第2話
冷蔵庫を開けるとミネラルウォーターと調味料の他には何もなかった。
すぐ横にあるシーフードと書かれたダンボール箱を覗いてみる。
が、中には何も入っていなかった。
そういえば、この前食べたのが最後のカップ麺だったっけか。
僕はそばにかけておいたトレンチコートを手に取り羽織ると、玄関に脱ぎっぱなしになっていたクロックスを履いて外に出た。
外は僕の予想を裏切り、日が強く照っていた。
見ると太陽はあんなに高い位置にある。なんだ、さっきのニュースは朝のじゃなくて昼のニュースか。
いったいいつの間に朝が終わっていたんだ。
ともあれご飯だ、お腹がすいた。
バイトをクビになったのが一週間前。それ以来僕は昼となく夜となく部屋でタバコを吸っては溜息を吐いて過ごしていた。
趣味もなかったので貯まる一方だった金にはまだ余裕があるが、唯一のやる事だったバイトを取り上げられて何もする気になれなかった。
何もする気にはなれないのに、何もしていないのに、それでもお腹だけはすくんだからこの体のんきなもんである。
コンビニへの道すがら、道端に植えてある梅が花を咲かせているのを見た。
もうそんな時期になるのか。
陽の光をすかしながらこちらを見るピンクの花たちが今の僕にはチラチラと眩しかった。
コンビニではおにぎりとカップ麺とポテトチップス、それから替えの煙草を買った。
煙草はまだ家にあるが、今のうちに買っておけば、またしばらく買いに行かないで済むだろう。
僕はクロックスの踵を引きずりながら家を目指した。
マンションの前に着くと見かけない車が止まっていた。8人は乗れるであろうワゴン車だ。車の中にはダンボール箱が見える。
家を出る時は気付かなかったが、どうやら新しい住人が来たようだ。
店舗となっている一階の脇にある通路を通ってエレベーターに乗り、7階のボタンを押す。
この7階建てマンションの最上階だ。眺めが良くて数年前この部屋に引っ越してきたのだが、もうしばらくカーテンを開けていない気がする。
ガラス越しに目の前の景色が上から下へと流れていく。それをなんとなく眺めた。
しばらくすると止まり、変わりにガラスの部分だけくり抜かれたような金属の扉が開いた。
エレベーターを出るとすぐそこに僕の部屋が見える。すると扉が開いているのに気付いた。
さっき閉め忘れたかな。
何か取られていないかと一瞬冷や汗をかいてみたがよく見ると隣の部屋だった。
どちらにしろ不用心だな...。
まぁ、僕には関係の無い話だけど。
僕は意味もなくその扉の空いた部屋を見ていた。
すると、背中に衝撃が走る。
思わず勢いに押されて前に倒れ込むようにこけてしまった。
「わわ、ごめんなさい前が見えなくて。怪我してないですか??」
振り向くとそこには四角い白色が手足を生やして立っていた。
「ぬ、ぬりかべ?」
「ち、違いますよ! 」
そう言うとぬりかべはよちよちと方向を変え始める。完全に横に向ききったところで、ぬりかべの正体が分かった。
「あの、本当にすみませんでした!」
大きなマットレスを抱えた少女がそこにいた。
身長150前半であろうその少女は、明らかに自分では持ちきれないであろうマットレスを両手いっぱいに広げて抱えていた。 いや、貼り付いるようにも見える。
「大丈夫です。」
そう言うと僕はそそくさとその場から離れようとした。
少女のほんとにほんとにすみませんでした!という声を背中に受けながら部屋の前まで行くとポケットの中から鍵を取り出す。
そこでふと、考えてしまった。
あの少女は一人で引越し作業をしているのだろうか? 小柄な彼女の手には余るほどの大きなマットレスを自分で運んでいたところを見ると、もしかしたら本当に一人なのかもしれない。
そういえば僕は...上京する前の僕は、こういう時必ず手伝っていたっけ?
誰もお節介だなんて思わなかったし、自分だってたくさん助けてもらったりしたっけ。
振り向くと少女はまだぬりかべのようによちよちとマットレスを運んでいる。
昔を思い出した、ふとそんな自分が懐かしくなってしまったのだろう。
心の中で仕方ないなと誰にいうでもなく言うと、僕はぬりかべ少女に近付き、マットレスを持ち上げた。
「うわわ!?」
少女が素っ頓狂な声を上げる。
「運ぶよ、そこの部屋だろう?」
少女は、あ...でも...と言っていたが、程なく「ありがとうございます」と言って僕についてきた。
マットレスを玄関に入れると少女がまたペコペコとお礼を言ってきた。
「あの、本当にありがとうございます! なんとお礼をしたらいいか...」
「別に良いですよ、引越し大変そうですし」
「あの! 私かえでって言います。くさかべかえで、薬草の草に土壁の壁、かえでは木へんに風で楓です。」
「草壁さん...」
ぬりかべとそんなに変わらないじゃないか。
「それであの...」
「え?」
ああ、僕の名前か。
「片桐です。片桐タクミ。」
「よろしくお願いします、タクミさん!」
「うん、よろしく。」
何をよろしくされたんだろう…。いや、ただの挨拶だってことは分かってるんだけどさ?
「それで、荷物まだあるんでしょ?」
「はい、下の車に。」
「手伝いますよ」
「え、そんなそんな、申し訳ないです!」
楓は両手を交差させるように手前でバタバタさせた。何がしたいんだこの子は。
「別にいいっすよ、一人じゃ大変だろうし。」
このままここに居ると押し問答が続きそうなのでそれだけ言うと僕は玄関を出てエレベーターのボタンを押した。
後ろから楓が追いかけてくる。
「ま、待ってくださいよ」
またいやいやするつもりか? そしたら無言で運んでやろうか。
「あの...」
「なんすか?」
僕は肩越しに首だけ振り向いた。
「ありがとうございます!」
予想外の素直さに、またパッと開いた花のような笑顔に、僕は少しだけ呆気にとられた。
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