第1話

オレが目を覚ました時、見知らぬ天井が視界に広がっていた。

目を動かして、辺りを確認する。

いくつもあるベッド。白を基調にした部屋。何ともいえない消毒液の臭い。

病院だ。紛れもなく、そこは病院だった。

……助かったのか。

オレは大きく安堵した。

正直、あれは自分でも死を覚悟した。

「あのまま死んじまったかと思ったぜ」

「物分かりがいいですね」

突然声が聞こえてきて、オレは首を少しだけ横に動かした。

オレが寝ているベッドの横に、三脚椅子に座る女がいた。

喪服のように真っ黒なスーツ姿で、多少身長が低いところ以外、ボディラインはほぼ完ぺき。はちきれんばかりの胸が非常にそそる。

「はじめまして。紀州本巴(きすもと ともえ)と言います」

まるで時代劇に出てきそうな名前だ。

「……って、ちょっと待て。さっきお前なんて言った? 物分かりがいいだと?」

「ええ」

女は表情一つ変えずに言い放った。


「だってあなた、もう死んでますから」


時が止まるという表現はこういう時に使うのだろうと、オレの中の冷静な部分が思った。

しばらく硬直していたオレだが、すぐに苦笑が漏れる。

「おいおい。さすがに笑えねーよ、それ。どこの誰だか知らねーが、ドッキリならもっと心に余裕のある健常者に仕掛けな」

オレは早速カメラを探すために首を動かした。

「カメラはどこだ? 仕掛け人は松林のオヤジか?」

「カメラなんてありませんし、ドッキリでもありません」

女の声は、徹頭徹尾冷静だった。

なにやら書類を取り出し、事務処理仕事をこなすかのように流暢(りゅうちょう)に喋りだす。

「23時43分21秒。突然乗用車の前に飛び出し、激突。失血性ショックによって事故現場にて死亡。もっと詳しく聞きますか?」

オレは慌てて自分の頬を抓った。

「いてえ! ほら、いてえぞ!? オレはまだ生きてるんだ!!」

「それはあなたが生きていると錯覚しているからです。霊にとって、思い込みというのは非常に重要な意味を持ちます。たとえばここが病院の一室なのも、あなたが生きていた場合に目覚めるであろう場所として、無意識にあなたが選択し、思念の力で構成したからです」

オレはそこで、ようやく気付いた。

病院で寝ているはずのオレが、当時の私服姿のままだということに。

「……うそだろ」

その時だ。

オレの手が、一瞬だけ透明になった。

「うわ!!」

「あなたの存在強度が弱まったのです。私の話を信じた証拠ですよ」

死んだ? このオレが?

悪党共を何百人と刑務所に送り込んだ敏腕刑事が?

俄かには信じられない話だ。

「……さっき、ここを病院だと思い込んでるって言ったよな? じゃあ本当はどこなんだ?」

「死んでからしばらくは、死体から離れることはできません。つまり────」

その時だ。

突然、病院だったはずの場所が卵の殻のようにがらがらと崩れ始めた。

気が付いた時には、オレのいた病院は質素な葬式場へと早変わりしていた。

「……んな馬鹿な」

「死んだ直後の霊は思い込みが激しい分、こういったことが起こり得るのです」

オレは自分が横になっていた場所が隅に置かれた長テーブルの上だと分かり、慌てて立ち上がった。

思わず辺りを見回す。

そこには数少ない親戚と、同じ職場で働く刑事が一、二、三……。

「つか人少ねぇ!! お前らあれだけオレを頼ってたくせに、なんつー白状な奴らだ!!」

「じゃあ、今日の夜電話するね♪ 絶対寝ちゃダメだよ」

その声を聞いて、オレははっとした。

見ると、隅の席で安奈と金田がいちゃいちゃしていた。

「分かってるって。というか、寝ようと思っても興奮で眠れないさ」

「て、てめえ~!! 女に興味ねえとか言って、オレが目をつけてた女をよくも!! ってか、人様の葬式でサカってんじゃねえ!!」

オレが罵声を浴びせても、二人はどこ吹く風だ。

しかしそれも当然だ。聞こえていないのだから。

ふと見ると、オレがよく行く居酒屋のじじいが、奥の席に座り、拳を震わせて歯を食いしばっていた。

じじい……。口を開けば喧嘩するような仲だったが、そんなにオレのことを想ってくれていたのか。

じじいの様子に気付いた坊さんが、自然な様子で隣の席に座った。

「どうかされましたか。私で良ければ聞きますよ」

じじいは自分の感情をすべて吐き出すように、言った。

「実はですね。今日ここに来る前に、あいつが無銭飲食働いた額を数えてみたんですよ。そしたら……そしたら、四万二千六百円もあったんですよ!? どうして生きてる間にぶんどっておかなかったのかと……それがもう、悔しくて悔しくて!!」

