第10話 朝の教室は寒いから【藤城慎一】
朝の学校は静寂に満ちて、まるで眠っているようだ。僕は人気の無い校舎に足を踏み入れる。
僕は学校に来るのがみんなより少しだけ早い。登校に使っているJRとバスを乗り継ぐタイミングが噛み合わず、遅刻しないためには早めのバスに乗るしかないからだ。...実はもう一本遅いバスでもぎりぎり間に合うのだけれど、そのバスは混んでいるし、利用する生徒が多いせいか遅れる事も多い。バスから降りたらダッシュで教室に向かうなんて、そんな慌ただしい朝は避けるに越した事はないだろう。
ちなみに北葉高校の近くに電車は無く、公共交通機関はバスに限られる。
「自転車で来れる距離なら良かったんだけどね」
生憎と僕の家は、隣の市にあり自転車で通える距離ではない。札幌じゃあ雪のせいで自転車に乗れるのなんて半年くらいだけど、それでも自転車通学が出来る人達が羨ましかった。
中学生の頃は、自転車で通う高校生たちに憧れたものだ。何しろ陸上部の朝練で学校の外周を走らされている横を、すいすいと抜かして行くのだ。妬ましかったと言った方が正しいかもしれない。まあ、今はそんなことはどうでもいいか。
僕は玄関で靴を履き替えると、そのまま職員室へ向かう。まだ入学して日が浅いけど、校舎はだいたい把握している。シャッターの降りた購買の横を通り抜け、その先にある階段を登る。職員室は校舎2階の端に位置しており、来賓用入り口や校長室など教員関係の教室はこちら側に集中していた。
「失礼しまーす」
小さめの声で挨拶をし職員室の扉を開ける。若干立て付けの悪くなっているドアがガラガラと派手な音を立てた。この時間は、職員室でも先生の姿はまだまばらだ。
「おや、おはよう。藤城君。今日も早いね」
ドアから一番近い席に座っている担任の山路先生は、いつも気さくに挨拶をしてくれる。高齢のためか、どんなに朝早く来ても必ずそこに座っている仙人のような先生だ。
「おはようございます」
職員室に入る。目的は山路先生の向かい側、放送部顧問である古谷先生の机だ。
古谷先生は整理整頓が苦手なのか、机の上はいつも雑然と散らかっていた。女の人は整理整頓が得意、なんていう男子の幻想を一発で粉砕するような散らかりっぷりだ。放送室の鍵は、その机の上に置きっぱなしにしてあるのだ。
僕は書類をかき分けて、いつも通り鍵を探し出す。そして山路先生に声をかける。
「古谷先生に、鍵をお借りしますと伝えてください」
「はいよ。部活頑張ってね」
「はい」
何を頑張るのかもまだよくわかってないけれど、一応そう応えておく。
素早く職員室を出て放送室へ向かう。放送室も学校の一施設である以上、一日の終わりには必ず施錠が必要だ。いつも帰り際に施錠をして、鍵を職員室の古谷先生の机へ返す。そして次の日の朝、一番早く来た部員が鍵を取りに行くルールになっていた。
入部してからまだ日が浅いけど、最近ではこの役目はほとんど僕がやっていた。
放送室の鍵を開けて中に入る。電気を点けて、靴を脱ぐ。そして僕はミキサー室にある、パソコンチェアに腰を下ろす。この放送室には通常の教室にあるような木の椅子だけでなく、会社のオフィスにありそうなパソコンチェアが1つだけ存在する。クッションがあり、背もたれもいい具合にバネが効いていて心地いい。
「さて、と」
長い通学路での暇つぶしに読んでいた文庫本を取り出す。
この朝のひとときが得られただけでも、放送部に入って良かったと思う。この部室が無かったら、寒いうえに1人で居るには無駄に広い教室で、クラスメイト達が登校してくるのを待たなければならない。そんな居心地の悪い朝はごめんだった。
その点、放送室なら誰に気兼ねする事無く朝の時間を快適に潰せる。既にここは、学校の中で一番落ち着ける場所となっていた。
しおりを外して、文庫本のページをめくる。ホームルームが始まるまでに、切りが良いところまで読めるだろうか。
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