第5話 探し物はなんですか?
―ティアマハ―
不本意ながら結んだ契約の日から十日が経とうとしていた。
あれ以降、明鷹からカモフラージュ用の言いがかりが適度にあるくらいで、私は平穏な学園生活を送っていた。
内情を把握したうえであの男の言動を観察すると、なるほど、偉そうな口を叩くだけのことはある。なかなかの策士ぶりだ。
あの男にとって、言葉は武器であり、目的を達成するための手段だ。ばら撒かれた時点ではただの点でしかないものが、そこに目的と結果という道と到達点を描き加えると、全てが一本につながる。
話術、その言葉の意味を初めて知った気がする。
「これで、俺の勝ちだ」
ただ、披露されるのは賭博じみたカードゲームだけというのはどういうことなのだろう?
「馬鹿だねえ。圧倒的に有利なカードを持ちながら」
チップを回収しながら、明鷹は突っ伏して項垂れるガドと夕映に言い放つ。
「馬鹿な、なぜ勝てん・・・」
「あんた、イカサマしてんじゃないでしょうね?」
恨めしそうな顔で、夕映が見上げる。
「まさか。あんたらじゃあるまいし」
明鷹の発言に、ぎょっとなる二人。
そう、そうなのだ。テーブルの下で二人はこっそりカードを交換していたのだ。
「ごめん、ティアちゃん。黙認して」
教室に向かう途中の階段で、偶然鉢合わせた夕映から頼まれた。何のことかわからず首を傾げる。
「その、突然黙認せよと言われても・・・」
手を合わせて拝む彼女の後ろにはガドもいた。相変わらずヨレヨレの黄ばんだシャツかと思いきや、珍しく糊のきいた、パリッとしたシャツ姿だ。髪も綺麗に整えられ、無精ひげもきれいに剃られたその立ち姿は、引き締まった長身と相まってなかなかのダンディさを発揮していた。だが、まだ昼休みの途中だ。ガドが教室に向かうには少し早い。
「今から、勝負なんだよ」
視線に気づいたか、ガドが言う。ことさら真剣な、神聖な教職の立場を思わせるが如き重く、渋い声音で
「たまに、明鷹とカードで勝負するんだ。だけどあの野郎、勉強できねえくせにゲームやらカードだけは無駄に強い。今まであいつに何箱分むしり取られたか」
何ともまあ世俗にまみれきったことを言い放った。なるほど、そのスリーピースは勝負服か。服装によって気持ちを引き締めているということか。
「お金、賭けてたんですか・・・」
呆れたように言うと、
「「え、普通賭けるでしょ?」」
と逆に驚かれた。酷い頭痛がして、思わず額を押さえる。
「今日こそ悪鬼明鷹に踏みにじられた尊厳と誇りを取り戻す時!」
「そうだ! これこそ聖戦だ! 今度こそあのクソガキに大人の恐ろしさを思い知らせてやる!」
大人げないことを言いながら士気を高めつつ、大人げない大人二人組は意気揚々と階段を下って行った。あなた方が取り返そうとしているのはお金じゃないか、ともう少しで口から出てくるところだった。
私としては、別段口出しするつもりはなかった。しょせん私には関係ないことだし、あのひねくれた男が痛い目を見るのを、少しも期待していなかったと言うと嘘になる。憎たらしいニマニマ笑いを引っ込めることが出来るなら、むしろ協力してもいいと、ちょっと思ってしまった。私も、清廉潔白な聖人ではないということだ。
そして「倍返し、いや、十倍返しにしてやるぜ!」「そうだそうだ!」と廊下に反響するほど意気込んでいた二人組がどうなったかというと
「ぷしゅう」
明鷹の前に完全敗北を喫して沈没していた。しかもイカサマを見破られるなど、格好悪い大敗北だ。口から妙なものを吐き出しながら、二人は机に突っ伏している。
「はっ。その程度の小細工、想定の範囲内よ」
「なん、だと・・・?」
必勝の策が読まれていたと知り、驚愕するガド。
「そろそろ勝負に出てくるんじゃないかなと思ったんだ。掛け金をアップさせるから。いつものやけくそ根性かなと、それなら多少負けて、次へつなげようと思ったけど。どうも、口ぶりは焦ってたけど、その声音やしぐさからは全然緊張感が伝わってこなかった。嘘じゃないか、と。何か仕掛けてきたんじゃないかと疑うには十分な理屈だ」
そう言う明鷹はまるで推理小説の探偵のように、犯人たちに自らの推理を聞かせていた。
「疑う余地があれば、人は想像できる。何を考えているのか、何を仕掛けてくるのか。人に及びもつかないことを想像出来るのは、世界広しといえど一握り、そうはいない。後は想像できないんじゃない。想像しないんだ。他人にできることは、俺にもほとんど想像できるはずなんだ理屈の上では。なぜなら同じ脳みその構造だからだ」
明鷹がちらと、私の方を見た。どきりとした。それはまるで、私に言い聞かせているような言葉だった。
―他人にできることは、自分にもできる―
声には出さず、口だけを動かして呪文のように唱える。瞬間、私の中にすうっと光が差し込んだ。悟り、閃き、と呼ぶほどではないものの、それは確かに、私の歩を一つ進めた。
「―ま、そんなわけで今回も俺の勝ちだ。チップは全て没収。またのご来店をお待ちしております」
身振りを交えた大仰なお辞儀をしてから、明鷹はチップをかき集める。敗者二人は、行きの時とはうってかわって、亡霊の様な足取りで
「タバコ・・・」
「水・・・」
とうわごとのように呟きながら教室から出て行った。
「見事なものです」
二人が出て行ったあと、声をかけた。
「あ? 何が?」
しゃがんでロッカーに物を片付けていた明鷹が、肩越しに振り返る。
「先ほどのゲームです。相手の裏をかく戦法、言葉によるミスリード。何よりあの二人の連携を見事に察知し、返り討ちにした手腕。悔しいですが、あなたのそういった面は勉強になります」
「ああ、あんた事前に知ってたのか?」
「ええ。お二人に頼まれて黙っていました」
口止めとは念入りなこったねえ、と苦笑する。
「あの言葉は、あなたが考えたのですか?」
「あの言葉?」
「そう。他人に想像できることは、という」
「自分にもできる、って?」
はん、と立ち上がり、呆れたように言う。
「そんなもん、ありえねえ」
自分で言っておいて、舌の根も乾かぬうちにその言葉をひっくり返す。一体この男の神経というか脳みそというか、もうこの男は何なんだ。どうなっているんだ。私のさっきの感動を返せと、切に願う。
「もし想像出来るなら、世の中に格差はねえ。運動出来る奴出来ない奴、勉強出来る奴出来ない奴、金持ち貧乏並びその他もろもろなんでも、全てにおいて格差はなくなる。出来る奴のやっていることが全員分かるからだ。そして」
彼は相変わらずの、口角を吊り上げた、皮肉を込めた笑みを浮かべた。そこに少しだけ、悲しそうな、何か憐れんでいるかのような成分が含まれていると、どうして私は思ったのだろうか。
「戦争もなくなっていたはずだ。相手のことが想像出来るんなら、とっくの昔に。振り上げた拳の振り下ろされた先のことも想像できるということなんだから。ケンカもねえ、嘘もねえ、何も、本当に何も起きねえクソみたいに平和な世界になっているはずだ」
そうだろ? と、この世界の半分を統べる皇帝の娘に、彼は言った。
「では、なぜ」
なぜ、あんなことを言ったのか。それこそ、ありえない、などと思っている人間から出る言葉ではない。
