第1話 放送室へようこそ!【三吉 千里】
あ、え、い、う、え、お、あ、お。
か、け、き、く、け、こ、か、こ。
普通教室の4分の1程度の広さがあるこの部屋に、色とりどりの声が重なって響く。
壁を背にして横一列に整列した私たちは、向こう側の壁に大きく張り出された文字を一文字ずつたどって一定のリズムで声を張る。声の主は全部で6人。男子2人に女子4人。
そのうち1人は3年生の先輩で、他の5人は私と同じ今年この北葉高校に入学した1年生だ。
発声練習では、ただ大きな声を出せば良いわけじゃない、空気を胸ではなくお腹に入れて、文字通り腹の底から声を出す。いわゆる腹式呼吸というもので、これが先輩から最初に教わったことだ。
「みんな、もっと一語一音を意識しみて。特に三吉さんは、もっとお腹に力を入れて」
「はいっ」
先輩に名前を呼ばれて心臓がきゅっと縮む。もう3回は同じようなことを言われてしまっている。体力にも筋力にも自信はない。体育は5段階評価で良くて3、2のときも多かった。50音に濁音と半濁音、それに”きゃ”行や”しゃ”行などを加えたメニューを本気でやると、それはもう立派な運動だった。
背中に汗がにじむ。”放送部”に体力が必要なんて思いもしなかった。そんなことを考えているうちに、発声練習が終了した。
「みんなお疲れさま。じゃあ、ここからは自由練習よ。練習用の原稿を読んだり、大会のビデオを見てみたり、好きにやってみていいから。わからない事があったらなんでも聞いてね。あぁ、でもそんなにかしこまらなくても良いのよ。私たちも別に見張るわけじゃないし、お喋りも自由、くつろいでいってね」
放送部唯一の3年生である日野先輩は軽いウェーブのかかったセミロングが似合う素敵な先輩だ。ふわふわしたかわいい見た目とは裏腹に、部長としてしっかり放送部を引っ張っている。練習を終えると先輩は、私たち1年生をスタジオに残してミキサー室に入っていった。そこにはもう2人、男子の先輩方がいる。あの2人は2年生らしい。
この放送室には、いち部活としては贅沢なことに、今私たちがいる”スタジオ”と”ミキサー室”の2つの部屋がある。
ミキサー室はその名の通り、ミキサー卓という校内放送用の設備がある部屋だ。広さは四畳半ほどで、入り口から入って左側の壁にはミキサー卓が設置されていて、正面の壁際にはパソコンを載せた長机が置いてある。そしてその長机に対してTの字のような具合にもう1つ長机が置かれている。お昼の放送の時などは、その机でお弁当を広げたり宿題をしているらしい。私たちはまだ仮入部期間だからお昼の放送は見た事がないのだけれど、先輩がそう言っていた。
スタジオはミキサー室よりも広く、発声練習などに使うほか、校内イベントに使う大きなスピーカーや長いケーブルなどの機材置き場となっている。ただし外に面して大きな窓がついているため、明るく健康的なスペースになっていた。それとスタジオには校内放送用のマイクも設置されていて、校内放送の時はそのマイクに向かって喋るらしい。
2つの部屋は、はめ殺しのガラス窓でお互いの部屋が見える作りになっている。ドラマや街中で見るような、ラジオ局の公開スタジオのような作りで、ミキサー室で機材を操作してスタジオでアナウンスするという仕組みらしい。
「はー、発声って結構腹筋にくるなー」
新入生のうちの1人、道家君がどかっとその場に座り込んだ。この放送室は絨毯張りで、そのまま床に座っても問題ない。なぜ絨毯張りかというと防音のためだそうだ。そのため放送室は土足厳禁で、みんな玄関で上靴を脱いで靴下で歩き回っている。
「なぁ、お前もそう思わねー?」
道家君はオーバーな手振りでお腹をさすって、隣の藤城君に同意を求めている。会ってまだ数時間くらいだと言うのに人懐っこい人だなぁ。
「うん。今まで使ってなかった筋肉を使ってる気がするね」
藤城君はすらっと背が高くてめがねをかけている落ち着いた人だ。人当たりが柔らかく、誰とでも仲良く出来そうな優等生に見える。逆に道家君は明るくてよく冗談を言っている面白い人だ。男子としてはちょっと背が低い方かもしれない。ドウケなんて名前に似合い、ピエロみたいな印象の男子だった。
