第3話


「初任務早々、やってくれたね」

「申し訳ありません!!」

坂上に巴が頭を下げている横で、オレは小指を耳に突っ込んでいた。

「久城さんも謝ってください!」

「これがオレの謝罪スタイルなんだよ」

オレはちらと坂上の顔色を窺った。

この悠然としたエリートがどんな風に顔を赤くするのか興味があったのだが、オレの期待に反して、坂上は愉快そうに笑っていた。

「まあ、確かに色々と問題を起こしてくれたが、それを補って余りある功績があったのは事実だ。今回は不問にしよう」

「あ、ありがとうございます!」

巴の何度目か分からない深々としたお辞儀を尻目に、オレは小さく舌打ちした。

徹頭徹尾自分を見せたがらない野郎だ。

「んで、例の場所についてはなんか分かったか?」

「どうやらあのボーリング場は何らかの迷彩が張ってあるらしい。どれほどの数の悪霊がいるのか、組織として活動しているのか。その他諸々のことは我々の霊探査では感知できない」

FRDがあずかり知らない“何か”があるといったところか。

本当に頼りがいのない組織だ。

「じゃああの白い粉の正体も分からずじまいか?」

「いや、そっちはすぐに分かった。あれは徳だよ」

「徳?」

「巴君から話は聞いているだろう? 天国に行くために必要なものだよ。思念という錯覚のようなものでしか世界に干渉できない我々霊にとって、その行き着く場所というのは唯一欲求するものだ。徳の多寡で天国行きが決まるという真実を“思い込んでいる”我々にとって、徳というのは何にも代えがたい存在であり、価値であり、嗜好品なのだ」

「そういうことか。徳を形にしたもの。それをヤクに見立てて売っ払ってるってことだな」

そして実際、それくらいの効果が見込める。高揚感を得るという思念を増幅させる起爆剤というわけだ。

「相手はどうやら、霊界の“もの作り”に関して非常に造詣が深いようだ。おそらくそうやって、我々の目を何百年とすり抜けてきたのだろうな」

「百単位で済めばいいけどな」

巴はキッとオレを睨んだ。

言外の『失礼なことを言うな』という忠告が視線になってぐさぐさと突き刺さる。

「手厳しいな。ではその歴史に終止符を打てるよう、君たち二人には今以上に努力してもらおう。頼んだよ」

巴は興奮した様子で大きく頷いた。

「は、はい! ありがとうございます!!」


局長室に入るときはあれだけ憂鬱そうだった巴が、今は鼻歌でも歌いそうな勢いだ。

「お前、局長のこと好きなのか?」

「え? 尊敬してますよ?」

どうやら、お花畑なのは恋愛に関してもそうらしい。

「坂上局長は私が霊界に来て間もない頃から世話をしてくれた方なんです。あの人がいなければ、今の私はいません」

相当な思い入れだ。

オレは……そんな風に思える奴はいなかったな。素直にうらやましい。

「それでは、今日一日お疲れさまでした。今回の件は情報が整理でき次第、局長から何らかの指令が下るはずですから、そのつもりでいてください」

そう言って馬鹿丁寧にお辞儀をして、巴は踵を返した。

オレはその手を掴んだ。

「どうかしましたか? 居住区や当面の生活についてはすべて説明したはずですが」

「そうじゃねえよ。初仕事終わりと言えば、やることは一つだろ?」

巴が首を傾げる中、オレはにんまりと笑った。

「打ち上げだ」


◇◇◇


オレ達がやって来たのは、下界にある行きつけの居酒屋だった。

生前と変わらない、書き入れ時にも関わらず寂れた場所だ。その座敷に、オレは巴と二人で向かい合って座っている。

「なぁ。本当にここにいるだけで大丈夫なのか? 人間はオレ達が見えないんだろ?」

そんなことを聞いた時、オヤジが水の入ったコップを二人分置いた。

思わず見上げるも、オヤジはオレ達に気付いていないようで、そのまま去っていく。

「時々、生者でありながら私たちの姿を見ることのできる人間がいます。そういう方はごく少数ですが、霊の気配を感じることができる人間というのは、意外と多いんです。そういう方は無意識に、そこに人がいるように動いてしまいます。あなたも生前、思い当たる節はありませんか? 混んでいる電車の中で不自然に席が空いていたり、飲食店の誰もいない席でなかなか食器が下げられないテーブルがあったり」

……言われてみれば、確かにそんな状況を何度か目にしたことがある。

気付いていなかっただけで、意外と生前から関わりはあったのか。

「ま、いいか。無銭飲食できるならそれで」

「あのですね。霊だから何をしてもいいということにはならないんですよ。何度も言いましたが、下界への干渉は原則として禁止されているんです。少しくらいなら許しますが、過度な干渉は────」

