第2話
ゲートを通った時と同じように、急激な風景の変化に思わず目を瞑る。
ゆっくりと目を開けると、そこには見慣れたビル街があった。車は通っていないが大きな道路もあって、人もそれなりに行き来している。
どこというわけでもない、日本のちょっとした都会に行けば、いつでも見ることのできる風景だ。
「普通じゃん!」
オレは思わずそう叫んだ。
「なんですか? いきなり」
「いや、霊界って言うからには、もっとこう、仰々しい感じなのかなーと。これじゃ現実と大して変わらねえよ」
「そりゃあ、ここは死んだばかりの人がよく通る場所ですからね。思念によって、行き来する霊が持つ常識が反映された世界になるんです」
「思念、ねぇ」
さっきオレが捕まえ損なった悪霊の人間離れした動きも、その思念とやらのおかげなんだろう。
理論上はオレ自身も思念の力を使えることになるが、使い方も分からない上に使えるとも思えない。まるで実感の湧かない力だ。
「奥に行けば、あなたのお望みのゲヘナが見れると思いますよ。年功序列で、長期滞在している霊ほど、居住スペースは奥に配置されていますから」
しばらく慣れ親しんだビル街を歩いていると、ちょうど刺す又のような形に割れた道の中央に、一つの施設があった。
その施設の中央部分に掲げられた看板が、ご丁寧にここが何なのかを説明してくれている。
そこには、『Phantom Regulation Department』と書かれてあった。
「ようこそ、FRDへ」
その中は、別段変わったところのない普通のオフィスだった。
巴と同じ黒いスーツを着込んだ老若男女がパソコン画面とにらめっこしていたり、受話器を耳と肩で挟んでメモを取ったりしている。
変わったところといえば、中央に開かれた通路を、手錠に繋がれた悪霊たちがFRD職員に連れられて歩いていることくらいだ。
「なに見てんだよ」
ちょうどオレの正面から連行されてきた悪霊と鉢合わせし、そいつが睨みつけてきた。
オレは軽く一発殴ってやった。
その瞬間、オフィス内の霊達全員がどよめいた。
「もう一回言ってくれ。よく聞こえなかった。それとももう一発もらうか?」
「す、すみません。僕が悪かったです」
男は途端に殊勝になり、ぺこぺこと頭を下げ始める。
「今度はよく聞こえた。その気持ちを忘れないようにな」
補導していた若い男がぽかんと口を開けている。オレはそいつの肩をぽんと叩いた。
「悪党の手綱の引き方、理解したか? したなら今後こういうことをさせるんじゃねえぞ。こいつらは甘やかすととことんつけあがるからな」
「は、はい……」
若い男は戸惑いながらも頷き、そのまま悪霊を連行して行った。
「あなたは何をやってるんですか!」
「ん? 新人教習兼悪党の人格矯正だ」
「あ、あの人はFRDでも一番の古株ですよ!?」
何言ってんだ? と言おうとして、ようやくここが霊界だということを思い出した。
見た目が若くても、オレより年配の人間は腐るほどいるのだ。
「あー、そうか。でもその割に慣れてない感じだな」
「何を言ってるんですか! 悪霊でも人権があるんです! あんな風に殴って、問題になったらどうするんですか!!」
一体どこで問題になるっていうんだ。
こういうよく分からない体裁に拘るところは下界と変わらないな。
「いいですか。二度と勝手な真似はしないでくださいよ。特にこれからお会いする方には失礼のないように! いいですね!?」
「へーい」
「へいじゃないでしょ。はいでしょ」
どこのお母さんだ。
仕方なく、オレは殊勝に「はい」と一言返事をした。
一体どこに向かうのかと思えば、巴が入って行ったのは局長室だった。
生前も何度か怒鳴られはしたが、大してびくつくような相手じゃない。だいたいがエリート大学出身で実践経験も程々の奴らだから、どれだけ怒り狂おうがたかが知れてる。
案の定、ふかふかのアームチェアに座った局長さんは、喧嘩など一度もしたことのなさそうな柔和な中年男だった。
やり手のエリートらしい作り笑い。十分も話をするだけでオレを辟易させること請け合いだ。
「君が久城はじめ君か」
「どーも。アンタが局長さん?」
「久城さん! 失礼ですよ!!」
巴の叱責を、男が片手をあげて抑える。
どうやら、オレが相手していた上司共よりは心が広いらしい。
「その通り。私は坂上嘉風(さかのうえのよしかぜ)。坂上(さかがみ)と呼んでくれ」
