第4話 計画は見切り発車で動き出す

―明鷹―


「くそ、まだ痛え」

 腕をぐるぐる回しながら帰路につく。朝にやられた肩がまだ痛む。

「なあ、もうちょい手加減してくれてもよかったんでない?」

 隣を並んで歩く命に声をかける。

「したよ?」

 そっけない返事が返ってきた。

「むしろ、その程度で済んでよかったんじゃない? あれ帝国でやったら処刑ものだからね。皇女相手に何してくれてんの。あの瞬間、君以外の全員の寿命が縮んだよ。心臓が止まるかと思った」

「はっ。その程度で縮み上がるようなやわな心臓してないだろうが。お前も、あいつらもさあ」

 伊達に長い間寝食を共にしてない。普通なら発狂してもおかしくないくらいの状況に曝されているのに平然としているのが良い証拠だ。

「だから、あんなこと言ったの?」

 こちらの真意を探るように、幾分真剣みを帯びさせて聞いてきた。笑顔はそのままなのがちと怖い。

「何が?」

「皇女殿下にだよ。彼女の第一目的がアレなのは多分間違いない。でもあれは」

「おう。命の考えてる通りだと思う。だからおかしいんさ。彼女に命令できる人間っつったらそこそこ上の人間だからな」

「・・・何かある、って考えてるの?」

「ないと思う方が無理だな。だから、ちょっとつついてみた。あの反応から見て、隠し事は、まあ、無理だろう。嘘もつけない。あと、複数の案件を腹の中に抱えられるような、器用な人間じゃないこともわかった」

「そうだろうねぇ」

 命が苦笑を浮かべる。

「複数は無理だろうけど、もう一つくらい、目的はあると思うよ」

「ん、ああ。そうだな」

 彼女が食いついた講義の内容は、全て魔法に関するものだ。彼女の仇名を思い出す。

「汚名を返上ってことか? 健気なこったね」

「でも、何でだろうね。神威装甲が動かせないのはともかく、普通の強化鎧すら起動させられないってのは確かにおかしい。帝国の技術は誰にでも扱えるもののはずなんだよ。誰にでも使えるから王国にとって厄介なんだ。誰でも兵士になれるから」

「帝国民なら、だろ?」

 命が目を細めた。

「明鷹、それは」

「皇家のタブーだって言うんだろ」

 わかってるよ、と手を振る。

 帝国の兵器は誰でも使えるからこそ、安全装置が設置されている。強化鎧は使用する際に生体認証を採用しているのだが、体内に、一定量の魔法が使用できる因子があると誤作動を起こし、使用できない仕組みになっている。王国に鹵獲された場合の安全策だ。

 よって、強化鎧を使用できない皇女ティアマハは、皇帝が王国の女性との間につくったご落胤だとか、本物の皇女とすり替えられた、帝国を内側から崩壊させるための策略だとか黒い噂が絶えない。

 当然表だってそんなことを言えば、たちまち帝国の治安維持部隊によって拘束され、粛清されてしまう。中立地帯であるこの島こそ、最も諜報合戦が盛んな場所だ。どこでだれが聞いているかわからない。

 警戒心を高める命の手前、この話はここで終いにする。代わりに彼女の目的について話し合う。

「どのみち、俺がいる限り、あいつが唯一品を見つけることはできない。ならさっさとお引き取りいただいた方がいい。貴重な青春を、俺たちと一緒に穴倉で過ごすこともないだろうさ。お前からも何とか言ってやれよ。男前からなら反応も違うだろうしさ」

「男前なのは認めるけど」

 認めんのかよ。いや、事実なんだけどさ。こいつは意外に良い性格をしているんだよな。

「彼女がその程度で諦めるとは思えないよ。むしろ、邪魔されたらもっと燃え上がるタイプじゃないかな?」

「ああ、壁があったら粉砕する勢いで突き進むタイプだな」

 だろ? と命は続ける。

「だからさ、いっそ全て話してしまった方が話が早いと思うんだ。それでこちらを詮索しなくなれば良し、帰ってくれればなお良し、だろ?」

「そう、だがなぁ」

 がりがりと頭をかく。彼女はともかく、彼女をここに送ってきた人間の意図が見えないまま、帰らせてしまってもいいのか迷っていた。このまま帝国に送り帰すことはできないことはないが、結局新しいのが来るだろうから、それなら言っちゃなんだが単純で騙しやすそうな彼女の方が与し易いし、行動も操れる。それに、使えないとはいえ唯一品、神威装甲の所持者だ。手札として持っておくのもありか、という方向へ思考はシフトしていた。プランBってやつだ。