「さ、飲もうぜ飲もうぜ!」

巴の言葉を無視して、オレは近くにあったメニューを手に取った。

巴が小さくため息をつく。

「……急にテンションが上がりましたね」

「ったりめえだろ! 今から飲むって時にテンション下がる男なんていねーっての! おい、オヤジ! いつもの玉酒、二杯な!」

巴は首を傾げた。

「玉酒って、魚の臭みとかを取るものですよね。飲むんですか?」

「いいからいいから」

返事こそされなかったが、オヤジは健気にも玉酒が注がれた盃を出してきた。

オレはそれを前に二回ほど柏手を打って、味わう間もなく一気飲みする。

巴も、怪訝に思いながらオレに倣う。

「ウチの部署じゃ、相棒になった奴とはこうして飲むのがしきたりなんだよ。相手の弾(たま)を避(さ)けれますようにってな。悪党の凶弾で倒れるなんて警察冥利に尽きるってもんだが、仲間からの誤射じゃ死んでも死にきれねーからな」

「そういうものですか……」

「ま、最近じゃ飲みニケーションがなんだ、急性アルコール中毒がなんだって、断る若者が急増中だけどな」

しばらくすると、食事やビールが運ばれてきた。

喜々として口へ入れて、オレの笑みはすぐに消えた。

ふと見ると、巴が悲しそうにこちらを見つめている。

オレは箸を置いた。

「なるほどな。霊の無銭飲食が流行らないわけだ」

オレが口に入れたものは、ほとんど味がしなかった。

そういえば、坂上が言っていたな。

オレ達霊にとって、快楽といえるものは徳だけだと。

「……ごめんなさい。先に教えておくべきでした」

オレはその顔を見て、ため息をついた。

規律にうるさいこいつが敢えて何も言わず付き合ってくれたということがどういうことか。それが分からないほどガキではないつもりだ。

「おい。飲みの席でそんな顔してんじゃねえよ。白けちまうぜ」

オレはグラスに酒を注ぎ、それを巴に渡した。

「ほら飲めよ。薄いだけで多少は効き目があるんだろ?」

巴は戸惑いながらも、それを受け取った。


「飲みの席でそんな顔してんじゃねえ、だって! ぷっ。アハハハ!」

オレは無言で俯いていた。

「久城さんってナチュラルにかっこつけますよねぇ。無意識? 無意識ですか?」

「いや、うん……」

オレはビールを飲んだ。

相変わらず、酔いや旨味といったものは感じられない。

生前、ウーロン茶しか飲んでない奴が場酔いしてハッスルし始めたことがあった。

巴は相変わらずケタケタと笑っている。

これはあれだな、と冷静な頭で思った。

誰かが酔うと、もう一人は一気に冷めてしまうというアレだ。

「あ、口ひげ! アハハハ!! 口ひげ!! 口ひげとか!!」

あれだけはしゃいでいた巴が急に止まった。

「どうした?」

「……吐きそう」

「ええ!?」

オレは慌てて受けられるようなものを探し、咄嗟に自分の手を差し出した。


「……最悪だ」

眠っている巴を背負ったまま歩きながら、オレはぼやいた。

今でも手に感触が残っていやがる。

良い感覚はとことん薄まってる癖に、こういう感覚は生前と変わらないのかよ。詐欺だ。横暴だ。

ふと、オレの横を見るからに不良なガキ共が通る。

その手にあるものをオレは見逃さなかった。

足払いをすると、そいつは面白いように転がった。

その拍子に、隠していた注射器が地面を転がる。それがちょうどパトロールしていた巡査の目に留まった。

ガキ共の顔が青くなる。

巡査はしばらく呆けたように固まり、その注射器を拾うと、そのまま手渡した。

「身体悪いのか? 大変だな。気を付けて歩けよ」

それだけ言って、巡査は去って行った。

「無駄ですよ」

いつの間に起きたのか、巴がつぶやいた。

「私達は幽霊です。下界に干渉することはできません」

ガキ共は、ほっと胸を撫で下ろし、辺りを気にせず高笑いしている。

「あの刑事は麻薬を見つけることができない運命だった。生きた人間なら、その運命を変えることもできるでしょう。ですが縁を持たない私達には、それは決してできないんです」

縁。

最初に聞いた時はピンと来なかったが、今ようやく実感した。

「昼間のカフェもそうです。本来なら、あれほどのポルターガイストが確認された店は大繁盛するか閉店になるかの二択くらいですが、明日はいつもと同じ客入りのはずですよ。ポルターガイストの件は、少し誰かに話して終わり。気のせいだった。勘違いだった。そういう風に記憶が補完されて、この件はおしまいです。それでも、そんなルールが壊れて世界がめちゃくちゃにならないよう、私たちは規律を守るために仕事をしているんです」

