第6話 来訪はサイレンとともに

―明鷹―


「これが、出来上がった公式だよ」

 セシエタが自分の携帯に文字式を表示する。非常灯とモニターしか光源のない薄暗い教室で、俺とセシエタは調査結果をまとめていた。

「意外に短くてシンプルだな。もっと難解なのかと思ってた」

 この程度なら、俺にも出来る。もっと下準備が必要なのではと覚悟していたから、これは僥倖だ。

 皇女の神威装甲を調べてから一週間が経った。彼女から得られたデータは非常に有用で、『俺たちの』研究は飛躍的に前進した。その点では、皇女に感謝してやらんでもない。

 また、皇女のもっとも知りたかった、神威装甲に関しても、大体の調べはついた。彼女にとってあまり良くない結果だが。

「取り出すだけの公式だからね。そこから別の物に変えようとすると、格段に難しくなる。それに、単純だけど厄介だ。理由は明鷹が一番わかってるでしょう?」

「まあな」

 画面をスクロールする。ふん、単調なリズムの繰り返しか。それだけに、一つのミスが命取りになる。全身を循環する血液を方陣代わりにするなんざ、正気を疑うね。

「ねえ、明鷹」

「何だよ」

「その、ティア姉ちゃんのことなんだけど」

 画面を操作していた手を止め、セシエタの方を向く。不安げな表情で俺を見返していた。

「あのこと、どうしよう」

「どうするもこうするもねえ。事実をありのままに告げてやんのが本人のためだ。後は自分で勝手にするだろう」

「明鷹、ティア姉ちゃんに冷たくない?」

「馬鹿をお言いでないよセシエタ君。俺ほどのジェントルメンはそうそういないぞ?」

「あはは、それなんてジョーク?」

 無垢なる刃が胸を穿つ。

「・・・ともかく、事実は事実だ。俺が頼まれたのは神威装甲のことを調べてほしい、ただそれだけ。頼まれたことだけをすりゃあいいの。そんでおしまい」

「でもさ、きっとショックだよね」

「ショックのねえ真実なんぞ、この世にはないんだよ」

 流石のあの女であっても、ショックを受けるのは間違いないだろう。それでへこたれるような人種であるなら、まだ扱いやすいんだけどな。ま、ひとまず保留だ。気がかりなこともあるし。

 とある情報筋に調べてもらったところ、この島の渡航記録や監視映像の記録に、少々不審な箇所があった。いいタイミングだ。俺たちが皇女を調べて、その結果が出てまとまった頃合いだ。偶然ならそれでいいが、それにしたって色々とごまかしながら上陸するってことは、後ろ暗いことが当然あるわけだ。セシエタをせっついて急がせたのは正解だった。

「セシエタ」

「何」

「ここにある情報は、全部『覚えてるな』?」

 俺が指しているのは手元の携帯の中に分だけではない。皇女を調べた時からこれまでの試行錯誤の全てを指す。それを、目の前のあどけない少年は首を傾げながら

「うん」

 自慢するでもなく、むしろなぜそんな当たり前のことを問うのかという風な顔で肯定した。聞くまでもないことだったようだ。

「よし、じゃあ、今すぐ『男たちの華麗なる流儀』を使え。キーワードは『皇女』『唯一品』『起動方法』『検証番号十三番』で。範囲はこの学園内に敷かれたローカルエリアネットワーク全域だ」

「え、試験品七号を使うの? あれまだ実験中だよ? 前に命の大事なゲームデータも一緒に削除しちゃって、無茶苦茶怒られたじゃない」

 試験品七号『男たちの華麗なる流儀』。一種のウイルスだ。キーワードを打ち込み実行すると、端末からサーバーを経由して、ローカルエリアのネットワーク内にある、検索に引っかかる情報を全て削除する。前に寮内で実験したとき、当時命がプレイしていた『夜明けの空は輝いて』のデータを消してしまった。セーブデータだけではなく、ゲームデータすべてだ。まさか光ディスク内のデータまで消すとは想定外だった。後に残ったのは可愛らしいキャラが描かれただけの空ディスクだけ。愕然とした命の顔はいまだに忘れられない。メインヒロインのトゥルーエンディング目前だったそうだ。

「そう言えば、あの時のキーワードにも『王女』があったよね。後は『メイド』とか『幼馴染み』とか『美少女』とか」

「・・・ああ。良く覚えてるな」

 ちなみに試験品七号は、俺に万が一のことがあった場合、俺の端末のHDD内に残っている十八禁のデータを全て削除するために制作を始めたという裏話がある。これはちょっと、セシエタには明かせないな。

