第26話 ばれちゃった【三吉千里】

 どうしよう。やっぱり先輩に報せた方がいいのかな。

「ねぇ、楠見さん本当に大丈夫なの?」

 大丈夫、と応える彼女の声は明らかに大丈夫じゃなかった。朝からだんだんと具合が悪くなっているように見える。

 先輩の発表が無事に終わり、席に戻ってきてからは無理矢理元気に見せていたみたいだったけど、先輩がお昼を食べに出て行った途端、椅子に座ったままぐったりと黙り込んだ。明らかに具合の悪く見える。

 額に触れてみたらはっきりと熱があった。私はすぐに先輩を呼んでこようとしただけれど、楠見さんに思いのほか強く腕を掴まれて「やめて。先輩にばれたら、出れなくなっちゃうじゃん。そしたら恨むよ」と、口止めされた。その迫力に負けて、わかったと言ってしまったけれど…。

「私の番までまだ2時間くらいかかるんだね…。ちーちゃんもさ、明日発表なんだし少し練習してきたら?私なら大丈夫だから」

 だから、全然大丈夫に見えないよ。明日の発表も大事だけど、今は目の前の楠見さんの方が心配だ。

「そうだ、なにか飲み物買ってこようか?ポカリとか自販機にあるかもしれないし」

 一瞬だけ返事に迷う仕草を見せたけど、素直にありがとうと頼ってもらえた。

「ちょっと待っててね」


 ホールを出て、自販機のあったエントランスへ向かう。午後3時、心なしか朝よりも周囲が騒がしい。

 今日のプログラムも半分が過ぎて、肩の荷が下りた生徒も多いのだろう。そこここにテスト終わりのような清々しい顔の子達が目につく。

 その視界の端に見知った顔を見つけた。藤城君と道家君だ。どうやら一緒にお昼ご飯を食べているらしい。あの様子だと、仲直り出来たのかな。朝のぎこちない空気は完全に消えて、仲良くで昼食を食べていた。

 向こうも私に気づいたようで、道家君が手招きしている。

「おつかれー、今お昼なの?」

「ほうほう。ラジドラもテレドラもさっひ終わったはら、ほれたちはもうやる事ねーの」

 道家君がお弁当であるおにぎりを頬張りながら応えてくれる。ちゃんと飲み込んでから話した方が良いと思うんだけどな。

「ラジオもテレビも参加校数の関係で終わる時間が微妙でさ。最後まで見てから食べた方が良さそうだったから、こんな時間になっちゃって。先輩達は座り疲れたから歩きたいって、近くのコンビニに行ったよ。あ、秋葉さんついて行ったっけ。榊先輩とラジオ組は出たの別々だったけど、なかなか帰ってこないしどこかで合流して寄り道してるんじゃないかなぁ」

 藤城君のお弁当は、家庭的な普通のお弁当だ。ただし、弁当箱が少し可愛過ぎて藤城君のイメージと合わない。他になかったのかな?妹やお姉さんでもいるのだろうか。

「日野先輩もお昼に出てからまだ戻ってないから、もしかしたら一緒なのかもね」

「ま、先輩方は心配しなくても大丈夫っしょ」

 それもそうだ。それより今は、他に心配する人がいる。そうだ、藤城君たちになら話してもいいんじゃないだろうか。いくら楠見さんでも、私以外の全員の前で強がっていたら身が持たないだろう。それにこの2人なら、わかってくれるはず。うん。

「ん、どうしたの三吉さん?」

「あのね、実は楠見さんが…」


 事情を聞いた藤城君と道家君は、すぐに協力を決めてくれた。

「あれだけ頑張ってたのに、出られなくなるとかすげえ悔しそうだもんな」

 つい先日までドラマの完成が危うかった2人には、他人事には思えないのかもしれない。

「本当は先輩や先生に相談した方がいいんだろうけど、報せちゃうと立場上とめざるを得ないだろうしね。本人がそこまで頑張ってるなら、僕らも出来るだけサポートしよう。アナウンス部門の録音は僕と道家で引き受けるから、楠見さんと三吉さんは休んでなよ」

「2人ともありがとう!」

 さっきまでの不安が嘘のようだ。大丈夫、2人が協力してくれるならきっと上手くいく。

 私だって、明日もし欠場になったら悔しくて悲しくて多分泣いてしまう。あれだけ真剣に練習していた楠見さんだったらどんなに辛いだろう。それだけは避けなきゃならない。


 とりあえず、2人は食べかけだったお弁当を急いでかき込み、私はお使いだったポカリを買って、揃ってでホールへ戻る。重い防音扉を藤城君が静かに開けると、聞き覚えのある鋭い声が耳に刺さった。

「嫌です!」

 慌ててドアの隙間からホールに身を滑り込ませる。ホールは発表の直前のように静まり返っていた。だけどホール内の視線は壇上ではなく、楠見さんとそれを見据える日野先輩に注目している。その側には榊先輩と八代先輩、秋葉さんも居る。

「とにかく、ここじゃ迷惑だから外に出ましょう。立てる?」

 そう言って、先輩は楠見さんに手を差し伸べるけど、彼女はそれを無視する。ふらつきながらも自力で立ち上がって私たちの居る出入り口まで歩いてきた。

「あ」

 そこへ来て、ようやく私たちに気付いたようだった。弱々しく笑う彼女は今にも倒れそうに見えた。

「はは、ばれちゃった」

 藤城君がさりげなくドアを開けて楠見さんを外に出す。それに私たちと先輩も続く。

 まだ会場の視線は感じたけれど、さすがにホールの外まで見に来る物好きはいないようだった。



 私たち1年生4人と日野先輩は、エントランスにある椅子に座った。重い空気の中で、日野先輩が口火を切る。

「会場の録音は榊君たちに任せる事にしたから、ゆっくり訳を聞かせてくれる?」

 楠見さんは俯いたまま応えない。いつも温厚な先輩も厳しい声を出す。

「黙ってるだけじゃ、何もわからないわ。理由もわからないんじゃ、そんなふらふらな身体で出場させるわけにはいかないの」

「そりゃ、あんだけ練習してたのに出れないなんて悔しいからじゃないですか」

 道家君が物怖じせずにフォローを入れる。正直、今の日野先輩に意見を言うのは怖い。でも。

「私も、ここまで来て出れないのは辛いと思います」

 私たち2人にも厳しい視線が向けられる。

「悔しい気持ちは、私にだって良くわかる。だけど怪我やアクシデントで大会に出れない人は、不幸だけどたくさん居る。その人達がなんで身を引くと思う?万全でない身体、それ自体がまた新しいアクシデントの種になってしまうからよ。自分が無理をして出場したせいで、みんなに迷惑がかかるかもしれない。最悪、同じように努力してきた仲間たちの発表の機会を奪うことになるかもしれないの。その責任を取ることが、私たちには出来ないでしょう」

 日野先輩は圧倒的に正しかった。誰も反論出来ない。

 ただ悔しい、辛い、という気持ちだけで"出れば良い"と主張していた自分が恥ずかしい。私たちは何もわかっていなかった。

 先輩が言葉をたたみ掛ける。

「そういった事がわかっていても出なきゃいけない理由が、楠見さん、あなたにはあるの?」

 誰も彼もが俯いていた。このまま、楠見さんは欠場することになるのだろうか。沈黙が痛い。しかし、それも長くは続かなかった。

「…あります。自分勝手なわがままだってわかっています。だけどそれでも私は、どうしても棄権するわけにはいかないんです」

 それは風邪で弱っているとは思えないほど、意思のこもった強い声だった。

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