第21話 ドラゴンフライ
俺は見つけた穴をのぞき込みながら
「リーーーーーーーーーン!」
と呼びかけた。
しかし、穴の中から返事はなかった。
穴は下の方へ急傾斜しており、奥の方は真っ暗でどれくらいの深さがあるのか分からず、リンの姿は見えなかった。
大体、なんでこんなところに穴があるんだ?
さっき俺が通ったときはなかったはずだぞ?
ダンジョンの通路がどのようにしてできているのかはわからないが、複雑な階層構造にもかかわらず崩落することがないのは、壁や床が魔力のこめられた土や砂、岩石で魔法的に堅牢な構造をしているためだと言われている。
そのため、トラップ的な罠の落とし穴はともかく、自然にできた穴などないはずだった。
しかし、この穴は小さいものの地下深くへ続いているように感じられる。
穴の奥からかすかに空気が吹き上げてきているから、この奥はどこか広い空間に通じているのではないだろうか?
階層間の通路でもあるまいし、こんなところにそんな深い穴があるはずがないのだ。
うん?通路?
その穴は、階層間の通路にしては狭すぎるが、下りの勾配や穴の深さは通路に似ている。
もう少し穴のサイズを広げて余計な土砂を取り除けば、下層へ通じる通路になるかもしれない。
でも、このダンジョンは今俺がいるこの30階層までしかないんだぞ?
とっくにダンジョンボスが倒されたこのダンジョンの階層数が変わることなんてないはずだろ?
ダンジョンボスが倒されていないダンジョンは構造が変わりやすく、深さ、つまり階層数が変わる場合もあると言われているが、ここはずっと前にダンジョンボスが倒されて安定したダンジョンだぞ?
しかし、今、目の前に地下へと続く穴があり、その様子は次の階層に誘う階層間の通路に見える。
そして、今シーズンは異常事態が続いており、まだその原因は分かっていない。
俺の脳裏に『ダンジョンの暴走』という言葉が頭に浮かんだ。
ここはキソロフのような開かれていない迷宮(ダンジョンボスが討伐されていないダンジョン)ではないが、迷宮でなくともダンジョンの暴走はあるのか?
そういえば誰かがそのことを心配していたか?
そのとき、穴に首を突っ込んで覗いていた俺は、穴の奥から吹き上げてくる風にかすかな熱気を感じた。
それは温かみとはいいがたい、嫌な臭いの熱風だった。
やはりこの穴の奥には何か異常なものがある。
そう感じた俺は、他の冒険者仲間に相談しようと思い、立ち上がろうとした。
このような異常事態は経験がなく、到底俺一人で対処できない。
一人でむちゃをやればまた人に迷惑をかけてしまう。
一人で未知の穴に潜るのは危険だし、下手をすれば降りたまま上がってこれなくなる危険もある。
グレコか、ゼットか、誰か頼りになる仲間を探そう。
俺がそう思って立ち上がろうとしたとき、穴の奥からかすかな声が聞こえてきた。
「ごしゅじんさば~~~~~~~~~~~~~~~~~~」
その情けない声が誰の声かは考えるまでもない。
あー、クソ! 世話の焼けるやつだ。
俺は立ち上がると、穴のそばに余計な荷物を置いて目印にし、30階層通路の奥めがけて
「誰か来てくれ! 穴が見つかった! リンがその穴に落ちやがった!」
と叫んだ。
そして、自分の声を誰かが聞き届けてくれたかを確かめる間もなく、足からその穴に飛び込んだ。
暗くて狭い穴の中をずるずると滑り降りていく。
出来立ての穴のせいかまだ土砂が多く、崩れてくる土砂ともども地下へ向かって転げ落ちて行った。
予想よりもはるかに長い時間下っていくと、いきなり、ドスン! と強いショックがあり、体が止まった。
落ちたショックで肺が空っぽになる。
それでも、先にその穴から零れ落ちていたらしい土砂の山の上に落ちたようで、大きなけがはせずに済んだ。
落ちたショックで起き上がれずにいると、後から降ってきた土砂が頭の上に降り注ぎ、口の中が土砂まみれになる。
「ぺっ、ぺっ、ちくしょう!」
俺は体にかかった土砂をはねのけて、何とか起き上がった。
一瞬、周りが真っ暗に感じられたが、目が慣れてくると薄っすらと明かりがあるのが分かった。
薄暗く不気味な深い色合いの真っ赤な光で辺りが照らされている。
じっとりとした熱の感じられる熾火のような赤い光だった。
「ふぇっ!また何か出ふぁ!びぇ、びぇぇええええええええん」
何かいきなりうるさい声が聞こえてきた。
リンのやつ、泥まみれになった俺のことを魔物か何かと間違えてやがる。
取りあえずリンは元気そうなので放っておくことにする。
俺は、顔についた泥をぬぐって立ち上がり、リンの向こう側にある赤い光の源をじっと見た。
「ふぇ?ごふゅじんしゃば~?」
リンの向こうには、暗い赤色に光る壁が見えた。
最初は岩の壁が熱を帯びているのかと思ったが、その壁は揺れるように動いており、少しずつ俺たちの方に近づいていた。
そして、壁の真ん中あたりに、二つの丸い目が合った。
ど す黒い赤色に光る複眼の目が、俺とリンを見ていた。
とんでもなくでかい魔物だ。
俺は早まる鼓動を何とか抑え、剣を抜きながらその魔物を観察した。
その魔物は、熱を帯びた赤い肉の塊のように見えるが、よく見ると太い足で歩いており、両目の間には長い鼻のようなものが垂れていた。
そして、そいつの背中の上には、羽が生えていた!
その羽は魔物の大きさから比べると小さすぎ、その羽では到底空中に浮かべそうになかった。
それでも魔物はせわしなく羽ばたき、熱い空気をまき散らしていた。
そして、高速で動くその羽が「ブーン」という音を立てているのが聞こえた。
ここ数週間に聞きなれたその音でそいつの正体が分かった。
ドラゴンフライだ。
一見すると、空中を身軽に浮遊するドラゴンフライとは似ても似つかぬ重量級の魔物だが、羽も、複眼の目も、熱い息もドラゴンフライそっくりである。
もちろん、普通のドラゴンフライよりはるかに巨大なこのドラゴンフライが、ただのドラゴンフライのはずがない。
こんな魔物はうわさにも聞いたことがない。
明らかに異常な、変異種である。
最下層のさらに奥に現れた変異種の魔物であるから、新たに発生したダンジョンボスかもしれない。
クソ!
さすがの俺もダンジョンボスに一人で挑んだことはない。
しかも、誰も挑戦したことのない正体不明のダンジョンボスである。
本来なら、ポーションを大量に用意し、ランクの高いベテランの冒険者が集まったパーティーで挑むべきだ。
相手がどんな攻撃を仕掛けてくるかわからないのだから、安全マージンは十分すぎるくらいに採っておかなければならない。
それがボス戦の鉄則だ。
しかし、今ここには俺とリンしかいない。
落ちてきた穴をリンを連れてさかのぼるのは到底無理だろう。
ほかの逃げ道もない。
誰かの助けが間に合う保証もない。
手持ちのポーションはわずかしかないが、やるしかないか。
俺は、魔物の赤い複眼を睨み付け、剣を構えながらその巨大な魔物に向け足を踏み出した。
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