第21話 予期せぬエラー【藤城慎一】
もう、これで良いか。投げやりにそう思ってしまう自分に若干の自己嫌悪を抱きつつレンダリング用のアイコンをクリックする。
レンダリングというのは、組み立てた映像素材を1つのファイルにまとめて書き出すための仕上げ作業だ。クリックしてしまえば、あとはパソコンが自動で処理してくれるのを待つだけになる。
ヘッドフォンを外すと、隣のスタジオで練習しているアナウンス部の声がうっすらと聞こえてくる。入部して約二ヶ月、楠見さんはもちろん三吉さんも随分と様になってきた。みんな、頑張っている。俺だって頑張ってきた。だけど今は...。
「藤城、なんとかなったのか?」
後ろを振り返ると榊先輩が画面を覗き込んでいた。
「まあ、一応…」
「そうか」
それだけ確認して先輩は自分の作業に戻っていった。昨日頭に血が上って、そのまま帰った僕に電話をかけてきたのは、意外なことに榊先輩だった。
事の経緯は日野先輩に聞いたらしく「もし、完成させられないようなら俺が仕上げても良い。部として大会にエントリーした以上、棄権は避けたいんだが、どうする?」と、そんな提案をしてきた。
それを聞いたとき反射的に、嫌だ、と思った。せっかく撮った映像が消えて、自分の思い通りにならない事がショックで飛び出してきたくせに、人には触らせたくないらしい。ガツンと殴られたかのように、そんな自分勝手な気持ちを自覚させられた。
そうしたら、少しは頭が冷えた。思い通りにいかなくても、どれだけ腹が立とうと、とにかく完成させよう。その責任が発案者の自分にはあるはずだ。
今日は始発のバスで登校して、授業時間以外はずっと放送室に引きこもっている。
消えてしまった映像が入るはずだったシーンは、これまでに撮った素材の中からなんとか使えそうなモノを組み合わせて補った。
苦しいけど、一応繋がってはいるはずだ。なんとかぎりぎりで間に合った。
見つめる画面の中でレンダリングがゆっくりと進んでいく。
「おつかれさまでーす」
気分が落ち込んでいるせいか、秋葉さんの声がやけに明るく聞こえる。僕と榊先輩も挨拶を返す。いつものように秋葉さんは、ミキサー室の机に日誌を開いてシャーペンを持つ。
僕にとって朝放送室の鍵を開けるのが習慣になったように、日誌はいつの間にか秋葉さんが書くようになっていた。まあ、単に最近暇なだけかもしれないけど…。
「どう?藤城。編集終わったのー?」
「一応」
「楽しみだなー、私の初主演ドラマ!八代先輩もかっこいいんだろうなー。ねぇねぇ、ちょっとくらい途中で見せてくれたってよかったじゃん。私主役なんだしさぁ」
どうやら秋葉さんは昨日のいざこざをまだ聞いていないらしい。いつもの調子なのがむしろありがたかった。
昨日から先輩方も同級生も、僕に対して気を使っているのがわかってしまい、逆に気が重かったのだ。
「ダメ。途中で見せるのはなんか恥ずかしいから」
一度投げ出しそうになった奴が何言ってんだと心の中で自分にツッコミを入れる。
「ちぇー」
と、そこへスタジオでの練習が一段落したらしい日野先輩から号令がかかった。
「はーい、じゃあみんな前日ミーティング始めるわよー。今日は道家君、風邪で休みらしいからこれで全員ね」
道家は風邪か…。明日は大丈夫だろうか。顔を合わせるのは気まずいけれど、大会に来れないというのは流石に気の毒だ。
Nコンを明日に控えた最後のミーティングでは、当日の大まかなスケージュールや大会の記録について、何か問題が起きた場合の連絡先などの確認をした。
この日は普段はほとんど放送室に顔を出さない顧問の古谷先生も一緒だった。機材など持ち運びに苦労するものは先生が車で運んでくれる手はずになっている。
「確認事項はこれくらいね。1年生は初めての大会でわからない事も多いでしょうけど、私や2年生に遠慮なく聞いてちょうだい。そしてアナウンス部はまず自分の発表に集中!技術部は他校の作品や読みの記録をしっかり撮って、良いものをたくさん吸収してください。榊君と八代君、1年生のサポートよろしくね」
いつもながら完璧な日野先輩の仕切りのもとで、ミーティングはつつがなく終わった。