「・・・なんだよ」

 人が頭を悩ませているのに、命はその様子を生温かい目でニマニマ眺めていた。

「春が、来たんだなあと思って」

「? お前、ぼけてんのか? もうすぐ夏だぞ?」

「そう言う事じゃないんだよ。明鷹、君、ティアマハ皇女に帰ってほしくないんだろう?」

 ん? こいつ、俺の心を読んだか? やるな、流石一番長い付き合いの男だ。呼吸というものが分かってきたようだな。

「ああ」

「やっぱり」

「あいつには利用価値がある。どうにかして」

「というのは建前で、本当は彼女と離れたくないんだろう?」

「・・・おい、さっきから何を」

「良いんだ。言わなくていいんだよ。わかってる。だって親友だもの」

 わかってない、こいつのこの顔は、わかっている人間の顔じゃない。これは、大好物を見つけた獣の顔だ。

「学園ラブコメディにありがちな奴だよね嫌い嫌いと言いながら惹かれていくってのはさぁ確かにそれを鑑みれば君たちの出会い方はまさにテンプレ、王道中の王道だよ! 立ったね。フラグは今ここに樹立した!」

「クララもフラグも立たねえよ。お前は一体何を」

「転校生との最悪の出会い! 最初はお互い険悪なものの、共同生活を通じて互いを知りあっていく男と女、触れ合う手と手惹かれあう心!

 しかししかぁし! そのままスムーズにいくわけがないそうは問屋が卸さない!

 女の前に現れるは男の幼馴染、彼のことを知り尽くした最高最強のライバル! これまで共に過ごしてきた強い絆を超えられるのか! 彼の胃袋を掴むのはどっちだ!

男の前に立ちはだかるは女の婚約者、身分も確かな大金持ちの御曹司にして顔良し頭良し性格良しのナイスガイ! 語り合うは拳と拳! 一体どちらが女を幸せにできるのか!」

「いや、皇女にはそういうの居そうだけどさぁ、俺の幼馴染に当たるっつったらお前だぞ?」

 そこからは命の妄想劇場に適当な合いの手を入れながら帰路についた。こうなると命の暴走には手が付けられん。脳をラブコメに侵されているからな。適当に相槌を打って流すに限る。

 自分の中の何かに火がついたとかなんとか言っている命と分かれる。消火器が必要になる事態が来ないことを祈りながら、自分の部屋に戻る。手に持っていた荷物を適当にベッドの上に投げ出し、朝脱ぎ捨てた寝間着代わりのジャージに着替えて、椅子に座る。携帯ゲームを取り出し、ヘッドホンを取り付ける。完全に自分の世界へ入り込む。この時間だけが、俺に現実を忘れさせる。

 マイワールドに亀裂が走ったのは、アベルのレベルが二十を超えた時だ。大音量のミュージックが途切れるロード時間中に、変な音がした。まるで重みに耐えかねた木材がへし折れるような、そんな音だ。ヘッドホンを外し、あたりを見回す。別段変わった様子はない。

 気のせいか、もう一度ヘッドホンを付けようとして

 メリッ

 天井部から聞こえてしまった。ばかな、この上は誰もいなかったはず。ゆっくりと椅子から立ち上がり、音のする方へ顔を向ける。音は一時収まったものの、もう仮想世界に逃げ込めなかった。

 崩落は突然だった。隠し階段の仕掛けみたいに天井の一部が落ちてきて、轟音を立てて人のベッドを破砕する。一緒に下敷きになった携帯はもう駄目だろう。合掌。

「はあっ?!」

 ようやく頭が目の前の事象に追っついた。何だこれ。どうして天井が抜けて上からベッドが落下してくんだよ。しかも、しかもだ。傾斜四十五度くらいの坂の上で、あの女が背中を向けて、片足で妙なダンスを踊ってやがる。音に合わせて踊る花のオモチャみたいに、よっ、ほっ、と手足をくねらせている。なんだろう。帝国ではやっている健康法か? だとしたら即刻やめさせよう。あの体操の度に人のもんが壊れてたら破産一直線だ。

 つま先を軸にして、ぐるりと皇女の体が反転した。目が合う。その目は驚愕に見開かれながらも、どこかこっちにざまあみろと言いたげだ。その彼女の浮いていた足が、前に出る。