「学園内って本気なの? 下手すると学園のサーバー初期化しちゃうよ? ティア姉ちゃんが入学したんだから、絶対今のキーワード引っ掛かるって」

「大丈夫だって。あれから何度か改版したろ? 目的のデータだけ狙って消せるって」

「まあ、そのはずだけど」

 気乗りのしないセシエタだが、何とかやってもらわなければならない。最悪の事態にはいつだって備えておくもんだ。

「でも、どうして?」

 渋々『華麗なる男たちの流儀』を準備しながら、セシエタが尋ねてきた。当然の疑問だった。

「実験室の端末は僕ら以外に使う人なんかこれまで居ないし。もし使うとしても、中にあるデータはセキュリティ固いよ? それでも漏れてる可能性あるの? ・・・何か、気がかりなことあった?」

 いつもと変わらぬ楽しげな口調で突いてきた。鋭い。このガキは本当に鋭いな。いや、そうでなければならないしな。

「でなきゃ、突然そんなこと言う訳ないよね? で、それは僕たちには話せないことなの?」

 端末画面から顔を上げて、僕の方を見てきた。純粋な目だ。それはよく文章に使われるような、綺麗な、とかそういう意味ではない。そこに見える物すべてを見透かすが如き、善悪関係のない、自身の思考や偏見のフィルターをかけていないありのまま真実を見抜く目だ。本当は、こいつが持っている能力の中でこれが一番厄介だから、こんなところに閉じ込められているのかもしれん。

「これまで居なかろうが、これからいるかもしれん。セキュリティ固かろうが、何か映像が撮られているかもしれん。念のため中の念のためだ。俺たちが今回行ったのは、いつもの俺たちの研究だけじゃない。唯一品の研究も含まれてる。もしかしたら王国側の人間がそのデータを閲覧するかもしれない。帝国側の、ほれ、お前らに絡んできた連中がこっそり中を覗き込んで、カメラかなんかで映像を取っていたかもしれんからな。そういうのを消したい。俺たちだけのデータにしたいんだよ」

 顔色一つ変えず、俺は可能性の断片を語る。自分の気がかりの本命ではないが、可能性の一部だ。嘘ではない。嘘はすぐばれる。だから、嘘つき上級者は嘘を多用しない。全て話さないだけだ。

「そう」

 俺の顔をしばらく見てから、セシエタは画面に視線を戻した。カタカタと、キーボードをたたく音が響く。さて、納得してくれたかどうかはわからないが、それは二の次三の次だ。作業させることが最優先だ。手遅れかもしれないが。


 下校のチャイムが鳴った。普通の学園生徒は速やかに寮に戻る義務がある。耳に届くぶぶづけコールを完全無視して、残処理を行う。

 データの消去を行ったセシエタはとうに帰らせている。今頃夕食の手伝いでもしている頃だ。

「まだ残ってるんですか?」

 クソ重たいドアが開いて、隙間から光と影が伸びる。この女がこの時間まで残ってるなんて珍しい。

「どうした皇女」

「どうしたもこうしたも、呼びに来たんですよ。ガド先生に頼まれて。まだあなたが残っているはずだからって」

 ガドが? ふうんと適当に相槌を打つ。意図せずして丁度いい機会が訪れた。神威装甲の件について、ここで話しちまおう。

「なあ。あんた」

「はい?」

 小首をかしげる彼女を見上げる。綺麗な目で俺を見つめる、子供の様な彼女。今から彼女に、神威装甲の残酷な真実を伝える。

「神威装甲が使えたら、どうするつもりだ?」

 何を日和った俺・・・っ!? 意志とは違う言葉が出てきちゃったよう!

 い、いや、違う。これはあれだ。後々の話をしやすくするためだ。そうだ。誰に言い訳してるのかわからんが、うん、そう言う事なんだ。

「何ですか急に。あ、もしかして、起動方法が確立されたんですか?」

「あ、いや、違う。それはまだ・・・」

 歯切れ悪く否定してしまった。何でだ。なぜこんなチャンスを逃した。俺はこんなチキン野郎だったか?

