第2話 自分のペースで【藤城慎一】
なんでも良いから、違う事がしたいと思った。
中学までは陸上部で毎日毎日走っていた。ただ、走るのは好きだったけれど大会は苦手で苦しかった。うちの顧問がいわゆる熱血コーチでやたらと試合に熱を入れるタイプだったため、人との競争にあまり関心がなかった僕にはどうも居心地が悪かった。特に厳しい練習を強制されたりはしなかったけれど、そんなモチベーションだから当然試合ではたいした成績を残さないまま引退。
そして、最後の大会でゴールしたときに決めたのだ。高校では、何か違う事をしよう、と。
「こんにちはー」
放送室の少し重い防音扉を開けて、中に入る。そこには先に日野先輩と同級生の三吉さん、楠見さんが来ていた。靴を脱いで放送室に入る。絨毯の感覚が少しくすぐったい。放送室は、玄関から入って正面にあるのがスタジオ、右側にあるのがミキサー室だ。スタジオもミキサー室も普段はドアを開けっ放しにしていることが多いようだ。ミキサー室を覗くと部長の日野先輩が居た。
「こんにちは藤城君」
日野先輩はミキサー室の机で作文用紙を広げているところを見ると、原稿の推敲をしているようだ。大会に使う原稿らしいけど、詳しい説明はまだ受けていない。今、僕たち1年生はまだ仮入部期間で色々な部を見て回る期間となっているからだ。
それが終わる来週水曜に正式な入部となり、今年度の新入部員が確定する。詳しい説明は、多分そのあとなのだろう。
「こんにちは先輩」
僕は日野先輩に挨拶してスタジオに入る。ちょうど三吉さんと楠見さんが発声練習を終えたところのようだった。
「あ、もう発声終わっちゃった?」
「ちょうど今、ね。はい、メトロノーム」
楠見さんから手渡されたそれはカチカチカチと一定のリズムを刻む。
発声練習では一定のリズムを取るためにメトロノームを使っている。しかしこのメトロノーム、吹奏楽部のお古らしく、ずっと動かしていると段々テンポが遅くなるのが困りものだ。部費で買い替えたりしないのだろうか。
「藤城君、来るの遅かったね。ホームルーム終わったの結構前だったけど」
三吉さんとは同じクラスだ。彼女はホームルームが終わってから真っすぐ放送室に来たようだ。
「あぁ、今日は委員会の顔合わせがあったから」
「え、藤城って何委員なの?」
「藤城君はうちのクラスの委員長さんです」
「おー、見た目通り優等生なんだねぇ」
茶化す楠見さんを軽く睨むが、それもすぐため息に変わる。
「そんなんじゃないよ。中学でもやってたから、同じ中学から来た奴に推薦されちゃって。高校生にもなって、真面目眼鏡だからなんて理由で押し付けるのはいい加減やめてほしいよ」
「あはは、何それ!」
楠見さんは快活に笑い声をあげて、三吉さんは控えめにくすくす声をもらす。僕は2人に苦笑を返しながらメトロノームをセットする。そして正面の壁を見ながら発声練習を初める。壁に貼った文字を追って声を出しながら、とりとめもない事を考える。
なんとなく、のんびりと自由な雰囲気を感じて入ることにした放送局だけど、その判断は当たりだったかもしれない。部室の居心地は良いし、先輩が3人と少ないのも良い。少なくとも、ここには陸上部のような体育会系のノリも、上下関係も存在しない。顧問の古谷先生もほとんど干渉してこないようで、この放送室はまるで学内の小さな自治区のようだった。放送室の防音扉には普通教室のように窓もついていないため完全に外の世界と隔離されているのだ。
同級生との折り合いもまあ大丈夫だろう。今日は道家と秋葉さんは来ていないようだけど、2人はこのまま入部するのだろうか。もし道家が入部しなかったら1年生の男子は僕だけになる。まあ、そんなに気にはしないんだけど。妹が居たり、いとこが三姉妹だったりするので女子の中に混じるのも慣れている。
発声練習が終わると、もうする事が無くなってしまった。いや、厳密には自由活動になった。仮入部期間は、発声練習以外はとりあえず僕ら1年生がやる事はない。入部が確定してないのに、教える手間を考えたら当然かもしれない。ただ、部室には好きなだけ居てもいいという事なので、いつも放課後はここに来るようにしている。まだ訪れるようになって3日目だけれど。日野先輩も好きにしていいって言ってるし、高校で初めての宿題でも片付けておこうかな。
僕は絨毯の床にノートを広げて、数学の教科書を取り出した。
「あんた、細いなりして結構神経太いのねぇ」
三吉と早口言葉で遊んでいた楠見さんが、いや、滑舌の練習なのかな?とにかく、楠見さんが話しかけてきた。
「何が?」
「いや、まだ入部して3日なのに先輩たちの目の前で堂々と宿題やるとかが」
「え?まずいかな」
「まあ、先輩も好きに過ごして良いって言ってるから別に良いんだろうけど…」
ちょっと不服そうな楠見さんに三吉さんが、まあまあ、と苦笑している。ルールに厳しい子なのかな。陸上部にはよく居たなぁこういう子。楠見さんの後輩になる子たちは大変そうだな、と今から少し心配になった。
それはともかく、今は宿題に集中集中。
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