「漫画に描いてあったのを、勝手に使わせてもらった。実に丁度いいセリフだ。こういって釘刺しておけば、あっちも二度と下手な小細工を打ってこねえだろう」
ま、んが・・・。膝から力が抜けていく。そんな私のそばを通り抜けて、壁に歩み寄った。ごそごそと、何をするつもりなのかと思っていると、彼が手にしていたものが光を反射し、私の目を一瞬眩ませた。
「お、悪い。わざとじゃないんだ」
「何ですかそ・・・」
言葉を失う、とはこのことだろうか。彼の手にあったのは、小さな手鏡。それに気づいた瞬間、私は全てのからくりが見えた。
つまり、この男は、最初から夕映とガドのカードを鏡で覗き見ていたのだ。さっき私の方を見たのは、私に伝えたいことがあったわけではなく、鏡を見ていただけなのだ。
体温と血圧が急激に上がっていくのが分かる。これは怒りのためか羞恥のためか。
とりあえず、この目の前の男を、粉微塵に粉砕してやりたい。
そう願った。心底願った。自分の中にこれほど激しい感情があったのかと驚く。激情はやがて一気に冷え固まり、冷たく鋭利な刃に代わる。ああ、これが殺意か。
「あ?」
怪訝そうな声を出して、彼が自分の胸元を押さえる。そして私の方を振り返った。
「ど、どした? どうして、そんなアルカイックスマイルを・・・?」
怯えた声で、怯えた顔で、彼は言う。
「私、笑っていましたか?」
自分の声とは、これほど固いものだっただろうか。釘が打てる固さだ。はは、頭に血が上りすぎて、こんなくだらないことを考えられる。
「明鷹」
第三者がこの場に現れたのは、彼にとっても、私にとっても都合が良かった。色々な意味で。
「命、か。どうした、何か用?」
「ん? いや、明鷹宛てに書類を預かってるんだけど」
ほい、と命が、書類の束を差し出す。差し出された書類が気になり、彼の肩越しに覗き見る。表紙には使用許可証、の文字が印刷されている。
「お、ようやく来たか」
「何ですか、それ」
問うと、忘れたのか? とこちらを非難して
「研究室の使用許可証さ。言っただろう。あんたを調べさせてもらうと」
そう言えばそんなことも言っていた。
「本当に、変なことしないでしょうね?」
「するか」
本当に嫌そうに、彼は断言した。こちらとしても願い下げだが、そうまできっぱり言われるとちょっと腹立たしい。
「それに、検査をするのは俺じゃあない。セシエタだ」
「セシエタ君?」
「ああ。あいつ以上の適任はいないよ。安心しろ。あんたの目的うんぬんについては何も話してない。あいつはただの知的好奇心とお前と俺の手伝いがしたいという善意からだ」
「素晴らしい。どこかの誰かに見習ってほしいものです」
「そいつは無理だ」
「努力しようという姿勢すらなく拒否ですか」
「でなくて。あいつの真似をすんのは無理だって話。もうわかってると思うが、あいつは天才だ。現時点で、あいつほど両国の技術に精通してる奴はいない」
いかにセシエタが天才であれ、いかにこのクラスが両方の技術を学んでいるとはいえ、そんなことはありえない。国交が断たれて二百年。停戦して十余年。片方ならともかく両方を知ることなどできるはずがない。
「皇族の癖に、あんたはずいぶんと表層しか見ないのな」
私の表情から考えていることを読み取ったらしい。いちいちこの男は人をイライラさせてくれる。私の顔が引きつっているのを気づいているのかいないのか、彼は話を続ける。
「まあ、あんたはそれでいい。そのまま育てよ」
どういう意味だろうか。何故私は、自分の同年代に親父面をされているのだろうか。本物の父親にも親父面されたことないのに。
「ともかく、あいつの知識と技術は確かだ。任せておいて何ら問題ない。もうすぐ来るだろうから、その時に簡単な打ち合わせをしよう」
予鈴が鳴ると同時に、ドアから当人であるセシエタが元気よく現れた。日取りと、どういう検査を行うのかと、その際に必要なものの認識を合わせただけの本当に簡単な打ち合わせをして、その場は解散となった。
翌々日の放課後。私は検査のため、学園の研究施設に向かっていた。思えばここに入学して以来、地下と寮の行き来しかなかったから、初めて学園らしいところを歩き回ることになる。本当は色々と散策、目的以外の理由も含めて見て回りたかった。
帝国にいた時はほぼ城内で過ごし、外に出るのは公務の時ぐらいでしかも警備付き。自由に動き回るなど、ここに来てからが初めてだ。はっきりと認めよう。かなり気分が高揚している。足取りも軽く、ついつい他の教室を覗き見てしまうくらいに。
どうして、シャオや夕映が他の生徒と関わるのを止めていたかも忘れてしまうくらいに。
「スパイの真似事ですか?」
完全に油断していた。放課後でほとんど人と出会わないから、誰もが部活か帰宅かで教室から出払っているものと思い込んでいた。
居住まいを正し、いたずらが見つかった子どものように気ごちなく振り返る。
「失礼。驚かせてしまったようですね」
糊のきいたシャツ、高級な生地を用いたカーディガン、さりげなく見える希少な鉱石を用いたアクセサリー類、見るからに高い身分と分かる三人組だった。右から男子・女子・女子。中央の女子が私に声をかけてきたようだ。おそらくこのグループのリーダーだろう。
「初めまして、ティアマハ皇女殿下。ラカ・ヴァルノと申します」
帝国西部を治めるヴァルノ侯爵家の三女か。なるほど、侯爵本人に一度会ったことがあるが、赤茶色の癖っ毛と気の強そうな顔つきは良く似ている。
「皇女殿下が転入されていらっしゃるとはつゆ知らず、ご挨拶が遅れまして申し訳ございません」
スカートの裾をつまんで、ラカは淑女のお辞儀をして見せる。
「お気になさらず。ここでは私もただの学生、同年代の同じ学び舎で学ぶ者として扱っていただいて結構です」
「そういう訳にはまいりません。御身は本来、このような場所に来るべきではない、尊きものなのですから」
丁寧な口調と物腰とは裏腹に、ラカからは懐かしいものを感じていた。散々味わってきた、嘲笑の気配だ。
「どうしてまた、この学園に来られたのですか?」
「私の年齢で、学校に通うのは別段不思議なことではないと思いますが?」
笑顔で応答する。慣れたものだ。この程度の悪意など何の痛痒も感じない。真正面から来るだけ可愛らしいものだ。
「それでも、帝都にあるニッチェルト学院など、名門校がいくつかあったはずです。私の姉上もそこに通われておりますし」
彼女の言葉からにじみ出てくるのは、その姉に対する羨望と自分の立ち位置に対する不満だ。それを、私にぶつけて憂さを晴らそうとしている。優位に立っていると思うことで、自らの尊厳を保とうとしているのだ。
「皇女殿下も、そういう『普通の』学校に通われると、皆思ったはずですよ」
ねえ? とラカは隣にいる二人に尋ねる。追従するように二人は頷き、笑う。
「ここは一応士官学校の一つに入ります。軍属志望か、それに類する者が入学してくる場所です。当然、戦闘演習などがカリキュラムに含まれているわけですが・・・」