「そりゃよかった。そんな名前毎度毎度言ってたんじゃいつか舌を噛んじまう────」
オレの足に激痛が走る。
巴がオレの足を踏んでいた。
「どうだね、巴? 彼の適正は」
「会って一時間も経っていないのにこう言うのもなんですが、今のところ適正があるとは欠片も思えません。問題行動が多すぎます」
「そりゃ悪かったな。お前らの日和った行動見てるとつい口を挟みたくなってね」
キッと、巴が睨んでくる。
坂上は高らかに笑った。
「なるほど。確かに、君のような経歴の人間から見ればそうだろうな。しかしこちらも人手不足なんだ。最近は、死んでまで働こうと思う人間が少なくなってしまったからね。私たち自身、そういう現状に危機感を覚えていたからこそ、君を呼んだのだ」
「お言葉ですが局長。今の段階でも何ら問題なく霊界は回っております。わざわざこんな不穏分子を置かずとも────」
「巴。言いたいことは分かるが、これはもう決まったことだ。これから色々と苦労するかもしれないが、彼の面倒を見てやってくれ」
オレはそれを聞いて眉をひそめた。
「……ん? こいつはただの案内人じゃねえのか?」
巴は盛大にため息をつき、懐から自身のIDカードケースを開いてみせた。
「私はFRD主任下界保安官。下界の悪霊を取り締まる現場主任です。あなたにはこれから、私の補佐についてもらいます」
マジかよ……。
こんな堅物がオレの相棒だなんて。
「前途多難だな」
「それは私のセリフです!!」
巴に噛みつかれ、オレは渋々前言を撤回した。
「そうだ。ちょうど一人悪霊を移送するところなんだが、君たちにそれを任せたいと思う。移送ついでに彼らに挨拶してきたらどうだね?」
「分かりました」
「おいおい、オレ抜きに勝手に話を進めるな。挨拶って誰にだよ。オレの上司はこのおっさんだろ?」
「あなたもよく知ってる人物です」
オレは眉をひそめた。
霊界に知り合いがいる覚えはない。
巴はオレの方を向いて、言った。
「閻魔様と阿弥陀如来様ですよ」
◇◇◇
悪霊を連れて、オレ達はゲヘナの奥へと歩いていた。
以前巴に言われたことを、オレはまざまざと実感する。
先ほどまでビル一色だったあたりの景色が、どんどん移り変わっていっているのだ。いつの間にやら懐かしい昭和の街並みになり、江戸時代の町並みになり、田畑になり、とうとう何もない荒野となった。
「さて、着きましたよ」
そこはまさしく、地獄の門だった。
最初に潜った鳥居とはまったく違う、こちらを威圧するような刺々しい装飾。
干からびた大地には亀裂が走り、鳥居の奥にはマグマが広がっている。まるでそれを養分にするかのように、彼岸花が美しく咲いていた。
ふと、そこに小さな子供がいることに気付く。
生意気にもポケットに手を突っ込み、この活火山のようなマグマを見つめている。
「おいガキ。ここはお前みたいな奴が来るところじゃねーんだ。とっととママのところへ帰りな」
そのガキは不敵に笑った。
「僕以上にここが似合う人間がいるのなら、一度見てみたいよ」
オレは大きくため息をついた。
これが世に言う中二病というやつか。こういう奴が補導する時に一番厄介なんだ。
巴が突然頭を下げた。
「もも、申し訳ありません! 今日配属された人間でして、まだ勝手が分かっておらず、このような不躾な真似を!!」
「おい巴。そうやってへこへこしてるから、こういうガキが付け上がるんだ。最近のガキが起こす事件ってのは、元はと言えばオレ達大人の責任でもあるってのがオレの持論でね。誰かが一発殴ってやらねーとわかんねーんだよ。こうやってな」
後頭部を殴ってやると、パコンと小気味良い音がした。
巴の顔が蒼白になる。
「……ん?」
何か違和感を覚え、自分の手を見る。
ガキを殴った手が、真っ白な骨になっていた。
「うわーー!!!」
オレは思わず尻餅をついた。
「なんだこれ!? なんだこれ!?」
パニックになってぶんぶん腕を振り回していると、いつの間にやら元に戻っている。
狐に摘ままれたような気分だ。
「今日のところはこれくらいで許してあげるよ」
「ありがとうございます! 閻魔様!!」
「……は? 閻魔? こいつが?」
オレは改めてそのガキを見た。
オレを見下ろし、不敵に笑っている。
「そうだよ。久城はじめ警部」
オレは慌てて立ち上がった。
「てめえ、なんでオレの名前を知ってんだよ!」