「う、そっ、でしょぉおおおおおおおおお!」

 刹那の出来事だった。皇女は落下の勢いそのままにこっちに向かって坂を駆け下りてくる。よける暇も、声を出す暇もなかった。瞬く間に皇女の顔面が視界一杯になって。

 命じゃないけど、ラブコメでよくあるだろ? 出会いがしらにぶつかってからの女の子の胸を揉むとか、スカートの中に頭突っ込んじゃうとか、チューしちゃうとかのコンボさ。結果的に、俺たちは三番目、チューしちゃうことになった。ラブコメなら「何すんのよ! 馬鹿!」「わ、ワザとじゃねえよ!」「もう、責任取ってよね・・・」「え・・・」とかなんとか、面白いように話が転がるんだろう。

 現実は

「お、おお、づおおうう・・・・」

「あ、があごががが・・・あああ」

 これだよ。まさに声も出ない苦痛に悶える男女の地獄絵図だ。当ったり前だ。口の中には人体で最も固いと言われる歯がある。それが加速ついた約四十キロの物体の慣性付きで真正面からぶつかったんだ。痛いどころの話じゃない。お互い口を押えて悶絶している。手は何かぬるっとしていた。多分血が出てるんだ、気持ち悪い。結構な出血量だ。だいぶ切ったなと頭の片隅で冷静に診断する自分がいた。前歯、欠けたかもしんない。

 どれくらい這いつくばって痛みに耐えて転げまわっていただろうか。まだじんじん痛む口を押えながらゆっくり体を起こす。隣で、皇女も同じように起き上がった。目には大粒の涙を浮かべている。俺に気付いた彼女は、恨めしそうな目でこっちを睨んだ。何だよ。こっちのほうが被害者だろが。

「言いたいことは色々あるが、まず聞こうか。何で?」

「今日からこちらでお世話になることになりました宜しくお願い致しますぅー」

「違ぇよ! 何を越してきた挨拶悠長にしてくれてんだよしかもそんな暗い声の棒読みでよぉ! 俺は、何で! 天井突き破って! 落ちてくんのって理由を聞いてんの!」

「知らないわよそんなこと!」

 皇女が切れた。逆ギレも甚だしい。

「こっちだって想定外よこんなボロ屋! 歩けば軋むなんてどこの鴬張りよ! なんで人ひとり支えられない欠陥住宅に案内されなきゃいけないのよ!」

「はあ? だったら住んでる俺たちはどうなんだよ! シャオや夕映さんだって二階で住んでんだぞ! 案外あんたの体重のせいじゃねえの?」

「標準体重よ馬鹿にすんな! そっちこそとっさに躱すなり、受け止めるくらいできないの鈍くさいわね! ふん、その白髪だけは適性年齢のようねこの若白髪! ハゲ!」

「ハゲてねえよ! 男の大半が地味に傷つく悪口言うな! てめえ、マスコミ向けの鉄面皮はどこ行った! 気持ち悪ぃロイヤルスマイル浮かべて調子のいいことほざいてみくされ!」

「あなたみたいな礼儀知らずには、無料のスマイルでももったいないわ! こっちの苦労も知らないくせによくもまあ笑って見せろなんぞと吠えたものね! 私が、どんな気持ちで出たくもないカメラの前やら社交場やらに出てると思ってるの!」

「それこそ知ったことか! てめえの都合なんぞ、知ったこっちゃないんだよ! 気に喰わないなら出てけばいいだろ!」

「できれば即刻してるわ! でも出来ないんだものしょうがないでしょ!」

「はん、大方皇帝の勅命とやらが下ったんだろう? 任務内容はこの島に眠る唯一品の捜索とかか?」

 そう言うと、彼女は雷にでも打たれたかのような衝撃を受けていた。

「な、何故、それを・・・?」

「わからいでか! つか、どうしてばれてないと思った!」

 馬鹿にしとんのか。しかし、それは間違いだったと気づく。彼女は本気でばれてないと思っていた。

「馬鹿じゃねえの? そんな都市伝説みたいなこと信じてわざわざこんな監獄にやってきたのか?」

 やれやれだ。と大げさに肩をすくめる俺の前で、ゆらりと彼女は立ち上がった。

「ば、ばば、ばれてしまっては仕方ありません」

 あたふたしながら彼女は構えた。彼女の動揺に反して、腰を落とし、左半身を前に出した構えだけは堂に入っていた。護身術か何かを習っていたのだろう。

「お、何だよ。生かしてはおけないってか? 面白ぇ」

 膝を押さえ、こっちも立ち上がる。

 完全に舐めていた。舐めきっていた。相手は強化鎧すら扱えぬ温室育ちのお嬢様。何が出来る、と。対して、こちらはサボり気味だがこの学園で戦闘訓練を受けている人間だ。それに、男女の体型の差、筋量の差もある。シャオも同じような体型だが、彼女はちょいと特殊な部類だ。あんな化け物級がそう何人もいるはずがない。見た目通りの、か弱い女だ。