「……お前さ。なんで保安官やってるんだ? オレと違って、お前ならすぐにでも天国に行けるだろ」

「……私には、縁がありますから」

「縁? だが霊には……って、そうか。まったく縁を持てないなら、生身のオレが悪霊とやり合うことだってできねえもんな」

「え?」

巴の疑問の声に、オレは眉をひそめた。

「なんだよ。お前も見てたんだろ? 生前のオレが、悪戦苦闘しながらも悪霊相手に互角以上に戦ってたところを。ま、無粋な邪魔が入って死んじまったけどよ」

巴が突然笑い出した。

「そんなのありえませんよ」

「……はあ?」

ありえないと言われても、事実そうなのだ。

「いいですか? さっきも言いましたが、霊にとって一番の禁忌は、生者の世界に干渉すること。存在強度を高めて下界に干渉することは可能ですが、人を殺すような過干渉があった事例なんて今まで存在しませんし、それを霊界が関知しないなんてこともありえません」

「でも現にだな!」

「何かと勘違いしたのでは? あなた、けっこうお酒を召してらしたでしょ?」

確かにそうだが……。

その時、オレはようやく生き証人がいることを思い出した。

「そうだ! あのガキ!」

巴はきょとんとした。

「あいつもオレと一緒に霊を目撃したはずだ! あいつに聞けばオレが嘘を言ってないことが分かる! って、そうか。あいつ生きてるから、話を聞くこともできないんだな」

「あなた、生前にあの子が視えたんですか?」

「あん?」

「あの子も幽霊なんですよ」


◇◇◇


その学校は、小さな山の上に建っていた。

その周辺は坂が多く時折危機が顔を出しているものの、ほとんどが住宅地になっている。

いくつもの坂を上って、ようやくその校門へたどり着いた。中に入って教室を覗いていくと、目的のガキが座っているのを発見する。

「ね! メリーの言ったとおり!!」

えへんと、メリーは胸を張ってみせた。

「さすがだな。ええと、駄賃は……」

「こんど、いっしょにおはなしして!!」

オレはそれを約束すると、手を振ってメリーと別れた。

まったく、安上がりな情報屋だ。

オレは早速、ガキの席のすぐ傍にある窓枠に両手を乗せた。

こうして見ると、他の生徒と何も変わらない。

ともすれば生きていると勘違いしてしまいそうになるが、彼女がまったく見えていない様子であることは、周りの奴らを観察していればすぐに分かった。

ガキが、ふいにこちらを見た。

「よっ」

オレは小さく手を挙げた。

しばらくこっちを見つめていたが、すぐにさっきと同じように前を向いてしまう。

「お前、幽霊だったんだってな。まさか生前のオレに霊を見る能力があったとは。だがこれでもう、同郷の士ってわけだ」

彼女は驚いたようにオレを見た。

「聞いてくれよ。オレを殺したのが幽霊だって、誰も信じてくれねーんだ。お前の口から説明してくれねーか?」

ガキは思案していたが、しばらくしてから口を開いた。

「……近くの広場で待ってて」

それは、初めて聞いたガキの声だった。

普段から喋っていないのか、少ししわがれていて、声の抑揚がおかしかった。


オレは言われた通り広場へ向かった。

そこは小山の上にある小学校を少し降りたところにある幼稚園の隣にあった。

脇道のような細長い敷地で、申し訳程度に滑り台などの遊具が置かれている。

幼稚園を隔てるフェンスに凭れ掛かって待っていると、そのガキは約束通りやって来た。

ガキは無言でベンチに座る。

「難しいことを頼むつもりはねーんだ。ただ、巴っつー姉ちゃん連れて来るから、その時に真実を話してくれればそれでいい」

「あなた、死んだの?」

オレの質問はまるきり無視だ。

若い奴ってのは、本当に自分の都合しか考えやがらねえ。

「……ああそうだよ。死んだ」

途端、ガキの瞳がじんわりと潤んだ。

オレは焦った。

「や、これはあれだ。なんつーか、そう! オレ自身の不覚っつーか。つ、つまりお前が何か感じる必要はねーっつーか……刑事。そう、刑事! オレ刑事だから、市民を守るのは義務なんだよ、義務」