「僕は閻魔だよ? 地獄に落ちる人間の名前くらい把握しているさ」
「舐めんな! オレは絶対、地獄なんかに落ちねーからな! そのためにやりたくもねー仕事やらされるんだ!!」
閻魔は、すっとオレの顔に人差し指を向けた。
悔しいかな、それだけで奇妙な凄みを感じ、言葉が出てこない。
「断言しよう。君は必ず地獄に落ちる。僕にはその縁が視えるんだ。決して切れない因縁がね」
「じゃあオレが新しく縁を結んでやるよ。てめえをぶっ飛ばして天国に行くっつー縁だ」
閻魔が苦笑する。
その小馬鹿にした態度が気に入らない。
「久城さん、幽霊は縁を持てませんよ」
「あん?」
「縁も因果も生者のもの。私達霊界の人間は新しく縁を持つことはできないんです。だから、本質的には何もできないとされています」
「……何もできない? けど現にオレは……」
と、そこで自分が死んだのはただの交通事故だということを思い出した。
確かに、霊自身に殺されたわけではない。
「何か、心当たりでもあるのかな?」
ふいに、閻魔がそう言った。
何でもお見通しとでも言いたそうなツラが気に入らない。
「だったら、詳しく調べてみるといい。縁を持てない哀れな君達への、僕からできる唯一の忠告だ」
「……ありがたく受け取っておくよ」
刑事という職業柄、多くの人間を見てきたが、こんな薄気味悪い人間に会ったのは生まれて初めてだった。
悪霊を閻魔に引き渡し、オレ達は地獄をあとにした。
まるで素潜りでもしていたように、巴は過剰なくらい深呼吸している。
「しっかしお前、えらくビビってたな」
まあ、気持ちは分からないでもないが。
「当たり前です! 地獄の門番は日本の霊界に現存する一番の悪人にしかなれないんですよ!? 人でありながら神の仲間入りをするなんて、私たちからすれば常軌を逸した存在です! あの方を苦手としない人なんて存在しません!」
「へぇ。あんなガキがねぇ。どんな悪行をしたんだ?」
「知りたくもありませんよ、そんなこと!」
次にやって来たのは天国の門だった。
青々とした空に、澄み渡った空気。
地獄とは打って変わって、非常に居心地が良い。
花のアーチに囲まれた門からは、天国へ旅立つ者を歓迎しようという心意気がひしひしと伝わってくる。
辺りは色とりどりの爽やかな花畑が広がっていて、眩い光が空から差し込んでいる。
阿弥陀様はすぐに分かった。花を摘んでいた美しい美女で、オレ達に気付くと暖かい微笑みで迎えてくれた。
白いレースのドレスで身を包み、まるで無重力空間にでもいるかのように、ふわふわと宙に浮いている。
「かわいい……」
巴が目を鋭くさせた。
「は?」
「かわいい! なんだこの子!? 天使!? 天使か!?」
「いやだから、阿弥陀如来様ですって」
阿弥陀様……いやアミダちゃんは両手を合わせて喜んでくれた。
「ありがとうございますー! そんなに褒めてくださって、胸がはちきれそうです」
オレは彼女の胸に目をやった。
「いやほんと、はちきれそうだね」
「ちょっと。どこ見てるんですか」
巴に睨まれるも、オレの興奮は冷めやらなかった。
「こんなにかわいくて、しかも天国の門番任されるような人なんでしょ? ホント、アミダちゃん最高!」
「もちろんです! だって私以上に優しい人間なんて存在しませんから!」
そう言って、自分の目を二本の指で挟み込むようにピースしてみせる。
巴が冷めた目でそんなアミダちゃんを見つめていた。
「そうだよねー。オレもそう思う」
オレはうんうんと頷いた。
「だって自分の命を犠牲に何千人もの命を救ったんですよ!? 誰にもできることじゃありません! それは私が日本一……いえ、世界一優しい人間である証明です!」
アミダちゃんは再びポーズをとった。
相変わらず、巴の視線は氷点下だ。
「何千人!? そいつはすげえ! ぜひその時の話を聞かせてくれ!!」
オレが身を乗り出してアミダちゃんに近づこうとした時、巴がオレの襟首をむんずと掴んだ。
「はい、もう行きますよ」
「いやだー! オレはもっとアミダちゃんと語っていたいんだー!!」
オレの叫びもなんのその、アミダちゃんが手を振るのを見ながら、早々とオレ達は天国をあとにした。
◇◇◇
オレは自分のデスクで、何度目かも分からないため息をついた。
「またため息なんかついて。言っておいた事務処理はできたんですか?」
「気が乗らねえ」