と男子の方がいい、ちょっとやめなさいよ。失礼よ。と周りの女子が楽しそうに止める。強化鎧を使えない私が通っても意味がないと言いたいらしい。言葉を選びながら意味を伝えるとは、なかなか語彙力の豊富な連中だこと。
いつものことだ。ある程度好き勝手言ったら満足してどこかへ行くだろう。それまでは適当に聞き流しておけばいい。何も考えず、何も感じないように心を囲う。
「止めてよ」
後ろからそんな声が聞こえてきた。完全に意識を遠くへ追いやっていた私は、その声で引き戻される。
背後にいたのは大きなリュックを背負ったセシエタだった。リュックの端から何か棒状のものがはみ出しているが、今回の検査道具の一種だろうか。
「セシエタ、君?」
いつも笑顔を絶やさない彼が、今は険しい顔でこちらを見上げていた。
「何、貴方」
ラカが、さも鬱陶しげにセシエタを見下ろす。
「私たちは、今皇女殿下と有意義な会話を楽しんでいたところなの。子どもの出る幕ではないわ。邪魔しないで、どこかへ行きなさい」
手のひらで追い払う仕草をする彼女にセシエタが言う。
「会話って、互いを理解するための方法のことだよ。お姉さんのは会話じゃない。ティア姉ちゃんを困らせるだけの騒音だ」
行こう。とセシエタが私の手を取った。
「お待ちなさい」
脇を通り抜けようとしたセシエタの前が遮られる。
「貴方、地下クラスのセシエタ・アルベスタね。裏切り者の集まりの」
「地下は本当だけど、僕たちは誰一人裏切ったことなんかないよ」
「よく言う」
侮蔑を込めてラカたちが笑う。勝ち誇った顔で、セシエタに向けて言い放つ。
「王国の野蛮人と地下でこそこそと、いったい何をしているのやら。帝国民としての誇りを持ってないの?」
「何かと誇り誇りと持ち出す人間は大体誇りを勘違いしていて、誇りを持ってない連中だって前に明鷹が言ってたけど、お姉さんはどう?」
思わぬ切り返しに吹き出してしまった。あの偏屈な男なら言いそうなことだ。そして、純真なセシエタからそんな言葉が出てきて、見事にラカを打ち負かしたのが傑作だった。
案の定、ラカは顔を真っ赤にして、左右の取り巻きはおろおろと彼女の様子をうかがっている。
「なん、ですって? もう一度おっしゃってみなさい」
いかん。笑っている場合じゃない。腐っても彼女は帝国の貴族だ。セシエタがどの身分の人間かは知らないが、地下に追いやられている時点で貴族以上ではないだろう。そして、歴史の長い貴族出の人間はみな等しく、侮辱するのは好きでも侮辱されるのを嫌う。しかも自分より下の身分の人間からなど許されることではないだろう。
私はセシエタを抱き寄せ、背後に隠す。
「恐れながら皇女殿下に申し上げます。そのクソ生意気なガキをこちらに」
「落ち着いて。子どもの言う事をいちいち気にしてたら身が持ちませんよ。どうかここは大人の対応を」
「あ、だからティア姉ちゃんはさっきから何も言い返さなかったんだね。子どもみたいな連中の言う事なんか、構うのも馬鹿らしいってことだよね」
セシエタくぅううううううん!? 突然何を面白いこと言い出すのかなこの子は! 人がこの場を上手く収めようとしているときに、どうして混ぜっ返すようなことを!
困惑顔で見たら、にこにこ笑顔で返された。この状況をわかって言っているとしたら、絶対明鷹に毒されている。後で明鷹を殴っとこう。わかってないとしたら、後できちんと教育的指導を年長者の義務として行おう。ついでにその義務を怠った明鷹を殴っておこう。
予想通り、ラカは完全に怒りの形相でこちらを睨んでいる。もはや関係の修復は不可能そうだ。彼女は無言で自分の右腕に嵌めている小さな腕輪に触れた。腕輪が明滅し、青白い電流が一瞬彼女の腕との間に走る。
女性が良く使う、簡易版の強化鎧だ。防御性能は皆無に等しいが、先ほど走った電流が神経を経由して脳内ネットワークに介入、自己の持つ身体能力を飛躍的に上昇させる。
生身一つとなった状態、主に逃走用に用いられることの多いサブユニットだが、こういった士官学校では強化した状態での格闘戦を行うことが多い。これからのラカの使用用途も、おそらく後者だ。
しかしセシエタではないが、本当に大人げない。生身の人間をその状態で殴ったらどうなるか容易に想像がつくだろうに。私が明鷹を殴ったときなど比較にならない、スイカを棒で叩き割る様にセシエタの頭は潰れるだろう。
「セシエタ君。下がって」
自分から彼を一歩遠ざける。狙うは初撃。怒りに任せた直線的な打撃であるならカウンターが狙える。最初の挙動さえ見過ごさなければ合わせるのは容易い。後は当てる場所だが、いくら防御性が無いとはいえ、それは銃弾や刀剣類に対してだ。肉体が強化されるのだから打たれ強さも高くなっている。下手な一撃など痛みすら与えられない。
よって、狙うは急所。顎、首や喉に対する打撃、投げ技による関節の脱臼が考えられた。
「言い残すことはないかしら」
取り巻きが「やり過ぎですって」「シャレになりませんから」と止めるのも聞かず、ラカが一歩踏み出した。
来るか。そう思い、身構える。
「はいはい、そこまで」
この草原を走る爽やかな風が如き声は
「あ、命だー」
のんきな声でセシエタがその人の名を呼んだ。
「ごめんごめん。遅くなった」
苦笑して、申し訳なさそうに手を合わせて拝む仕草が実に可愛らしい。そしてこの場には、そのラブリーさが重要だった。
「あ、あなたは、地下クラスの、末永」
先ほどの怒りが命の登場によって吹き飛ばされたか、ラカは酷く狼狽した様子で指差す。
「そういう貴女は、ラカ・ヴァルノさん、ですね。こうしてお話しさせていただくのは初めて、ですよね? お会いできて光栄です」
美男子に光栄と言われて、いい気にならない女子がいるだろうか、いや、いない。女子の端くれとして断言できる。しかも手の甲に口づけなんて洒落たことされた日には、怒り心頭であったラカですら蕩けた表情になる。すぐさま気を引き締め、顔を真顔に戻したが、いかんせん先ほどとは違う意味で顔を赤く染めている。すでに虜、命の手のひらの上だ。主導権は無いも同じ。
「申し訳ございません。この子が何かしでかしましたでしょうか?」
「そ、そうよ。そのガ、子どもが、この私を侮辱いたしましたの!」
許されると思う? と訴える。それに命は、頷き、共感の意を示す。ラカは自分の味方が増えたことに喜んでいるが、違う。これは、完全に命の術中にはまっている。
「そうですね。確かにおっしゃる通りです」
「でしょう! だから私は、それ相応の報いを受けさせようとしたの! 何か間違っていて!?」
「いいえ」
笑顔で、ラカの全てを肯定する。誰かに信じてもらえる、認めてもらえるというのは、麻薬じみた効果がある。命の相貌、声、仕草、全てが麻薬となってラカに溶け込んでいくようだ。
「しかし、この子はまだ子ども。貴女のような高貴な方に対する振る舞いが出来ないのです。今後は僕がしっかりと教育いたしますので、なにとぞ、今回限りはお慈悲をいただけないでしょうか」
私がさっき同じようなことを言っても聞く耳すら持たなかったのに、今は「どうしようかしら」などと顎に手を当てて考えるふりをしている。凄いな。効果は絶大だ。
「では、お詫びと言っては何ですが、こういうのはどうでしょう」