 そんなか弱いはずの彼女が、目の前から忽然と消えた。

 一瞬後、左の横腹、肋骨を斜め下から突き上げるような衝撃が体を襲う。体が軽々と飛び、そのまま壁面に激突する。

「な、かっ・・・はっ」

 呼吸が出来ない。体が内側から痺れる。何だこれ。何だこれは。そして痛みが遅れてやってくる。攻撃を受けたのだとようやく理解できた。攻撃を受けて、吹っ飛ばされたのだと。自分がいた方向に目を向ける。お嬢様と侮った彼女が、掌底を突き出した体勢でそこにいた。彼女はすっと流れるように体勢を立て直し、こちらを見据える。目があった瞬間、怖気が走った。彼女の目が、あの時、おろおろしていた人物とは思えないほど鋭い目になっていた。冷静に、冷酷に獲物を見据え、確実に仕留めに行く狩人の目だ。

 狩人の体が瞬間移動したように目の前に現れる。まさかこの技、漫画でしか見たことのない、独特の足運びから生まれるっていう

「縮地、だと・・・!」

「ご名答」

 稲妻が如き突きを躱せたのは偶然に偶然を掛け合わせたような一度限りの奇跡だ。反射的にひねった首のすぐそばを貫いて、木製とはいえ壁に穴をあけた腕をとっさに両手で掴む。こっちが両腕全力なのに、あっちの片腕が抑えきれない。

「て、めえ、一体・・・」

「何を驚くことが? このくらいできますよ。皇女の嗜みです」

 もう一方の手が、首根っこを掴み、ギリギリと締め上げてくる。やむなく片手を離し、ちょっとでも呼吸をしようとあがく。

「そん、なの、理由になら、ねえっ」

 筋量の差、体格の差はどこへやら、だ。押さえつけている手はじりじりと俺の束縛を逃れようとしているし、喉元にある手は押し返すどころかじわじわと圧力を増している。身体強化魔法も強化鎧も使わずにこれほどの動きを見せるとは予想外にもほどがある。

「理由になりますよ。あなたもご存じでしょう。私の悪名を」

 役立たずの皇女。切っても切れぬ、彼女のレッテル。彼女の値段だ。

「だから、学びました。昼夜を問わず、技術の東西を問わず、フィクションすら問わず、自分の身になるものは全て。この汚名を返上するために」

 喉元にあてられている手のひらは小さいくせにごつごつしていた。これは、肉刺のあとか。肉刺ができて、それが潰れ、またできて、を繰り返した結果か。

「今では一対一、遠距離武器無しなら普通の強化鎧を着ている一般兵相手にも引けは取りません。不意さえつければ八割以上の確率で倒せます」

 この世に科学も魔法もなかったら、人類最強を名乗れるレベルにまで達してらっしゃってんのかこの皇女サマは。

「それでも認められなかった。どれほど努力しても、たった一つ、この身に宿すものが使えなければ、私は役立たずのままなんですよ。良く言われました。貴女はもう、笑ってるだけで良い、と」

 役立たずなのだから。広報用の笑顔だけで充分だ、と。瞳に大粒の涙を湛えて、貼り付けた笑みを彼女は浮かべて言った。

 苦しさも忘れたぜ。俺は、知らない間に、彼女が一番言われたくないことを言っていたのか。今更取り消しは効かねえ。口から出た言葉は何であれ、どれだけ後悔したって取り消せない。

「笑ってるだけの仕事ってなんですか。それなら人形だってできます。むしろそっちの方が、ひきつってない分マシですし。私は、人形でも事足りることをするために、そんなことだけのためにこの世にいるんですか?」

