第16話 がんばる理由【楠見夏貴】
Nコンまで、残り2週間を切った。放課後は毎日放送室のスタジオで電源の入っていないマイクに向かい声を出している。私は大会で読むアナウンス原稿をようやく完成させ、それを時間通りに滑舌良く伝わるように読む練習を繰り返していた。
アナウンス部門で使う原稿のタイトルは15文字以内。原稿自体の分量に制限はないけど、発表時間は1分10秒以上から1分30秒以内と決められている。大会規定によると、原稿の内容は自分の学校での放送活動に関することでなければならない。原稿の内容を考えるのは、思いのほか難しかった。入学して1ヶ月ちょっとの私には、高校での放送活動の引き出しはまだ数えるほどしかない。うちの部はお昼の放送でラジオ番組をやるというようなこともしていないから、そこから幅を広げることも出来ない。入学してからやった活動といえば、単純な呼び出し放送と放課後の発声練習、あとは学年別の集会で先生たちのためにマイクを用意したりしたくらいだ。
こんな状況で、いったい何を書けばいいのか。一週間ひとりで悩み続けても前に進めなかった。
だけどそれは日野先輩にアドバイスをもらいに行ってあっさりと解決した。大会規定にはそうやって書いてあるものの、実際に大会で読まれる原稿はそれぞれの高校で行われている行事や、興味深い人物の紹介、その地域の話題を”紹介”するという内容が一般的らしい。自分の学校で放送するのにふさわしいニュースとは何か?みたいな事なんだろうか。身近なところでひとつ魅力的な話題を見つけて、それについて紹介すれば良い。
そういうことならば、学校の歴史や活躍している部活をピックアップしてみるなど色々思いつく事が出来た。私はこれまでの遅れを取り戻すべく、自分の学校のことをリサーチした。
その結果、私が選んだのは野球部の顧問をしている先生だった。うちの学校の野球部はその先生が顧問になってから徐々に成績が上がり、去年の甲子園ではあと一歩で北海道代表というところで惜敗していた。
私は校内新聞のバックナンバーやネットで検索した内容をまとめて、野球部についての原稿を書いた。昔は弱かったこと、顧問の先生が来て変わったこと、去年の敗退から今年に賭けていることを原稿用紙1枚半程度の内容にまとめた。
本当は当事者にきちんとインタビューを取って、それを原稿に入れた方が評価が良いという話も聞いたのだけれど、今回はそこまで出来なかった。見知らぬ上級生や、接点ゼロのごつい先生に話しを聞きにいけるほど私はまだこの学校に慣れていない。
そんな経緯を経て、ようやく原稿が完成した時には既に大会が目前まで迫っていた。発声練習は欠かしていないとはいえ、実際に原稿を読むのはまた勝手が違う。時折、日野先輩にも聴いてもらいながら自分のよくないところを修正していく。でも、
「あーもう!こんなんじゃダメだ…!」
本番が近づくに連れて、焦りが積もる。一朝一夕じゃ身に付かない上に、自分の「読み」を客観的に判断するのは難しい。スポーツのような得点やタイムといったはっきりとした数字がないアナウンスの大会は基準が曖昧だ。
Nコンでの順位は8人ほどいる審査員がつける点数の合計得点で決まる。滑舌や声の通り、アナウンスなら原稿内容、朗読なら表現力などから審査員それぞれが得点をつけていく。
はっきりとした客観的基準は読みにかける時間くらいだけど、ちゃんと練習する人はみんな、短すぎず長過ぎず規定の時間内にちょうど読み終わるように調整してくる。だから私もそこだけは抜かり無く仕上げなければならない。だけど、他の部分は良いのか悪いのかはっきりとはわからない。
原稿は何度推敲してもこれで良いのか不安だし、自分の声は聴くたびにこれじゃダメだと思えてくる。もっと、もっと練習しなくちゃ。自信がつくまで頑張るんだ。そうすれば、きっと大丈夫。ちゃんと発表出来る。中学のときの自分とは違うのだ。
姿勢を正し、ストップウォッチを右手に、原稿を左手に持ち、読み始めようと息を吸う。ちょうどそのときドアが開いて藤城たちが撮影から帰ってきた。私は吸った空気を、そのままため息として吐き出した。
「あ、ごめん楠見さん。邪魔しちゃった?」
「んーん大丈夫。ちょうど疲てきたところだったから。撮影、終わったの?」