予感も予兆もなかった。本当に唐突だった。ミーティングが終わってレンダリングをかけていたパソコンの前に戻って来ると、その画面には《予期せぬエラーが発生しました》という素っ気ないウィンドウと共に編集用のプロジェクトが真っ白になっていた。
「――なんでっ」
エラーメッセージを閉じてもう一度プロジェクトを立ち上げると、今日作業した分が綺麗にリセットされていた。昨日の状態に戻ってしまっている。
血の気が引くのがわかる。レンダリング前に、保存し忘れたんだ。僕の馬鹿野郎。なんで保存しなかったんだっ。…どうしよう、今からもう一度作業したんじゃ下校時間までに間に合わない。つまり…。
「藤城?どうした?」
「…榊先輩、予期せぬエラーでソフトが落ちました」
途端、榊の表情も固くなる。え、何なにどうしたの?と編集作業に詳しくない秋葉さんだけが暢気に聞いてきた。簡単に今の状況を説明する。
「え!まずいじゃん!どーすんの!?」
どうするもこうするも、どうしようもないじゃないか。こんなエラー、予測なんて出来ない。なんせ、予期せぬって書いてあるんだから。
「とにかく、出来る事はやろう。藤城、今日やった作業を出来るだけ急いでもう一度やれ。二回目なら、一回目よりかなり早く出来るはずだ。もしかしたら、間に合うかもしれない」
「…はい」
間に合わない。作業以外の、レンダリングと提出用のテープに書き出す時間、それを確認する時間だけでも既に間に合わないのは明白だった。榊先輩もそれはわかってる。ただ最後まで精一杯やれと言ってるんだろう。
一度諦めかけて、もう一度頑張ろうって思えたのにこんなのはあんまりな幕引きじゃないか。
「そうだ!私、先生に下校時間後も残れるようお願いして来る!」
秋葉さんはそう言うやいなや、脱兎のごとく放送室を飛び出して行った。その勢いに僕と先輩は呆気にとられて暫く固まる。
先に呪縛から解けたのは榊先輩だった。
「ふ、藤城はそのまま作業続けてろっ。秋葉さんは俺が追いかけるから」
そう言うと、スタジオで練習中の日野先輩にも声をかけ、2人で秋葉さんを追って放送室を出て行った。
そうだ、いつまでもぼけっとしてられない。今は、とにかくやるしかない。
しばらくして3人が放送室に戻ってきた。秋葉さんが笑顔でピースサインを見せつけている。どうやら下校時間の延長許可が降りたようだ。
今度こそ、大丈夫だ。と、気がゆるみかけたところで僕は今度こそファイルの保存ボタンを押した。
いつもより1時間以上遅い時間に校門を出ると、あたりはすっかり暗くなっていた。冷たく澄んだ空気が心地いい。
学校前のバス停で僕は秋葉さんと2人でバスを待っている。ほかのみんなは別の路線で先に帰っていった。僕らの路線は一番本数が少なく、いつも他の人たちよりも待たされるのだ。
ちょうどいい。僕はさっきの事で秋葉さんにお礼を言いたかった。
「…秋葉さん、今日は助かったよ。あそこで秋葉さんが飛び出してなかったら完成させられなかった」
褒められる事に慣れていないのか、秋葉さんは照れくさそうに笑う。
「いーっていーって。結局私は飛び出しただけで、ちゃんと先生と交渉したのは部長と榊先輩だし。てゆーか私が最初に話したせいで、なかなか許可が降りなかったって感じだったし...」
「それでも、ありがとう」
「そーゆーの照れるからやーめーてー。だってちゃんと完成させたいじゃん。正直めんどくさい時もあったけどさー、私と先輩が主役なんだし。せっかくみんなで頑張ったんだから、ハッピーエンドしかないっしょ」
「…うん、僕たち頑張ったよなぁ」
「超頑張った!明日が楽しみ!もしかして入賞しちゃったりするんじゃないの!?」
その日は、バスが来るまで撮影中の思い出で笑いあった。何度も撮り直したNGシーンも、同級生に撮影を見られた恥ずかしさも今では良い思い出だ。
そう、みんなで頑張ったんだ。言い出しっぺの自分が引っ張らなきゃいけない。頑張らなきゃいけない。そう思っているうちに、僕はいつの間にかひとりで頑張っているような気になっていた。
けど、違ったんだ。自分がどれだけ仲間に助けられているのか、昨日今日で痛感した。僕は大馬鹿だった。
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