(お)った者の名前が思い出される。昨日襲ったのは松永方の兵粮だ。相手方に名だたる将はなく、ただ雑兵を討ったに過ぎない。あれで勝ち鬨をあげてしまうことが、今の自分の状況だと思うと情けなくて消えてしまいたくなる。


「殿」

 

 嶋左近(しま さこん)が顔を出す。


 丸顔の、目のくりくりとした男だ。

 全体を見れば、決して警戒心を抱かせるようなものがあるわけではなく、愛嬌のある顔立ちをしているが、その目の光の強さが大きくなれば、誰もが目をそらしてしまう迫力がある。


「火鉢をお使いください。身体に障ります」

 

 藤政は両手を握ったり、開いたりする。冷えた身体は強ばり、感覚が鈍くなっている。


「近ごろ朝の勤めの場にも現れず、皆、心配しております」

 そこでようやく藤政は身体を起こした。

「身体が冷たい」

「では」

 火鉢をずいっと進められる。

「そうではないんだ。これほどまでに冷え切っているというのに心は少しも冷えない。激しく滾り続けている」

 藤政はしゃべるごとに、その激しい熱が激流のように全身を巡るのを感じた。

「今の俺ではとても御仏の前には出られない。どれほど無心を装ってみても、心は己の不甲斐なさと、安穏と祈りに耽っていられることへの嫌悪に燃えてしまう」

「そうかといってご自分の身体に鞭打つことに意味はありません。昨日の今日です。もっと明るく振る舞うべきです。そのように暗い顔をしていては士気が下がります」

「昨夜のことはそこまでのことか」

「たとえ一時のもの、微々たる戦果だとしても、それで勢いを保てるならば殿もご自分の心を殺して皆と共に喜びを分かつべきです」

「こんな大切な時に。本気で言ってるのか」

 藤政の父、順昭(じゅんしょう)の代から仕えている左近は家中でも随一の戦上手。そんな男からでた言葉とは信じたくなかった。

「大切な時だからこそ。我らに今必要なのは心が倦まぬことなのですから」

 左近は窘めるように言った。

 

 左近は十七歳の藤政よりも一回りほど年長の二十六歳。しかしその口調はたった一回りしか違わないとは思えないほど落ち着いたものだ。

 左近の言葉は冷静に藤政の懊悩すら自己満足であると断じる。


「我ら筒井党は土地を切り取られ、城を奪われつづけております。

 各地に散らばる心ある者も日々、戦火にさらされつづけております。

 それでもやりぬく覚悟が持てるのは殿がいるからに他なりませぬ。

 であるのにもかかわらず、殿がそのようにご自分をただ痛めつけることを繰り返していると皆が知れば、どう思うか」

 

 左近はうじうじと悩む主君を捨て置き、立ち上がると締め切られた雨戸をこじあけた。

 全身が粟立つように凍てついた空気が押し寄せる。


「な、何をする。閉めろっ」

「心まで冷やすおつもりでしたらばこれくらいするべきでしょうなっ」

 左近は片頬をもちあげた。蓄えられた口髭の下で白い歯がちらりとのぞく。

「わ、分かった、左近。俺が悪かったから、本当に凍えてしまう」

 左近は雨戸を閉めた。

「ご自愛くださりませ。筒井の城を落とされたまま、身体を壊して戦場に出られぬなどあってはならぬことですから」

「……分かっている」

「ならば、よろしゅうございます」

 左近は頬を弛めてうなずく。

「ところで左近、なにか用があってまいったのであろう」

「はっ。布施様より至急、殿に申したきことがあると」

「布施殿がか」

 

 布施左京進(ふせ さきょうのしん)はここ、布施城の城主であると同時に、藤政の妹を娶っている。

 傷ついた藤政主従を受け入れてくれた恩人だ。


 藤政は左近を従え、皆の待つ広間へ向かった。

 主立った家臣たちが揃い、藤政の登場に揃って頭をさげる。


 「藤政殿、お体の調子は?」

 左京進がおそるおそる尋ねる。


「少し気持ちの上で塞いでいたがもう安心してくれていい。心配をかけてすまぬ」

「そうであれば一安心」

「布施殿。どうか、私の隣に。敗軍の将が上座にいて、城主が下座におられるのは心苦しすぎまする」

「何を言われる。藤政殿は筒井の当主ではありませぬか」

「そう言われますな。ささ、どうか」

 下座につく左京進は藤政から散々請われ、ようやく腰をあげた。

「それで私にみせたいものがあるとか」

「三好からの書状でござる」

 藤政はたまらず表情を歪めてしまう。

 左京進が懐より取り出す。

 書状のことを知っているのは左京進だけだったらしく、その場に居合わせる家臣たちが騒がしくなる。

 

 三好家は先代の長慶の時代には藤政の父、順昭と交誼をかわす間柄であった。

 順昭の死後は松永久秀の謀によってじわじわと大和の領地が削られていった。

 やがて三好家の当主、長慶が死ぬと一時は畿内に一大勢力を築いた三好家は内紛により分裂した。

 

 松永久秀率いる一派、次いで三好長逸、三好政康、石成友通――通称、三好三人衆といわれる一派だ。

 

 敵の敵は味方の論理で、なにかと三好の三人は久秀と対立している藤政に対して書状を送ってきていた。


 しかし内容は当初こそ交誼を結ぶ色が濃かったものの今ではまるで自分の家臣に命じるがごとき居丈高なもので、藤政はそれに応じて兵を割いて久秀を牽制した。

 が、河内で三好と対立していたはずの思っていた松永はとって返すように大和に現れ、その間髪いれない猛攻にさらされた藤政は呆気なく城を逐われたのだった。

 城を逐われたのはもちろん自身の落ち度ではあるが、傀儡も同然の将軍の御教書を振りかざし多くの兵を割かざるをえなくなったことへ思うことがなかったわけではない。

「中身は私も見ておりませぬ」

 本音を言えば驕慢が行間から透けて見えるような書状など破り捨てたい。

 しかし久秀と対立している今、三好の三人の動きは筒井家にとって無視できない。うまく連携をなせれば今の逼塞した状況を挽回できるかもしれないのだ。

 気持ちを抑えつけ、書状に目を通した。


「三好はなんと」

 左京進が待ちきれないとばかりに身を乗り出す。


「来月、三好が松永にとどめをさすべく奈良へ来る。ひいては先導を務めよ、とある」

 藤政は溜息まじりに言った。


「あいかわらずな内容ですな。しかしながらこれは我らにとっても悪い話ではござらぬ。河内周辺で松永めが思うように動けていないということですからな」

 左近の言葉に、藤政は頷く。


「藤政殿のお気持ち、私も理解しているつもりでございます。しかしここが辛抱のしどころですぞ」

 左京進が膝を進めて言う。


「分かっておりまする。ここで今、私がどう感じているかはどうでも良いこと。松永を打ち払い、大和を平穏にする。そのために私は働くつもりです」

 藤政が言えば、


「それぞ筒井の御当主っ!」

 左京進は大いに頷き、笑った。

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