オレはちかちかと光るパソコン画面には目も暮れず、その場でふて寝していた。
「デスクワークも保安官の立派な仕事です。ちゃんと勤めを果たしてもらわないと困ります。ほら、起きて」
巴に起こされ、オレは糸の切れたマリオネットのようにがくりと頭を垂らした。
「……仕事が終わればまた会いに行けばいいでしょう?」
「いいの!?」
巴はため息をついた。
「別に、仕事以外の時間まで拘束する気はありませんよ」
オレはすぐさまキーボードを叩き始めた。
そうと分かればさっさと終わらせて、アミダちゃんのところへ遊びに行こう。
「そういや、天国と地獄の門番は、一番の善人と悪人にしかなれないって言ってたよな。仮に嫌だって言われたらどうするんだよ」
「悪人は自身の悪行を認められたいという欲求を持っているものです。そして善人は、お願いすれば大抵のことは聞いてくれます」
なるほどね。
オレはここに来て初めて感心した。
「神様も、なかなか人間ってやつを分かってんじゃねえか」
「当たり前です。神様ですよ?」
ふと、オレは思った。
「そういや、閻魔と阿弥陀如来がいるなら、やっぱ神様もいるのか?」
「もちろんいますよ。姿を見た人は一人もいないという話ですけどね」
「ふーん」
もしも本当に神という輩がいるのなら、一度拝んでおきたいものだ。
一体どんな偉そうなツラをしてやがるのか。
「まったく。どうして男の人って……」
ぶつぶつと、巴がつぶやいている。
「なんだ? お前、妬いてるのか?」
「誰がなんですって?」
「そんな不貞腐れるなよ。お前だって十分かわいい部類だしさ」
「か、かわ……!!!」
巴は後ずさった。
見る間に顔が真っ赤になる。
「あ? なに照れてんだよ」
「だ、だって。そんなこと、言われたことなかったから」
言われたことがない?
オレは改めて巴を見た。
下界の女どもがいたら修羅場になりそうな発言だ。
「私なんて頬もガリガリで、細見のくせに胸だけ大きくて下品な身体だって、親からも疎まれてたのに」
「……お前、生まれっていつ?」
「? 平安時代ですけど」
今ならドストライクなスタイルでも、千年前はそうでもなかったらしい。最先端を行き過ぎた結果なのだろう。
「……私、下界ではみんなにいじめられていたんです」
おいおい、とオレは思った。
そんなヘビーな話を初対面に等しいオレに言われても、ご愁傷様でしたとしか言えない。
「まあ、あれだ。生きてりゃ良いことも……って死んでるんだったか。じゃあほら、死んだからノーカンっていうか────」
「実はですね」
「聞けよ」
せっかくこのオレが慣れない励ましの言葉をかけてやっていたというのに。
「私を嫌っていたお母さまというのがそれはもうひどくて。最終的にはですね────」
マジかよこの女。
そんな誰も得しねぇ暗雲たる過去を語って何の得があるんだ。
「私にお風呂に入れなんて言うんですよ!? それも週に一回以上! 私、それがもういやでいやで!!」
「……」
オレは自分のポケットを弄り、ここが霊界で、タバコなんていう俗世的なものが存在しないことを思い出し、天を見上げてそれを憂えた。
そういえば、下界ではゆとり世代を馬鹿にした発言を何度かしたこともある。
しかし、そんな感情が間違いだったことが今なら分かる。
育ってきた時代が違えば、常識だって違ってくる。そういうことを、ちゃんと理解してやれていなかったのかもしれない。
それが分かった今だからこそ、オレは敢えて若者世代の言葉で、この鬱屈した感情を吐露した。
「ジェネレーションギャップぱねぇ」
◇◇◇
オレは今、人生(もう死んでるが)で二度目のゲートを通過するところだった。
とうとう記念すべきオレの初任務の指令が下ったのだ。
「いいですか? 鉄砲玉のようなあなたにお願いするのは一つだけ。暴れないことです」
「簡単な指令で助かった」
巴は恨みがましい目で睨みつけ、すぐに正面を向いた。
「私達霊が一番してはいけないことは、下界に干渉することです。存在強度を上げれば簡単に下界のものに触れることができますが、それで大暴れなんかしたら、悪霊認定されるのは私達になります。霊は何もできない。下界の動きに干渉してはならない。それが世界の摂理です。私達の史上目的は、生きとし生ける人間達を守ることではなく、人々を自然のままに生かし、死なせること。分かりましたか?」
オレは適当に頷いた。