 知るかよ、とは、今度は軽々しく言えなかった。

「・・・すまん」

 それしか言えなかった。

「謝ってもらう必要はありません」

 ぶんぶんと、頭を振る皇女。

「え・・・」

「どうせ、あなたはここで死ぬのです」

 頭をあげた彼女の顔は、さっきの泣き笑いから一転、息遣い荒く、目の焦点があってない。こいつ、容量オーバーで一杯一杯になってやがんのか。なんつー極端な。

「うお、やべ、ぇ」

 首にかかる圧力がどんどん強まってくる。

「う、ふふふ、大丈夫です。すぐに楽になりますから」

 あぁそうでしたね。今、俺大ピンチの真っ最中だったんですよね。マジでやべえ。意識が飛びそうになってる。あ、なんか光の筋が見えてきた。綺麗な花が咲き誇る大きな川の対岸で、まっぱの羽根生えたガキンチョがおいでおいでしてるのが見える・・・・・。

「うるさいよ!」

 その一喝で、美しい景色が幻想のように掻き消え、現実が立ちふさがった。首元を締め上げていた手の力が緩んでいて、呼吸できるようになっていた。

「ちょっと! 今良い所なんだから邪魔し・・・ない、で・・・・・・・」

 ドアを勢いよく開けて入ってきたのは隣の命だ。幼馴染と婚約者、二人の美少女の間で揺れる優柔不断な少年の日常を描いた王道ラブコメ漫画を片手に怒鳴り込んできた。巻数は7巻。あれは、ようやく幼馴染が自分の気持ちに気付いたところか。確かに良い場面だ。命もお気に入りの巻数なのか、何度も読み返してページがシワシワになっている。

 いや、そんなことを考えている場合じゃない。これはチャンスだ。助けを求めねば。今ならこの人の上でふんぞり返っている女も驚いて対応が遅れるに違いない。一瞬の好機をものにせねば、俺に明日は無い・・・っ!

「ご、ごめん、お邪魔だったのは僕の方だね」

 なのになぜ貴様は顔を赤らめながら出て行こうとするのぉおおお!

「ちょ、待て命! この状況の俺を見捨てる気か!?」

「いや、見捨てるも何も、僕がいちゃまずいでしょ。大丈夫。僕、口固いから。誰にも言わないから」

「いや、むしろ言え! 大声で叫べ!」

「え、いやいや、明鷹。それはまずいんじゃない? 君はそういう、人に見られるほうが燃える性癖だとしても、ほら、彼女が、ねえ?」

 何が、ねえ? だ馬鹿野郎が。そう再び叫びかけて、どうも会話が成り立ってないことに気付く。

 命から、自分の正面にいる皇女に顔を向ける。彼女はあわあわして、次の手をどう打つかとか考えられない状態だった。何もできないなら、とりあえず人の上からどいてくれな・・・・・・・・・・・・・・・あ。

 さっきまで俺は、彼女に真正面から首を絞められていた。俺の体勢といえば、ぶっ飛ばされて壁に激突して、そのままずり落ちたから壁に背中預けて足を延ばして座ってるような体勢だ。で、皇女はというと、そんな俺の首を絞めてたんだから当然俺に馬乗りでまたがっている。またがってる場所がこれまた人の腰の、何というか秘密の花園だ。皇女は皇女でスカートの裾がめくれあがり、魅力的な太ももが大胆に覗いている。それに、腕がまだ壁に突っ込んだままだから、かなり密着している。さっきまで興奮していた皇女の、首を絞められて喘いた俺の、お互いの荒い呼吸がぶつかって溶け合う距離だ。

 それを客観的、今の命のように外から来た人にはどう見えるか。

 荒い息で見つめ合って、互いの体を密着させて見つめ合っている。どう見たって仲良くしすぎている図にしか見えない。おいおい、新人のオリエンテーションにしちゃあ過激すぎるぜ? 的な。何て日だ。ラブコメ王道中の王道ラッキースケベをを図らずも体現してしまうとは。

「ち、違うぞ、命。お前が考えているようなことは何一つとして起こってない」

「いいんだ、いいんだよ。むしろ喜ばしいことだ。君に生きる目的が出来るのは僕にとっても喜ばしいことだ」

「生きる意味がこんな凄惨な状況から生まれるか! 見ろやこの部屋の惨状! 血まみれの顔! 俺の初キッスは血の味だっつの!」

 甘酸っぱいどころか鉄錆の味だ。超ビターだ。

 どうする、どうする? 俺史上最大にテンパっている。傍目には神聖な、子宝を授かるための儀式真っ最中、真実は俺が天に召される五秒前だ。可能な限り高速で思考を巡らせる。この状況を上手く脱却するにはどうすれば良い?

