第53話「方法がないわけじゃない」
「咲の幼馴染で親友だった子の日記なんだ。死ぬ直前に託されたんだよ」
「原田由美だろ。新聞で一時期騒いでたね」
カンナは雑誌でも立ち読みするかのように、手にした日記を文字通りぱらぱらという音を立ててめくった。自分にとっては昨日のことのように思える由美の死は、他人にとっては紙の上の過去の情報でしかないと思うと、良広の胸の内に暗い影が去来した。
カンナは原田由美のことをよく知っていた。もちろん、知り合いだったわけでも、会ったこともない。しかし、あの新聞の写真に写っていた、原田由美の告別式の写真・『号泣する親友』は、咲だとすぐに分かった。そして、咲のことが頭から離れなくなり、原田由美に関する情報を集めた結果と、奇病の集中点の情報を合わせると、見事に一致した。やはり咲だ、とカンナは思った。長崎を出ても、蝶は北限を狙って咲に、千房にたどり着いたのだと確信した。そしてカンナが咲を助ける方法を考え始めたのも、この頃からだった。
「よく出来た話だ。面白いな。やはり清美の愚行は、由美にも影響していたというわけか」
良広は思わず顔を上げた。例の写真は当然のことながら抜いてあるのに、何故カンナはそんなことを言ったのか。それは由美が正常なときに書いた日記の部分をも読んだからだ。カンナに無知呼ばわりされていた良広でさえ、由美の文字が乱れている部分だけを読んでいたにもかかわらず、カンナはそんなことはお構いなしのようである。そしてその口元にはやはり人を馬鹿にするような笑みがある。
「由美もよきハハオヤになったわけだ。……へえ、良広もてるね」
由美がしたためた良広に寄せる思いのたけを目にしたカンナは、白い歯を覗かせた。だが、乱れた文字のページに差し掛かると、その笑みはすっかり消えた。カンナには、そのページに書かれたものを読むことが出来なかった。読むどころか目することも出来ず、カンナは日記帳を閉じた。
「これは死ぬ直前に託されたと言ったよね?」
良広はただ頷いた。何故、由美の死の直前に立ち会えたのか、責められるのは覚悟の上だった。だが、カンナは意外にも、口をつぐんだ。そればかりか、これまでのカンナとはまるで別人のように顔を強張らせた。すぐに口元にいつもの笑みを取り繕ったものの、カンナの瞳は不安を隠しきれていなかった。
「最期に彼女は何て言ったの?」
日記帳の表紙に目を落としたまま、カンナは言った。
「『救って』。たった一言、それだけだった」
良広の中に、由美の「救って」という言葉はずっと生き続けていた。だが、口にしてみて、最期の言葉としては幾分腑に落ちない言葉だと思った。この言葉の意味は、咲を助けてくれと言う意味だとばかり良広は考えていた。しかし、自分が由美の遺言から汲み取っていたのは、その意味のほんの一部であるような気がした。
「救って、か」
カンナは意識しないまま、穏やかな笑みを浮かべて小さく頷いた。そして、良広に向かって「せいぜい大事にしろ」と横柄に言いながら突き出した。そこには今までで一番鮮烈なカンナの表情があった。その表情は何か迷いが吹っ切れたようであると同時に、逆に何か思い詰めたようでもあった。
カンナは再び窓際に立ったかと思うと、窓を開け放った。まるで誰かが叫んでいるかような北風の音がして、細かい雪がたちまち部屋の中に入り込んだ。風に弄ばれるカンナの肩まで伸びた髪の間から、赤い花の痣とロザリオのチェーンが見え隠れしていた。カンナの首が細くて白いだけに、良広はその金の鎖が禍々しく見えた。カンナは雪と寒風の中に佇んで、しばし口をつぐんだ後強い口調で言った。
「方法がないわけじゃないんだ」
それは良広にとって、あまりにも壮絶な光景だった。そしてそのカンナの言葉も、まるで死を覚悟したかのように壮絶に響いた。
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