もちろん、話は半分も聞いていない。
「下界に住む霊達はみなさん聞き分けの良い方ばかりです。死んだばかりで混乱する霊も時にはいますが、それもごく少数。わざわざ脅す必要もないし、暴力に訴える必要もありません。いいですね? 分かりましたね?」
「分かった分かった。下手に暴れなきゃいいんだろ」
安心したのか、巴はほっと胸を撫で下ろした。
「んで? 栄えある最初の悪霊に選ばれた幸運な野郎はどこのどいつだ?」
巴はいそいそと資料を取り出した。
「ええとですね。名前は宇木林寿人。享年36歳。ヘビースモーカーだったらしく、悪性腫瘍のガンに見舞われて病死。以来、死亡した病院内の地縛霊として登録されています。しかし最近では、指定範囲から百メートルほど離れたカフェに行き来しているとのことです」
「霊ってのは縄張りがあるのか?」
「下界に住む霊は何かに縛られる必要があります。土地であったり、人であったり。彼らの未練を尊重して、妥当と思われた霊には地縛霊や憑依霊として下界に存在することを許可されるんです。場合によっては裁判なんかでその権利の認可を争ったりしています」
「裁判ねぇ。ますます下界と変わらねーな」
「昔は許可される霊がいるだけでも温情だと、みなさんありがたみを持って接してくれたんですけどね。一度権利を与えると助長するのは人間のサガなのでしょう」
「で、いらねー仕事が増えたと」
「まあ、そういうことですね」
やれやれだ。
警察に入りたての所轄仕事を思い出す。
こんな雑用ばっかやらされてたら、退屈で死にそうだぜ。
「周辺の霊の数によって行動制限の度合いは変わっていきます。この地域は最近行動制限が掛けられた場所ですから、おそらく彼はそのことを知らなかったのでしょう。私たちの仕事はそれを伝えること。それだけです。分かりましたね?」
何度目か分からない返事の催促に、オレは辟易してため息をついた。
オレ達は早速ゲートを通って下界へ降りる。
以前ゲートへと入った鳥居に出てしばらく歩くと、問題のカフェにはすぐに着いた。
駅と連動したデパートの一階にあり、透明な自動ドアを通して洒落たインテリアのカフェが見える。
オレは小さくため息をついた。
「どうかされました?」
「オレはカフェが嫌いなんだ」
「そうなんですか? 私は割と好きですけど。通ったことはありませんが」
平安時代の人間ならそうだろうな。
「オレの元相棒でカフェ好きの奴がいてな。しょっちゅう肩の凝りそうな小洒落たカフェに行くんだが、オレもよく付き合わされた。その時に必ずと言っていいほど話題になる議論があってな。曰く、『カフェで仕事や勉強をするな』ってやつだ」
巴はじっとこちらを見つめている。
「カフェは飲み食いする場所だからパソコンを持ち込むな、勉強するな、かっこつけるなってのが奴の持論だ。はっ。カフェで優雅にカップ傾けながら悦に入ってる奴が何言ってやがる。文句言われる奴らも奴らだぜ。別に禁止されてない? お喋りしてる奴とどう違う? んなこと聞いてねえんだよ。目障りなもんは目障りなんだよ。理由なんか犬にでも食わせとけ。文句言われるのが嫌なら家でやりゃいいんだよ、家で」
オレの怒りのボルテージが段々上がってきた。
「やれどっちが偉いだ間違ってるだ、そんなもんただ飲み食いするためにカフェ入る奴からすればどっちでもいいんだよ! それをさもカフェ利用客代表みたいな顔してぐちぐちぐちぐち延々議論しやがって。そんなに思い通りにしたけりゃ自分でカフェ作れ! 勉強禁止でも仕事ウェルカムでも好きな看板ぶら下げて営業すりゃいいだろうが!!」
興奮でぜぇぜぇと肩で息をするオレに対し、巴は若干引いていた。
「……久城さんって、色々とどうでもいい不満を貯め込むタイプなんですね」
この話を聞いて“どうでもいい”などと評されたことは甚だ遺憾だったが、もはやそれに反論する余力はなかった。
カフェの入り口である自動ドアは、当然のようにオレ達を認知してくれなかった。
巴は何でもないような顔をして歩いて行くと、幽霊よろしくドアをすり抜ける。
……正直言って、違和感が半端ない。
オレはこっそり生身の人間が入る後ろをついていくことで、この関門を突破した。
中に入ると、問題の霊はすぐに見つかった。
一人、何も頼まずに四人掛けのテーブルに座っている男の姿は一種異様だったが、奇異の目で見られることはない。なにせ彼らには、この男の存在そのものが視えていないのだ。