「まあ、なんとかね。あとは編集してみないとなんとも言えないけど」
藤城は撮影に使ったビデオカメラや三脚をいつもの位置に片付ける。スタジオにある機材は、大きい金属製の3段ラックに整頓されている。1番下の段は重い機材や記録用のテープを、真ん中はカメラやケーブルなどのよく使う機材が置いてある。一番上の棚は、よくわからないものがごちゃっと積み重なっていた。何世代も前から使わないものをとりあえずそこに置いてきた光景が目に浮かぶ。
道家と八代先輩、秋葉さんはそれぞれ床や椅子に座ったりしてすっかりくつろぎモードに入っている。秋葉さんはいつも通り八代先輩の隣に腰を降ろしてお喋りに興じていた。やれやれ。
今回の撮影で、全ての撮影が一応完了したようだ。私は自分の原稿や練習が手一杯でほとんど手伝えなかったから、詳しいことは知らないけれど、ちーちゃんが言うにはなかなか苦労したらしい。八代先輩含めて全員が初挑戦で、リーダーが1年生なのだ。トラブルだらけでも仕方が無いだろう。なんとか撮影を終えただけでも大したものだと思う。
そんな撮影の合間にも関わらず、藤城は時間を見つけて榊先輩から編集のやり方を教えてもらっていた。
榊先輩はラジオドラマ専門かと思いきや、動画もいけるらしい。先輩のスキルの幅は底知れない。そうして藤城は編集の基礎的なことを教えてもらってからは、下校時刻まで放送室に居残って画面とにらめっこしている。
その必死な姿勢は、私の励みにもなっていた。頑張っているのは私だけじゃない。そう思ったら、機材を片付け終わってビデオカメラのバッテリーを充電器にセットしていた藤城に声をかけたくなった。
「Nコンまであと少ししかないし、お互いがんばんなきゃね」
「うん、ここまで来たらなんとしても完成させるよ」
藤城はそう言うと編集をしに、ミキサー室へ行く。そこでは既に榊先輩が、遮音性の高い分厚いヘッドフォンをつけてラジオドラマの編集をしている。
大会では大きなスピーカーを使って、結構な大音量で作品を流すため小さなノイズでも目立ってしまうらしい。先輩は真剣な顔で黙々と作業を進めている。
藤城はもう一台のパソコンに向かい、編集を始めるようだ。編集ソフトの操作にも大分慣れてきたみたいで、榊先輩に質問する回数も減っていた。いや、そこはあまり先輩の邪魔をしてはいけないという藤城なりの配慮かな。
この放送部には備品としてパソコンが2台もある。最新とは言い難いが、ひと世代前の先輩にもの凄くパソコンに詳しい人が居たらしく、ソフト面もスペック面もやたらと充実している。ありがたいことだ。
さて、そろそろ練習を再開したいのだけど撮影から帰ってきた三人はまだ他愛もないお喋りを続けている。はぁ。楽しく過ごしているところに水を差すのは少し気がとがめるんだよな。私が悪いわけじゃないんだけど、なんとなく声をあげづらい。先輩が気付いてくれたら良いのに。
しかし八代先輩もテンションが上がっていて道家と2人で盛り上がってしまっている。なんだかっていう漫画について熱く語っているようだ。秋葉さんはにこにこと相づちを打っているけれどおそらくついていけてないだろう。
まったく、仕方ない。私は意を決した。
「あの、練習してもいいでしょうか」
先輩も混じっているから一応敬語で。そもそも秋葉さんと道家だけならもっと早くにもっときつい言い方をしてしまっていただろう。回りくどい表現は苦手なのだ。
そのせいで、よく機嫌が悪いと勘違いされてしまうことも知っている。だけど知っているからと言って、それを直せるとは限らないということも知っている。
「あぁ、ごめんごめん。じゃあそろそろ帰るよ。俺はもうあまりする事がないしね」
脚本を書き上げてラジオドラマの録音を終えた八代先輩は、編集作業を榊先輩に任せている。そして自分はお昼の放送などの通常活動に関する雑務を積極的に引き受けていた。
その雑務には私たち新入生に対する指導も含まれているのだろう。大会とは別の、日々の活動については八代先輩から教えてもらうことが多くなった。先輩いわく”Nコンまでは部長と榊には集中してほしいしね。裏方は俺が引き受けるよ”とのこと。