「ふざけんなこのくそじじい!! てめえのまずい飯食いに行ってやってるだけありがたく思え!!」

なんてこった。こんなに人が少ない上に、オレの死を悲しんでくれる奴すら一人もいないのか。

「い、いや……いるはずだ。一人くらい、オレを想ってくれてる奴がいるはずだ!! 他に……他に誰かいないのか!?」

その時、何者かが泣く声が聞こえて、オレは思わず振り返った。

見ると、オレの死体が眠っている棺に寄りかかるようにして、松林が号泣していた。

「久城……! なんで……、なんで死んでしまったんだ!!」

オレは思わず安堵した。

なんだよ、ちゃんといるじゃねえか。オレの死を悼んでくれている奴が。

生前はあんなに口うるさくて鬱陶しかったのに、今では菩薩のように輝いて見える。

「まあ、なんだ。そんなに悲しんでても仕方ねえよ。お前はお前で自分の人生を生きろ。な?」

「こんなことなら、生きてる間に言えばよかった。オレは……オレは、お前を愛してたんだ!」

オレはその場で固まった。

「タバコを吸うのを止めていたのも、お前の健康を想ってだ。いつも猪突猛進に突っ込んでいくお前に文句を言っていたのも……こんなことになるのを、一番恐れていたからだ。……久城、なんで死んでしまったんだ!! 久城おおお!!!」