唐突に、命は彼女の手を取って、教室のドアを開けた。
「な、何? 私はまだ・・・」
「まあまあ」
そう言ってラカを連れ込み、素早くカーテンを閉める。こちらからは、完全に見えなくなった。音声だけをお届け中だ。
『え、いや、そんな・・・、うそ・・・・ああ・・・・』
なんだろう、見えない分、妙に気まずいというかなんというか。
『あ、そんな近くで・・・・ああ・・・こ、こんなの初め・・・あああっ!』
ラカの、何とも言えない叫び声が木霊して窓を震わせ、全員が思わずびくりとする。ドアの先で何が起こっているのか、見当もつかないというか、つけたくもないというか。
最後の嬌声からしばし沈黙が続いた。ガチャリ、とやけに大きく音を立てながらドアノブが舞わされる。現れたのは、微笑みを湛えた命ただ一人。
「うん、話はついたよ。許してくれるそうだから」
行こうか。そう言って何事もなかったかのように平然とした顔で私たちの前を横切っていく。聞きたいことは山ほどあるが、おとなしく従っておこう。余計な争いは、私としても望まない。避けられるのであれば、避けるべきだ。
背後で、金縛りから解けたように、取り巻き二人があわてたように教室の中へ入っていく。彼女らが見るのは、いったいどうなってしまったラカだろうか。
「一体何をしたんですか」
ある程度離れてから、前を歩く命に声をかけた。
「何も」
「何もということはないでしょう。その、ねえ? あんな」
一連の流れを思い出す。ちょっと
「いやいや、ほんとに何もしてないよ。少し幻覚を見せただけ」
命がポケットから何か取り出した。小さな小瓶には、透明な、少しとろみのある液体が入っている。
「試験品番号四『シミテクノ』だね」
何かと問う前にセシエタが答えた。
「そう。僕たちの開発したいくつかのアイテムの一つ。触れると皮膚から体内へ素早く吸収される、ただそれだけの物なんだけど、これの面白い所は、魔法の媒体として使える所」
「あ、じゃあ、もしかしてあの時に?」
思い出したのは、彼がラカの手の甲にキスしたときだ。あれなら水がついても不思議と思われないし、そもそも口なのだから魔法の詠唱もしやすい。そう尋ねると「正解」と言って、シミテクノの解説をしてくれた。
人が見たり聞いたり感じたりするのは、結局脳の反応によるもの。シミテクノには幻覚に魔法式を組み込んで、相手の体に付着させる。シミテクノは体に染み込むと体内の体液と交わり、自分が持っている魔法式という命令を流し込む。変化した体液は血管を通り脳へ行きつく。脳は、術式通りの幻覚を感知する、という図式だ。
「シミテクノ本体は式を持ったまま染み込むっていう単純な性能しかもたないけど、これがまた応用が利いて幅広く使えるんだ。神経を通って脳に働きかけることが出来るから幻覚系魔法の効果は通常より高いし、医療系の魔法効果を損なわせずに体に取り込むこともできる」
USBみたいな記憶媒体に似ているね、とセシエタが分かりやすい説明を付け加えた。端末に接続しデータを取り込んで、そのデータを今度は別の端末に流す。端末が機械か生身の違いだけで、確かに似ている。
「では、さっきの彼女には」
「うん。少し刺激の強い夢を見てもらった。ついでに、使用した魔法式には記憶削除の式も組み込んでおいたから、起きた時にはさっきの数分間の出来事は忘れてる」
素晴らしい。私は心の中で、シミテクノの性能に詠嘆する。単純だなどと彼は言うが、これは使いようによっては莫大な効果と利益を生む発明だ。あらかじめ魔法を組み込んでおけば、あとは私が持ち歩いて敵、もしくは味方にかけることで効果を得られる。改めて、彼らの発明に強い期待が寄せられる。
しかし反対に、警戒する必要も出てきた。下手に動き、もし彼らに私の目的などが知られたら、記憶を消される。ばかりか、重要な情報を根こそぎ奪われる可能性がある。脳に働きかけられるということは、イコール人を操れるということだ。私も例外ではない。どんなことをされようが、本人に記憶が無ければ、それはなかったことになるのだ。
「でも、意外です」
そう考えると、疑問が一つ浮かぶ。
「何が?」
「彼女の記憶を削除したことです。あのまま残しておけば、彼女はずっとあなたの言いなりでしょう。どうしてわざわざ?」
戦略としても、手駒は多いに越したことはない。愛情や快感で縛れるならかかる費用は格段に下がる。もちろん、感情を相手にするわけだから、関係の糸が切れないようにそれなりのケアが必要になってくるが、彼を見る限り問題なさそうだ。
「そうだね」
人差し指を顎に当てて思案する。
「理由はいくつかあるけど、一番大きな理由はやっぱり僕が『ラブコメ野郎』だからさ」
酷い仇名もあったものだ。命名は明鷹だろうか。
「うん、そう。あいつ」
あはは、とまた快活に笑った。私は彼の笑っているところしか見たことがない。ずっと笑顔の裏に何かがあるのを嗅ぎ取っているが、あえて問うこともあるまい。人間、知られたくないことの三つ四つはあるものだ。
「でもね、的を射ていると思うよ。ひどく的確に。僕はラブコメが好きだ。砂糖を溶かしてシロップを投入するような、胸悪なりそうなくらいの奴が。王道も好きだし、意表を突いたのも好き。本筋に絡めてくるサイドストーリー的なのも、ちょっと悲しい物語も大好きだ。だから、こういう好きとか愛とかそういうものは、可能であれば本人が本心から望んだものであることを僕は望むよ。もちろん、自身の目的を果たすためであるなら、さっきみたいに感情を利用させてはもらうけど、それは悪い夢。目を覚ましたら消える、その程度のものであるべきだ。可能であるならば」
だから、彼女が先ほど見た幻覚、命との逢瀬か何かは知らないが、全てはラカにとって悪い夢だという。色々と矛盾している、自己満足にすぎないと、誰かは思うだろう。私も思う。だが、他人の為にもならず、自己満足すら得られぬ行為など、価値すらないのだから、彼はある意味自分のポリシーを守っていると言える。そういう、一本芯の通ったところを、私は高く評価する。どうしてこういう男が、あの明鷹と長年付き合っていけるのか不思議でならない。
「えぇ~嘘だあ」
ちょっと良い話にまとまって終わりかけていたところへ異議を唱える者がいた。セシエタだ。
「だって命、『りふじん』なやつも好きじゃない」
ぴたり、と命の歩が止まる。ゆっくりと、後ろを振り返り、小さなセシエタを見下ろす。顔は笑っていたが、いかんせん目が、目が笑ってない。
「・・・・どういうことだい?」
そんなことに気付かないセシエタは嬉しそうに理由を話し出し
「ん? 命って『ぼんきゅぼん』の『じょしがくせー』とか『みぼーじん』とかが無理矢理『りょーじょごぼぶっ!」
すっと流れるように伸びてきた大きな手で両頬を掴まれた。体に傷をつけず、なおかつ喋ることを封じる絶妙の力加減だ。もごもごと何か言っているが
「セシエタ」
穏やかな声を聞いて静まる。耳から侵入し、脳に直接届き、刻み込まれるような声だ。まるで魔法がかかっているような、力のある聞き逃せない声だ。
「イケナイな。ここにはティアさんもいるし、君のような年頃の子が、意味も分からないままそういう言葉を使ってはいけないよ」
