エピローグ

 あの時、まどかが最後に消える寸前に鳴ったチャイムは、宅配便のものだった。入っていた不在通知で次の日に受け取ると、それが、まどかが友達に返したがっていた本だった。予め訊いていたその友達とやらの住所に、適当な言い訳を一筆添えて送ってやる。すると、派手な便箋に、まどかと同年代なことが信じられないくらい丁寧な返事が返ってきて、そういうところがよっぽど気が合う友達だったんだろうなと思う。図書館から借りていたという本は、仕方ないので東京のまどかの家に。追って母親から、他の遺品も送るように言われたが「服も縫いぐるみも全部燃やした」と言ってやると、驚きと激怒を向けられて、その後、四十九日に顔を合わせた時には心配された。まあ、そんなもんかな、と思う。


 四月の始めになっても雪の塊があちこちに残る、大学のキャンパスの中を歩く。来週には新入生を迎えるというのに、まだまだ日差しは頼りない。もちろん、入学を祝う桜なんか咲いていない。咲くのは五月の頭くらいになるはずだ。エゾヤマザクラとか言っただろうか、東京に咲く桜よりもずっと桃色の濃い桜が、この辺りには咲く。

芝生が少しだけ覗いているが、足を踏み入れると、雪解け水の混じった泥で大変なことになる。大学の中はまだマシだが、これが普通の道路脇とか公園とかになると、雪で隠されていた犬の糞だらけになるので、歩くのに気をつけなくてはいけない。まどかは冬にしか北海道に来たことがなかったから、面白がって「五番目の季節」なんて言っていたけれど、冬だけでなく、他の季節にも、この島には変なことが一杯ある。


 まどかが最後の数日によく言っていた「自分の仕事」という言葉を思い出す。理論物理屋のよく使う言葉では、論文、業績のことを仕事と呼ぶことがある。自分の名前を出して研究し、個人単位で各地の大学に雇われ異動する、俺ららしい言葉だと思う。そして、ある程度の年をとった理論物理屋になると、理論物理の中の専門分野の中でも、自分の専門分野というのが大体固まってきて、世界中に認知されるようになる。それだけ、専門分野が細分化されてきているということでもあるし、物理屋の世界の速度に着いていけるのが、それだけの部分に限定されてしまうということでもある。そうなるとやがて、計算して解決すべき問題というのが、自然と宛がわれるように感じられる。この問題をやるのはどこの国のあいつだ、とか、このことについてはあいつに訊け、とか。だから、どこかである論文が出た時に、残された問題を見て、それが自分の仕事だということは、自分の意志に関わらず、分かってしまう。つまらない話だ。


 いつの間にか、辺りから学生の姿が少なくなっている。見回せば、みんな校舎の方に向かっていくようだ。時計を確認すると、確かにもうすぐ授業の始まる時間だ。今年の俺は、量子力学の導入の授業を任されている。それも、俺の仕事だ。遅れないように、早足で校舎に戻る。学期の始まりだけ、授業の出席率はえらい高い。その初回の授業に遅れてしまっては、色んなところから文句を言われるのだ。息が切れる。


娘が死ぬ。論文を書き上げる。嫁と適度な仲を保つ。授業を開く。これが俺の人生なのかね、と思う。どうでもよくて、どうにもならなくて、なるようにしかならない。それを生き続けるのが、俺の仕事なのだ。


(了)

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The 5th season 椎見瑞菜 @cmizuna

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