「……いや、うん。気持ちはうれしいけどね? オレ、別にそういう趣味ないし……あとオレの死体をべたべた触んないで」

感極まった松林を諭すように、坊さんが優しく肩に手を置いた。

「……申し訳ない。こんな場で妙な暴露を……。実は以前犯人を追っていた時に股間を刺されてしまってね。それ以来、妙な気持ちを抱くようになってしまって」

「あれお前だったのかよ!」

その時、メキョッと何か奇妙な音がした。

「あ、しまった。お坊さん。ちょっと首の角度が変な感じになってしまいました」

「ああ、大丈夫です。任せてください」

坊さんは慣れた様子でオレの死体の首をゴキッと正反対に曲げた。

「あれ? おかしいな。もっと変になったぞ」

「周りの花で隠しましょうか。あ、舌が垂れてきた。口の中にドライアイスでも詰め込んでおきましょう」

「人の死体で遊んでんじゃねえええ!!」

オレの天にも届く叫びは、しかし誰にも聞こえていなかった。


◇◇◇


「……なにしてるんですか?」

既に人もいない葬式の片隅で、オレは一人体育座りで何もない角を見つめていた。

「ほっといてくれ。今現実に絶望してるところだ」

「その現実も既に過去のものなんですけどね」

この女……。もう少し同情の言葉をかけてくれたっていいじゃないか。

オレはため息をついた。

「もういい。早く天国に連れて行ってくれ」

「え?」

「え、じゃねえよ。オレを天国に連れて行くのがお前の仕事なんだろ。さっさと連れてってくれ。もうこの世に未練はねえよ」

「行けませんよ?」

オレは思わず振り向いた。

「へ?」

「ですから、行けませんよ? 天国」

オレは思わず立ち上がった。

「なんでだよ! 荒くれ者揃いの大阪で検挙率ナンバーワンを誇っていた久城はじめだぞ!? オレが天国行きじゃないなら誰が天国に行けるんだよ!」

女は書類をぺらぺらと捲りながら、口を開いた。

「確かに普通の人よりも徳を積んでいるようですが……あなた、悪行が多過ぎます」

オレは目を瞬かせた。

「器物損壊、暴言、傷害……。検挙率ナンバーワンくらいじゃ全部帳消しです」

思わず額を手で押さえる。

なんだかんだと言いながら、刑事時代は必要経費という名目で賄えたというのに、まさか死んでからそのあおりを受けることになるとは。

「……ちなみにさ。天国と地獄ってどんなところなんだ?」

「天国は美男美女に囲まれて毎日お酒を飲んで暮らせます。対する地獄は天国と地獄を維持するための労働を強いられ、毎日快楽とは無縁の────」

「天国! 天国行きたい!!」

授業中張り切り過ぎた小学生のように手を挙げる。

しかしそれも仕方がない。それだけ切迫した願いだったのだ。

「なあ頼むよ。オレはどうしても天国に行きてえんだ。そのぺらっぺらの紙切れなんかで人の一生を決めるなんて、あんたも心が痛むだろ?」

「だから死んでますって」

「な? だからさ。その紙切れに、ちょちょっと訂正をいれて……」

オレがゆっくりと手を伸ばすも、巴は非情にもそれを遠ざけた。

オレはむかっときた。

「なんだよ! それくらいいいだろうが!! オレがどれだけの悪党どもをムショにぶち込んで来たと思ってやがる!!」

「ですから、それが帳消しになるくらいの悪行をあなたが積んでいるんです!」

「そんなもん知るか!! 誰だよ、その悪行とやらを決めてる奴は! 神様か? だったらそいつをここに連れて来い! オレが説教してやる!!」

巴はそれを聞いてぽかんとしていた。

「あきれた人ですね。駄々を捏ねる人は何千人と見てきましたが、神様を呼べとまで言った人はあなたが初めてです」

巴は、何か思案するように顎に手をやり、しばらくしてから言った。

「あなたがそうまでして天国へ行きたいなら、そうですね。……徳を積むしかありませんね」

「徳!? なんだそりゃ!」

「徳とは、いわば善行です。霊界ではあなたのようにどうしても地獄行きを嫌がる人間がいるので、情状酌量の余地がある人間にだけ、霊界で徳を積む権利を与えているのです。一定の徳を積むことができたなら、その人間は天国へ行くことができます」

「マジかよ……。積む積む! 徳、積むよ! で、どうやったら積めるんだ?」

「あなたが頻りに主張する悪党を逮捕するというのも善行の一つ。道行くお年寄りに手を差し出すのも善行です」

じじいやばばあの手を引っ張るのと悪党を逮捕するのを一緒にされたことは甚だ遺憾だが、機嫌を変えられても何なので、黙っておくことにした。

「ちょうど、あなたにぴったりの仕事があります」

そう言って、巴は懐から一つの手錠を取り出し、その場に置いた。

にこりと、彼女は笑う。

オレもつられて笑い、そして言った。

「嫌だ」

オレは叫んだ。

「嫌だね! 絶対嫌だ! オレはビル・マーレイじゃねーんだよ! 死んでまで刑事なんて冗談じゃねえ! ビルだって、きっとオレと同じことを言うね。死んでまで幽霊退治なんてクソくらえだってな」

「ハロルド・ライミスは人手不足だからと懇願したら、喜んで受けたそうですよ。徳を積んで極楽な天国生活を満喫しているようです」

そんな話聞きたくなかった。

「受けないなら受けないで構いませんが、仮に他の仕事を受け持つとして、あなたが天国に行けるのは……ざっと四、五世紀先になりますが、構いませんか?」

「ぜひやらせてくれ」

満足のいく答えが聞けたからか、彼女は満足そうに微笑み、立ち上がった。

「それじゃあ、早速あなたを霊界へご招待します」


◇◇◇


霊界へご招待。

そう言って連れて来られたのは、とある神社だった。

長い階段を上った先には小さな鳥居があり、オレ達はその鳥居の前にいる。

仏教徒の木魚で成仏させられた身としては、些か気の引ける場所だ。

「なぁ。どうやって霊界に行くんだよ」

「簡単です。この鳥居を通ればいいんですよ。神社の鳥居は俗世と神域を区切る場所ですから」

「神域? 霊界の入り口ってわけじゃないんだろ?」

「まあ、はっきり言うとなんでもいいんですよ。下界と明確に区切りを入れられるものなら」

本当にはっきり言ったな。

「この分だと、お祓いとかも無意味なものが多そうだな」

「そうですね。少なくとも、ご利益があって離れるわけではありません。あれも一種の思い込みです」

「お祓いされることで、成仏させられると思い込むってことか?」

「そういうことです。除霊があまりに下手すぎると、霊がそのお祓いを信じなくなります。そうなると効果はありません。ですから、究極的にはインチキ霊媒師だろうと修行をした霊媒師だろうと、霊を信じ込ませることができればどちらでもいいのです。疑い深い霊を成仏させるには、ちゃんとした経歴が必要でしょうけどね」

