第17話 飲み込む言葉【三吉千里】

 いよいよ大会まで残り3日となった。放送室の空気もNコンに向けて段々と緊張を帯びてきた。

 日野先輩と楠見さんは最終調整に余念がないし、榊先輩と八代先輩のラジオドラマも編集が佳境で入念な仕上げをしている。そんな中、一番焦燥感にかられているのは藤城君だった。

 最近は朝一番に登校して、教室よりもまず放送室に来て編集をしているらしい。脚本や撮影はスムーズに進んだけれど、編集の段階に入ってから何度も壁にぶつかっているようだ。

 私も自分の朗読でいっぱいいっぱいだったから、あまり詳しくはわからない。ただ、道家君に少し聞いたところによると、撮影した時には大丈夫だと思っていたシーンでも編集して繋いでみると違和感があったり、場面を繋ぐための映像が全然足りなかったりしたらしい。

 特に大変だったのが音声で、カメラのマイクじゃ台詞をうまく拾うことが出来ずに、いくつかのシーンをもう一度声を張り上げて撮り直したようだった。

 同じシーンを撮り直すのに、秋葉さんの機嫌を取るのが大変だったと道家君はため息を漏らしていた。

 しかし、大変だったと語る彼はどこか楽しそうにも見えた。そしてそれは、放送部員全員に言える雰囲気だった。あ、秋葉さんは微妙かもしれないけど…。

 みんな発表のプレッシャーはもちろんあるけれど、お祭り前夜のような高揚感が確かにある。それは私だって例外じゃない。


 私はゴールデンウィークが終わる頃には無事に課題本を全部読み終えて、朗読に使う本を決めることができた。中には重いテーマで読むのが苦しい本もあったけれど、必死の思いでそれを飲み込んだ。

 ゴールデンウィーク中の家族旅行にも持って行って、お母さんに小言を言われるくらい真剣に読んで悩んだ。旅先で部活の大会に出ることをシュウ兄ちゃんに話してみると、課題本のいくつかは読んだことがあるから選ぶのを手伝ってやろうか?と申し出てくれた。つい頼ってしまいたくなったけれど、これは私の問題だ。自分で選ばなきゃいけない。

 そう思って申し出を断ると、シュウ兄ちゃんは少し寂しそうな顔をして、がんばれよと言ってくれた。1人でもちゃんと出来るところをシュウ兄ちゃんにも見てもらいたい。そう思ったら力が湧いてきた。

 そうして、私が選んだのは不思議な言い伝えがある学校に通う高校生たちの物語だ。秘密めいた物語と怪しい転校生、それを探る主人公にドキドキしながら読み進めた。主人公や周りの高校生たちは等身大の姿で描かれていて、私たちと同じように不安や焦りを持っている。彼らはそれでも、その気持ちを時には押さえ込み、時には向き合って、確かに前に進んで行く。そんな姿にすごく共感出来たのが朗読に選んだ理由だった。

 彼らの物語を声に出してなぞることで、私も勇気がもらえる気がした。



「少し、遅くなっちゃったな」

 掃除当番だった私は、いつもより遅く放送室に顔を出した。本当は早く練習しに行きたかったけれど、同じ班の男子がだらだらしていて掃除がなかなか終わらなかったのだ。

 部室には既に私以外みんな揃っていた。日野先輩と楠見さんはスタジオで読みの練習を、榊先輩と藤城君はミキサー室でパソコンに向かっている。私は玄関で靴を脱いでミキサー室に入る。秋葉さんがホッチキスを持った手を止めてこちらを向いた。

「あ、ちーちゃんお疲れー。今日は遅かったねぇ」

 放送部での私の呼び方は”ちーちゃん”で定着しつつある。とは言っても、日野先輩や榊先輩、藤城君なんかは変わらず苗字で呼ぶから半分程度なのだけれど。

「掃除当番に時間かかっちゃって。そっちは順調?」

「もうちょっとで終わりそうー。ですよねー?先輩」

「だね。今道家君が止めてるやつで書類はラストかな。それ終わったら、当日の記録用に機材まとめようか」

 八代先輩、秋葉さん、道家君はミキサー室の机で大会用の書類や原稿の束をホッチキスで止めていた。

 放送の大会は提出する書類が多い。アナウンス部門や朗読部門の原稿は審査員の人数である7冊分をホッチキスでまとめて、簡単な冊子にしないといけないし、ラジオドラマやテレビドラマの脚本も規定に沿った形で冊子にして提出する。

 それに加えて部門ごとのエントリー用紙も書かないといけない。練習や仕上げ作業のないメンバーは、八代先輩に教えてもらいながらそういった事務的な仕事をこなしていた。

 私はミキサー室に鞄を置いて、ストップウォッチと自分の朗読原稿を持ってスタジオに入る。ふたりと挨拶を交わし、あとはそれぞれの邪魔にならないよう距離を取って読みの練習を始める。スタジオの奥、窓際の隅っこが私の定位置だ。

 朗読部門は、アナウンス部門より持ち時間が少しだけ長い1分30秒から2分の間での発表となっている。

 その時間内で読める文量を課題本の中から抜粋しなければならない。課題本を決めるだけでもあれほど苦労したというのに、膨大な文章である一冊の本の中から一部分を選ぶなんて私に出来るのだろうかと、最初は尻込みした。

 けれど、抜粋部分は案外あっさりと選ぶ事が出来た。日野先輩の、”まずはあなたが一番良かったと思うシーンを選べば良い”というアドバイスのおかげだ。

 そうして考えた結果、私が選んだのは物語の冒頭部分である最初の1ページだ。その物語は桜の季節から紡がれる。綺麗な情景描写の中にも一抹の不安と漠然とした期待感が混じる、始まりの季節の訪れ。