けして怒鳴っているわけではないのだが、その声から発せられる指示には抗いがたい影響力があった。あのセシエタが汗をだらだら流しながら頷くばかりだ。
「どこからの情報? 明鷹?」
コクコクと何度も頷く。
「そうか」
それだけ言ってセシエタから手を離した。
「仕方ないやつだ」
笑った。私は彼の笑顔しか見たことが無いが、この笑顔は初めて見る種類のものだ。何と表現したらいいか、私の語彙力ではうまく表現できない。
ただ、最初に浮かんだのはたった二文字『凄惨』だ。
「あ、そう、そうです」
この話題を打ち切るために私は手を叩いた。二人が私の方を振り向く。
「その明鷹はどうしたんですか? もともと彼と私で話していたことだったのですが」
この場にその張本人がいない。その実験設備とやらで待っているのか、まだ遅れているのか。理由を聞きたかっただけなのだが、二人は顔を見合わせて苦笑した。
「あいつは来ないよ」
命が答えた。
「明鷹なら、地下で準備をしてる。あっちの設備以外にも、僕ら特有の設備も使いたいんだけど、持ってこれないから」
セシエタが捕捉で説明してくれる。設備とやらがどんなものか知らないが、どちらかの技術の物しかないのだろう。それ以外に、あいつは出歩きたがらない、重度の引きこもりだからね、と命が言った。そっちの方が理由ではないのか? と勘繰りつつも納得した。
「ここだよ。入って」
案内されたのは、病院と研究施設と占いの館を足したような奇天烈な部屋だった。
真っ白な蛍光灯に照らされているのは、右には体の内部を断面図で映し出すMRIなど、他細々した機器類が、左は人ひとりが悠々入れるほど大きさの窯や曲がりくねった枝などの媒体類が転がっていた。そして中央には、二十インチほどのモニタが三台とデスクトップ型の端末が鎮座していた。端末からは左右に一本ずつケーブルが伸びている。機器類はともかく、媒体のどこにケーブルをつなぐのだろうか。乱雑に物が置かれているようで、よく見れば規則的、整頓されているようにも見える。ごった煮でありつつベースのしっかりした鍋のようだ。
『来たな』
天井から声が響いた。上を見上げると、放送用のマイクが設置されている。
『こっちはきちんとモニターできてる。準備も問題ねえ。セシエタ、そっちはどうだ?』
「うん、言われたものは用意してきたよ。測定機各種に試験品二号『活性たん』、プラスマイナス三角四角極と、たしか感受草だっけ?」
『おう。ばっちりだ。良くやった』
珍しく明鷹が褒める。えへへと嬉しそうにセシエタがはにかんだ。
『皇女。あんたも言われたもんは持ってきたか?』
「え、ええ。といっても体操着と、あとは今まで集めた神威装甲に関する資料だけですが」
『いやいや、上出来だ。体操着はもちろん、その資料は絶対に必要なんだよ』
資料はわかるが、なぜ体操着が重要なのか。
『あ、知らねえの? 本当に自分のことを良く知らんな。あんた、国内に意外と大勢、根強いファンがいるんだぜ?』
ファン? ファンというと、あの? この『役立たずの皇女』にか?
『ま、あんたがどう思おうが勝手だ。疑うもよし、能天気に信じるもよし。さて、始めるから、あんたは資料を命に渡して、隣の部屋で着替えて来い』
「待ってください。まだ、体操着の必要性云々の話と、疑わしいですが私の人気云々の話がつながりません」
『疑わしいならどうでも良いだろ。全人類に平等に配布されてる時間は規則正しく進んでんだから。あんただって早く知りたいんだろう?』
彼の言う事は正しい、が、私の中でこの件に関してはあいまいにしてはならないと、頭のどこかが警鐘を鳴らしていた。
「あのね、写真を撮るって言ってたよ」
やはりここでも口を開いたのはセシエタだ。
「写真?」
天井からセシエタに目を向ける。うん、と頷く。上から『セシエタ、止めろ』と言っているが、続けて、と優しく、優しく催促する。心なしかセシエタが怯えた表情になっているのは気のせいだろう。うん、違いない。
「えっとね。ティア姉ちゃんの写真って、おーくしょん? で高値が付くんだって」
「へえ、高値」
天井を見上げる。
「ドレス姿しか今は出回ってないから、体操着とか私生活を撮影したものだとさらに高値がつくはず。マニア垂涎の代物だ、と明鷹が申しておりましたよ」
命が手のひらサイズのカメラを取り出した。光学ズーム機能付きの最新のやつだ。
『命てめえ、俺を売るつもりか!』
「最初に裏切ったのはそっちだろう? セシエタに変なこと吹き込んで」
『吹き込んでねえよ聞かれたから答えたんだよ』
「そういう問題じゃないでしょ。せめて十五歳以上、異性に興味を持ち始めてから・・・」
「そんなことは、どうでも良いのです」
割って入ると、二人とも押し黙った。
「どういうつもりですか。明鷹。返答しだいによっては、私も出るとこへ出ますが」
次に会うのは法廷になりそうだ、と決意を固める。
しばしの沈黙の後、マイクから大きなため息を吐いたのが聞こえた。
『・・・あんたは嫌ってたけどな、あんたの写真が帝国の新聞やら雑誌に掲載されると、通常の三割から五割は売り上げが伸びるそうだ。ネット上でも『皇女を温かく見守る会』とかが結成されて、王国の第二王女を愛する『ラブリー静蘭組合』と熾烈な書き込み戦が幾度も攻防を繰り広げている。とりあえずその程度の人気はあるんだよ。だから命を寄越した。そいつなら、たいていの人間トラブルは解決できるからな』
隣で話題に上った命が微笑む。
「ティアさんに嫉妬する人は、少なからずいるということだよ。さっきのラカさんもそう。あなたに辛くあたってくる人は全員そういう輩と思っていい」
あたられるのは嫉妬のせいだと? 本当だろうか。いまいち信用できない。
『つまりは、そういうあんたを好くようなマニアックな連中にあんたの体操着姿を売りつけてやろうと思ったわけだ』
「本当に最低ですねあなたは。・・・まさか、着替えも撮るつもりだったんじゃ」
『それは無い。リスクがでかいからな。あんたの下着姿やら裸体なんぞ世に出てみろ、流通ルートを辿られて簡単に捕まる。以前そういうきわどいのを隠し撮りしてた奴が哀れな末路を辿ったからな』
だから、カメラは命が持ってる奴だけだよ、と投げやり気味に言った。私は、とりあえず差し出されたカメラをもぎ取り、代わりに書類を叩きつけるように渡す。叩きつけられた命は肩をすくめながら、すぐさまページに視線を移す。
本当に、油断も隙もあったものじゃないな。そう思った時、ふと違和感が頭をもたげた。それは上手く言葉に出来ない、もやもやした形のない泥のようなものだ。それを練り固めようとしたところで
「じゃあセシエタ姉ちゃん。始めよう」
と声がかかった。
『それじゃ無理だ。うちの制服は一応特殊素材で出来てるからな。対刃耐熱、絶縁抵抗性能も兼ね備えている。きちんとした結果が出ない。着替えろ。もともとはそのための体操着だ。半袖ブルマには一応意味がある』
「本当に、大丈夫でしょうね」
『信用ないねぇ。大丈夫だよ。不安なら後で好きなだけ調べさせてやるよ。着替えるのも不安ならトイレ行け。あそこは毎回最後に教員が探知機持ってチェックしていくからな』