「蓋を開けてみれば、信仰も何もあったもんじゃねえな」

「そうでもないですよ。本当に信仰が存在しなければ、実際に除霊は成功しないんですからね。信じるものは救われる、というやつです」

「それキリスト教だけどな」

神様とやらが至極いい加減であることはよく理解できた。

「霊界というのも、実際には存在しない場所なんです。霊の思念で作られた世界。ですからその入り口も、思い込みによって作られるというわけです。さ、行きますよ」

巴はそう言って鳥居を潜った。

途端、まるで水面のように何もない空間が揺れ、その中に巴が入っていった。

……まるでファンタジーの世界だ。いや、実際そうなのか。

オレは大きく深呼吸して、その奇妙な水面へとダイブした。

先ほどまで目の前に広がっていた光景が消え、いきなり暗闇がオレの周りを覆った。

ふと気がつくと、オレは直方体の部屋の中にいた。

中は薄暗く、ゴウン、ゴウンと、何かが移動する音が断続的に聞こえる。

周りには歯車のようなものがいくつも宙に浮いており、ゆっくりと回っている。

後ろを見ると、鳥居の代わりに両開きのドアがあった。

「ここは下界と霊界を唯一繋ぐゲートの中です。巨大なエレベーターと思っていただければ想像しやすいと思います」

部屋の奥にはもう一つ扉がある。おそらく、あれが下界へと通じる入り口なのだろう。

エレベーターか。

なるほど。言い得て妙だ。

「この歯車はなんだ?」

「それは縁を管理する機械のようなものです」

「縁?」

そこでようやく、これらの歯車の周りで何本もの糸が回っていることに気付いた。

それは歯車から歯車へ繋がっていて、部屋の側面にある大きな糸巻きに集まっている。

「縁とは因果を繋ぐもの。原因と結果を縁で結んで、初めて事象が引き起こるんです。ほら、あなたにもあるでしょ?」

そう言って、巴はオレの小指を指さした。いつの間にやら、そこには一本の糸が括られている。

「ゲートは下界と霊界に行き来できる特殊な場所です。ですからここで、下界の因と繋がる霊達の縁を可視化して、管理しているんです」

「ってことは、この糸は……」

「あなたが地獄に行くという因果を結んだ縁です」

オレは即座に糸を掴んで引っ張った。

「あれ!? 千切れねえ!!」

「縁も因果も生者のものですから、幽霊には切れませんよ。徳を積めば、縁を結び直して天国に行けるようになります」

くそ。裏技は通じねえってか。

オレが渋々あきらめた時、突如ガコンとゲートの中が揺れ、先ほどから聞こえていた音が消えた。

「着きましたよ」

チーンと、本物のエレベーターよりもエレベーターらしい音を鳴らして、霊界への扉が開く。

巴に続いてそこをくぐり、オレはあんぐりと口を開けた。

そこに広がるのは空港のターミナル……いや、テーマパークのアトラクション広場と言った方が正確かもしれない。

広大な敷地の中を大勢の人間が行き交い、左右には大仰なオブジェに囲まれた扉が数えるのも面倒なほど、ずらりと建ち並んでいる。

「ようこそ。リバーサイドへ」

オレは返事ができなかった。

霊界というからには、もっと殺伐としたものを想像していたのに。

「……もしかして、あの扉は国ごとのあの世に繋がってるのか?」

オレがそう言って指さした一番近くの扉は、まさしくアメリカンなオブジェに囲まれていた。自由の女神や、ハリウッドと書かれたアルファベットの看板を掲げた小山。その扉はホワイトハウスの入り口と同化するように鎮座している。

「その通りです。自身が慣れ親しんだ世界観の数だけあの世があります。国であったり、宗教であったり、その人が信じたあの世こそが、その人のあの世になるんです。今は国ごとにあの世を区切っているので、ある程度誤差はありますけどね」