「・・・い・・・」

 人の思考を妨害する音が近く、というよりも耳元でした。思考と意識はどうしてもそちらに吸い寄せられる。何だ、と音源の方を向く。

「まずいまずい見られた見られた消さなきゃ消さなきゃ目撃者は消さなきゃどうするどうする・・・・殺る・・・?」

 やばいもんを見た聞いた。

 完全にテンパってしまった皇女の思考は物騒を通り越して犯罪の域に達しようとしていた。表情なんてもう茫然自失、目の焦点が合ってねえ。薄ら笑いを浮かべているのが無駄に怖い。

 そんな彼女を見て、問題になる前に収束させなければならないと理解し、そして、この場を切り抜ける最低な方法を思いついてしまった。血迷ったとしか思えないが、今最短で思いついたのがこれだ。時間があればもうちょいマシな冴えた方法が浮かぶんだろうが、今回は時間が勝負だ。この、彼女がテンパっているこの時しかない。

 手を伸ばし、彼女の後頭部をがっしと掴む。気づいた彼女が反応する前にぐいと引き寄せる。

「おおっ」

 命の歓声が聞こえた。あいつの目からだと、俺が彼女を抱き寄せたように見えるだろう。出て行くと言いながら、目元を押さえた指の隙間からしっかり見ているのはいかがなもんかな。

「なっ」

「話を合わせろ」

 悲鳴と拳をあげられる前に、耳元で小さく、素早くそう言い放つ。体は強張ったままだが、抵抗が弱まった。

「このままだとお互い厄介なことになるぞ。不本意ながら今の状況を脱する手段と、今後お互いのためになる話がある。後で聞く気があるならゆっくり立ち上がれ」

「・・・その瞬間、あなたが私を撃たないという保証は?」

「阿呆か。見ての通り手ぶらだし、そんな自分の立場をより危うくするようなことするか」

 しばし見つめ合う。俺の目から何か読み取ったか、言われた通りゆっくりと体を起こした。・・・ちょっとだけ名残惜しかったのはここだけの秘密だ。女の子って柔らかいのな。良い匂いもするし。

「まあ、命よ。落ち着け」

 後に続いて立ち上がり、体の埃を払う。

「違うんだ」

 そこから、俺の三十分に及ぶネゴシエーションと、皇女の下っ手クソな演技の結果、七割くらいの誤解は解けたはずだ。ただ、あいつの希望的観測というか、見たいものを見て、信じたいものを信じる人の性によって、三割くらいは俺と皇女との身分を超えたラブロマンスが残ったっぽいが、その辺は仕方ない。おいおい解いていくとしよう。

 命を部屋から追い出し、ドアを閉じた。聞き耳を立てて足音が遠ざかり、隣のドアが閉まるのを確認した後、俺は再び彼女に向き直る。相手は矛は収めたものの、いまだ警戒を解かない。さあて、第二ラウンドだ。

「話とは?」

 切り出してきたのは彼女だ。落ち着きを取り戻し、幾分話が通じやすくなっている。

 つまり彼女は、想定外のことには弱いが、想定の範囲内のことなら皇女らしく泰然としていられるらしい。

「俺も命はまだ惜しい。ここは取引といこうぜ。あんたの目論みについては黙っててやる」

「その代り見逃せ、と? そんな口約束をはいそうですかと素直に信じるほど、私は人を、特に初対面から失礼な輩を信じれるほど人間できていませんが。私がここを去った後、あなたが裏切らない保証など何もないのに」

 信用ないねえ。

「それでもあんたは話を聞くしかない。過去の遺恨にとらわれて今の流れを読めねえあんたじゃねえはずだ。色んなものを吞み込んで休戦して、こんな学園を建設した連中の一味だろうが」

 沈黙。肯定と受け取って、話を続ける。

「まあまあ、そう警戒しなさんなよ。月並みなセリフだけど、そんなに悪い話じゃない。俺を味方にしておけば、結構メリットがある」

「メリット、ですか?」

「そうさ。どうせ何の当てもなく、適当に王国の技術を調べようとしたんだろう?」

 抱き合っているベッドたちの上に一枚の地図が広がっている。この学園の見取り図だ。パッと見、図書館と職員室に印がついている。図書館であれば、多少の決まりはあるが誰でも使用できるし、たとえ王国の教職員であっても、皇族の質問に答えるくらいはするだろう。妥当なところだ、が、時間がかかりすぎる。一人で出来ることなどたかが知れている。