以前の教訓が活かされているということか。
『じゃあ用意が出来たら呼べ。それまで暇潰してる』
マイクがぶつりと切れる。こちらとの接続を切ったようだ。
「相も変わらず嫌な男ね」
天井に向けて言い放つ。
「あなた達も、どうしてあのような男に付き合っているのです? クラスメイトの義務とは、そこまでしなければならないものですか?」
不思議でならない。どうして命もセシエタも、シャオも夕映もあんな男と付き合っているのだろうか。口は悪い、性格もわるい、ここまで良い所が全く見当たらない人間には初めて遭遇した。未知との遭遇だ。
対して、他のクラスメイトは、実に良くしてくれている。まあさっきのようなことはあったものの、大体が明鷹に言われたからだろう。彼らの性格上、自ら進んでするとは思えない。
「ううん、何と言ったものかな」
頭を搔いて、命がセシエタの方を見る。
「あいつとの通信は切れてる? 映像も?」
「え? うん。こっちから呼び出さない限りは切れたままだと思うよ」
そうか、と言い、こちらに向き直った。
「ガキなんだよ」
一番の理由はそこだと命は言った。
「セシエタ以上に幼いんだ。そして偏屈だ。間違っていても、上手く謝ることが出来ない。フォローもへたくそだ。お詫びのつもりなんだろうけど、わかりにくいったらない」
「ゲームで言うところの、攻撃ばっかで支援が出来ない突撃兵だね」
敵味方関係なく撃ちまくるから混乱状態のタチの悪いやつ、とセシエタがキシシと意地悪く言った。
「でも、意味のないことはしない。やること成す事すべてに本人なりの考えと意味があるんだ。無理にとは言わないけど、少しだけ、振り返ってみて」
「振り返っても何も、出会ってから悪いことしかありませんが」
出会って初日で疑われている。まあ、こちらも叩けば埃の出る身ではあったが。
「あはは、そうだね。うん。確かに」
ま、気が向いたらでいいよ。話はそこでいったん終わった。命は私が渡した書類に目を通しだし、セシエタは機器のセッティングを始めている。ここで私が手伝えることはないので、着替えをもってトイレに行く。
トイレの中で着替えながら、さっき言われたことをもう一度考えてみる。明鷹のやっていることには意味があるらしい。
「あるのか?」
思わずつぶやく。まったくあるように見えない。あるとすれば、自分の欲求に直結するようなことくらいだ。考えれば考えるほど、命たちが深読みしすぎているとしか思ない。
「深読み、か」
口に出す。一拍おいてから、無意識に吐き出されたその言葉を脳が拾う。ぞく、と背筋が泡立つような感覚。悪寒に似た、何かに勘付いたときの感覚だ。
全てに意味がある。そう仮定して考える。
もし本気で、私の写真を撮ろうとしていたのならば、なぜあんなにすぐバラしたのだ?
疑問は一つ浮かべば数珠つなぎに湧いて出る。あの男のやることには意味がある。ではその意味とはなんだ。目的とはどれのことだ。
順番に考える。手鏡の細工はあったとはいえ、見たではないか。聞いたではないか。あの男の言葉は武器であり手段だ。ばら撒かれた言葉には全て意味があった。
少しずつ少しずつ状況を分解していく。そして、着替え終わった私は命たちの元に戻る。
「お帰り」
資料から顔を上げた命が声をかけてきた。
「私にばれるのは想定の範囲内だったの?」
その彼に向かって唐突に尋ねる。一瞬目を丸くしたものの、命はすぐに微笑んで「さあ?」とわざとらしくおどける。
「僕らが勝手に解釈しているだけで、本人が何を考えているのか、真相はわからないからねぇ?」
けど、と彼は続ける。
「よく見てると、あいつはわかりやすいよ。人のことを良く見ている奴だけど、いや、だからかな。自分が見られていることには気づいてないんだ」
そうして、諏訪明鷹の『癖』を教わった。なるほど、今度一矢報いるには十分すぎる情報、試す価値のあるものだ。ほくそ笑む。あれほど嫌いだった相手に次に会うのが、これほど楽しみになるとは、この世界は面白い。
「はい、準備できたよ」
セシエタの声がかかる。彼の目の前には白い台がセッティングされていた。台の下にはたくさんのコードが伸びて、部屋中央の端末につながっている。
「やくしゃはそろったみたいだね」
腕組みなどして、妙に芝居がかった仕草でセシエタが言う。それを微笑ましく見守りながら、命がマイクをオンにする。
「明鷹。いる?」
『いるよ』
すぐに返答が返ってきた。
『そっちは準備できたか?』
「うん。ティアさんも戻ってきた」
『そうかい。じゃ、始めようか。皇女、セシエタの前にある台に寝そべれ。あとは天井のシミでも数えてるか寝てろ。その間に終わらせる』
「はい」
『・・・ずいぶん素直だな』
「そうですか?」
知ってしまえば明鷹など恐るるに足らず。余裕の笑みさえ浮かべて、マイクのある天井を睨み返せるくらいだ。
「靴を脱いで、台の真ん中あたりで上向きに寝っころがって」
セシエタに言われるがまま靴を脱ぎ、台に上がる。そして仰向けになる。
「行くよ」
その声と共に、ゆっくりと台が沈みこんでいく。慌てる私に「大丈夫だから」と命が声をかけた。
「試作品三号『人型君』。その名の通り寝ころんでる人の体の形に合わせて変形し、型を取るみたいに窪むんだ。皮膚に密着して、そこから読み込む」
「読み込む?」
「そう。微弱な電流を流して、まず体内の電気と疎通を取る。取れたら、反応を見るためのちょっとした魔法の公式を流す。無害だし、万が一の時に備えて防護用プログラムも組んであるから安心して。それでティアさんの体内情報を読み取る。コードが繋がってるあの端末にそれらが記録され、データとして表示される。健康診断みたいなもんだよ」
ほら、と彼が指差す方向。わずかにのぞく隙間から、ディスプレイ上に文字が次々に浮かび、上にスクロールされていくのが見えた。
「怪我なし病気なし、血液サラサラ、骨密度も問題なし、内臓も綺麗、最近ストレスが溜まったのかな、少しだけお疲れだね」
「ちょっと無神経な馬鹿者の相手をしていたせいですね」
『何言ってんのかさっぱりわからんね』
「ついでに察しも耳も悪いようです。彼の方こそ、精密検査が必要なのではありませんか?」
『うるせえな、・・・・っと、よし。確認できたな。さて、こっからが本番だ』
明鷹が急に真面目な声を出した。
「明鷹、これが」
姿は見えないがセシエタの声も真剣そのものだ。
「え、何? 何かあったの?」
妙な病気が発見されたのだろうか。
『怯えるな。むしろ喜べ。ようやく念願の物とご対面だ』
姿は見えないが、なぜか明鷹が舌舐めずりをした顔を想像できた。
「念願、って、まさか」
心当たりがある。ありすぎる。
『神威装甲。なるほど、面白ぇ』
画面が良く見えないのがもどかしい。しかも、今は命とセシエタが画面の前を陣取っている。
「これが唯一品・・・。すごい。すごいね」
興奮したセシエタが机に手を置きながらジャンプしている。
「うん。それに美しい。こんなに綺麗で無駄のない公式は初めて見た」
完成された美術品を評するように、命がうっとりとして呟く。ああもう、見えないのがもどかしいったらない!