「あなた、宇木林寿人さんですよね?」
その言葉を聞いて、その男は巴の方をしっかりと見上げた。
それだけで、この男が幽霊であることが分かる。
巴はIDカードケースを見せた。
「FRDです。あなた、指定された地縛区域から離れています。規約違反ですよ」
宇木林は、それを聞いてすぐに顔を青くした。
男は一瞬だけポケットに手を突っ込んだ。
「す、すみません。地縛区域が狭まったんですね。報告を聞いていませんでした」
宇木林は殊勝な面持ちで勢いよく頭を下げた。
「ごめんなさい。悪気はなかったんです。これからは、もう通わないと誓います」
「……分かりました。では今回は、厳重注意だけに留めておきましょう」
「あ、ありがとうございます!」
巴はオレの方へ振り向いた。
「これで終わりです。霊になってまで悪事を働く酔狂な霊はいませんから。簡単でしょ?」
オレはじっと宇木林を見下ろしていた。
宇木林は緊張した面持ちで、ぎこちなく笑みをみせる。
「お前、さっき何隠した?」
「え?」
オレは宇木林の髪を掴み、そのままテーブルに叩きつけた。
突然の音に、優雅にコーヒーを飲んでいた客が一斉にこちらを見る。
「な、なにしてるんですか! 下界に干渉するのは駄目だって言ってあったでしょ!?」
オレは宇木林が怯んだ隙に、ポケットに入れた何かを探り当てた。
「こいつを見てからでもそんな悠長なことが言えるか?」
放り投げたそれを、巴は慌てて受け取る。
それは昔よく見た三角形のオブラートだった。中に入っている白い粉は、刑事にはお馴染みだ。
「まさか、死んでからも麻薬が横行してるとはな」
巴は信じられないという様子で中身を確認している。
宇木林は顔面蒼白だ。
「さて、善良無垢な地縛霊さんにお聞きしようか。こいつをどうするつもりだったんだ?」
「そ、それは……この前拾って────」
オレはため息をついた。
すぐ側で、ぽかんと大口開けている成金趣味丸出しのおばさんのカップをもらい、アツアツのコーヒーを宇木林の頭に掛けた。
「あつっ! 熱い!!」
ばたばたと騒ぎ始める。
奇異の目で見ているだけだった客達が、どんどん離れ始める。
その顔は明らかな恐怖で引き攣っていた。
彼らからすれば、まさしくポルターガイストだろう。
「取引だ。ここの平和ボケしたお姉さんが厳重注意と言っちまった以上しょうがねえ。お前の罪は保留してやろう。洗いざらい全部喋ったらな。さ、お前の上にいる奴を教えな」
「ち、違う。オレはただ、良い薬があるからって言われて……それで買っただけ────」
オレは持っていたカップを頭に叩きつけた。
パリンと音を立てて割れ、周りの客が悲鳴をあげる。
「んなわけねーだろボケ。こんな怪しい薬持った奴が、地縛区域を離れて誰かを待っていた。売人じゃねーと話が合わねーよな?」
男が歯を食いしばり、ようやく口を割ろうとした時だった。
何者かの視線を感じ、オレは自動ドアの方へ目をやった。
そこにいた男が瞬時に踵を返し、走り出す。
オレは宇木林を放り出して駆け出した。
「巴! そいつを拘束しとけ!!」
「え!? え!?」
オレと宇木林を交互に見て、巴は慌てて宇木林を押さえつける。
「ちょ、ちょっと待ってください! 今この男から上の人間を聞くところだったんじゃ────」
「あの変わり身の早さは普通じゃねえ! たぶんこいつの上司だ!!」
「ええ!?」
奴の足は速かった。
沿線の道路をランナーの如く疾走している。
霊になって持久力は上がったようだが、それは向こうも同じこと。経験値でいえばいくらかこちらが不利か。
奴を追って脇道に入ると、男がこちらを向いて立ち止まっていた。
「潔い奴は嫌いじゃない。さっさと両手を挙げな」
「潔い? 面倒なのが嫌いなだけだ」
男はまったく動かない。
どうやら素直に言うことを聞く気はないらしい。
しばらくすると、巴が追いついてきた。
膝に手をつき、ぜぇぜぇと呼吸を荒くしている。
「奴はどうした?」
「と、とりあえず……、捕縛、しておきました」
以前ケネディ大統領が見せたように、ひとまず銃で拘束したというところか。
「よし。んじゃ、こっちも同じ手口でとっ捕まえるぞ。武器をくれ」
「はい!!」
霊を拘束する銃なら、流れ弾を心配する必要はない。大勢の人間がいる中でも、思い切りぶっ放しまくれるというわけだ。