「……刑事さんなの?」

その時、オレの本能が何かを察した。

数多くの悪党に自己紹介してきた経験が、オレに語りかける。

このガキは何かを隠している。

本来なら、それが分かった時点で暴力という名の脅しをかけるのだが、いかんせん相手は子供。

それに、ただ刑事という存在に恐れを抱いているだけという可能性もある。

オレはため息をつき、今回は保留することを決めた。

「そうだよ。今はFRDとかいう下界専門の保安官をやらされてる」

「FRD……」

ガキはつぶやき、オレの方を見て小首をかしげた。

「それって、正義の味方?」

「……あー……まあ、そうだな。正義の味方だ」

正義の味方を自称するというのは、大の大人からすれば恥ずかしいことこの上ない。

「どうして赤くなってるの?」

「い、いいだろ別に! 人と話してて赤くなっちゃいけねー法律でもあんのか!?」

彼女は俯いた。

しまった。少し大きな声を出し過ぎたか。

しかし、それが杞憂に過ぎないことがすぐに分かった。

彼女は、押し殺すようにくつくつと笑っていたのだ。

オレも思わず笑みがこぼれる。

喜怒哀楽が激しくて、どんな言葉でどんな感情を抱くかも分からない。これだからガキってのは苦手なんだ。

「ごめんなさい。誰かとおしゃべりしたの、久しぶりだから」

「……お前はなんで死んだんだ?」

ガキはしばらく黙っていたが、やがて訥々と話し出した。

「私、いじめられてたの。学校でもそうだし、家でだってそう。お母さんもお父さんも、まるで私なんていないみたいに生活して。ごはんだって……」

それきり、ガキは俯いたまま喋らなくなった。

「……オレもさ。なんつーか、そういう経験あるよ。ガキの頃、教室の花瓶を割っちまってさ。悪さした奴、怒らないから出て来なさいって言うから素直に手ぇ挙げたら待ってたの鉄拳制裁だ。ホント、嫌になるよな」

「それはあなたが悪いと思う」

「……うん。まあそうだね」

ガキは、少しだけ微笑んだ。

「……なんでお前、オレが死ぬって分かったんだ?」

「話したくない」

「それは、オレに秘密にしてることと関係があるのか?」

再びだんまりだ。

オレはため息をついた。

「分かったよ。今日のところは出直す。……そういやお前、名前はなんていうんだ?」

しばらくしてから、つぶやくように言った。

「……ユカ」

「ユカ、ね。良い名前だ。……また来たら迷惑か?」

ユカは大きく首を振った。

「ぜんぜん、迷惑じゃない」

「そりゃよかった」

オレはそれだけ言って、踵を返して歩いた。

ふと振り返ると、ユカがこちらを見ている。慌てて視線を逸らし、再び俯く。

何かを隠してる。だが、それが何なのかは皆目見当つかない。

オレは首をかしげながら、公園をあとにした。


◇◇◇


FRDの自分のデスクに座ると、向かいで書類仕事をしていた巴がちらとこちらを見た。

「どこに行ってたんですか?」

「ガキんとこだよ。ほら、オレが死ぬ時に一緒にいた」

「ふーん……」

何でもないようにそうつぶやく。

いつもてきぱきしているこいつが、いやに手つきが危なっかしい。

「そういやお前、オレが死ぬ時もあそこにいたよな」

ガタガタ! と、盛大な音をたてた。

「何かあるのか?」

「べ、べべべ別に何もありませんよ? 何を言ってるんですかあなたは」

何でもそつなくこなすが嘘は下手、と。

器用貧乏なエリートにありがちだ。

本来なら上司のプライベートをつつくような野暮な真似はしないところだが、今回ばかりは別だ。なにせ自分の死因に関わることだからな。

じっと巴の顔を覗き込む。

彼女は過剰なほどに顔を背けていたが、やがてこらえきれずにこちらを向いた。

「ええそうです! あの子とは宿縁があるんですよ!!」

「宿縁? だが霊は縁を持つことはできないんだろ?」

「そうですよ。だから生前の縁です」

「生前の縁?」

「たとえば、あなたは地獄行きが決定してますよね」

「う。嫌なこと思い出させんな」

「重要なことです。その地獄行きか否かという縁は、あなたが生者であった時に結ばれます。生前、善行をどれだけ積んだか。悪行を行っていなかったか。日々の小さな出来事が積み重なって因が構築され、死んだ時に結ばれる縁で、死後どうなるかが決定されるのです。死んだ今でも縁が存在しているとしたら、それは生きていた時の縁。私の場合は……自身の罪です」

「罪?」

「彼女、私の子孫なんです」

オレは巴のボディラインを見つめた。

あのガキも将来はこんな風になるのか。

「へー」

「以前、私がいじめられていたという話をしましたよね。それが原因で私は死ぬことになりました。その時に……因が生まれたんです。私の子孫が、生涯人々から疎まれることになるという因です」

オレは思わず息をのんだ。

「……そういう例は、珍しいものなのか?」

「子孫にまで影響を及ぼす強い因というのはかなり稀です。私が生前、いじめとの縁を切れなかったことが原因なんですけどね」

巴は自嘲するように笑い、作業に戻った。

なんだろうか。この、どうしようもない胸のむかつきは。

オレはそれを振り払うように頭を掻いた。

「巴。あのガキに警護をつけることってのはできるか?」

「警護? 何故?」

「刑事の勘だ」

「……まあ、局長に掛け合うくらいならできますけど……」

「じゃあそれでいい。頼むぜ」

オレが席を立とうとすると、巴が引きとめた。

「あ、久城さん。例の悪霊たちの集会についてですけど、どうやら今夜、霊達を集めて賭博場を開くらしいです。悪霊たちが集まったところを一斉検挙しますので、久城さんにも手伝ってもらいます」