「と、とにかくだ。あるんだろう? 野望の一つや二つさぁ。兄の皇太子を押しのけて、自分が皇帝の座に就くとかさ」

 そう言うと、あはは、と彼女は笑う。それは考えてなかったですね、と言い、俺の問いに答えた。

「使えたら、ですか。・・・実は、正直あんまり考えてなかったんですよね」

「考えてない、だ?」

「や、もちろん、神威装甲を使えれば色々とやりたいことはあったんですよ。空をどこまでも飛んでみたいとか、深海数千メートルまで潜りたいとか、単身で大気圏を突破してみたいとか」

 拍子抜けするような答えだった。戦況を一変させる最強の兵器を、まさかそんなことに使おうなどと誰が想像できただろう。

「そんなことで、躍起になってたのか?」

「躍起になってたのは、これを使いたいがためじゃなくて、使えない事実を否定したかったから。使えないことで帝国に対する臣民の信頼が揺らぐのは避けたかった。王国の強硬派に付け入る隙を与えたくなかった。私が使えないばかりに、世界がまた戦争に突入するかもしれない、そんな恐怖にいつまでも怯えていたくなかった」

 彼女はじっと、自分の手を見つめる。

 神威装甲は非常に強力な兵器だ。強力な兵器は抑止力になる。力でもって平和を維持するというのは、なんとなく矛盾しているようだが事実だ。彼女が欲しているのは現状を維持する力だったのか。

「すみません。調べてもらっておいてこんな答えしか持ってなくて。でも、偽らざる本音です。使用してどうしたいか、ではなくて、使用できるという事実が欲しいんです」

 何だそりゃ。こちとらてっきり、軍か何かに入って帝国のために尽くします、みたいなお決まりの夢を想定してたってのに。

「もちろん、そういうのもあります。国に尽くすのは皇族の役目ですし。他にも、私を馬鹿にしていた連中を見返したいという気持ちもあります。どうだ、見たか! って」

 可愛らしくおどける彼女。やべえ、余計言い出し辛くなった。この笑顔を見て、どうしてそれを曇らせるようなことが言えようか。変な汗が背中を伝っている。どうする、どうすりゃいい? な、何とか話を伸ばそう。そしてチャンスを創ろう。本当にくるかどうかわからないが、何とかするしかない。

「でもやっぱり一番は、私のせいで戦争が起こさないようにするためです。博愛精神から来るわけじゃなくて、もし起こってしまったら私が耐えられないからという、極めて自己中心的な理由からですけど」

 これが、私の野望です。そう締めくくった。

「・・・良いんじゃね? それで」

 口を突いて出たのは、完全に日和った言葉だ。俺らしくもない。本当にどうかしてる。

「実にあんたらしい、馬鹿馬鹿しい野望だ」

 すると彼女はむっとして言い返してきた。

「良いじゃないですか。私の野望をあなたにとやかく言われる筋合いはありません」

「とやかく言うつもりはねえ。実にすばらしい野望だと褒めてんだよ。願わくば、世界平和のために尽力してくれ」

「言われずとも、です」

 思いのほか真剣な声音で返ってきた。へえ、冗談ではないってか。

「それはそれとして、一つ気になってたことがあるんですが」

 今度は彼女の方から質問してきた。

「あなたは、どうしてここから出ようとしないんですか?」

「どうして、そんなことを」

 実に答えにくい質問だ。

「いえ、だって。明鷹が外に出ているところをあまり見たことが無いものですから。見かけるとしたら寮の行き来くらいで。野外訓練にもなんやかんやと理由を付けてサボってますし、この前の検査の時もそうでしたけど、同じ建物内ですら移動しようとしないじゃないですか。どんだけ引きこもりなのと言いたいわけですよ」

「別段出る必要が無いしな。ここ、トイレもあるし。食事は持ってこれるし、足りなきゃ他の連中に頼めるし」

「それ、出ない理由とは全く関係ありませんよね」

 珍しく鋭いツッコミが入る。むう、話を少しずつずらそうとしたが失敗したぜ。

「理由、ねえ」

 もちろんある。ただ、それを話して良いものやら。逡巡し、また適当な話をでっち上げようとした。その報いだろうか。

 我慢できなくなった真実が、向こうからやってきた。

「な、何? 何が起きたの?」

 突如鳴り響くサイレン。天井に冗談でつけたレッドランプが音に合わせて回転する。

 慌てる彼女とは反対に、俺の心は嫌になるくらい落ち着いていた。そうか、このタイミングで来るのか。

「皇女」

「な、何ですか? 明鷹、これは一体・・・」

「良いから落ち着け。そんで、よく聞け。あんたはこれから、外に出ろ。外では多分、教員連中がいろいろと指示出して、生徒連中を誘導してるだろうからそれに従え。夜中には帝国の、あんたん家に到着すんだろ」