200相当のあの世があるということか。

リバーサイドがこれだけ広大なのも、それを聞いて納得した。

ふと上を見ると、我が物顔で空を飛んでいる老人を発見した。

「なんだあれ! 舞空術じゃねえか! かっけぇ!!」

「あれは長期の訓練と才能を兼ね合わせた霊しか会得できない技ですよ」

「オレ、たぶん才能あるんじゃないかな。訓練ってどれくらい?」

「ざっと四百年くらい」

「よし決めたぞ。あれは見なかったことにする」

首を一つ動かせば、見たこともない景色が辺りに広がる。

霊界に慣れ親しんでいないオレにとって、リバーサイドとやらは飽きることのないエンターテイメント広場だった。

「日本の移送係です。交通事故死一名、滞在者です」

巴がゲートの近くにある受付で、係の人間に書類を渡している。

まるで空港の検問だ。

オレは書類確認が終わるまで風変わりなリバーサイドの光景を楽しむことにした。

その時、オレの目が一つの騒動を捉えた。

手錠を掛けられていた屈強な男が、連行していた人間を振り払ったのだ。そのまま両手で腹を殴り、刑事と思われる男はハリウッド映画よろしくな勢いで地面を滑っていく。

「オレが地獄行きだと!? そんなのまっぴらごめんだね! 下界に帰らせてもらう!!」

男はゲートへ向かって走り出した。

煩雑としたリバーサイド内で、凶悪犯の脱走に気付いた人間はほとんどいなかった。

オレはその男へ向けて歩を進めた。

「ちょ、久城さん! まだ手続きが済んでません!!」

オレは歩きながら腕をぐるぐると回し、首を鳴らした。

「てめえ! さっさとどきやがれ!!」

男は先程の刑事からくすねたのか、拳銃をオレに向けている。

「お、いいもんあるじゃねえか」

オレは余裕の面持ちで手招きしてみせた。

「ほら、撃ってこいよ。それとも、その銃はおもちゃか何かか?」

分かりやすいくらいに、相手の怒りは沸点をすぐ超えた。

その瞬間、オレは男の方へと走り出す。

聞き慣れた発砲音。

しかしそれはオレの横を素通りする。

素人の感情任せな弾がそう簡単に当たるはずもない。

オレはそのまま跳躍し、巨体の上に生えたいがぐり頭を蹴り飛ばした。

ズズンと音をたてて、巨体は地面に倒れる。

オレはそのまま着地し、息をついた。

「ふぅ。溜まってた鬱憤が少しは晴れたかな」

巴が遅れて駆け寄ってきた。

「遅かったな。ま、今回の手柄はオレの独り占めってことだ。さっきのでどのくらい徳が溜まっ────」

「なんてことするんですか!!」

突然、そんな罵声を浴びせられた。

「あのゲートは唯一あの世とこの世を繋ぐ門なんですよ!? こんな近くで相手の発砲を促して、ゲートが故障でもしたらどうするんです!!」

「いや、撃った反動で怯んでくれた方が捕まえやすかったから────」

「その程度のことでここにいる全員を危険に晒したんですか!?」

オレはぽりぽりと頭を掻いた。

どうやら、今回の功績は徳の内には入らないようだ。

巴のお叱りに気を取られていると、先ほど倒れた巨体がぴくりと動いた。

咄嗟に関節を捩じって拘束しようとするも、突然その腕が関節を無視して動き、オレの顎にぶつかった。

力の溜めたそれではなかったためにダメージは少ないが、たたらを踏んで後退するくらいの威力はある。

その隙に、男は再び走り出した。

「巴、撃て!!」

「駄目ですって! それに私、銃は持ってません!!」

男を止めようとする人間は誰もいない。

このままではゲートに乗り込まれてしまう。

その時だ。

オレの真横を弾丸が通過し、寸分違わず男の後頭部を撃ち抜いた。

その瞬間、男は吸い込まれるように小さな弾丸の中へと入っていき、弾が音をたてて地面を転がった。

なるほど。霊界の銃は、ああやって悪霊を拘束するのか。

人の獲物を横取りした奴の顔を見てやろうと振り返る。

そこにいた男を見て、オレは驚愕した。

「ケ、ケネディ大統領!」

そこにはスーツ姿でくるくると銃を回し、懐にそれを仕舞うジョン・F・ケネディその人がいた。