ま、そうなるだろうな。

相変わらずやることに意外性の欠片もない。

「ならついでに坂上に言っとけ。大局見えねえなら何もするなってな」

「……は?」

「今オレ達がやるべきことは目に見える雑草を刈ることじゃねえ。雑草を根っこから引っ張り出すことだ。その賭博場に何匹霊が集まるのか知らねえが、そこを押さえても根本の解決にはならねえよ。少なくとも、あのトカゲ野郎は保安官引き連れて来る覚悟であそこに戻ったはずだ。そんなリスクをわざわざ負う理由を探る必要がある」

「じゃ、じゃあどうするんですか?」

オレは巴を上から下までじっと見つめた。

「……お前、もっと洒落た服はあるか?」


◇◇◇


病院のシートに座っていた男の横に、オレはどっかと座った。

そこにいた男、宇木林はオレの顔を見てぎょっとした。

「よぉ」

即座に逃げようとする宇木林の首根っこを掴み、無理やり座らせる。

「逃げるなよ。誰の口利きで地獄行きが免れたと思ってやがる」

「だ、だからそれについてはちゃんとお礼を言ったでしょ! もう離してくださいよ~!! 本当にオレ、何も知らないんですって!!」

「そんなに感謝してるなら、形で示さないとな。お前があのヤクを作ったんだろ?」

宇木林はごくりと息をのんだ。

「だ、だからなんですか? はっきり言って、そんなことどこでもやってますよ。知らないのはFRDの連中だけ。オレをつっつく暇があるなら霊界を舐めた悪霊共を逮捕しまくった方が絶対いいですって」

「それに関しちゃ同感だ。でも今回はそれとは別の件でな」

「……また逮捕するとか言うんじゃないでしょうね」

オレはにんまりと笑った。

「お前に頼みがある」


◇◇◇


例のボーリング場に着いた時、既に巴はそこに来ていた。

その姿を見て、オレはあんぐりと口を開ける。

パープルに輝くキャミソールドレスを着た巴がそこにはいた。まるで一つの宝石のように、辺りがきらきらと輝いてみえる。

巴はこちらに気付くと、恥ずかしそうにしながら駆け寄って来た。

「遅いですよ! こんな格好、初めてだからすごく恥ずかしいのに……」

オレは思わず彼女の額に小さくデコピンした。

「いたっ! 上司に向かってなにするんですか!!」

「目立ち過ぎ」

「? 隅の方で立っていただけですけど」

存在自体が目立つんだよ、とはさすがのオレも言えなかった。

オレはため息をついて巴に腕を寄せた。

「ん」

「ん?」

まじまじと、巴はオレの腕を見つめる。

「何か不調でも?」

どうやらこいつは、一から百まで教えないと何も分からないらしい。

「腕に抱きつくんだよ!」

「腕に? 抱きつく?」

巴は腕を持ち上げたり、手をべたべたと触ったりしている。

……なんつーか。ありがたいんだが、色々とこそばゆい。

ようやくオレの意図を理解すると、巴はオレの腕を引き千切らんばかりに思い切り抱きついた。

「いでででで!!! 折れる!! 折れるって!!」

「え?」

「もっとこう、寄り添うようにだよ! 映画とかで観たことねえのか!?」

恋人同士の歩き方をレクチャーしながら、オレ達はボーリング場へと入った。

入り口はうす暗く、足元も見え辛いほどだったが、奥に入っていくと明かりが見える。

どうやら、未だ電気は通っているらしい。

「なんてこと……。これは立派な下界干渉です! 早く辞めさせないと────」

「まあ待て。それは潜入捜査が終わってからだ」

「潜入捜査?」

オレはカウンターに向かい、巴には見えないようにちょん切れた地蔵の頭を置いた。

メリーから聞いた話をオレなりに分析した結果、どうやらこの集会にはパスが必要らしく、それは神を冒涜する類のものなら何でもいいようだ。従来のFRDの人間なら、卒倒して潜入どころではないという考えなのだろう。

まったく不信心な奴らだ。オレも人のことは言えねえが。

屈強な男は自身の頭皮と比較して何か感慨深いところでもあるのか、じっと地蔵の頭を見下ろしてから、再度こちらを睨みつけた。

「女連れでもいいんだろ?」

ちらと男が巴を見る。

巴は見るからに緊張しているようだった。しかしそれが逆に素人のように思えたのだろう。

男は首で中へ入るよう指示した。

よし。最初の関門は突破した。

オレが我が物顔で入ると、巴が慌てて近づいてきた。

「ちょ、ちょっと。潜入してどうするんですか」

「本部でも言っただろ。奴らの目的を探るんだよ。何千年と霊界の目を盗んで来た連中だ。真正面からぶつかったって逃げられるだけさ。滴陣営で情報収集。ついでに賭博を楽しんじまおうって話さ」