私はまだじっとりと汗をかいていた。腹筋がひくひくしている。ちらりと隣の子を盗み見ると、私とは違い涼しい顔をしていた。練習のために先輩が出してくれた、たくさんの原稿が入っているファイルをぱらぱらとめくっていた。
隣の子、同じ新入生の楠見さんは中学でも放送部に入っていたらしく、高校でも最初から入部しようと決めていたそうだ。説明会で積極的に質問をする楠美さんは堂々としていて同い年とは思えなかった。私は勇気を出して楠見さんに話しかける。
「えーと…楠見さん、練習原稿ってどれから始めるのが良いの?」
「とりあえず好きなやつで良いんじゃない?まず、声を出して読むのに慣れるのが大事」
「でも、声出して読むってちょっと恥ずかしくない…?」
「初めはね。でも段々声を出すのが気持ち良くなってくるよ。歌うたってストレス発散するのと近いのかも。私は中学でもう慣れちゃった」
そう言って笑う楠見さんからファイルを受け取り、ゆっくりとページをめくる。楠見さんはもう決めたらしく、窓際まで移動して読み始めていた。
この放送室で唯一自然光が入って来るその窓からは、夕方になると綺麗な夕陽を見ることが出来る。男子たちは読みの練習よりも放送機材に興味があるらしく、そこらに置いてある機材やケーブルを興味深く見ていた。
あれ?そういえばいつの間にか1人足りない。同じ新入生の秋葉さんはどこに行ったんだろう。この部屋にはいない、となるとミキサー室かな。
はめ殺しの窓からミキサー室をのぞき見ると秋葉さんは日野先輩だけでなく、男子の先輩方も含めてにこやかにお喋りしていた。すごいなぁ、もう先輩方とあんなふうに喋れるなんて。秋葉さんはまさに女子高生って感じのおしゃれな容姿の子だ。髪も染めているようで、若干茶色がかっている。まだあまり話した事はないけど、どんな子だろう、仲良くなれるかな。
期待よりも不安の方が大きいのは、入学した時から変わっていない。高校生になったからといって、長年連れ添ってきた心配性が急に治るわけではないようだ。
入学式の次の日、体育館で新入生歓迎会の一環として各部活動のPRタイムがあった。
野球部や吹奏楽部などのメジャーどころから、アウトドアライフ同好会や数学研究会など聞いたことのない部活まで、学校の全ての部活が新入生へ向けて自分たちの活動をアピールする。
運動部はユニフォームに着替えて壇上で派手な技を披露したり、全国出場を宣誓したりと新入生獲得に熱心だ。文化部の方はどこかのんびりとしていて、好きな事を一緒に楽しくやりましょうって呼びかけるタイプが多かった。
そんな中で、放送局のPRは最後に行われた。前の部活の発表者が壇上を降りると、これまで司会進行をしていた人とは明らかに違う声がスピーカーから流れ始めた。
「新入生の皆さん、入学おめでとうございます。部活動PRの最後は、私たち放送部がさせていただきます。放送と聞くと、みなさんは何を思い浮かべますか?おそらく、大半の人はお昼の放送と答えるでしょう。だけど実は、それ以外にも大切な活動がたくさんあります。まず、学校行事は私たち無しでは回らないと断言します。ほとんどの学校行事で放送・音響機材の運営を行うのは私たちです。このPRタイムの音響を設置したのも私たちです。裏方である生徒会のさらに裏方として色々な行事で走り回ります。なので、裏方好きの方は是非来てください。そしてもうひとつ、あまり知られていませんが、年に2回大会があります。アナウンスや朗読の技術を競ったり、短いラジオドラマなどを作って発表しています。詳しくは説明会でお話しするので、興味のある人は2階生徒会室の隣にある放送室までお越し下さい。皆さんに会えるのを心待ちにしています」
マイクに向かって喋るだけの、目を引くパフォーマンスなど何も無いアピールだったけど、目を引かない分、耳に響いた。よく通る綺麗な声だというだけではなく、話す内容が直接頭に響くかのような強い声だった。
私は、日野先輩の声で入部する事を決めたのだと思う。あんな風に堂々と声を出すのは私には無理かもしれないけど、もし私にも出来たら何かが変えられる気がした。
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