出来た人だ。そのうえ顔もかっこいいのだから秋葉さんが夢中なのもうなずける。うなずけるんだけど秋葉さん、そんな恨めしい目で私を見るのはやめてほしい。”八城先輩との素敵な放課後”を邪魔したのは悪いと思うけど、前にも言ったようにここはあくまで部活動をする場所だ。
そんな秋葉さんは先輩についていって、一緒に帰るようだった。私は2人を見送ると小さくため息をつく。道家はお疲れさまでーすと気のない声で見送ると、自分は窓際に座ってだらだらと漫画を読み始めた。まあ、静かにしてくれるならあまり気にはならない。
やっと練習が再開出来る。
原稿が読みづらいな、と思ったら外はもう薄暗く日が落ちかけていた。さっきまで夕陽が室内をオレンジ色に照らしていたと思ったのに。
集中していると時間が経つのは早い。部室に残っているのは、もう私と藤城だけになっていた。ちーちゃんは歯医者があると言って早々に帰っていたけれど、榊先輩や日野先輩もいないなんて少し珍しい。
もうちょっとで下校時刻になる。スタジオとは違ってミキサー室には外に面した窓がなく、いつも電気を点けているので日没に気付きづらい。編集に集中している藤城は下校時刻だと気付いていないのかもしれない。
私は自分の荷物をまとめるとスタジオから出てミキサー室に入る。
「藤城、もうすぐ下校時刻だよ」
「あー、もうそんな時間か。でも、もう少しだけ…」
きりの良い所まで作業を終えて、藤城はヘッドフォンを外す。編集データを保存、パソコンの電源を落として帰り支度を始める。
先に帰っても良かったんだけど、私はなんとなく藤城の支度が終わるのを待っていた。
「楠見さんはさ、中学のときも放送やってたんだよね。大会ってどんな感じなの?」
「え?」
とっさの事で、うまくリアクションが取れなかった。
「あれ?中学だと大会ってないのかな?」
「あ、ううん。ちゃんとあったよ。中学だとテレビもラジオも、ドラマとドキュメンタリーに分かれてなくて、高校より部門が少ないんだ。それ以外は多分だいたい同じじゃないかな。私のいた中学ではアナウンスと朗読にしか出てなかったけど」
「そうなんだ。じゃあ楠見さんは大会も慣れたものなんだね」
「そんなことない。慣れたりなんかできないよ」
「そう?」
藤城はちょっと不思議そうに聞き返す。そういえば、藤城は元陸上部だっけ。勝負事には強いのだろうか、私と違って。
「藤城は陸上部だったんだよね…大会に出るのって少し怖くない?」
「あれ?意外だな。楠見さんはもっと闘志を燃やす体育会系だと思ってた」
「はは、何それ」
笑って流す事が出来た、かな。
それにしても、私は周りからそんな風に見られてるんだ。必死に練習しているせいだろうか。本当の私はそんなんじゃないのに。
「あ、もうすぐバス来るね。そろそろ出ようか」
藤城が放送室の鍵を職員室に返しに行くと言ったので、帰り道は別々になった。そこまで一緒に行く必要も、待つ必要もない。
バスに揺られながら、帰り際の藤城との会話を思い出す。突然のことだったので、つい本音をこぼしてしまった。結局話しの流れで藤城は質問に応えてはくれなかったけれど、答えはどうったのだろう。彼は、怖くは無いのだろうか。
あの時のことを思い出すのはまだ心の準備がいる。私は大会で失敗するのが、そしてまた負けるのがすごく怖い。あの時みたいな思いは、もう繰り返したくない。
中学の、もうあの子とは学校も違うけれど、今でも私はあの子に縛られている。
「夏樹ちゃんは上手だよ!絶対大丈夫。だから一緒に全国行こうねっ」
という無邪気な期待の言葉。それは小さな私に重くのしかかってきた。私にはあの子ほどの才能はない。そんな風に信じられても困る。
だけど幼いくせに自尊心だけは一人前の中学生には、そう素直に言ってしまえるだけの器用さなんてなかった。私には見栄を実現させるしか道はなかったのだ。私はたくさん練習をした。そして、その結果は…。
だからこそ、私はまた必死な練習を繰り返す。今何をしたところであの出来事がなくなるわけじゃないのはわかってる。だけどやらずにはいられない。
負けることが、期待に答えられないことが、自分が傷つくのが、怖い。恐怖、それが私のモチベーションの根源だ。
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