「あんた、何年かけるつもりだ?」

「そ、そんなこと! あなたに心配される筋合いはありません!」

「心配なんぞ欠片もしてないが、迷惑なら大分こうむってるぞ。あんたが来た日に、俺は三回は痛い目をみているからな」

「少なくとも一回は自業自得じゃないですか!」

 それはおいといて。

「たとえ目の前に大量の資料があるとして、あんたにそれを読み解くことはできない。何でか? ニュアンスが伝わらないからだ」

「ニュアンス?」

「そうだ。王国と帝国は一時期一つの国だったこともあって、共通の言語を用いることが出来る。文字の構成もほぼ同じだ。だから文字としては読める。けど、その内容を完全に理解することはできない」

 帝国の人間は、かなり表現がきっちりしている。たとえば、道案内。帝国の人間であるシャオが、商店街入り口から行きつけの本屋に行くまでの説明を行うと

「この道をまっすぐ進んでください。交差点が三つあるので、二つ目から三つ目までの間、約五十メートルの間に左に曲がる細い道があるのでそこを直角に曲がり、そのままカーブした道を五十メートルほど進んでください。右手斜め前方に四角い黄色の枠の看板が見えてきます。看板には開いた本の絵が描かれていますから、それが目印です」

 こうなる。そして、王国の人間である夕映さんが説明すると

「だからぁ、ここをこう『ガァーッ』といって、交差点『ポンポン』って渡って、そこで『グッ』て曲がってそのまま『スゥー』と進むと『この辺』に『こんなの』があるから、それが目印」

 こうなる。俺は王国出身に近いから大体わかる。けど、帝国出身の人間は揃って首を傾げ、本当に同じ人間か疑うらしい。

 他にも、方言ではないけれど、些細な言葉の使い方の違いがあって、意志疎通が難しいことがざらにある。停戦後の天秤島初期じゃあ、そういうニュアンスの違いで発生した喧嘩などの事件が一番多かったらしい。

「これはあんたが悪いわけじゃなく、人種の違い、習慣の違いからくるもんだ」

 そう言うと、皇女は思案顔になった。今日一日で、何か思い当たることがあったらしい。

「ではあなたは、私が理解できない部分を解説してくれる、そう言う事ですか?」

「その通り。他にも、細かい所でフォローしてやる。あんたがアドリブに弱いのは今日一日でよく分かったからな」

「余計なお世話です。・・・で、あなたの要求は?」

 綺麗な瞳が射抜く。なるほど、想定の範囲内なら、そこまで気が回るらしい。

「馬鹿にしないでいただきたい。私だって、それくらい思いつきます。自身の安全の保障、それだけであなたが済ませるわけがない」

 話が早くて良いね。

「では、遠慮なく。俺からのお願いは二つ。一つは今言った、俺の身の安全だ」

「・・・他の方々の身の安全については何も言わないのですね」

「他? ・・・ああ。あいつらのことか。必要ないね。俺のことだけで充分」

「最低な人ですね、あなたは」

 皇女の目が細まる。汚物を見るような冷たい目で、ちょっとゾクゾクしちゃうね。イケナイ何かが目覚めそうだ。

「褒め言葉だね。じゃあ二つ目。あんたの体を調べさせてもらう」

 一拍おいた後、壊れたベッドの足が飛んできた。鳩尾にクリティカル。膝から崩れ落ちる。

「て、めえ・・・・何しやが、る」

 痛む腹を押さえ、吐き気をこらえ、脂汗を流しながらこの仕打ちを糾弾する。今さっき俺の身の安全を保障するとかなんとか言ってなかったかこの女。

「な、ななななな何言ってるんですかあなたは! この破廉恥漢! 恥を知りなさい!」

「な・ん・で・だよぉ・・・」

 うずくまったまま彼女を睨め付ける。

「か、体、人の体を調べさせろなんて、そんなこと臆面もなく良く言えたものね! 皇女とか関係なく、女性に対してなんてこと・・・っ、もうあなた人として駄目でしょう! ここで朽ちるか牢獄へゴーよこの弩変態が!」