「ハッハッハ。大統領と呼ばれるのは久しぶりだね」

「すっげぇ。本物のケネディかよ。オレ、あれ見ました! ええと、パレードで……」

って、死んだ時の話は失礼に値するのか? 霊的に。

しかしオレの心配などどこ吹く風で、ケネディは肩をすくめてみせた。

「世界広しといえど、あれだけ多くの人に頭の中身を見られた人間は、僕くらいのものだろうね」

そう言って、ケネディは白い歯を見せた。

すげえ。アメリカンジョークも身体張ってやがるぜ。

「しかし、君はなかなか骨がありそうだ。最近の霊界はどこも平和ボケしていてね。そのおかげで、五十年近くも働かされるハメになった。君、国は?」

「あ、に、日本です」

オレにしては珍しく、緊張で声が上擦ってしまった。

「そうか。日本は特に大変だぞ。あそこはお役所仕事の温床だからな。これから君には、多くの困難が待ち受けているだろう。そんな君に、僕から一つの言葉を送ろう」

オレは感極まった。

日本人にはあまり知られていないが、ケネディ大統領は多くの名言を残してきた。その言葉を直にもらえるというのだから、これほどありがたいこともないだろう。

ケネディ大統領はオレの肩に手を置き、言った。

「Yes,we can」

「いやそれオバマだから!!」

ケネディ大統領は、高らかに笑いながら去って行った。

オレはといえば、ただただ茫然とするばかりだ。

「やべーな、霊界。あんな有名人がうろうろしてんのかよ」

「あの人は特別です。自分を暗殺した黒幕をこらしめるからと、天国行きを拒んだお人ですから。正義感を忘れず復讐心を持ち続ける人間は非常に稀なんです」

「え!? 黒幕こらしめたの!? 誰!? 誰!?」

「えーっと……忘れました」

オレはがくりと肩を落とした。

本人からさっさと聞いておくべきだったな……。


そんなあれやこれやがありつつも、オレ達は日本のあの世へと向かった。

巴が言うには、扉の奥はゲヘナという場所が広がっていて、そのゲヘナを通して天国や地獄に行くのだという。オレのように霊界へ留まる人間が滞在するのもゲヘナなのだという。

「なぁ。日本人は全員日本のゲヘナに行くことになるのか?」

「そうですね。基本的には。ですが宗教上の理由で他国に移籍する方もいらっしゃいます」

「へぇ。じゃ、オレもアメリカに行けたりするの?」

生前から、アメリカにはかなりの憧れがあった。結局一度もその土地を踏むことは叶わなかったが、死んでからでも行けるというのなら行ってみたい。

「ダメですよ。あなたは日本支部に所属すると決まってるんですから」

「分かってるって。オレだって、一度も行ったことのない国の天国に行こうとは思わねえよ」

「そもそも国によってゲヘナを区分しているのは、多過ぎる霊達をきちんと管理するためです。あなたのようなミーハー根性で移籍する人が続出したら本末転倒でしょ」

オレはむっとした。

「勝手にミーハーだって決めつけんなよ。オレのアメリカに対する熱意は相当なもんだぜ? 若い頃地上げ屋をしょっぴいてた時も、アメリカ育ちの黒人がいたからこっそり逃がしてやったくらいだ」

「地獄行きの理由がまた一つ増えましたね」

巴は大きなため息をついてみせた。

「移籍には相応の資格が必要なんです。他国の宗教の熱心な教徒なら、毎日祈りを捧げる時間や、その方がどれほど宗教と接してきたか、厳正な審査の上で移籍が決まるんです。あなたがアメリカへ移籍できる可能性は皆無ですね、皆無」

「ちぇ。んだよ、つまんねえ」

そんな話をしていると、ようやく日本の扉に到着した。

桜が辺りを舞い、巨大な鳥居の中にゲヘナへと続く扉がある。オレ達がその前に立つと、ギイギイと古臭い音を立てながら扉が開き、漆黒の闇がお出迎えしてくれた。

「さ、行きますよ」

なんでもないようにその暗闇の中へと入っていく巴に続き、オレは恐る恐るゲヘナへの扉を潜り抜けた。



第一話 了

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