「……私には楽しむことが一番の目的に見えますけど」

「気のせいだろ」

オレはうきうきしていた。

幽霊になってからというもの、やれ干渉だやれ縁だと、息抜きもできない毎日だったのだ。

ここいらで憂さ晴らししても神様だって文句はあるまい。

ボーリング場は見事なまでに賭博色に染め上がっていた。

レーン毎にあるシートはそれぞれがバカラやブラックジャック、ポーカーの台に変貌を遂げており、レーンの奥ではゲーム待ちの霊達が思い思いに煙草の煙を吹かしている。

帰り掛けの男が、賭けの対象になっているメダルを口にほおばり、むしゃむしゃと旨そうに咀嚼している。

どうやら、メダルを徳にして賭け事をしているらしい。

「慎みを持って積み上げる徳を賭けの対象にするなんて……! 下賤にも程があります!」

怒りに震える巴を無視して、オレは早速近くにあったポーカーの台に座った。

手をすり合わせ、早速久方ぶりの娯楽に興じようという時だった。

「待ってください」

オレは辟易した。

「なんだよ。主旨はさっき話しただろ?」

「それは理解しました。けれどあなたにやらせたのでは公私混同になってしまいます」

そう言って、巴はにこりと笑った。

「なので、代わりに私が」

「おいおいなんだよそれは!」

「楽しむのが目的ではないんでしょう? なら何も問題はないはずでは?」

クソ。屁理屈捏ねる女は嫌いだ。

なんとか言いくるめようと頭を捻ったが、結局妙案は思いつかず、オレは両手を挙げてホールドアップすると、渋々椅子から立ちあがった。

巴はご満悦な様子でシートに座る。

こいつ……。単にオレを言い包めたかっただけなんじゃないのか?

嫌がらせだ。部下のストレスを発散させるのも上司の仕事だってのに。なんて酷い奴なんだ。

「なんだい。嬢ちゃんがやるのかい?」

「ええ。問題はありませんよね」

「まあね」

そう言って、ディーラーはじろじろと巴を見下ろす。主に、その豊満な胸の辺りをだ。

巴はそんなこと露とも知らず、おそらく初めて手にするであろうカードを楽しそうに眺めている。

オレは空咳をした。

ディーラーと目が合う。

刑事時代に培った眼力で一睨みしてやると、ディーラーは脂汗を流しながらすごすごと手元のカードに視線を移した。

巴の奴。いくら平安時代で思考がストップしてるとはいえ、あまりにも無防備じゃないか?

オレは自分の上着を巴に掛けてやった。

「なんですか?」

「なんでもねーよ。暑いから持っとけ」

「私はハンガー代わりですか」

巴は文句を言いながらも、それを払いのけようとはしなかった。

「ちゃんと着ろよ。特に胸元な」

一瞬憎悪の視線がオレに集中するが、それを上回る視線を返すとすぐさま全員下を向いた。

「っぶぇくし!」

ぶるりと悪寒が走る。

くそ。

なんで幽霊になってまで寒い思いなんてしなくちゃならねーんだ。


「やった! 役ができました!! 2ペアです!!」

「悪いな嬢ちゃん。フラッシュだ」

巴は真顔になった。

五枚ほどのメダルがディーラーに流れる。

元々、巴はくそ真面目に千年もの間FRDで職務を全うしてきた。ここいらにいる奴らとは持っている徳のケタが違う。この程度の負けなど大したことはない。

「嬢ちゃん弱えなぁ。こりゃ良いカモだぜ」

その場にいる全員が嘲笑する。

「次、私が持つ徳を全部賭けます」

オレはトレイから受け取ったドリンクを思わず噴き出した。

「今、全部って言ったか?」

「ええそうです。早く次の────」

オレは思わず巴の口を押えた。

「えー!? なんだって!? ぜん、ぜんぜん徳がない!? もうカラかよ! ったくしょうがねえなあお前は!!」

「いや、さっき全部賭けるって……」

「言うわけねーだろ! 耳鼻科行って看てもらった方がいいんじゃねえか!?」

オレは引きずるように巴をその場から引き離した。

「なにするんですか! あいつらに目にもの見せてやる。大して徳も持ってないくせに、私を馬鹿にして!!」

「落ち着け! 落ち着けって!! 大負けして親の金にまで手ぇ出してやめるにやめれなくなったお坊ちゃんと同じ思考回路だぞ!!」

猛獣のように大暴れするこいつを汗だくになって抑えながら、金輪際こいつに賭け事はやらせまいと、オレは心から誓った。

ふとその時、オレはようやくすぐ近くに例のトカゲ野郎がいることに気付いた。

幸いこっちに気付いてはいないが、このままではばれるのも時間の問題だ。

「おい。おい! 遊んでる場合じゃねえ!! あいつだ。例のトカゲ野郎がいる!!」

巴は興奮していて、オレの言葉も聞こえていないようだ。

オレは必死に口を押えた。が、すぐにそれは振りほどかれる。

「なんですか! そんな風に押さえつけて、私が悪いって言うんですか! そんなに私を馬鹿にしたいんですね! そうですね!?」

取っ組み合いになり、口を押えることができない。

トカゲ野郎が、こちらへと顔を向ける。

ええい、ママよ!!