巴がオレに何かを手渡す。
オレはそれを見た。
そこにあったのは一枚の札だった。
「……なにこれ?」
和紙でできた紙に、達筆な文字が墨で書かれている。
「何って、日本の取り締まり用具ですよ」
「違うだろ! ほら、他の国の奴は銃とか使ってカッコよかったじゃん! なんで日本だけこんな時代遅れの札なんだよ!」
「大昔から使ってきた由緒あるものなんです! 他の国なんて関係ありません! 嫌なら使わなくていいんですよ。霊を素手で逮捕できる術(すべ)があるのなら」
ぐっと、オレは口をつぐんだ。
背に腹は変えられねえ。
オレはその札を握りつぶすように掴んだ。
その時、男がゆっくりとポケットに両手をいれた。
「動くんじゃねえ!! 取り出そうとしたものをこっちに投げてよこせ」
男は肩をすくめ、ポケットから何かを放り投げた。
それはスマートフォンだった。
オレは相手を警戒しながらそれを受け取り、電源ボタンを押す。
そこにはトカゲの写真が待ち受け画面に広がっていた。
「なぁ。アンタ、現代人なんだろ? 生前こんな風に思ったことはないか? なんでこいつら、こんなよく分からないものを待ち受けにしてるんだろうって」
「……あいにくだが、オレは生涯ガラパゴス派で貫き通したんだ」
男はオレの言葉を無視して話を続けた。
「オレは分かるぜ。いや、分かったというべきかな? ずっとそれを見ていると、まるで同化したような気持ちになるんだ。一体感、っていうのか?」
その時、ゴキリと男の首が鳴り、あらぬ方向へ曲がった。
ゴキ、ゴキ、ゴキゴキゴキ。
腕の関節が異様な方向に曲がり、音をたてながら伸びていく。
オレは思わずスマホを落とした。その途端、スマホは煙のように消えてしまう。
男の背中からは、まるで虫のような足が生え始め、トカゲのように地面を這った。
「悪霊ぱねぇ……」
オレは思わずつぶやいた。
「おいおいおいおい。聞いてねえぞこんなの。いつからオレは化け物ハンターになったんだ?」
巴を見るも、彼女も顔を青くしている。
「そんな……。ここまで思念をコントロールできるなんて。下手すれば人間に戻れなくなるのに」
「対処法は?」
巴はしばらく黙った。
「……ふ、札で閉じ込めましょう」
「それ対処って言うのか?」
「仕方ないでしょう!? 検挙自体ここ数百年やってないんですよ! まして思念で怪物化できる霊が相手なんて、私も初めてです!」
オレは嘆きたい気分だった。
どれだけお役所仕事だったんだよ、FRD。
その瞬間、人間離れした鋭敏な速さでトカゲが飛んだ。
一瞬のうちに背後に回られ、オレは巴を突き飛ばした。
その瞬間、奴の巨体がオレにぶつかった。あっと思う間もなく建物に叩きつけられ、その反動でコンクリートの壁が陥没する。
「久城さん!!」
オレは自分の身体に降りかかったコンクリートの残骸を払い、立ち上がった。
本来なら致命傷になるはずの傷も、霊にはまったく効かない。
「……でもいってえええええ!!!! てめえ、よくもやりやがったなこんちくしょう!!!」
トカゲ野郎はにんまりと笑った。
『普通なら悶絶して動けねえくらいの激痛なはずだけどなぁ。公僕にも骨のある奴がいるじゃねえか』
「ああん!? ひょろっひょろの骨してそうな奴が何言ってやがる! 真っ向から来てみやがれ!! 大根みてえにへし折って、串焼きにして食ってやるからよ!!」
『……怒りで痛覚がマヒしてるって感じか? ま、どっちでもいいけどな』
細長い腕が掻い潜るように伸び、オレの腹を殴った。
思わず飛沫を飛ばすも、その腕を掴むことに成功する。
しかしその瞬間に顔を強く殴打され、思わず手を放してしまう。
「ちっくしょう。これでもくらえ!!」
オレは思い切り札を投げた。
しかしそれはひらひらとどこかに飛んでいく。
「ぜんっぜん使えねえじゃねえか! 何が由緒だくそったれ!! こんなもん歳食っただけの居眠り国会議員と同類だ! 決めた。オレはもう金輪際由緒だしきたりだのという言葉には従わねえ。絶対にだ!」
「そんなこと言ってる余裕があるなら逃げてください!! これは私たちの手に負えません!!」
「いいからてめえは物陰に潜んでろ!!」
オレは唾を吐き、飛沫で汚れた口元をぬぐった。
「ようやく分かって来たところなんだからよ」
「え?」
トカゲ野郎は軽いフットワークでオレを翻弄し、再び拳を放った。