 その描写はシュウ兄ちゃんの呪縛を振り切って、この学校で新しい自分を見つけたいと願っていた私の心情と共鳴して、深く印象に残っていた。

 そうして抜粋箇所を決めて日野先輩に報告へ行ったとき、朗読部門なら地の文と台詞が混じっている箇所を選んだ方が評価が上がるという話しも聞いた。

 けれど、私にはもうこの部分を読むということしか考えられなかった。どうせ初挑戦の1年生だ。結果よりも今は自分の気持ちを大事にしようと思えた。

 一方で、その自分の気持ちが不思議だった。中学までは先輩や先生の言う事には素直に従って来たのに。お昼の放送で少しは度胸がついたのだろうか?私は我を通すという痛快さに初めて触れた気がした。


 日野先輩の凛として硬質な鈴のような声、楠見さんのハスキーな力強い声、そこに私の声も重なってスタジオの中は声で満ちていく。初めは同じ場所で個人練習をすることに気恥ずかしさややりづらさを感じていたけど、集中している2人を見ていたらそれほど気にならなくなった。

 自分の練習に集中していれば、自然と他の音に意識が向かず気にならないのだ。

 そうしてしばらくの間それぞれに練習を繰り返してしいると、コホコホと小さな咳が楠見さんの方から聞こえた。

 見ると、楠見さんの机に乗っているペットボトルは空になっている。そこで私は先ほど部室に来る前に買ってきたミネラルウォーターを楠見さんに差し出す。

「一口飲む?また休まずに続けて練習してたんでしょ」

「うん、ありがとー」

 楠見さんは普段より少し低い声で受け取る。「もうすぐ本番だし、喉を休めるのも大事なことよー」と日野先輩が声をかける。

「はい。でももう少しだけ…」

 大会が近づくに連れて楠見さんの焦りが目に見えて増えていくように感じる。

 私から見たら十分上手なのに自分で納得いかないのか、いつも難しい顔をして練習を繰り返していた。練習量だけを見れば、日野先輩よりもきっと多い。

 大丈夫かな、と私は密かに心配していた。入部した頃から熱心なのは変わらないけれど、最近の楠見さんはどこか追いつめられているようで以前のような活き活きとした表情は少なくなった。好きなことを頑張っているはずなのに、なぜか辛そうに見える。

 何か悩みがあるなら、相談してくれたらいいのに。私なんかじゃ役に立たないかもしれないけど、話しくらいなら聞けるよ。そうやって気軽に声をかけたいのに、勇気が足りない私はまた言葉を飲み込んだ。



「あの、向こうに置いといたカメラ知りませんか?」

 それはこれから起こる嵐の引き金にしては、あまりに暢気な問いかけだった。

 スタジオのドアを開けて入ってきたのは、ミキサー室で編集をしていた藤城君だ。

 今スタジオにはアナウンス部の三人が残って練習をしている。八代先輩と秋葉さん、道家君は書類をまとめ終えてからは大会に持って行く機材の準備をしていたけれど、それも先ほど終えて既に帰宅していた。

「カメラだったら、さっき八代君たちが機材を準備してたからそこにまとまってる荷物の中に入ってるんじゃない?」

 日野先輩はそう言って部屋の隅にまとまっている荷物を見た。その荷物には輪ゴムで止められた書類の束や養生テープ(はがしやすいガムテープみたいなもの)、マイクやケーブル、そして録画や録音用の機材が入っている。もうすぐそこに先輩たちのラジオドラマと藤城君のテレビドラマも入れられる予定だ。

「あ、ありました。ありがとうございます」

 鞄を開けてみると目的のものは直ぐに見つかったようで、藤城君はひょいとカメラを取り出してミキサー室に戻っていった。その背中がミキサー室に消えるのを見送ってから、私は日野先輩に話しかける。

「先輩、藤城君は無事に完成させられるでしょうか」

「三吉さんは心配症ね。きっと大丈夫、榊君もついてるし。むしろ入部して1ヶ月やそこらで良くここまで頑張ったなぁって感心してるのよ」

「すごいですよね。涼しい顔してこなしてるのがちょっと嫌みなくらい」

「あら、そんなに涼しい顔でもなかったのよ?脚本書いてる時とか」

「そういえば先輩、相談に乗ったって言ってましたもんね。藤城、どんな感じだったんですか?」

 原稿とにらめっこしていた楠見さんも会話に加わる。

 私も、藤城君がどんな風にあの脚本を書いたのかは気になる。若干サスペンス気味ではあるけれど、彼が書いたのは幼なじみ同士の恋物語だ。台詞やシチュエーションが随分ロマンチックだね、と部室で口にしたら藤城君には無視された。ただ、覗き見た顔は赤くなっていて少しかわいいなんて思ったりもした。

 道家君いわく”男はみんなロマンチスト”らしい。中学までは男子と恋の話しなんてしたことはなかったから、そんなやりとりが新鮮だった。

「初めは榊君に見せたらしいんだけどね。榊君は榊君でそういうの苦手だから私に聞いてみたらって事になって。内容が恋愛モノなだけに、女子に見せるのは恥ずかしかったのか真っ赤になりながらしどろもどろで説明してたわぁ」

「わー、見てみたーい」

「ふふ。きっとそのうち見れるんじゃない?」

 ― なんで消したんだよ!……!…だから悪かったって言ってんだろ! ―

 と、ミキサー室が何やら騒がしいことに気がついた。内容はよく聞こえなかったけど、何やら不穏な響きの声だ。

 はめ殺しの窓からミキサー室を覗いてみると、いつの間にか戻ってきた道家君と、今まで見た事がないような怖い顔をした藤城君がにらみあっていた。

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