『それじゃ、やるか。セシエタ。アクセスしろ』
「おっけい」
端末を操るセシエタ。軽快なタイピングは彼の機嫌を表しているかのようだ。
「じゃ、いきまぁす」
Enterを押す。瞬間、私の中にさっきよりも少し強めの電流が流れ
どくん、と体内で何かが脈打った。目覚める。良くわからないが、直感的にそう感じた。そして、室内の電気が一斉に消えた。
「え、停電? このだいじなときに」
もう! とセシエタが怒る。
「大丈夫、この学園下手な研究施設とか医療施設なんか目じゃないくらい非常電源とか配備されてるから、すぐに戻るよ」
そう命が言ってから、およそ五分が経過した。
「・・・・点かないね」
セシエタが現状を的確に表した。
「おっかしいな。いつもなら十秒も経たないうちに復旧するんだけど」
その彼から軽快なメロディが流れる。
「明鷹だ」
携帯電話らしい。もしもし、と受け答えを始める。
「え、接続を解除? いやいや無理だって。こっちの端末も完全に落ちてる・・・無理ならコードごと引っこ抜けって? 壊れたらどうすんの。・・・・は? うん。そういうことなら」
後で怒られても知らないからね。と命が電話を切り、その電話の画面から放たれる光をライト代わりにしてコードを抜くようだ。かちゃかちゃごそごそと試行錯誤し、ようやくコードを引っこ抜いたらしい。同時に、室内に光が戻る。
「何があったんでしょう?」
真上から煌々と照らしつける照明に目を細めながら疑問を口にする。
『喰われた』
明鷹の声がマイクから響いた。そう言えばどうしてさっきマイクで連絡しなかったのだろうか。
「喰われたってどういうことです?」
『そのまんまの意味だ。この学園の電気が根こそぎ喰われた。あんたの中に眠ってるものにな』
さっきの脈動が思い出される。あれは、そう言う事なのか。
「そんなの無理だよ! そんな大量の電力どうやっていっぺんに回線に流すのさ。機械は規格外の電流流れたらすぐに壊れるんだよ? 配線だってそうだ。どっかで切れるに決まってる。雷とか、そういうのから機械を守るために避雷器とかあるんだから、ここに辿り着く前にアースに向かうはずだよ」
セシエタの嘆きももっともだ。雷の電圧は一億ボルト以上だ。そんなものが回線を伝って流れれば電化製品は確実にショートする。そういう故障を防ぐために、アース線につないだり、避雷器を設置したりする。過剰電力を全て取り除くためだ。
「だいたい、そんなたくさん流れ込んで『人型君』が無傷なわけないじゃないか」
『それなんだが、これは多分、乗っ取られたな』
自分だけ何かを知っているような口ぶりで明鷹が言う。
『俺たちが皇女に流した公式は、被験者の体を電流で傷つけないようにするための防護の公式も含まれてる。それを読み取った神威装甲が、その公式を覚えて返してきた。こっちのアクセス権を奪い、回線を伝わせて校舎内の全エリアに流し込んだっぽい。流石は唯一品の中でも一、二を争う物騒な代物だ。一筋縄ではいかないな』
「そうか、神威装甲は情報を取り込んで進化するんだったね」
魔法の公式を情報として取り込み、すぐさま応用して発動させた、そういう事らしい。
「つくづくでたらめだね。じゃあ、もし全部の魔法の全部の公式を取り込んだら、練習も無しにすぐ使えちゃうわけだ。詠唱とか公式の記述とか、全部内部処理で受け持ってくれるなら、本人意志のトリガーだけでモーションなしでいきなり発動って寸法かぁ。鬼仕様だね。これまでの常識とか全部ひっくり返しちゃうね」
「それだけじゃない。情報なら何でもいいってことは、兵器の情報もいけるってことだ。設計図や効果のデータさえそろえば、全て構築して再現できてしまうってことにもなるよ」
画面を見ながら、二人が驚きとも、自棄とも取れる雰囲気で称賛する。
「でも、使えなければ意味がありません」
そんな彼らに声をかける。
「道具は使えてこそ意味がある。使えないものはただのゴミです。それで、学園に停電まで引き起こしてまで、私たちは何がつかめたんです? そろそろ私にも教えてください。一人だけ型にはまったまま結果を見れないのはつまらないのですが。あなた方の誰よりも、私がそれを知りたかったのに」
わ、ごめん。セシエタが駆け寄り、コードをつなぎなおして再起動させた。徐々にくぼみが内側から押し返され、私の体が台上にせり上がる。体を起こし、靴を履く。
「で、どうなんです? 私にも教えていただく約束でしたが」
『わかってる。そうせかすな。あんたはこのまま教室に戻れ。それまでにある程度の資料をまとめておく。命、セシエタ』
「わかってる。こっち片付けたらすぐに行くよ」
『任せた。じゃあ皇女、戻ってきな』
そう言われても、少しためらってしまう。私の頼みで検査をしてもらったのに、何も手伝わずに帰ってしまってもいいのだろうか。
「気にしないで先に戻ってて。大丈夫だから」
配線をまとめながらセシエタが言う。
「ここには触っちゃダメなところもあるんだ。だから、手伝ってもらおうと思っても、ちょっと危ないんだよ」
子どもから危ないから触るなと諭されてしまった。確かに、何も知らない私が手伝おうとしても邪魔になるだけだろうが、なんだろうこの何とも言えぬ敗北感は。
「それに、二人だけで話したいこともあるんじゃないかい?」
全てを見透かしたかのように命が言った。明鷹のやつ、ばらしてないとかぬかした癖に。
思考を巡らせ、もしそうだった場合に備える私に向かって、命は続ける。
「良いんだ。わかっているよ。君たちがただならぬ関係だということは。大丈夫。恋人同士の逢瀬を邪魔するなんて、野暮な真似はしないさ」
「・・・恋人?」
なんのこっちゃ?