「違え! 誰がてめえみてぇな力技オンリーの戦闘馬鹿に不埒な悪行三昧を考えるか!  俺が調べたいのはてめえの中にある唯一品だ!」

「唯一品、・・・神威装甲の事?」

「そ・お・だ・よ! 言わなかったか!」

「言ってないわよ!」

 びゅうっと、俺たちの間に風が吹いた、気がした。何食わぬ顔で立ち上がり、体についた埃を払い落す。今日はこんなことばっかやってるな。

「・・・まあ、こんな感じで、王国と帝国では、上手く意思疎通ができない部分があるってことが証明されたよな」

「奇しくもそうね。これがあなたの説明不足に起因するものではなく、王国の人間すべてに言えることなら、この意思疎通の部分を解消できれば、両国の和平への道は一気に縮まるでしょうからね」

「ともかくだ」

 嫌味をぶった切って、話を続ける。

「唯一品の持ち主なんて希少な人種、滅多にお目にかかれるもんじゃない。調べれられるとなりゃなおさらだ。こんなチャンス逃す手はねえ。それに、これはあんたにとっても良い話になる」

 この理由については彼女にも簡単に想像できたようで頷き返してきた。

「なるほど、科学ではなく、魔法からのアプローチですね?」

「その通り。唯一品は当時の科学と魔法の最先端の技術の結晶、科学技術だけのトリガーってのは考えにくい。魔法技術の何らかの要因もあってしかるべきだ」

「しかし、最後に神威装甲を使用した曾祖母は、完全に科学側の人間でしたよ?」

「でも、あんたのひいばあさんは強化鎧を使用したなんて記録、無いんだぜ?」

 これは文献にも載っている。彼女の曾祖母、クレア・レガリス皇太子妃は、帝都攻防戦において帝国の劣勢を、神威装甲の力によって押し返したとある。たった一人で四方から襲いくる王国兵をなぎ倒し、数十人がかりで編んだ攻撃魔法から街を守り、遂には帝国劣勢だった戦況を五分にまで戻した。

 彼女が戦ったのは、その一戦ただ一度きり。翌日、戦場で負った傷がもとで帰らぬ人となったからだ。享年三十六歳。その命と引き換えに帝国を守った守護女神として、帝国の人間たちに今なお愛され、親しまれ続けている。

「それは、そうですけど。それが何だというのです。曾祖母の件に関しては、私が誰よりも調べました。それ以上の資料はありません」

「無いのがおかしいんだよ。他に当然あるはずのもんが無いんだ。訓練でも、出力実験でも何でもいい。ぶっつけ本番で兵器を使用するなんておかしいだろうが。そして、仮にも皇太子妃がそのまま死ぬか? 病院のカルテとか、そこまで見たか?」

「しかし、公式記録でも背中に受けた傷が元で、と」

「忘れたのか。神威装甲には強力な自己再生修復能力がある。それ以上に、複数人で、時には何十人も協力して編み込んだ強力な魔法を跳ね返すような装甲に、どうやって致命傷を与えたんだよ」

 調べれば調べるほど、疑惑が膨らむ。どうしてそんな簡単な矛盾に、今まで誰も気づかなかったのか。答えは簡単だ。時の皇帝が、公式にそう発表したからだ。

「皇帝にとっちゃ、神威装甲は切り札だ。過去の文献にあるように、絶大な力を誇る。けど、それだけじゃない。神威装甲を纏うあんたが戦場に現れれば、味方は戦意が倍増し、敵は戦意を失う。使用できるだけで戦況が変わるほどのワイルドカードなんだ。使えないままにしとくってのはおかしい。どんな手段を用いても、使用できるところまで持って行きたいに決まってる」

 そのためなら、いくらでも情報を提供するはずだ。

「けど、それをしないのは、なぜか、ということですか」

 彼女が思案する。大分、こちらのペースに乗ってきてくれたようだ。ま、嘘は言ってないしな。彼女の後ろにいる連中が彼女を使って何をさせようとしているのか、それを探ってるって件を言ってないだけだ。

「で、どうする? この提案に乗るか?」

 トラップカードを伏せたまま、俺は問う。彼女の方も、自分で言っていたように馬鹿ではない。俺がまだ隠し事をしているのに気付いているはずだ。

 それでも、彼女は

「乗りましょう」

 そう、そこにしか道はない。知らず、俺の口角が上がる。

「ただし、少しでも不穏な動きを見せれば、次はあなたの胸に穴が開きますから。私は、あなたのことを何一つ信用していない。あなたの様な、欲まみれで、人のことを何一つ考えないような人のことは、絶対に」

「結構。契約成立、だな」

 右手を差し出す。朝できなかった握手を改めて、ってね。

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