オレはその後のことを考えるのを止め、巴の口を自分の口で押えた。世間一般でいう、キスというやつだ。

巴の驚く顔が間近に見える。オレの思惑通り、うるさい口をふさぐことに成功した。

背を向けているため、トカゲ野郎がこちらに気付いたかどうかは分からない。

オレはやわらかい唇の感触も味わえずに冷や汗を垂らしていた。

「計画は順調だ」

トカゲ野郎の声だ。

どうやらオレ達には気付いていないらしい。

「もうすぐ俺達の時代がくる。そっちも抜かるなよ」

計画。俺達の時代。

意味は分からねえが、何かよからぬことを考えているのは間違いない。

声が聞こえなくなったのを見計らい、オレはようやく長い口づけを終えた。

後ろを見ると、既にトカゲ野郎は離れたテーブルで賭博を楽しんでいる。

ほっと息をつき、そこでようやくさっきまでの出来事を思い出し、オレは巴から飛びのいた。

「い、いやさっきのはだな。不可抗力というか捜査のためというか……」

てっきりビンタの三つや四つ飛んでくるかと思いきや、巴はどこか殊勝な様子でこくりと頷くだけだった。

その時、オレの懐から着信音が鳴った。配属された時に渡された幽霊用の携帯電話だ。

オレはそれを取り出した。

『坂上だ。今からそっちに部隊を送る。巴君を連れて今すぐ逃げてくれ』

「あん? 何言ってやがる。もう少しで情報が掴めそうなんだ。今は────」

『急な定例会議で決まったことだ。会議には各国の局長が集まり、場合によっては各局長に命令を下す場合もある。今回の件を少しでも放置することは、霊界の沽券に関わるという判断が下されたんだ。申し訳ないが、こればかりは私にも拒否できない。従ってくれ』

オレは舌打ちした。

トカゲ野郎に目を向け、口を開く。

「以前捕まえそこなった悪霊がいた。何か重要なことを知ってるようだ。突入と同時にそいつを逮捕する」

『いや、それも止めてくれ』

「はあ? なに吹いたこと言ってんだ。奴を捕まえる絶好の機会だぞ」

『その場にいるのは君一人じゃない。乱戦に巻き込まれたら巴君がどうなるか分からない。私としても、部下にそんな危険な真似はさせられないんだ』

オレはちらと巴を見た。

坂上がわざわざオレに電話してきた理由が今分かった。

オレは小さくため息をついた。

「……分かった。今回はおとなしくしておく」

オレは携帯を切り、巴を連れてボーリング場の外へと避難した。オレ達と入れ違いになるように、FRDの保安官たちがなだれ込む。

外からでも聞こえる乱痴気騒ぎ。悪霊たちが逃げ出して来ないところを見ると、うまくいっているのだろうか。

大暴れの瞬間に自分がその場にいないというのは、初めての経験だ。

オレは盛大にため息をつき、その騒動が終わるのを手持無沙汰に待つハメになった。

全てが終わり、大勢の悪霊たちが逮捕、拘束されるというハッピーな情報を後で教えられた。

そしてその情報とともに、不幸にもと言うべきか案の定と言うべきか。

FRDの捕獲チームが、トカゲ野郎の逃走を許したことを伝えられた。


◇◇◇


あの日以来、巴の様子がおかしい。

いつもなら、定時を大幅に遅れたオレに選挙カーばりのはた迷惑な大音量で怒鳴り散らし、書類仕事をどさりと一山無情にもデスクに置いて、それが終わるまで帰さないというスパルタ指導を平気でかましてくる。

なのに最近は、叱りこそすれ、ため息交じりに残った書類仕事を手伝ってくれたり、メンドくさくて荒れ果てるばかりのデスクを片付けてくれたりと、何かと世話を焼いてくれる。本来なら、これこそが上司の勤めと鼻歌でも歌って喜ぶところだが、あの真面目を絵に描いたような紀州本巴が毎日のようにこんなことをしてくるとなれば、さすがに良からぬことを企んでいるのではと不安になる。

「時に久城さん。今日は仕事終わり、何かご予定は?」

オレは両手を後頭部に添え、デスクに足を投げ出しながら、巴の方を見た。

彼女は、心なしか顔を赤らめ、俯いている。

「……ないけど?」

「ではその、……つ、付き合ってくださいませんか?」

オレははたと止まった。

「ああ、何か別件で捜査か? だったら下界に降りる申請を────」

「そうではなくて……えと、プライベートで」

もじもじと、巴が恥ずかしそうに身を縮込ませる。

オレは思わず身を正し、巴の額に手をやった。

「熱でもあるのか?」

どうやらその言葉が彼女の逆鱗に触れたらしい。もの凄い勢いでビンタされた。

「なんで!?」

「せっかく私が勇気を出して誘ったのになんですかその言い草は! 本来なら殿方であるあなたがリードすべきでしょう!?」

勇気? 殿方? リード?

