第25話 甘いものが必要【秋葉文乃】
午後1時半、お昼の時間を大分過ぎたころにラジオドラマ部門全作品の発表が終了した。
録音機材を手早く片付けて、私と八代先輩は会場近くのコンビニまでお昼を買いに行く事にした。道家はお弁当があるらしく、エントランスで食べると言って会場に残った。
もしかして気を使ってくれたのかな。おかげで私は先輩とふたりきりになれた。これはまたとないチャンスなんだけど、さっきからうまく言葉が出てこない。私と先輩は、朝に登ってきた坂道をゆっくりと降りている。そう、ゆっくりと。先輩が、私の歩幅に合わせてくれているらしい。
それに気付いただけで、胸がきゅーっとなってうまく言葉が出てこなくなった。とにかく、このまま黙ってちゃダメだ。何か喋らないと。
「先輩、ラジオドラマ、無事に流れて良かったですねっ」
「うん、榊の仕事だから心配はしてなかったけど、ちゃんと終わってほっとしたよ」
「あ、榊先輩もお昼誘えば良かったですかね。テレビの方もそろそろ終わるみたいだったし…。メール送ってみたらどうです?」
何言ってんのわたし!せっかくの2人きりなのに!ダメ、ちょっと待って八代先輩!
「...いや。榊を呼ぶのはやめとこう」
「え。なんでですか?」
なぜ聞き返すっ。そのまま話題を流せば良いのに。黙れ自分。
「んー、大きなお世話の小さな親切ってやつかな」
なんの事だろう。何を言っているのかわからなかったけど、そう言った先輩の横顔がひどく寂し気に見えて、私は思わず立ち止まってしまった。少し進んだところで、先輩が振り返る。
「どうしたの?秋葉さん」
先輩はいつもの優しい笑顔に戻っていた。
でも、さっきのは見間違いなんかじゃない。なんで、あんな顔をしたのか知りたい。もっと、先輩の事が知りたい。心臓が目覚まし時計のように高鳴っている。
坂の高低差のおかげで、私と先輩は同じ目線になっていた。正面に先輩の顔が見える。
「あの、先輩は好きな人っていますか?」
「また突然だね、前に道家君にも同じようなこと聞かれたなぁ。今年の一年生はみんな恋バナが好きなのかい?」
「いるんですかっ、いないんですかっ」
はぐらかさないで教えてほしい。
好きって一言、伝えるのなんて簡単だって思ってた。でも、違った。全然違った。今の私はこんな言い方でしか気持ちを伝えることが出来ないらしい。先輩の顔なんて見ていられない。私は俯いたまま地面に顔を向けて、精一杯の言葉を先輩に投げかけた。
「彼女は、いないよ」
私は顔を上げる。
「でも、好きな人はいるかな。片思いだけどね」
心の中で何かが割れる音がした。
わかってしまう。その好きな人は絶対に私じゃない。
私は心で砕けちった何かを踏まないようにそっと深呼吸をして、必死で笑顔を作る。可愛い、後輩の笑顔と口調を。今の問いかけが何でも無い、他愛もないお喋りの延長であったかのように見せるために。
さりげなく歩き出して、先輩より少し前に出る。これなら、顔は見られなくて済む。
「で、好きな人って誰なんですかぁ?」
震えそうになる声をなんとか押さえつけて絞りだす。発声練習のように、一音一音意識して明るい響きになるように注意する。放送部に入ったのが、変なところで役に立ったなぁなんて一瞬変な感慨が湧いてきた。
「秋葉さんでも、さすがに誰ってのは教えられないよ。秋葉さんが好きな人教えてくれるなら考えても良いけど?」
「えー、教えてくれたっていいじゃないですかぁ。じゃあタイプだけでも教えてください。先輩、私たちの学年でも結構人気あるんですよ?」
全部、冗談に聞こえますように。なんとなくノリで喋ってる馬鹿な後輩に見えても構わない。
「仕方ないなぁ。タイプとかはあまり考えたことないけど、何かを一途に頑張ってる子は素敵だなぁって思うよ。そういう子は支えたくなるっていうか、応援したくなるよね」
それじゃ、私には初めから望みがなかったわけか。私、なんにも頑張ってないや。
「先輩から好かれるなんてその人が羨ましいですねー、告白とかしないんですか?」
先ほど何かが壊れたせいか、大胆な質問が次から次へと出て来る。もうどうにでもなれ。
「いろいろ、複雑でさ。多分告白もしないし、付き合ったりもしないよ」
「告白もしないし付き合えないのに、まだ好きなんですか?」
「むしろそんな理由で気持ちが消えてくれたら有り難いんだけど。なかなか消えないよね」
あぁ、わかる。前を歩いているから先輩の顔は見えないけれど、またさっきみたいに寂しい顔をしてるよきっと。
なんで私じゃダメなんですか?消えないのは、私の気持ちもおんなじだって先輩わかってますか?
前に楠見が、もし先輩に彼女がいたらどうするのかって聞いてきた時は、諦めるしかないなんて良い子ぶったけど、そんなの無理だ。私は自分で思っていた以上に、好きだったんだとようやく気がついた。
後になって思い返せば、きっと私はこのとき初めて恋を知ったんだと思う。それは想像してたみたいに甘くてきれいなものじゃなくって、もっと泥臭くってわがままな獣みたいな感情だったけど、それでも手放したくないと思える麻薬みたいな気持ちだった。
会話が途切れたところで、コンビニの看板が見えてきた。相変わらず、先輩は私の少し後ろを歩いている。きっと今、先輩は好きな人への思い巡らせてるんだろうな。不意に、涙がこぼれそうになる。でもダメだ、まだ泣くわけにはいかない。
そうだ、コンビニでうんと甘いものを買おう。シュークリームかな、アイスクリームもいいな、ワッフルなんかも捨てがたい。たくさんのエネルギーがいる。これからもこの気持ちと付き合っていくために、そして先輩に振り向いてもらえる私になるために、今は甘いものが必要だ。
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