第29話 送信ボタン【楠見夏貴】

 もう少し、もう少しだけ。

 何度も何度も読み込んだ原稿。手になじんだストップウォッチ。それが体調を少しは戻してくれたのか、壇上に登ってからは身体のだるさが気にならなくなった。

 あと、半分。いつも通りに読めば良い。1分半程度の時間がやけに長く感じる。

 順調に原稿をなぞる唇とは裏腹に、心の中はあの日にたち戻っていく。

 待ってて、終わったら会いにいくから。遅くなっちゃって、ごめん、ごめんね。放送部に誘ってくれて嬉しかった。一緒にいられて楽しかった。なのに酷いこと言って、あんな顔をさせちゃって。ごめんなさい。自分勝手なのはわかってる。今更謝っても許してもらえないかもしれない。だけど、もう一度私は…。




 目が覚めたら、医務室のベッドの中だった。

「あれ?私...」

「あ、気がついた。大丈夫?」

 傍らにはちーちゃんが居た。ずっと側で看てくれていたようだ。

「ねえ、私、大丈夫だった?よく覚えてなくて…」

 今はそれだけが気がかりだ。壇上に登ったまでは覚えている。しかしそこからの記憶が曖昧だった。

 もしかして、こんなに皆に迷惑をかけたのに途中で倒れてしまったんだろうか。もしそうなら、私はいったいどうしたら…。

「大丈夫。発表が終わって、ちゃんと私たちの席まで自分で戻ってきたよ。そのあと倒れたのはびっくりしたけど、藤城君と道家君が医務室まで運んでくれたの」

「そっか…。よかった、本当に」

 コンコンと、医務室のドアをノックして日野先輩が入ってきた。

「よかった、目が覚めたのね。今日のプログラムはさっき終わったから、そろそろ帰るところよ。楠見さんは、先生が車で送ってくれる事になっているわ。私も付き添うから安心してね」

「先輩、あの、私」

 先輩は人差し指を唇に当てる仕草で、私の言葉を遮る。

「もう良いじゃない、あとはしっかり身体を休めなさい。元気になるまでがあなたの義務よ。でも、よく頑張ったわね」

 そんな風に優しい口調で言うと、私の頭をぽんと撫でる。

「さ、三吉さん、楠見さんを手伝ってあげて。帰るわよー」




 次の日、やっぱり熱が下がらなくて私は会場に行く事が出来なかった。

 だけど大会の経過は、ちーちゃんが逐一メールで教えてくれた。朝のメールは自分の発表への不安でいっぱいだったけれど、それに返信していると自分も会場に居るような気分になれて楽しかった。

 北葉高校放送部の成績は、ラジオドラマ部門がぎりぎりの順位ではあったけれど全道大会進出、テレビドラマ部門は惨敗(藤城より道家の方が落ち込んでいたらしい)、そして日野先輩はなんと2位入賞で全道大会進出となった。ちーちゃんは緊張のあまり早口になって、規定時間より大分早く読み終わってしまい良い点数は得られなかったそうだ。

 ただ、メールの文面から察すると悔しさよりはとにかく発表出来た達成感の方が勝っているようだった。

 私の得点は、まだ聞いていない。本人が見る前に周りが見ちゃうのはなんだから、と講評用紙を開かずに取っておいてくれているそうだ。

 だけど私は自分でも不思議なくらい、順位や得点に対して興味が湧かなかった。そもそも負けず嫌いをこじらせて、勝てないという悔しさや嫉妬が原因であんなことになってしまったのに。

 私は強くなれたのだろうか。どうなんだろう、わからない。だけど。


 ずっと送る事の出来なかったメールを送信する。あそこまでしてくれた仲間のためにも、私は私のわがままを最後までやり抜きたい。

 返事が来なかったら会いに行こう。迷惑かもしれない、嫌われてるかもしれない。相変わらず怖がりな自分も居るけれど、背中を押してくれた人が居る。

 今はそれだけで、後ろを向かずに前へ進んでいける気がした。

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