「避難が必要な事故が起きたと言う事ですか? もしかして、実験棟で危険な薬品が漏れ出したとか」

 そうだな。普通ならそう考える。避難する大半の人間も、同じような結論に達したはずだ。そして、表向きは、それが真実だ。

「そんなとこだ。だからさっさと避難しろ」

「避難しろって、あなたもでしょう!」

「俺はまだやることがある」

「こんな緊急事態でここでやることってなんですか! 良いから来なさい!」

 そう言って彼女は俺の腕を掴んだ。見かけによらない力の強さと、体の使い方が違うのか? 抵抗してもぐいぐいと引きずられていく。

「いや、俺は良いんだって」

「何が良いんですか! こんな時ぐらいわがまま言わないで言う事聞きなさい!」

 どうしたらいい。詳しく説明するには時間が無い。かといって、この女を説得できるような材料は持ち合わせていない。

 カツン

 外の廊下の方から、サイレンに交じって響く靴音。

「皇女」

「誰か、来ますね」

 彼女にも聞こえたらしい。掴んだ手は離してくれないが、力は緩んだ。その隙に、そっと彼女と立ち位置を入れ替える。俺と、彼女と、その先に空いたままのロッカーがある図式だ。片付けの途中で開けっ放しなのが幸いした。あそこには仕掛けもある。彼女の意識が廊下から響く靴音に集中した。

「失礼するぜ」

「へ、何をぉっ!?」

 抱き上げ、ロッカーに押し込む。踏ん張りが利かなければ女子の平均体重より軽い彼女を抱き運ぶなんてわけなかった。驚いているうちにロッカーに放り込み、外から閉じる。

「明鷹! あなた」

「黙ってろ。絶対に、喋るな、動くな」

 まさかこんな時に、冗談で作った試験品六号『スネーク』が役に立つとはな。ロッカーの横手についてるスイッチをぽちっとな。認識をずらす魔法公式と光学迷彩が作動、視界からロッカーの存在を消す。

「ちょ、なにこ・・・」

 まだ何か言っていたようだが、その声もすぐに消えた。ロッカーの内側に凸凹のスポンジみたいな吸音材が飛び出して内側からの音漏れを無くす。こっちからの音は、マイクが拾って中に伝える仕組みだ。

「ち、こんなことなら脱出装置も付けとくんだったか?」

 さすがに地下から飛び出す仕掛けは金がかかるし大がかりな工事になるからできなかったんだ。こんなことになるならガドとか学園長に泣きついておねだりすればよかった。

「お邪魔するよ」

 ギリギリのタイミングだ。ばれたかどうかは運しだい。流れる冷や汗は背中だけにして、表面上は取り繕う。

「邪魔するなら帰ってくれない? なんて、お約束が通じるような人間じゃねえな」

「いかにも。なぜなら我らは邪魔するためにここに来たのだから」

 入ってきたのは一人。ガドと同じくらいの、三十から四十くらいのガタイの良いおっさんだ。だが、発している威圧感がただのおっさんの比じゃねえ。

「いつか、誰かの限界が来るとは思ってたよ。ただ、あんたみたいな大物とは思わなかった。ご足労いただき恐縮だ。帝国の英雄、フィクス・ガルムさんよ」

 おっさん、改めフィクス・ガルム帝国軍第三機甲兵団長は大仰にお辞儀した。

「この十年、世界を守ってきた君に知ってもらえているとは光栄だ。今まで、本当にご苦労様。が、その役目も今日で終わりだ。安心して、次の世界のための礎になれ。諏訪明鷹」

「礎、ねえ。そんなに今の世の中が嫌いかい?」

「何の価値も見いだせないからな。ここに、私の居場所は無い。こんな偽りの平和の中で、徐々に退化していくなど耐えられるわけがない」

「偽り? 退化?」

 そうだとも、と両手を広げる。

「知っているかね? 君が創り上げたこの停滞が何を生み出したか」

「知らないね。とりあえず子どもの数は増えたんでない?」

「何もない。この十年で生まれたものなど何もないんだよ。君の十年は無駄だった。残ったのは遺恨ばかりだ。君も気づいているのだろう。この世に平和など来ない。両陣営共にすぐ次の戦争が始まることを知っている。望んでいる! だから何も生み出そうとはしなかった。すぐ失われてしまうからだ。だから見ろ。和平交渉など一向に進まず、ただ時間と金だけが浪費されていく」

「じゃあ、本当の平和ってなんだよ。退化というなら、進化の一例でも上げてみろい」

「進化は簡単だ。戦争中に何度も何度も行われたではないか。相手をただ倒すために武器は、技術は、人の知恵は進化していった。戦争こそが、生きるか死ぬかの切羽詰まった状況こそが人を進化させる。平和はその先にある」

 進化した知恵とやらで敵を駆逐し、敵対する全てがいなくなったら訪れるらしい。平和とは、なんとも血なまぐさい道の先にあるもんだ。笑っちまうね。本当に面白いのは、それをこんないい年したおっさんが真顔で言ってることだ。まずいのは、本気だから手段を択ばないってことだ。

「そう言う訳で、この偽りを破壊し、人類が真なる道を進むために、君には生贄になってもらう」

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