オレは瞬時にそれを見切り、しゃがむことでそれを回避した。
『っ!?』
返しの拳を、しかしトカゲ野郎は瞬時に後退して避けやがった。
「見えてきたぜてめえの動き! おら来いよボケェ!! 次は当ててやる!!」
『……ふーん。このままやり合うのは分が悪いかもな』
トカゲ野郎はオレににじり寄って来たかと思うと、そのまま逃走した。
「あ、逃げやがった!!」
「た、助かりましたね。とにかく局長に連絡して────」
「何吹いたこと言ってんだ! あともうちょっとでとっ捕まえられるところだったんだ! このまま追うぞ!!」
巴は慌てて止めた。
「ダメですって! 肉体的ダメージはなくても精神的ダメージは蓄積されるんです!! これ以上蓄積されたら霊体維持ができなくなって、永遠に闇の中を彷徨うことになりますよ!」
オレはそれを無視して奴が逃げた方へ走った。
「……もう!! 自分のことまで無鉄砲なんですから!!」
そんな声が、背後から聞こえた。
◇◇◇
奴を追っていると、商店街へと入った。
生前、ナイフ使いの男をとっ捕まえた場所だ。
「くそ。見失った」
元々、機動力には雲泥の差がある。単純な追いかけっこで勝てるわけがない。
少ししてから、ようやく巴がオレに追いついてきた。
「はぁ、はぁ。わ、私……霊になってこんなに走ったの、初めてかも……」
「遅えぞ。あいつがどこ行ったか分かるか?」
「さすがに本部へ戻らないことには……。でも、あの男は周辺に登録されている地縛霊ではありませんでした。怪物化のこともありますし、こちらの探索から逃れる方法を持っているとしたら……」
「戻ったところで意味はなし、か。足で探すっきゃねえな」
ふとその時、商店街の隅に妙なガキがいることに気付いた。ボロボロの着物を着た女のガキだ。
通りすがりのサラリーマンを見て、そのガキはてとてとと駆け寄った。
「わたし、メリー。あ、あのね……メリー、今商店街に……あうっ!」
メリーと自称した奇妙なガキは、その場で転んだ。
サラリーマンは彼女が見えていないのか、そのまま去っていく。
「なにあれ?」
どうやらオレ達と同類のようだが、少し毛色が違うようだ。
「簡単に説明すると、情報の集合体です」
「なんじゃそりゃ」
「メリーさんという都市伝説はご存じですか? 今ではめっきり聞かなくなった都市伝説です。霊が意志そのものだというのなら、彼女は募りに募った人間の好奇心や恐怖の塊。噂話そのものです」
「ふーん」
メリーは地べたを這いつくばり、半べそをかいている。
どう贔屓目に見ても、そんな大層なものには見えない。
「廃れた都市伝説は、その分存在がおぼろになります。その結果があれです」
ようやく立ち上がったメリーは、ふとオレ達が見ていることに気付き、てとてとと走って来た。
「わ、わたしメリー」
「……オレは久城だ。久城はじめ」
「今商店街にいるの」
「知ってるよ」
オレはため息をついた。
と、そこで一つ妙案を思いついた。
「おいメリー。お前、さっき怪物を見なかったか?」
メリーは首をかしげている。
「何をするつもりですか?」
「決まってんだろ。地縛霊と違って、こいつは自由に下界を行き来できるんだ。最高の情報屋じゃねーか」
「情報屋……」
そんな発想すらなかったのだろう。巴はぽかんとしている。
「メリー、こわいゆうれいなら見たよ。追いかけたけど、建物の中に入ってっちゃった」
ビンゴだ。
「よし。そのいかつい霊がどこ行ったか教えてくれ」
メリーは何かを考えるように上を向き、オレを見つめた。
「メリー、頼られてる?」
「おう。頼ってる頼ってる」
ぱあと、分かりやすいくらいに顔を明るくさせる。
「無視されないだけでなく、頼られてる! メリーの天下?」
「天下天下」
「ちょっと。そんな風に煽って大丈夫なんですか?」
「ま、なんとかなるだろ」
メリーは早速よたよたした足取りで駆けて行った。
「こっち!!」
時折そう言ってオレ達を呼び、再び駆けて行く。
そんなことを繰り返してやって来たのは、既に閉店したボーリング場だった。
「ここに入って行った! ここね! 夜になると、いっぱいゆうれいさんが集まるの! こわそうなゆうれいさんばっかりだから、メリーも入ったことないんだよ!」
オレと巴は、顔を見合わせた。
第二話 了
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