一体何の話をしてるんだ、この女は。

「あれか? 流行りのツンデレとかいうやつか? 恋愛アニメの観過ぎだぞ。ったく」

再びビンタが飛んできた。

「いってええ!! なに怒ってんだよお前は!」

「わ、私にキスしたくせに!」

「……はあ!?」

「責任とって結婚するのが普通でしょ!」

オレは一瞬だけ呆けてしまった。

「な、何言ってんだお前!? いつの時代の人間だよ!」

「平安時代です!!」

そうだった。

この手のツッコミは霊界じゃ通じないんだった。

「ま、待て。一旦落ち着こう。そして状況を整理しよう。な?」

ようやく平静を取り戻した巴は、オレと向かい合って座った。

くそ。なんなんだ、このお見合いで初顔合わせした時のような緊張感は。

「まず最初に言っておくが、あの……キ、キスは、ほとんど事故のようなものでだな。決してその……決して、やましい気持ちがあったわけでは、ないんだ。えと、お、怒るなよ?」

正直に言おう。

オレはめちゃくちゃびびっていた。

こういう時、男という生物はたとえこちらに非がなくとも萎縮してしまうものなのだ。

「だ、だからだな。正直言うとその……つ、付き合うとか、そういう気持ちでしたものではなくてだな。……ええと、そ、そう! 悪霊を取り締まるために仕方なく! 仕方なくやったことなんだ!」

「それでも、したことには変わりありませんよね? 責任を取っていただかなければ困ります」

「……」

オレは思わず額を押さえた。

え? マジ? マジで言ってんの、この人?

「お、お前だって、生前はキスの一つや二つしてきただろ?」

オレのほとんど願望に近い問いにも、巴は首を振った。

「私、生娘のまま死にましたから。……口吸いは、夫とするものと決まっております」

オレを直視できないのか、少しだけ目を逸らしたまま、顔を赤らめている。

いや、かわいいけど! かわいいけどさぁ!!

このままだと口うるさい生真面目上司がオレの嫁になってしまうぞ。そうなったら書類仕事もやってくれるし掃除もしてくれるし失敗の尻拭いだってものによっては……。

……ん? 別に悪くないのか?

オレが良心と利便性の間で揺れ動いていると、坂上がやって来た。

「相変わらず仲が良いようで何よりだ」

「何の用だよ」

こっちはお前の相手をしている場合じゃないんだ。

「例の怪物化できる悪霊の正体が分かった。荒久根源内。江戸時代末期の霊で、商人をしていたようだ。ボーリング場で捕まえた悪霊から話を聞くに、最近はこの小学校を拠点にしていたらしい」

そう言って、坂上は書類を渡した。

その学校の名前を見て、オレは思わず眉をひそめる。巴も、思わず口元に手をやっている。

「どういうことだ?」

「それは私が聞きたいね。君は前々からこの近辺を怪しいと踏んでいたんだろう? 一体どこでそんな情報を得ていたんだ?」

「お前らがテコでも信じねえ経験からだよ。ユカが今回の件に何か関係しているのか?」

「詳しいことは分からない。君の要望通りに派遣した保安官たちは、あくまで学校周辺をパトロールしているだけだからね。本来なら彼らに内情を調べてもらえばいいのだが……、君は不満だろうと思ってね」

「当たり前だ。あんな簡単な捕り物も満足にできねえんだからな。他人任せになんかできるかよ」

オレは立ち上がった。

「学校を探索して、荒久根がいたらとっ捕まえる。それでいいんだな?」

「ああ。パーフェクトだ。君ならあの男を捕まえられると信じているよ」

オレは再び書類に視線を落とした。

何が、というわけじゃない。しかし何かが気に入らない。

オレの中に過ぎる一抹の不安を、オレは無理やり振り払った。


◇◇◇


あたしはずっと絶望していた。

この世の中に。そのすべてに。

あたしにそれを変える力があるとわかった時、あたしの世界は一変するかと思っていた。でも、実際はちがう。あんなに望んでいたものなのに、あたしの心にまるで変化なんてない。

今、あたしにあるのはからっぽだ。

なにもないただのからっぽ。お人形さんと同じ。

お母さんやお父さん。先生やクラスのみんなから罵られていた意味が、やっとわかった気がした。

「あたしって、お人形さんなんだよ」

あたしがそう言うと、いつもみたいに荒久根は笑った。

「お人形でも、俺達にとっちゃ神様同然だ」

あたしが窓辺の手すりに腰かけたまま辺りを見回すと、教室の中にたくさんの悪霊たちがいた。

ゴリラみたいなゴツゴツの巨体をした悪霊が、黒いスーツを着た男の人二人の頭を掴んでる。

それを見て、ふとあの人のことを思い出した。

ぶっきらぼうで、見るからに悪そうで、でもあたしを気遣ってくれた優しい人。

「会えるかな」

あたしは誰にともなく、そんなことをつぶやいていた。


第三話 了

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