「ふ、身分が高いというのも大変だね。自分の気持ち、行動、解放したいそれらすべてを義務と責任で蓋をせねばならないのだから」
さっきから、彼が何を言っているのか理解に苦しむが、勘違いをしていることだけは良くわかった。下手に言いつくろわず、彼の誤認識を利用させてもらおう。「そうなの」と適当に相槌を打って話を合わせ、一足先に教室に戻る。
「よう、戻ったか」
教室は、足の踏み場もないほどプリントが散乱していた。
「なんですかこれは」
「何って、今回の資料だよ」
「資料って、端末に残ってるんですからわざわざ印刷しなくても」
そう言うと、わかってないねえ、と呆れられた。
「この、こういういかにも俺すげえ頑張ってる感が欲しいんだよ。わかる? 雑多に積まれた膨大な資料とにらめっこしながら少しずつ情報を精査し、集め、形にしていく、こういう姿が良いんじゃないか。科学探偵ナオでもやってた」
「はあ。ようはただの物まねで気分を味わってるだけじゃないですか」
「それが必要なんだよ。モチベーションを上げるためにやってんだよ」
「さいですか」
明鷹の気分やモチベーションなんか心底どうでも良い。必要なのはデータだ。私の冷めた視線に気づいたか、明鷹は舌打ちして、話を戻した。この一件が終わったら、この男を本当に不敬罪で罪に問うてやろうかと思い始めた。
「とりあえず結論から言うと、神威装甲は動かせる」
「本当ですか!?」
思わぬ情報に驚きすぎて、明鷹の両肩を掴む。さすがの彼も面食らったようで「お、おう」とどもりながら肯定した。
「あ・・・、すみません・・・・」
謝罪し、両手を離す。ふう、と息を落ち着け、明鷹が説明を再開した。
「当たり前っちゃ当たり前なんだよ。停電起こすほど学園の電力を喰ったんだからな。その前の検査でも色々と面白い結果が出てんだ。埋め込まれたコアがあるのはあんたの胸の中心。で、そこから神経と同化して全身に網状のネットワークを伸ばしている。特に脳表層は膜で覆われてるのかってくらいだ。多分知覚や思考を担当している大脳皮質に密接にかかわってんだと思う。持ち主の思考や知識に応じて進化するからだ。さて、肝心の起動方法なんだが」
ついに、ついに来た。私の長年の夢の扉が、今開こうとしている。
「まだわからん」
私はとりあえず、彼の横っ面を叩いた。ぶふっ、とか言って、彼は一回転回った後パタリと倒れた。
「すいません、つい」
倒れ伏した彼に謝っておく。
「つい、じゃねえよ。つい、じゃあよう。てめえ、いきなり何してくれる?」
勢いよく倒れた後に、勢いよく叫びながら勢いよく立ち上がってきた。
「でも、あなたも悪いんですよ。色々と」
積もり積もった何かが噴出した形だ。おお、今ならカッとなってやった、殺すつもりはなかったと推理小説の犯人たちの自供内容が納得できてしまうぞ。
それに今、彼は一瞬視線を左ななめ上に逸らした。
命から聞いた彼の癖その一。嘘を吐く瞬間一瞬だけ視線を逸らす、だ。嘘を吐かれたのだから、うん、私の怒りは当然だ。自己正当性は問題なく稼働している。ただ、さっきの話ではないけれど、彼の言葉には本人なりの意味が含まれている。無暗矢鱈と嘘はつかない。無理に追及してものらりくらりと躱されるだろう。
「まあ、これで色々とおあいこということで。さ、説明を続けてください」
大分良い性格になってきやがったな、と毒づきつつ、明鷹は資料を拾い上げた。うん、間違いなくあなたの影響だ。
「ヒントはあった。今回は魔法方面からのアプローチで動いたってことだ。その辺を突き詰めていけば、起動用の補助アイテムみたいなもんが作れるかもしれん。たとえば、公式詰め込んだシミテクノをカプセルみたいなもんに詰めといて、摂取して取り込むとかな」
「それでは・・・」
答えを急く私を「焦んな」と窘める。
「通常とは違う起動方法を取ろうとしてんだ。暴走したらどうする。さっきの停電が良い証拠。ありゃ、規模はちとでかいがただ『電気を消費した』だけ。どうしてそうなったか理由がはっきりするまでは下手に動かせん。寝た子を起こすなってことだよ」
そのあと、明鷹は落ち込むな、などと、彼らしからぬ気遣いを見せた。よほど私は悔しそうな顔をしていたに違いない。
「今までとっかかりすらなかったんだろ? それに比べりゃ答えが手の届く範囲に来たんだろうが」
「それは、そうですが」
「子どもかテメエは。今まで十何年待ってたんだろう? 今更一年二年待つくらいどうってことあるまい。発想を変えろよ。後数年であんたが待ち望んだ時が来るかもしれねえんだから」
指折り数えてろよ。そう言って片づけを始めた。ぼうっとたたずんでいるのもなんなので、手伝う。さすがにこれは邪魔にはならないだろう。教室中に散乱していた書類も、二人がかりであればすぐに片付いた。片付いたのを見計らったように、教室に命とセシエタが戻ってきた。二人を交え、次の検査の日取りや方針を固めた後はすぐに解散となった。
「楽しそうだな」
帰りの道すがら、どうしても方向が同じなので明鷹と一緒に帰っていると、彼がそう切り出した。
セシエタは借りていたカギを返しに行くという理由で途中で別れ、命に至っては良くわからない気の使い方をしてどこかへ去って行き、二人だけになった。気まずいわけではないが、別に今更気を使う様な間柄でもなければ、好んで話を交わそうと思う相手でもない。利害関係のみという奇妙な立ち位置に私たちはいる。
「そうですか?」
至って普段通りだと思うのだが。
「鼻歌でも歌いそうだったぞ? 足取りも軽やかだしな」
「そういうあなたこそ、そんな普通の話を私に振るなんて珍しい」
「そうか?」
「そうですよ。あなたの言葉には仕掛けがあることが大半ですから」
どこでどうつながるかわからない迷宮のような、しかしすべてが一本道の様なのがこの男の会話の手法だ。
「俺だって普通の話くらいするんだけどね。確かに、あんた相手にそういう話をしたのは初かもね」
「ええ、普通の会話をしたのは初めてかもしれません」
そう言って、お互い少しだけ笑う。初めて、私たちの間で穏やかな空気が流れた。
「ああ、でも、楽しいのは楽しいのかもしれません」
「ん?」
「いえね。こうやって、誰かとこうやって一緒に学ぶのは初めてなんですよ。勉学はずっと家庭教師付きで一人っきりでしたし。しかも自分にとって最も大事なことを学べるんです」
胸に手を当てる。今までこれのせいで苦しい思いしかしたことないが、それがどうして、今はこれのおかげで楽しめている。
「唯一品だから触れないとか、理解できるわけないとか言わないで、一緒に向き合ってくれる人たちがいる。それは、うん。私にとっては非常に嬉しいことだったようです」
認めよう。今私は、久しぶりに充実している。
「は、くだんねえ」
明鷹が吐き捨て、すたすたと私を追い抜いて先を行く。せっかく人がいい気分に浸っていたのに、それを壊しにかかるとは。その背に向かって言い返そうと口を開く。
「あんたの周りにいたやつらは全員阿呆ばっかりだ。そんなくだんねえ理由で、みすみす最高の研究対象を逃したんだ、阿呆じゃなけりゃ馬鹿だな」
口先まで出かかった怒りの言葉も、振り上げそうになった拳も、気持ちと一緒に落ち着いていく。後に残ったのは、ほっこりした、何とも言えない気持ちだけだ。
あいつは、謝り方も下手だし、フォローの仕方もへたくそだ。
命の言葉が蘇る。なるほど、これは一応、遠回りにフォローでもいれてくれているのだろう。こっちが上手く受け取らないといけないなんて、面倒な男だ。
ただ、少しだけ、こういう見えない意図を見つけたすのが癖になりそうな自分がいる。悔しいが、ほんのちょっと楽しい。きっと命たちもそうなのだ。
「それでもまあ、許すつもりなどありませんが」
「? 何か言ったか?」
いいえ。何も?
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